第三十話 禁書庫と聖膳師
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
翌日の放課後。
レスティナは、母の料理本を鞄へ入れて教室を出た。
「レスティナ様」
廊下へ出ると、ミレーヌが追いかけてくる。
「これから禁書庫へ行かれるのですか?」
「はい」
「お気をつけて」
「図書館ですから、危険はないと思います」
「そういう意味ではないのですが……」
ミレーヌが困ったように笑う。
「何か分かったら、話せる範囲で教えてください」
「分かりました」
「私も、いつかレスティナ様のお母様について知りたいです」
「なぜですか?」
「レスティナ様の大切な方だからです」
レスティナは、すぐに返事ができなかった。
母の顔を知らない。
声も覚えていない。
名前を知ったのも、侯爵邸へ戻ってからだ。
それでも、母から遺された料理本は大切だった。
その本に書かれた料理を作れば、母が何を考えていたのか、少しずつ分かるような気がする。
「ありがとうございます」
「はい」
ミレーヌと別れ、北棟へ向かう。
学園と王立図書館を繋ぐ渡り廊下の前には、オルフェンが待っていた。
「時間どおりですね」
「お待たせしました」
「いいえ。料理本は?」
「持ってきました」
鞄を軽く押さえる。
「では、行きましょう」
オルフェンが職員証を扉へ翳した。
表面に刻まれた魔法陣が青く光り、施錠が外れる。
二人は渡り廊下を進み、王立図書館へ入った。
◇
王立図書館には、紙と革の匂いが満ちていた。
壁一面の書棚。
高い天井へ届く梯子。
机へ積み上げられた分厚い本。
窓から差し込む光の中を、細かな埃が漂っている。
閲覧席では、何人もの学者が静かに本を読んでいた。
聞こえるのは、頁をめくる音と、筆を動かす音だけ。
「料理の本もありますか?」
「あります」
「どこでしょう?」
「今日は禁書庫の資料が先です」
「禁書庫のあとなら、見てもよいでしょうか?」
「閉館時間まで余裕があれば」
「急いで調べます」
「禁書を急いで読むものではありません」
「では、丁寧に早く読みます」
「できるのであれば、そうしてください」
オルフェンは苦笑し、図書館の奥へ進んだ。
一般の閲覧者が使う区画を抜ける。
職員用の扉を通る。
その先に、地下へ続く階段があった。
一階分。
二階分。
三階分。
下りるほど、空気が冷たくなっていく。
壁には一定の間隔で魔法灯が取りつけられている。
地下三階へ着くと、金属製の扉が現れた。
扉の前には、白い手袋を着けた女性が立っている。
「オルフェン・ラッセル先生ですね」
「はい。申請していた聖膳師の資料を閲覧しに参りました」
「そちらが、レスティナ・ファレル様ですか?」
「はい」
レスティナは頭を下げた。
「よろしくお願いいたします」
「禁書庫管理官のリディア・ロウです」
リディアは、手元の書類とレスティナの顔を見比べる。
「学園長から、特別閲覧許可が出ています。閲覧できるのは、聖膳師および関連する古代職能の資料のみです」
「分かりました」
「資料を禁書庫の外へ持ち出すことは禁止されています」
「はい」
「魔法による複写も認められていません。内容を書き写す場合は、こちらが用意した紙と筆を使ってください」
「分かりました」
「室内での飲食は禁止です」
「何も持ってきていません」
「念のため確認しただけです」
「料理を作る道具もありません」
「禁書庫で料理をしようとする方は、普通はいません」
「そうなのですか?」
「そうです」
リディアは三本の鍵を扉へ差し込んだ。
一本ずつ、異なる方向へ回す。
最後に扉の中央へ掌を当てると、青白い魔法陣が広がった。
重い音を立て、扉が開く。
中には、古い書棚が並んでいた。
本。
巻物。
石板。
金属板。
劣化を防ぐため、一つずつ保存魔法がかけられている。
一般閲覧区画より本の数は少ない。
だが、どの資料も長い時間を残してきたものだった。
「聖膳師に関連する資料は、こちらです」
リディアが二人を閲覧机へ案内する。
机の上には、三冊の本と二本の巻物が用意されていた。
『古代職能紋章集』
『王国遠征軍兵站記録』
『失われた魔法技術』
一本目の巻物には、古い地図。
二本目には、禁書庫の閲覧記録と書かれている。
「最初は、紋章から確認しましょう」
オルフェンが『古代職能紋章集』を開いた。
頁は黄色く変色している。
書かれた文字も薄い。
それでも、描かれた紋章は確認できた。
剣と盾。
杖と蔦。
金槌と炎。
針と糸。
古くから特殊な技術を受け継いできた一族の紋章が、一つずつ記録されている。
頁をめくっていく。
「ありました」
オルフェンの指が止まる。
一振りの包丁。
その刃を受け止めるように置かれた、丸いフライパン。
レスティナは鞄から母の料理本を取り出した。
机へ直接置かず、持ってきた布を敷く。
その上へ本を載せた。
二つの紋章を見比べる。
包丁の形。
フライパンの持ち手。
二つが重なる位置。
細かな部分まで、同じだった。
「間違いありません」
オルフェンが言う。
「この料理本は、聖膳師の一族が所有していたものです」
紋章の下には、古い文字で説明が書かれている。
『刃によって命を分かち、火と器によって一つの膳へ戻す者』
『食材に残る力を損なわず、食す者へ明日の命を与える』
『包丁と円鍋の印を持つ者を、聖膳師と呼ぶ』
「円鍋とは、フライパンのことでしょうか?」
「当時の呼び方です」
「やはり、料理人なのですね」
「その認識で間違いありません」
さらに下には、別の記述があった。
『力のみを欲し、味を軽んじる者に、印を継ぐ資格なし』
レスティナは、その一文を二度読んだ。
「お母様と、同じ考えです」
「料理本にも、似た言葉が?」
「最初の頁に書かれています」
料理本を開く。
『料理とは、いただいた命を、明日を生きる命へ変えること』
二つの本に記された言葉は、まったく同じではない。
だが、伝えようとしていることは似ている。
「効果があればよいのではなく、美味しくなければいけないのですね」
「聖膳師は薬師ではなく、料理人だった。その誇りを示す言葉でしょう」
レスティナは頷いた。
身体によいという理由だけで、食べる者が顔を顰める料理を出す。
それは、母の言葉にも反している。
「次はこちらです」
オルフェンが『失われた魔法技術』を開いた。
聖膳師について記された頁は、数枚しかない。
『聖膳は治癒魔法にあらず』
『失われた肉体を戻すことも、死者を蘇らせることも叶わず』
『食す者が持つ治癒の力を高め、疲労を和らげ、魔力の巡りを整えるものなり』
「治癒魔法ではないのですね」
「傷を直接治しているのではなく、身体が治ろうとする働きを助けているようです」
「食事をすると元気になります」
「普通の食事にも、その働きはあります。聖膳師の料理は、より効率よく食材の力を身体へ取り込ませるのでしょう」
頁の後半には、さらに重要なことが記されていた。
『同じ献立であっても、誰に与えるかによって得られる働きは異なる』
『飢えた者へ、脂の多い肉を与えるべからず』
『熱を持つ者へ、身体を温める香辛料を与えるべからず』
『食す者を見ず、力のみを求めて作られた物は、聖膳にあらず』
「食べる方を見なければならないのですね」
「ファレル嬢は、岩牛骨のスープを作る際、エリオット・バーンの状態に合わせて調整したと言いましたね」
「はい。食欲がなく、魔力を使い切っていました」
「もし、健康な者へ同じ手順で作った場合は?」
「具を入れます」
「そこから違うのですか?」
「食欲があるなら、骨の周りについていた筋肉や、煮込んだ根菜も食べられます。すべて漉す必要はありません」
「塩分は?」
「もう少し濃くします」
「脂は?」
「取り除く量を減らします。身体を動かしたあとなら、脂も必要です」
オルフェンが、文章へ視線を戻す。
「料理本の手順を真似するだけでは、聖膳を再現できなかった理由は、これでしょう」
「ほかの方も作ったのですか?」
「過去に何人もの料理人や魔術師が試しています。しかし、記録にある効果は得られなかった」
「食べる方を見ていなかったから?」
「それだけとは限りません。血筋や、魔力の性質も関係している可能性があります」
それでも、重要な条件の一つではある。
誰へ食べさせるのか。
どのような状態なのか。
何を必要としているのか。
レスティナは、森で暮らしていた頃から自然に考えていた。
怪我をしたマレシアには、柔らかく食べやすい料理。
寒い日には、身体を温める香辛料。
暑さで食欲がない日には、酸味を強くした料理。
自分一人のときでさえ、その日の疲れや体調に合わせて味を変えていた。
「知らない間に、聖膳師の作り方をしていたのでしょうか?」
「料理本を読む前からですか?」
「はい」
「誰かに教わったのですか?」
「マレシアから、食材の扱い方を教わりました。ですが、味つけは自分で考えることも多かったです」
「母君の料理を食べた記憶は?」
「ありません」
「それでも、聖膳師としての考え方を自然に身につけた……」
オルフェンは考え込む。
技術を教わったのではない。
それでもレスティナは、食べる者を見て料理を変えることを当たり前だと考えている。
それが血によるものなのか。
森で身につけた経験なのか。
今は、まだ分からない。
「こちらも見てください」
リディアが、古い地図を広げた。
王国の全体が描かれている。
今の地図とは、町や道の位置が違う。
各地に、六つの異なる紋章が記されていた。
包丁と円鍋。
匙と薬草。
杯と果実。
炉と大鍋。
穀物と石臼。
魚と波。
「聖膳師は、一つの一族だけではなかったのですか?」
「得意とする料理によって、六つの系統があったとされています」
匙と薬草は、病人へ与える粥や薬膳。
杯と果実は、果実を用いた飲み物。
炉と大鍋は、多くの者へ食事を与える煮込み。
穀物と石臼は、パンや焼き菓子。
魚と波は、魚介や水棲魔獣の料理。
包丁と円鍋は、獣や魔獣の肉を扱う料理。
「私の料理本には、お肉を使う料理が多いです」
「紋章とも一致しますね」
包丁と円鍋の印は、王国南部の山間に記されていた。
いくつもの山に囲まれた、細長い谷。
地図には、『白霧の谷』とある。
「ここに、お母様の一族がいたのでしょうか?」
「可能性は高いでしょう」
「今も、行けますか?」
オルフェンとリディアが顔を見合わせた。
「谷そのものは存在しています」
リディアが答える。
「ですが、およそ二十年前から、入り口が濃い霧に覆われています」
「霧?」
「調査隊が何度か派遣されました。しかし、谷へ続く道へ入っても、同じ場所へ戻ってきてしまうそうです」
「迷わせる魔法でしょうか?」
「そう考えられています」
「空から入れば?」
「飛行魔法で上空へ向かった調査隊も、方向を見失っています」
「地面を掘れば?」
「山を掘り進むつもりですか?」
「必要であれば」
「すぐに行こうとしないでください」
オルフェンが止める。
「学園へ入学したばかりでしょう」
「はい」
「白霧の谷へ向かうとしても、十分に調査してからです」
「分かりました」
レスティナは、地図の位置を紙へ書き写した。
「残る資料も確認しましょう」
『王国遠征軍兵站記録』
王国軍が各地へ遠征した際の記録だった。
運んだ武具。
兵士の人数。
食料。
薬。
死亡者と負傷者。
ほとんどは、数字と短い報告だけ。
レスティナは、食料の欄を見て眉を寄せた。
「乾燥肉を、一つの革袋へまとめています」
「何か問題が?」
「雨で濡れれば、すべて駄目になります」
「百年以上前の記録です」
「塩も同じです。袋を分けたほうがよいです」
「記録を書いた者へ伝えることはできません」
「残念です」
頁をめくる。
数日後の記録。
『長雨により食料の三割を失う』
『乾燥肉の腐敗が広がり、兵の間で腹痛を訴える者が続出』
「やはり」
レスティナが呟く。
「食料の保存方法を調べに来たわけではありませんよ」
「ですが、大切です」
「それは認めます」
さらに頁をめくる。
食料を失った遠征軍は、魔獣の襲撃も受けていた。
怪我人。
病人。
空腹によって動けない兵士。
撤退も難しい状況の中、一人の女性が現れたと記されている。
『銀白の髪を持つ女、野に生える草木と討伐した魔獣を求める』
『灰角鹿の肉、苦葉草、土根芋、乾燥豆を大鍋にて煮る』
『三日ののち、腹を病んだ者の多くが立ち上がる』
『七日ののち、負傷者の半数が行軍へ復帰』
『女は報酬を受け取らず、残った食材と塩のみを持って去る』
記録の端に、包丁と円鍋の紋章が描かれていた。
「この方も、聖膳師なのですね」
「そうでしょう」
「名前は?」
「記録されていません」
「助けていただいたのに、聞かなかったのでしょうか?」
「女性が名乗らなかった可能性もあります」
レスティナは、書かれている食材を見る。
灰角鹿。
苦葉草。
土根芋。
乾燥豆。
「この料理を、作れるかもしれません」
「材料だけで分かるのですか?」
「苦葉草は、そのまま煮ると苦すぎます。塩で揉み、水へ晒したはずです」
土根芋は、長く煮れば崩れる。
煮汁へ溶ければ、とろみがつく。
腹を悪くした者にも飲み込みやすい。
灰角鹿の肉は脂が少なく、火を通すと硬くなる。
「肉は細かく刻み、叩いて丸めたと思います」
「なぜ?」
「病気や怪我をした方が食べるなら、硬い肉は向いていません」
「乾燥豆は?」
「先に水へ浸します。柔らかくなるまで煮て、半分は潰したほうが食べやすいです」
詳しい手順はない。
それでも、食べる者の状態と材料が分かれば、料理の形を考えられる。
「これも、聖膳師の性質なのでしょうか」
オルフェンが呟く。
「料理人なら、皆さん考えると思います」
「少なくとも、私は材料の一覧だけを見て、そこまで想像できません」
「オルフェン先生は、料理人ではありませんから」
「それを言われると、反論できませんね」
レスティナは材料と予想した手順を紙へ書き写した。
いつか食材を集めて、作ってみたい。
「最後は、閲覧記録です」
リディアが二本目の巻物を広げた。
「聖膳師に関する資料を、過去に誰が読んだのか記録されています」
日付。
閲覧者の名前。
身分。
閲覧した資料。
閲覧目的。
古い記録から、順番に見ていく。
歴史家。
宮廷魔術師。
薬師。
料理人。
百年ほど前までは、聖膳師の力を調べる者が多くいた。
時代が進むほど、その数は減っていく。
「近年では、ほとんどいませんね」
「聖膳師が実在したと考える研究者自体、少なくなっています」
さらに記録を追う。
二十年前。
十九年前。
十八年前。
十七年前。
十六年前。
十五年前。
そして、十四年前。
一行だけ、ほかとは異なる記録が残されていた。
身分の欄は、空白。
閲覧した資料は、『古代職能紋章集』と『聖膳師居住地図』。
閲覧目的は、『帰郷の道を探すため』。
名前。
『ティファーナ』
レスティナの手が止まった。
「お母様……」
姓は記されていない。
それでも、同じ名前。
閲覧したのは、聖膳師の紋章と、白霧の谷が記された地図。
「料理本の筆跡と、比べられますか?」
オルフェンが尋ねる。
レスティナは、母の料理本を開いた。
最初の頁。
『料理とは、いただいた命を、明日を生きる命へ変えること』
閲覧記録の署名。
文字の傾き。
線を止める位置。
最後の文字を、僅かに長く払う癖。
同じだった。
「お母様です」
レスティナは、二つの文字を何度も見比べた。
「間違いありません」
母は、十四年前にこの場所へ来ていた。
レスティナが生まれる、およそ一年前。
白霧の谷へ帰る道を探すために。
「お母様は、谷へ帰ろうとしていたのでしょうか?」
「閲覧目的が事実であれば、そうなります」
「帰れたのでしょうか?」
「その後の記録を調べなければ分かりません」
ティファーナは、白霧の谷へ帰ろうとしていた。
だが、一年後にはレスティナを産んでいる。
その間に何があったのか。
なぜ侯爵家へ来たのか。
なぜ帰郷を諦めたのか。
それとも、一度は谷へ戻ったのか。
「お母様を紹介した方は分かりますか?」
「禁書庫へ入るには、王族か高位貴族、もしくは王立機関に所属する者の紹介が必要です」
リディアが別の台帳を確認する。
「十四年前の許可記録ですね。少しお待ちください」
棚から、分厚い台帳を取り出す。
日付を照合する。
同じ日。
ティファーナの名前。
その横には、紹介者の名前が記されていた。
リディアが、その名を読み上げる。
「ファレル侯爵家当主、オルド・ファレル」
レスティナの父親だった。
「お父様が……」
母が聖膳師であることを。
白霧の谷へ帰ろうとしていたことを。
父は知っていた。
少なくとも、禁書庫へ入るために紹介状を書いている。
「お父様は、お母様のことを知っているのですね」
侯爵邸へ戻ってから、父とはほとんど話していない。
森へ送られた理由。
母がどこから来たのか。
レスティナが生きていると知って、何を思ったのか。
何一つ聞いていなかった。
聞こうとも思わなかった。
答えてもらえるとは、考えていなかったからだ。
だが、父は母の過去へ繋がるものを知っている。
「確かめます」
「侯爵へ尋ねるのですか?」
「はい」
レスティナは、母の名前が残された記録を見つめた。
「お母様について、知っていることを教えていただきます」
怒っているわけではない。
責めたいわけでもない。
ただ、知りたかった。
料理本に残された料理を作るだけでは分からない、母の人生を。
なぜ帰る道を探していたのか。
なぜ侯爵家へ残ったのか。
そして、なぜ何も語らないまま亡くなったのか。
レスティナは、閲覧記録の内容を紙へ書き写す。
十四年前の日付。
ティファーナの名前。
帰郷の道を探すため、という言葉。
紹介者である、父の名前。
「次に侯爵邸へ戻ったとき、お尋ねします」
レスティナは母の料理本を閉じた。
白霧の谷へ続く道は、まだ見つからない。
けれど、母へ続く道は、侯爵邸の中にも残されていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




