エピローグ:乙女ゲームは早くもハッピーエンドを迎えました
リリアーナが帰還して四日後の夜、ノーザンバリー辺境伯邸の大広間にて祝賀パーティーが開かれた。
国境の瘴気の浄化を終えたことを祝うもので、瘴気の浄化に関わった貴族や軍関係者、神官、魔法師、官僚、貿易商などおよそ百名が参加している。
服装は夜会と同等のドレスコードだ。
軍人と神官を除き、男性は白のシャツとタイに黒の燕尾服。女性はデコルテが広く空いた夜会用のドレスと決められていた。
もちろんそれは俺たちも例外ではなく、辺境伯が用意した燕尾服に袖を通している。(と言ったものの、グレンは意地でも剣を手放さなかったため、一人だけサー・コート姿だ。衣装はかつての上官から借りたらしい)
なお、リリアーナのドレスは淡いブルー系の色をしている。デザインはシンプルだが、生地は文句なしの一級品。銀糸の刺繍がとても美しく、急ごしらえのドレスとは誰も思わないだろう出来だ。
間違いなく、この会場で最も輝いているのはリリアーナだと断言できる。
先ほど他の四人と共に一通りの挨拶回りを終えた俺は、ユリシーズとテラスの丸テーブルに腰かけていた。
テーブルの上には一本のワインと二つのグラス。あとはチーズとハムとクラッカー。
完全に酒のつまみだ。
俺達は、夜会で自ら酒を注ぐのはマナー違反だと知りながら、人目がないのをいいことに互いに酒を酌み交わす。
相も変わらず美しく輝く星々の下、語り合う。
「今さらだけどさ、ほんとに凄いよな。リリアーナも、セシルもグレンも。あんな無茶な計画、ほんとにやり切っちゃうんだもんな」
会場の中央で、大勢の人に囲まれているセシルとリリアーナ。
王子と聖女だから当然と言えば当然かもしれないが、それを抜きにしても、今回のセシルの活躍はかなりのものだったらしい。
「そうだね。足りない魔法師を用意したのはマリアだけど、セシルとリリアーナがいなければ実行不可能な計画だったことは確かだろうね」
サミュエルが計画した国境の瘴気浄化の方法――それは一言で言うなら"国境一体に聖水の雨を降らせる"というものだった。
そもそも、国境の瘴気はあまりにも広範囲に及んでしまっており、光魔法師では対応ができない状況だった。当然、リリアーナの力でも浄化しきるのは難しい。
だからサミュエルは、自分の魔力を注いだ魔力石で聖水を作り、それを降らせようと考えた。
とは言え、必要な水はあまりにも膨大だ。国境付近には川も湖もない。
計画を実行するためには、まず大量の水を用意するところから始めなければならなかった。
サミュエルが考えた計画はこうだ。
まず第一に、土魔法で地面に巨大な穴を掘る。
第二に、穴底に光の魔力石を打ち込む。
第三に、水魔法で穴に水を溜める。(水はサミュエルの魔力石によって聖水と化す)
第四に、溜めた水を広範囲に雨として降らせる。
かなり無茶苦茶な計画だが、理論上、これで一気に瘴気を浄化することが可能だった。
だが上記の計画を実行するためには、そもそも安全に穴を掘る環境を作る必要があったし、第四の手順には魔力コントロールが抜群に優れている者が必要だ。
そのための、リリアーナとセシルだったのだ。
「いや……ほんと、俺たち行かなくて良かったよな」
今さらながら思うが、俺やユリシーズが同行しても全く役立たずだっただろう。
それ以前に、瘴気を吸ってぶっ倒れてしまうような少し前の俺では、戦力外どころか足手まといにしかならなかった。
――それに、だ。
「付いていかなかったおかげで、俺は身体に魔力を循環させられるようになったわけだし」
全ては結果オーライだ。
俺はぐいっとグラスを煽る。――すると、そのときだった。
突然――本当に突然、俺とユリシーズの死角に何かの気配が現れる。
と同時に、「そのことなんだけど」と言う声がして……。
俺とユリシーズがバッと振り向くと、そこにいたのはやはり、ロイドだった。
なお、ロイドの左手にはいくつものシュークリームが乗った皿があり……。
その姿に、俺は突っ込まざるを得ない。
「――おっ、お前! 今どこから出てきた!? いつからそこにいた!? ってか、その皿どこから持ってきたんだよ……!? お前、マリアから謹慎くらってたはずだろ!?」
――そう。
ロイドはキッチンからお菓子を盗んでいたことがマリアにバレて、三日間の謹慎を命じられたのだ。
にも関わらず、ロイドは俺たちの前にいる。
「お前、謹慎の意味わかってないの?」
唖然とする俺に、平然と答えるロイド。
「え~? だって、すっごくいい匂いがしたから」――と。
その答えに、俺は脱力した。
(突っ込むだけ無駄だ。つーか、突っ込んだら負け……)
そう思ったのは俺だけではないようで、ユリシーズも深い溜め息をついている。
ロイドは、シュークリームをもぐもぐと頬張りながら続けた。
「アレクの身体のこと、誰にも内緒だからね?」と。
「――あ? ああ、当然だろ。俺だってリリアーナに変な心配かけたくないし。お前も、魔法を使ったことがマリアに知られたらマズいんだろ。わかってるよ」
――そう。
これは俺の身体が治ったときに三人で話し合って決めたことだが、俺の身体のことは三人だけの秘密なのだ。
リリアーナにもセシルにも、当然マリアにも話していない。
俺の身体がおかしかったことも、それをロイドに治してもらったことも、どちらも言わないことに決めたのである。
唯一皆に伝えたのは、"ロイドに魔法の特訓をしてもらった"ということのみ――。
俺とユリシーズが「当然だ」と頷くと、ロイドはごっくん、とシュークリームを吞み込み、ニコリと微笑む。
「わかってるならいいよ。でも気をつけてね。お酒が入るとうっかり口がすべるって、前に聖下が言ってたから。――じゃ、僕はデザートお代わりしてこよっと」
何だか気になることを言い残し、ロイドは俺達に背を向ける。
すると次の瞬間には、ロイドの姿は視えなくなった。
本当に、ものの一瞬で視界から消えたのだ。
「……あいつ、何なんだ、マジで」
「彼はちょっと……規格外すぎるよね」
(ほんとに何でもアリなんだな、あいつ……)
俺は多分、ロイドが裏ボスだったとしても驚かないだろう。
むしろ納得してしまうほどだ。それくらい、ロイドの力は人知を超えている。
――だが違うのだ。ロイドは真のラスボスではない。
なぜなら、ロイドはゲーム後半でアレクに殺されてしまうキャラだからだ。
俺が取り戻した前世の記憶――その中で、妹はこう言っていた。
『嘘ッ! 嘘嘘嘘! 有り得ない! ロイド、刺されて死んじゃったんだけど! お気に入りだったのに!』――と。
その後終盤の対決で、アレクは自ら、自分がロイド殺しの犯人であることを告白する。
俺はそのとき詳細までは聞かなかったから、すべてのルートでロイドが死ぬのかはわからない。
が、少なくとも、妹が最初に選んだセシルルートでのロイドは死んだはず。
けれど、今はもう状況が違う。
俺はラスボスになる気はないし、俺がロイドを殺すなんてことは絶対に有り得ない。
だからロイドは死なないはずだし、途中で殺されるポジションのあいつが真のボスであることは絶対にない。
そもそも、俺ごときにロイドを殺すのは不可能だ。普通に考えて、返り討ちにあって終わりだろう。
――俺は視えなくなったロイドの背中を無意識に探しながら、そんなことを考える。
するとそのときだ。
ロイドと入れ替わるようにテラスの扉が開いて、リリアーナとセシル、グレンがテラスに出てきた。
俺を見つけてパッと顔を明るくするリリアーナと、やや気疲れした様子のセシル。それと、どこまでもいつも通りなグレンがそこにいた。
「お兄さま、こちらにいらっしゃったのね! 気付いたらいないんですもの。探してしまったわ」
先ほどまで澄まし顔で社交していたのに、俺を見つけたとたん顔を綻ばせるリリアーナ。
ドレスの裾を揺らしながら俺のもとに駆け寄ってくる、愛しい妹。
その姿は、控えめに言って天使――。
(ああ、なんて可愛いんだ、リリアーナ……!)
俺はリリアーナのあまりの可愛さに、衝動的に腕を広げた。これはもう抱きしめなければなるまい、と。
だが、俺がリリアーナを抱きしめようとしたその瞬間、信じられないことが起こった。
なんと、俺からリリアーナを奪うように、セシルがリリアーナを背中から抱きしめたのだ。
「――はっ?」
行き場をなくした俺の腕は、虚しくも空をかく。
そんな俺の目の前で、セシルは見せつけるようにリリアーナの耳に唇を寄せ、囁いた。
「駄目だよ、リリアーナ」――と。
「ハッ……!? はあああああああ!?」
一瞬の沈黙の後、俺は堪らず絶叫した。
「――お、まっ、セシル! 何やってんだよ!? 今すぐリリアーナから離れろ! 俺はまだお前にそこまで許してねーぞッ!!」
俺はセシルに抗議する。
が、リリアーナを抱きしめたまま、セシルは白々しい笑みを浮かべた。
「許しも何も、これは僕とリリアーナの問題だ。それに僕は、リリアーナの気持ちを無視してこんなことはしないよ。――ね? リリアーナ」
セシルのダメ押しに、ぶわっと耳まで赤くするリリアーナ。
その姿に、俺はショックで今にも倒れそうになる。
「リ……リリアーナ……お前まさか……セシルと……つ、付き……付き合っ……」
――気付いていなかったと言えば嘘になる。
二人のデートを尾行して、相思相愛なのだろうとは思っていた。好き同士なのだとはわかっていた。
だがこの短期間で……まさか本当に?
もしかしなくても、俺がいなかった一週間の間に二人は愛を育んでいたのか? つまりはそういうことなのか……?
茫然とする俺に、リリアーナは真っ赤な顔で俯いて……。
その表情は……紛れもなく……。
「う…………嘘だろ。……誰か、誰か嘘だと言ってくれ……」
俺はユリシーズに助けを求める。
が、あっさりと首を振られて……。
今度はグレンに訴えるが、「諦めろ」と視線を逸らされて――。
◇
――結局俺はその後、リリアーナの「わたし、お兄さまのこと心から愛しております。でも、セシル様のことも(以下略)」という慰めの言葉にとどめを刺され、再起不能なまま王都への帰路に着いたのだった。
《Fin》
続きを楽しみにしてくださっていた読者さまには申し訳ない気持ちでいっぱいですが、続きを書く時間がしばらく取れそうにないため、ここで完結マークをつけさせていただくことにしました。
力及ばず大変申し訳ございません。
ここまでお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。




