ぼやき事務員9 ぼやき事務員回顧録③
波風に晒されそうならば、防波堤を作るしかない。私がぼやき続け磨いた人知れぬ努力が、予期せぬ結果をもたらした。
業務改善とでも言うのだろうか。私が日々の仕事をこなす上で気がついたのは、営業部のデータ管理の非効率性だった。
営業のエースである鈴木は、個人の陽キャコミュニティ全開の能力で数字を叩き出していた。その裏では彼独自の雑な報告用ファイル管理が、部署全体のボトルネックになっていたのだ。鈴木自身チャラいが、頭が悪いわけではない。ただ性格的に書類仕事が苦手なのは確かだ。
私はやっかみを避けるため、密かに誰にも相談せず、業務の合間を縫って新しい管理システムを営業用に構築した。そして営業部の共有フォルダにアップロードしておいたのだ。鈴木に限らず、書類仕事の苦手な人の誰かが使ってくれれば、最終的にこちらも負担が減るラッキー、くらいの気持ちだった。
そのシステムは瞬く間に営業部に浸透し、劇的に業務効率を改善させた。結果として時短分の営業部全体の業績が大幅にアップする。そしてその最大の功績者として、新しいシステムを最も早く使いこなし、結果を出していた鈴木が脚光を浴びたのだ。
「あの鈴木がここまでやるとはな⋯⋯」
「あいつ、やる時はやるんだな」
「さすが我が社の営業のエースだ」
社内での鈴木の評価はうなぎ登り。そして、私が密かに願っていた通り、鈴木には本社への栄転の話が舞い込む。私の胃痛の原因が、物理的に目の前から消える日が来たのだ。
しかし⋯⋯平和は長くは続かなかった。鈴木の栄転が正式に発表された後、女性社員たちの視線が私以前よりもさらに強く突き刺さるようになったのだ。
「あのイケメンを栄転させたのは、実は由紀子らしいよ」
「寿退社狙ってた子たち、みんながっかりしてるじゃん」
「大人しく地味にジメジメしてればいいのに」
私の耳に聞こえるように、あからさまなひそひそ話が飛び込んできた。どうやら、私が鈴木の栄転に一役買ったことが、どこからか漏れてしまったらしい。今まで私の地味さを笑い者にして、気にもしなかった女性社員たちが、一斉に私を敵視するようになった。特に寿退社を狙っていた先輩社員の京子さんからの視線は、暗殺者の放つ殺気のような怒りが感じられるほどだった。
「面倒くせぇ⋯⋯」
あまりのうざさに、心のぼやきが声に出る。それに鈴木はやはり私に対する恋愛感情などこれっぽっちも見せず嬉々として栄転して行ったよ。少し寂しく思うのは、これでも私も独身女性なのだから許してほしいよ、先輩方。
昼休みの食堂で、相変わらず私は窓際の席で唐揚げ定食を食べていた。唐揚げ定食の日に社食を使うようなものだ。
周囲の空気は以前とは明らかに違っていた。もはやこの窓際のぼっち席は、私だけの特等席ではない。トゲトゲしい視線が集中する、まるで公開処刑台のようだった。
「ジーコ、お前今度は女性社員からのバトルロイヤルに巻き込まれてるじゃん」
鈴木ならそう言って無遠慮に笑い飛ばしてくれただろう。私はため息をつきながら、唐揚げを口に運ぶ。絶妙な塩加減で、美味しかったはずの唐揚げが、少し塩っぱく感じられた。
白幡由紀子の地味な日常は、またしても予期せぬ方向へと展開していく。彼女の静かで平穏な職場生活は、いつになったら手に入るのだろうか⋯⋯。
◇
「ユッキー、あんたバカでしょ」
酒に酔って真っ赤に染まった黒髪美人の親友の桜子が、私の思い出話を聞いて思いっきり呆れていた。
「せっかくのチャンスだったんじゃないの?」
「ないない。同じ出身校の同期に対して憐憫の情はあっても、恋愛の情なんかあるわけないって」
「わからないから飲みに行けば良かったのよ。デリカシーがない男でもさ、大事な本命には言葉を上手く伝えられない時があるのよ」
「そうかな〜。アイツは英男と違って裏がないから、私とは合わなかったと思うよ」
栄転した鈴木は、その後の会社の顛末に関わりがない。同じグループ会社にいるのは確かだが、連絡はなかった。私の苦い思い出話を肴に、親友と笑って話せるだけで私は今、幸せだと思えるのだった。
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