第十五話 外出許可と誰かの作ったお弁当
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
レスティナが侯爵邸へ戻ってから、半年が経った。
その間、彼女の生活はほとんど変わらなかった。
朝は日の出前に起き、厨房へ向かう。
母の料理本から一品を選び、手に入る食材で再現する。
食事を終えれば、令嬢としての教育を受ける。
昼には厨房へ戻り、午後は別の教師から授業を受ける。
授業が終われば、再び厨房。
夜は自室で母の料理本を読み、翌日に何を作るか考えながら眠りにつく。
母の本に書かれていた料理も、すでに三十品以上を作っていた。
『身体を温める、火蜜鳥の香辛料焼き』
『力を使いすぎた日に飲む、岩牛骨の濃厚スープ』
『眠れない夜に食べる、月香草と山羊乳の煮込み』
『冷えた身体を目覚めさせる、赤殻蟹の辛味鍋』
料理人たちは、レスティナが新しい頁を開くたびに集まった。
見たことのない切り方。
食材を加える順番。
同じ材料でも、食べる者の状態によって変えられる火入れ。
そのどれもが、ガルドたちの知る料理とは僅かに違っていた。
そして、レスティナが作った料理を食べた日は、不思議と仕事が捗った。
疲労が薄れ。
身体が軽くなり。
小さな切り傷なら、翌日にはほとんど塞がっている。
しかし、毎日忙しく働く厨房では、その変化を深く考える者はいなかった。
温かく、栄養のある料理を食べているから。
皆、その程度に考えていた。
レスティナ自身も同じだった。
料理とは、食べた者を元気にするもの。
師匠から教わったとおりである。
一方。
教師たちは、別の理由で頭を抱えていた。
◇
「それでは、最終確認を始めます」
レスティナの部屋。
向かいに座った礼儀作法の教師が、緊張した面持ちで告げた。
机の上には茶器が並べられている。
壁際では、歴史、算術、地理、舞踏を教えてきた教師たちが見守っていた。
本日は、半年間の教育の成果を確認する日である。
当初は一年間をかけ、学園へ入学してもファレル侯爵家へ恥をかかせない程度まで教育する予定だった。
ところが、レスティナは教師たちの予想を遥かに上回る速度で知識と技術を身につけていた。
「まず、お茶をお淹れください」
「はい」
レスティナは立ち上がる。
椅子を引く音は、ほとんどしなかった。
背筋を伸ばし、歩幅を一定に保ったまま茶器の前へ移動する。
湯差しを持ち上げる前に、客の人数と茶葉の種類を確認。
茶器へ湯を注ぎ、一度温める。
使用した湯を捨て、茶葉を量る。
湯の温度が高すぎれば、茶葉の苦みが強くなる。
僅かに待ってから湯を注ぎ、蓋をした。
砂時計を見る。
定められた時間より僅かに早く蓋を開け、香りを確かめる。
「なぜ、時間を変えたのですか?」
教師が尋ねる。
「本日の茶葉は、いつもより細かく砕けています。普段と同じ時間では、味が濃くなりすぎます」
「……正解です」
教師は、用意されていた模範解答を裏返した。
そこにも、同じことが書かれている。
レスティナは一つ目の器へすべて注がず、客の人数分へ少量ずつ分けていく。
一巡目。
二巡目。
最後の一滴まで濃さが偏らないよう、順番を入れ替えながら注いだ。
茶器を教師の前へ置く。
取っ手の向き。
器の位置。
目線。
どれにも間違いはない。
教師が一口飲む。
「見事です」
「ありがとうございます」
「ですが、砂糖菓子を先に食べなかった客へ、お茶を濃く淹れる必要はありません」
「はい」
「今のは、わざと間違った指摘をしました」
「そうなのですか」
「このような場合、どのように返しますか?」
半年前のレスティナであれば、「間違っています」とそのまま答えていただろう。
レスティナは僅かに微笑み、頭を下げた。
「ご指摘ありがとうございます。私の勉強不足かもしれませんので、あとで先生と一緒に教本を確認させてください」
教師の間違いを認めない。
自分が間違っているとも断言しない。
あとで確認するという形にして、人前で教師へ恥をかかせず訂正する。
教師は満足そうに頷いた。
「正解です」
「やはり、難しい言い方です」
「それを口にしなければ、完璧でした」
「次から気をつけます」
茶の作法に続き、舞踏。
相手役の教師に合わせ、長い裾を踏まずに踊る。
剣や槍を扱うときに身につけた体幹と足運びがある。
一度動きを覚えてしまえば、間違えるほうが難しかった。
次は、歴史。
「レグニシア王国建国のきっかけとなった戦いと、その年を答えてください」
「王国暦元年の三年前に起きた、リオニス平原の戦いです。後の初代国王が北部五領の連合軍を率い、当時の帝国軍を退けました」
「その際、最も大きな功績を挙げた家は?」
「軍事面ではグランベル公爵家の前身となるベルグ家。兵站ではファレル侯爵家の前身であるファレル伯爵家です。ただし、王家の正史には初代国王の功績が中心に記録されており、各家に残る記録とは兵数に違いがあります」
「違いが生まれた理由は?」
「戦後に参加した小領主の一部が、どちらの軍へ属していたか曖昧だからです。また、後世に複数の貴族家が功績を大きく記録した可能性もあります」
歴史の教師が質問を止めた。
「正解です。それだけでなく、複数の資料を比較できています」
「同じ出来事でも、本によって書かれていることが違いました」
「よく気づきましたね」
「料理本も、書いた人によって火加減が違います。歴史書も同じなのかと思いました」
「……同じでしょうか?」
教師は首を傾げたが、否定はできなかった。
地理。
貴族家の家系。
王国法。
魔法理論。
算術。
出された問題へ、レスティナはほとんど迷わず答えていく。
教師たちは何度か顔を見合わせた。
最後の試験が終わる。
礼儀作法の教師が、代表して口を開いた。
「レスティナ様」
「はい」
「礼儀作法、社交、舞踏について、私から新たにお教えできることは、ほとんどございません」
「もう終わりですか?」
「学園へ入学するために必要な水準は、十分に超えております」
歴史の教師も頷く。
「歴史と地理についても、基礎教育は修了といたします。今後は、ご自身で本を読み、疑問があればお尋ねください」
「算術についても同様です。商会の帳簿を扱うわけでなければ、現時点で困ることはないでしょう」
「では、明日から授業はないのですか?」
「週に一度、確認の授業は行います。ただし、これまでのように朝から夕方まで拘束する必要はありません」
レスティナは考えた。
一日の大半を占めていた授業がなくなる。
母の料理本を読む時間が増える。
厨房で料理をする時間も増える。
それから――。
「冒険者の仕事へ行けます」
教師たちの表情が固まった。
「冒険者?」
「はい」
「レスティナ様が、ですか?」
「以前からしています」
レスティナは当然のように答えた。
教師たちは、初めて聞く話だった。
◇
その日の夕方。
教師たちから報告を受けたファレル侯爵は、執務室へレスティナを呼び出した。
「半年で、すべての基礎教育を修了したそうだな」
「はい。先生方から、今後は週に一度でよいと言われました」
侯爵は机の上に置かれた報告書へ目を落とす。
礼儀作法、問題なし。
舞踏、問題なし。
歴史、優秀。
地理、優秀。
算術、優秀。
魔法理論については、教師の知識を一部上回っている。
どの報告書にも、同じような評価が並んでいた。
「森で暮らしていた割には、使い物になったか」
「師匠に読み書きと計算を教わっていましたので」
「その師匠とやらには、貴族の教育までできたのか?」
「いいえ。礼儀作法と歴史は、こちらへ来てから教わりました」
「ならば、なぜ半年で終わる」
「毎日教わりましたから」
レスティナにとっては、それだけのことだった。
一度で理解できなければ二度聞く。
二度でできなければ、三度繰り返す。
できるまで続ける。
三年間、マレシアからそう教えられてきた。
教師の指示を聞き、間違いの原因を確認し、直す。
狩りや料理と何も変わらない。
「それで、お前は余った時間をどうするつもりだ」
「冒険者の仕事を再開したいです」
侯爵の眉が動く。
「冒険者だと?」
「はい」
「侯爵家の令嬢が、平民に混じって魔獣狩りをするつもりか」
「以前からしていました」
「森で、勝手に獣を狩っていたという話ではない。冒険者ギルドへ登録し、依頼を受けるという意味だ」
「その意味です」
「……何?」
レスティナは腰の小袋から、一枚の札を取り出した。
冒険者ギルドが発行した身分証。
登録者名。
魔力による本人証明。
現在の階級。
受注記録の一部が刻まれている。
レスティナは机の上へ札を置いた。
「こちらへ来る前から、冒険者です」
侯爵は不快そうに札を取り上げる。
「F級ではないか」
「裏面が最初に登録したときの記録です。現在の階級は、表に書かれています」
侯爵が札を裏返す。
表面に刻まれた文字を読み、そのまま動きを止めた。
『登録名 レスティナ』
『階級 C』
「……C級?」
「はい」
「偽造ではないだろうな」
「ギルドで確認すれば分かります」
「お前のような子供が、C級になれるはずがない!」
「年齢で階級は決まりません。依頼の達成数と、討伐できる魔獣で決まります」
冒険者ギルドへの登録に、年齢制限はない。
依頼に失敗すれば、報酬を受け取れない。
危険な依頼を選べば、命を落とす。
すべて本人の責任だ。
魔力と才能次第では、子供が大人より強いことも珍しくない世界。
重要なのは年齢ではなく、何ができるかだった。
「C級へ上がるには、複数の討伐依頼を達成し、ギルドの試験を受けなければならんはずだ」
「受けました」
「何を討伐した」
「試験では、牙猪を三頭です」
「一人でか?」
「一人で受ける試験でしたので」
侯爵は言葉を失った。
牙猪は、訓練を受けた兵士でも一人では相手にしない魔獣だ。
それを、目の前の十二歳の少女は三頭倒したという。
侯爵は冒険者札を机へ置いた。
「その冒険者札は預かる。事実かどうか確認する」
「明日使います」
「許可を出した覚えはない」
「確認には必要ありません。ギルドには同じ記録があります」
「そうではない!」
侯爵が声を荒らげる。
レスティナは首を傾げた。
「では、なぜ預かるのでしょう?」
「お前が勝手に外出しないようにするためだ」
「冒険者札がなくても、外には出られます」
「依頼は受けられんだろう」
「再発行してもらいます」
「……」
侯爵は頭痛を覚え、額を押さえた。
以前のレスティナなら、命令すれば黙って従った。
今のレスティナは命令へ反抗しているわけではない。
相手を困らせようともしていない。
ただ、できることと、できないことをそのまま答えている。
だからこそ扱いにくかった。
「学園へ入るまで、あと半年だ」
「はい」
「事故に遭い、入学できなくなれば困る」
「C級で受けられる依頼なら、事故には遭わないと思います」
「お前が思うかどうかは関係ない」
「では、どのような条件ならよいでしょう?」
「何?」
「危険が問題なのであれば、受けてよい依頼を決めてください」
冒険者をやめるという選択肢は、最初からないらしい。
侯爵はレスティナを見つめた。
C級冒険者。
十二歳としては異例である。
もし事実なら、学園で注目を集める材料になる。
優れた魔法の才能。
整った容姿。
冒険者としての実績。
第二王子の目に留まらせるために、利用できるかもしれない。
さらに、学園入学までにB級へ上がれば、侯爵家が育てた才女として公表することもできる。
森へ捨てていた事実さえ隠せば、すべて侯爵家の功績に変えられる。
「授業を疎かにしないこと」
「はい」
「外出先と受ける依頼を、事前に報告すること」
「はい」
「日が沈むまでに戻ること」
「遠方の依頼は受けられないということでしょうか?」
「当然だ」
「分かりました」
「そして、侯爵家の名に泥を塗る行いはしないこと」
「泥のついた服で正門から入らないようにします」
「そういう意味ではない!」
「違うのですか?」
侯爵は再び額を押さえた。
「品位を保てと言っている!」
「冒険者としてですか?」
「貴族令嬢としてだ!」
「鎧を着ているときにも、令嬢の礼をしたほうがよいのでしょうか」
「もういい! 外へ出る許可は出す! さっさと下がれ!」
「ありがとうございます」
レスティナは机の上の冒険者札を手に取った。
「失礼します」
完璧な角度で礼をする。
踵を返す動きも、扉を開ける所作も、教師から教わったとおりだった。
扉が閉まる。
侯爵はしばらく、誰もいなくなった部屋を見つめていた。
「……本当に、あれがあの女の娘か?」
容姿は、成長するほどティファーナへ似てきている。
だが、その性格は侯爵の記憶にある女性とは異なっていた。
ティファーナは、何を言われても静かに耐えていた。
目の前の娘は反抗こそしないものの、侯爵の言葉をまったく恐れていない。
それが、どうしようもなく癪に障った。
◇
翌朝。
厨房の裏口には、冒険者装備を身につけたレスティナが立っていた。
動きやすい厚手の服。
革の胸当て。
腰には短剣。
背中には折り畳んだ槍と、大きな背負い袋。
令嬢らしいドレス姿を見慣れ始めていた料理人たちは、その姿を見て目を丸くした。
「本当に冒険者だったのか」
「はい」
「C級って聞いたぞ」
「はい」
「何で今まで黙ってた?」
「尋ねられませんでしたので」
「……そうかよ」
ガルドが布包みを差し出した。
「昼飯だ」
「ありがとうございます」
「角兎肉と香草の挟みパン。それと、昨日の煮込みを詰めた焼き包みだ」
「美味しそうです」
「自分で作りたかったか?」
「いいえ。誰かに作っていただいたお弁当は、初めてです」
レスティナは布包みを、宝物のように両手で受け取った。
ガルドが目を逸らす。
「大げさだ。余り物を挟んだだけだ」
「それでも嬉しいです」
「……そうか」
「必ず、全部食べます」
「怪我にも気をつけろ」
「はい」
「それから、食材になりそうな魔獣を見つけても、何でも持ち帰るなよ」
「なぜですか?」
「置き場所がない」
「裏庭があります」
「解体場にするつもりか!」
「駄目でしょうか?」
「大物を狩ったら、先に連絡を寄越せ!」
「分かりました」
レスティナは昼食を背負い袋へ入れた。
「行ってきます」
「ああ、行ってこい」
「気をつけろよ!」
「珍しい香草があったら持ってきてくれ!」
「仕事で行くんだぞ! 買い物を頼むな!」
料理人たちの声に見送られ、レスティナは厨房の裏口から外へ出た。
半年ぶりの冒険者活動。
目指すのは、領都の冒険者ギルド。
どのような依頼があるのか。
どのような魔獣と出会えるのか。
そして、それをどのように料理すれば美味しくなるのか。
「楽しみです」
侯爵令嬢らしい足取りを忘れ、レスティナは弾むように街へ向かった。
お読み頂き、ありがとうございます。




