番外編 第四章 悪魔の殉教者
ロサの居る尋問室を後にしたコランダムは、深く息を吐き出した。瞳を閉じ、ロサとリリーの尋問をじっくりと思い返した。
(……まだ、理解らないことが多い。時間が取れたら二人に話を聞かなくては)
そう考えると、また深く息を漏らした。
「……アナス・ヘリアン」
【悪魔の殉教者】と呼ばれた彼は、リリーの手によって死亡していることがリリーの取り調べにより判明していた。ヘイヴン市警内部で僅かにあったコランダムへの疑いは晴れたものの、アナス・ヘリアン本人の調査は行き詰まっていた。コランダムは重い足取りで資料室へ向かうと、アナスに関する過去の事件記録を棚から取り出した。
(『過去にいじめを行っていた生徒』、『十字架に磔にされた遺体』……。生徒達への制裁か?いや、それだと……)
グルグルと頭の中で事件記録の情報を巡らせた。しかし、アナスがどんな人物であったかを見出すことはできず、結局は文字の羅列として残るだけであった。
「アナス・ヘリアン……お前は、何故……」
事件記録を閉じ、コランダムはふとアナスの祭壇を思い浮かべた。祭壇のあったローレイル校の地下室、壁に飾られたリリーの写真、山積みにされた子供の遺体、左右均等に置かれた枯れた向日葵の花瓶……。
「……向日葵?」
コランダムは事件記録を一枚一枚捲り、『向日葵』という単語を探した。
「七月六日、七月二十日、八月二日、八月五日、八月三十一日……。この日の事件だけ、向日葵の花が添えられている……?」
コランダムはそう呟くと、すぐさまメモ帳を取り出して日付を記録した。
(ひとまず、向日葵の花がどんな意味を持つのか調べるところから始めるとしよう……)
事件記録を閉じ、資料持ち出し記録にサインをすると、コランダムは事件記録を手に資料室を後にした。
資料室からオフィスへと戻ったコランダムは、自らのデスクに事件記録を置くと、椅子に座り込んだ。そして、隣にあるまっさらなデスクに手を添え、目を細めた。
(ベリル……)
あのクリスマスの夜の出来事が悪い夢であって欲しいと願う度に、このまっさらなデスクはコランダムに現実を差し出し続けていた。
(今は、感傷に浸ってる暇はない……。だが……)
コランダムはゆっくりと拳を握り締めた。
「これが片付いたら、お前の墓に花を持っていく……。少しだけ待っていろ、ベリル」
そう呟くと、自らのデスクの方を向いた。デスクに並べられた本の中から、花言葉と花について記された本を抜き取った。
「俺も成長したものだな……」
自虐的に微笑みを浮かべた後、表紙を軽く撫で、ゆっくりと本を開いた。頁をパラパラと捲り、向日葵の記載がある頁で手をピタリと止めた。
「向日葵の花言葉は、『あなただけを見つめる』、『情熱』、『憧れ』、『光輝』、『愛慕』……『崇拝』……」
崇拝という言葉を口にした瞬間、コランダムの頭の中に壁に飾られたリリーの写真を思い出した。そして、アナスの数々の言葉が流れ込んできた。
『何故止める必要があるのですか?彼女の殺人はとても美しいのですよ!?まさに神の御業……!それを止めるなんて!!』
『コランダム刑事、僕と同じリリーさんに魅了された者である貴方に見せて差し上げますよ』
リリーに向けられた憧れや情熱、そしてそれ以上にあったリリーへの執着は、崇拝という言葉に相応しいように思えた。
「あの日付の意味は……?」
コランダムは、一枚頁を捲った。
「……誕生花?」
『誕生花』と設けられた場所には複数の日付が記されていた。
「……は」
コランダムは声を漏らすと、口元に手を当てた。
「これは……いや、だとすると辻褄が合う」
苦しそうに顔を歪ませ、奥歯を噛み締めた。
「あの日付は選ばれていたのか……」
そっと本を閉じると、落ち着かない様子でコランダムは椅子から立ち上がった。
「他にも、調べる必要がありそうだ」
そう続けて呟くと、足早にオフィスを後にした。
コランダムが次に足を向けた場所は、アナスと最後に会ったローレイル校であった。
(以前来たときと変わらないな……)
教師の一人が巷を騒がせた【悪魔の殉教者】であったというのに、生徒達は以前と変わらない様子でコランダムの横を通り過ぎて行った。
(良いことなのか、悪いことなのか……判断しかねるな)
少し目を伏せたコランダムは、校門へと足を運んだ。校門の前では警備員と、上品な身なりをした年嵩の女性が何か話し合っていた。
「あの、どうか……そこをお願いできませんか?」
「そんなこと言われてもねぇ……。うちは墓場でも何でもないんだよ」
警備員に頼み込む女性は、ダークブラウンの髪に琥珀色の瞳を持っていた。コランダムは少し目を細めると、警備員と女性に静かに歩み寄った。
「お話し中に失礼、ヘイヴン市警のコランダム・ラトラナジュです。何かお困り事ですか?」
「あぁ、刑事さんか。聞いてくれよ、息子の死んだ場所に花を添えたいって聞かないんだ!」
「事件現場に花を……?」
首を傾げるコランダムに、女性は深々と頭を下げて口を開いた。
「……お騒がせして申し訳ありません。アナス・ヘリアンの母、ルキア・ヘリアンでございます」
「アナス・ヘリアンの……。どうして、ローレイル校に花を……?」
「……息子が【悪魔の殉教者】だと知った後、主人は『うちの家族に殺人鬼はいない』と言い、息子の墓を作るのを許してくれず、家にあった息子の私物は一つ残らず燃やされました」
ルキアは琥珀色の瞳を揺らし、静かに語り始めた。
「……息子が、アナスが犯した出来事の重さは理解しているつもりです。ですが……あの子は私にとって……お腹を痛めて産んだ、大切な息子なのです」
ルキアは、そっと胸元に光る銀色のネックレスを握り締めた。
「せめて、あの子が死んだ場所で一度だけ……たった一度だけ……花を供えることができるなら、私はそれで満足なのです……」
「あのねぇ、気の毒だとは思うけど、うちはそんな場所じゃないっての。刑事さんからも何か言ってやってよ」
警備員が困り果てたように言葉を漏らした。コランダムは、静かにネックレスを強く握り締めるルキアの手を包み込んだ。そして、その体温にはっとなったルキアは、コランダムを見上げた。
「……花を供えることはできませんが、私と共に現場へ行き、祈る程度なら構いません」
「刑事さん……!ありがとうございますっ……ありがとうございますっ……!」
「それなら構いませんね?警備員さん」
コランダムは警備員の方を見つめた。
「はぁ……花を供えられるよりはマシだけどな。今回だけ、今回だけだ!」
「ご迷惑をおかけしてすいませんでした、ありがとうございます」
ルキアは、コランダムと警備員に深く頭を下げた。
「現場では何があるか分かりませんので、私のそばを離れないようにして下さい」
「はい」
「それと……一つ、お願いがあるのですが……」
コランダムは、罪悪感を感じつつもルキアを見つめた。
「何でしょう……?」
「アナス・ヘリアン……貴方の息子さんについてお話を伺いたいのです。……お話、願えますか?」
ルキアは琥珀色の瞳を大きく見開いた。そして、静かに目を伏せ、考える素振りを見せた後にゆっくりと頷いた。
「……えぇ、構いません。ですが、何かの手がかりとなるお話ができるようには思えません。それでも、よろしいのですか?」
「勿論です。彼について少しでも知りたいだけですから」
コランダムの言葉に緊張の糸が解けたのか、ルキアは優しく微笑んだ。
「分かりました。歩きながらお話をさせていただきますね」
「はい、私が案内します」
コランダムはルキアを導くように歩きながら、ローレイル校内へと足を運んだ。
アナス・ヘリアンという男は、ごく普通の一般家庭に生まれ、穏やかな青年へと成長したことが、近隣住民や職場の同僚達への聞き込み調査で判明していた。人当たりも良く、太陽のように明るく温かな笑顔を持つため、『何故彼が大量殺人を行っていたのか分からない』という言葉が多かったことも報告されていた。
「彼は、どんな子供でしたか?」
アナスの祭壇に続く生徒相談室までの廊下を歩きながら、コランダムはルキアに尋ねた。
「そうですね……。明るくて、元気で……嘘をつくのが苦手な子、だったと思います。とても優しい子で、一人で遊んでる子に声をかけて一緒に遊んだり、怪我をして泣いている子を放っておけなかったり……」
「なるほど……」
当時のアナスを思い浮かべているのか、ルキアは穏やかな笑みを浮かべていた。その表情に胸を締め付けられる感覚を味わいながら、コランダムは静かにルキアの話に耳を傾けていた。
「一人で悩む子を減らしたいって言って、教師の道を選んだんですよ?」
「え、そうなんですか?」
「えぇ。悩んでいる子が、一人でも笑って過ごせるようになってほしいんですって」
「そうだったんですね」
コランダムがルキアの話に相槌を打っていると、『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた札の置いてある部屋へと到着した。
「この先に、あるのですね……?」
「……はい。非常に悲惨な現場です。心の準備はできていますか?」
コランダムはドアノブに手をかけながら、ルキアを真っ直ぐ見つめた。ルキアは、少し不安な表情を見せたが、そっと銀色のネックレスを握り、深呼吸をすると頷いて見せた。
「……分かりました」
そう言うと、ドアノブを握り、生徒相談室の扉を開いた。扉を開いた先には、机と椅子、そして部屋の隅にあった祭壇へと続く階段がそのまま残されていた。
「……こちらです。暗いので、足元にお気をつけ下さい」
「……はい」
先程までの会話が嘘であったかのように、ルキアとコランダムは静かに階段を降りていった。僅かに残った錆びた鉄のような臭いが鼻をくすぐった。
「……ここです」
「……ここが……あの子の……」
階段を降りた先に存在する、アナスの祭壇。遺体は回収された後ではあるものの、捜査期間は終わっていないため、血痕等の痕跡はそのまま残されていた。壁に飾られたリリーの写真、あちこちに染み付いた血痕、そしてリリーの写真を中心に左右均等に置かれた枯れた向日葵の花瓶。壁に染み付いた血痕を眺めながら、ルキアは声を震わせた。
「こんな……惨いことを……あの子が……?」
コランダムが静かに頷くと、ルキアは口を両手で覆った。
「……アナスが亡くなる前に、何か変わった様子はありませんでしたか?」
「……特には、ありませんでした」
「些細なことでも構いません、本当に何かありませんでしたか?」
ルキアは、震える手で銀色のネックレスを握り締めて、必死に思い出すように固く目を閉じた。
「あ……」
固く閉じた目が開き、琥珀色の瞳が姿を現すと、ルキアは静かに声を漏らした。
「何か、思い出しましたか?」
「……五年くらい前でしょうか……。あの子が校舎の巡回当番で、一晩学校に泊まって帰ってきたんです……」
コランダムは、黙って手帳を開くと、ペンを走らせた。
「帰ってきたあの子は、とても嬉しそうに私に『運命の人に出会った』と話していました」
「運命の人……?」
コランダムの問いかけに、ルキアは頷いた。
「はい……。当時は、『誰か好きになったんだわ』と思っていたんですが……」
「……違ったんですか?」
ルキアは俯き、言葉を絞り出すように話した。
「……同じなんです」
「同じ?」
「あの子が誰かを好きになった時期と【悪魔の殉教者】が話題になった時期が……同じなんです」
コランダムは、息を呑んだ。
(アナス・ヘリアンは……この時に出会ったのか……)
心の中でそう呟くと、壁に飾られた少女の写真に目を向けた。写真の中の少女は薄く微笑み、こちらを真っ直ぐ見つめているようであった。
「刑事さん……?」
「……あぁ、申し訳ない。少し、考え事をしていました」
「そうですか。……あの子がどうして多くの人を殺してしまったのか、私には分かりません。ですが……あの子は私にとって大事な息子。祈りを捧げない理由にはなりません」
ルキアはそう言うと、ネックレスを握りながら目を閉じた。数秒間、祭壇内は静寂に包まれた。ルキアはゆっくりと目を開けると、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます。刑事さん」
「いえ、大したことはしていません。……気になっていたのですが、そのネックレスは……?」
「え?あぁ、これですか?これは、息子の最後の形見みたいなものです。教師になって初めての給料で私に買ってくれたものなんですよ」
ルキアは、銀色のネックレスをコランダムに見せた。先には細やかな模様が掘られたロケットが付いており、ルキアが触れるとカチリと音を立てて開いた。
「これは……」
そこには、ルキアとアナスが微笑んでいる写真が埋め込まれていた。
「……素敵なネックレスですね」
「……えぇ、主人には気付かれないようにしないといけませんが」
「……そうですね」
ルキアはそっとロケットを閉じると、コランダムに頭を下げた。
「ありがとうございます、息子に祈りを捧げる時間をくださって……」
「いえ、こちらこそ、アナス・ヘリアン……息子さんのお話を聞かせてくださってありがとうございました。彼について、少しだけ理解ったような気がします」
「そうですか、お力になれて良かったです」
顔を上げたルキアは柔らかく微笑んだ。
「そろそろ、戻りましょうか」
「えぇ、そうですね」
短い会話を終えた二人は、階段を登っていった。祭壇を後にする直前、コランダムは不意に祭壇をもう一度見渡した。
(【悪魔の殉教者】……何度聞いても、皮肉な名前だな……アナス)
胸の中でそう言い残すと、コランダムは祭壇を後にした。
ルキアと別れたコランダムは、街で花束を買い、墓所を歩いた。
(結局、三人の殺人鬼を完全に理解するには至らなかったな……)
そんなことを考えながら、『ベリル・アクア』と書かれた墓石の前で立ち止まった。
「待たせてすまなかったな。ベリル」
墓石の側に花束を置き、座り込んだ。白いスターチスが風に揺れるのを眺めながら、コランダムは言葉を続けた。
「意味は、『変わらぬ心』、『永久不変』、『途絶えぬ記憶』らしい。本当は青色を買いたかったんだが、売り切れていた」
コランダムの言葉に返事をするように、優しい風が頬に触れた。
「『リリーに影響されすぎだ』と、お前なら笑うだろうな……」
自嘲の笑みを浮かべながら、コランダムは呟くと静かに立ち上がった。
「……また来る」
そう言い残すと、墓石に背を向けた。すると、コランダムの背中をそっと押すように風が吹いた。
「……全く、忙しない奴だな。お前は」
そう呟くと、コランダムは呆れたように笑い、その場を後にした。




