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MADE IN 東京  作者: 水色蛍
擬態される日常編
25/25

第25話:視られてる。

 昼休みの教室には、気怠い湿気と、弁当の匂い、そして十代特有の甲高い笑い声が充満している。窓際の後ろから三番目の席。そこが、松浦リナの「表の日常」における定位置だった。


「ねえリナ、聞いてるー? カズ君がさぁ、マジでありえないこと言ってきたんだってば!」


 机を合わせて弁当を広げる友人・楓が、箸で卵焼きをつつきながら憤慨している。

 リナは愛想笑いを浮かべながら、パックのイチゴオレにストローを差した。


「えー、マジで? 最低じゃんそれ」

「でしょ!? 普通そこは『ごめん』って言うとこじゃん?」


 他愛のない恋バナ。数ヶ月前までなら、リナもこの会話に心から没入していただろう。

 だが今の彼女には、この平和な教室の風景が、どこか薄い膜一枚隔てた「作り物」のように感じられていた。

 夜の任務で見る、内臓をぶちまけたような機械の怪物らたち。

 それと比べれば、カズ君の失言なんて、平和すぎて涙が出る。


「……でさ、アタシ思ったんだけど……」


 ミキが身を乗り出し、顔を近づけてきた時だった。


『ザッ……』


 一瞬。本当に瞬きするほどの一瞬。

 楓の顔が、「砂嵐ノイズ」に変わった。


「……え?」


 リナの手から、イチゴオレのパックが滑り落ちそうになる。

 今、何が見えた?楓の目も鼻も口も、すべてがテレビの放送終了後のような、粗い白黒のノイズの集合体に見えた。

 まるで、解像度が極端に落ちたJPEG画像のように、輪郭がブロック状に崩れていたのだ。


「……リナ? どうしたの、急に真顔になって」

 ミキが怪訝そうに首を傾げる。

 その顔は、いつもの少し派手なメイクをした女子高生の顔に戻っている。


「あ、ううん! ……ちょっとだけくらっとしただけ。寝不足かなあ」

 リナは慌てて笑顔を作り、誤魔化した。

「ダイエット中だからって無理しちゃダメだよー」


 友人の笑い声を聞きながら、リナは心臓が早鐘を打つのを感じていた。

(……見間違いじゃない)


 彼女はブレザーのポケットの中で、常に持ち歩いている改造電子辞書『Casio EX-word』をそっと握りしめた。指先に伝わる微かな振動。

 辞書が、周囲の空間異常を検知して震えているのだ。


 リナは机の下で辞書を開くことなく、もう片方の手で携帯電話を取り出した。

 使い慣れたJ-PHONEの端末。机の下に隠し、ブラインドタッチでメール作成画面を開く。宛先は、椚蓮治。


『件名:バグ報告』

『本文:学校で友達の顔がノイズに見えました。辞書も反応してます。……これ、フツーじゃないですよね?』


 送信ボタンを押す。

『送信中……』のアニメーションが表示されている間、リナは教室を見渡した。

 黒板の文字、掃除用具入れの凹み、談笑するクラスメイトたち。

 その全てが、今にも「砂嵐」になって崩れ去りそうな、不確かな存在に見えて怖かった。


「……リナ、顔色悪いよ? 保健室行く?」

「……うん、ちょっと行ってくる」


 リナは逃げるように席を立ち、教室を出た。

 背後で、楓たちの笑い声がまた聞こえた。

 だがその声は、どこか録音された音声のように、不自然にループしている気がした。


 同日、放課後。JR総武線・両国駅のホーム。

 隅田川を越える鉄橋の上にあるこの駅は、吹きっさらしの風が強く、髪が乱れる。

 深澄カナは、ホームの柱に寄りかかり、秋葉原方面への電車を待っていた。


『Next Train: 16:45』


 電光掲示板の文字を見上げ、カナはマフラーの襟に顔を埋める。

 耳にはいつものヘッドホン。愛用のMDプレーヤー『Sony MZ-R900』の中で、ディスクが高速で回転している。

 流れているのは、お気に入りの洋楽ロックだ。

 重厚なベースラインと、歪んだギターの音色が、外界の雑音を遮断してくれる。


(……今日は平和だな)


 ここ数日、大規模な侵食反応はない。

 リナからのメール報告も、椚によれば「お前の『眼』が敏感になりすぎて、微弱な空間の歪みを過剰に拾っただけかもしれない」とのことで、一応の経過観察となっていた。平和なのは良いことだ。カナは目を閉じ、音楽に浸った。その時。


『ザザッ……』


 曲のサビ前で、突然音が途切れた。

 音飛びか?

 いや、MDはCDと違って振動に強い。よほどの衝撃がない限り、音飛びはしないはずだ。


 カナはポケットからリモコンを取り出し、液晶画面を確認した。

『PLAY』の文字が表示されている。ディスクは回っている。

 だが、ヘッドホンから聞こえてくるのは、曲ではなく、不快なホワイトノイズだった。


『……ザザ……見ツケ……タ……』


「……ッ!?」


 カナは弾かれたように目を開けた。今、人の声が聞こえた。

 ノイズの奥から、低く、湿った男の声が。


『……オマエ……ダ……』


 それは、録音された音声ではない。もっと直接的で、粘り気のある音。

 まるで、誰かがMDプレーヤーの磁気ヘッドに指を突っ込み、直接電波を送り込んでいるような感覚。背筋に冷たいものが走る。

 カナは慌てて停止ボタンを押し、ヘッドホンを首から外した。


「……何?」


 周囲を見回す。ホームには、数人のサラリーマンと、部活帰りの学生がいるだけだ。

 誰もカナの方を見ていない。皆、無関心に携帯をいじったり、雑誌を読んだりしている。


 だが、カナの直感センサーが警鐘を鳴らしていた。

 視線を感じる。特定の誰かからではない。この空間全体から。

 ホームの柱の陰から、自動販売機の隙間から、あるいは線路の砂利の一つ一つから、無数の「目」に見られているような圧迫感。


(……おかしい)


 カナはMDプレーヤーを強く握りしめた。ただの故障じゃない。

 これは、明確な悪意を持った「干渉ハッキング」だ。


『まもなく、1番線に、各駅停車、三鷹行きが参ります』


 構内アナウンスが響き、黄色い電車が滑り込んでくる。カナは逃げるように電車に乗り込んだ。閉まるドアの向こう、ホームのベンチに座っていたサラリーマンが、一瞬だけこちらを向いてニヤリと笑った気がした。


 浅草橋セーフハウス、303号室。

 遮光カーテンで閉ざされた闇の中、数台のCRTモニターだけが青白く発光している。朝比奈乃亜の「電子要塞」だ。

 室温はサーバーの冷却のために低く保たれており、乃亜は毛布にくるまりながらキーボードを叩いていた。


「……変なログ」


 彼女が見ているのは、インターネットの深層ではない。

 誰でもアクセスできる、巨大匿名掲示板群『2ちゃんねる』の、とあるスレッドだった。オカルト板。

『【真偽】東京の地下で何かが起きてるらしい【検証】』というタイトル。


「……これ」


 乃亜の手が止まる。


 スレッドの>>452あたりに貼られた画像リンク。

 

 クリックすると、荒い画質のJPEG画像が表示された。


 そこは、夜の工事現場だった。巨大な穴。へし折れた鉄骨。

 見覚えがある。先日、カナと莉子が死闘を繰り広げた、六本木の建設現場だ。


 だが、何かがおかしい。

 写真には、怪物(重機合成獣)の姿も、カナたちの姿も写っていない。

 ただ、戦闘が終わった直後の、破壊された現場だけが写されている。

 そして、その画像のタイムスタンプ(撮影日時)は、カナたちが撤収したわずか「5分後」だった。


「……撮影者が、現場にいた」


 乃亜は戦慄した。

 灰谷の報告では、現場は封鎖されており、一般人は立ち入れなかったはずだ。後始末も全て完璧。以降は1人の従業員が事故で犠牲になったという以上、何事もなく工事は再開されており、異変の「異」の字すら感じさせないほどに。

 それなのに、誰かがカナたちの戦いを近くで見ていて、終わった直後に写真を撮り、ネットにアップした。


 スレッドの書き込みを読む。


 454

 また「掃除屋」がやった痕跡だな。

 今回は派手に壊したもんだ。


 455

 座標修正完了。

 次はもっと上手くやる。

 サンプルデータは十分に取れた。


 456

 少女たちの動き、悪くない。

 特にデジカメ女の能力は興味深い。

 捕獲を推奨する。


「……!」

 

 乃亜は息を呑んだ。

 これは、ただの野次馬やオカルトマニアの書き込みではない。

 彼らは、カナたちのことを知っている。

 それどころか、自分たちの戦いを「観察」し、「評価」している。


「……私たち、見られてる」


 モニターの光が、乃亜のクリっとした眼と青ざめた顔を照らす。

 これまで、自分たちは「監視する側」だと思っていた。だが違った。

 

 自分たちこそが、巨大な実験場のモルモットとして、誰かの手のひらの上で踊らされていただけなのかもしれない。


『カタタタタッ……』

 乃亜は震える指で、即座にスレッドのログ保存と、発信元の逆探知を開始した。

 だが、相手のプロキシ(経由地)は複雑怪奇で、まるで生き物のように逃げ回っていた。


「この掲示板を綺麗に消し去らないと」


 乃亜は足元に転がるごちゃついたケーブルや、端末機らを取り出して迅速な始末を始める。


「……つまり、偶然じゃねえってことだな」


 秋葉原、ラジオセンター奥の『阿頼耶電子商会』。

 タバコの煙が充満する秘密基地で、椚蓮治が低い声で唸った。

 彼の手元には、リナから送られたメールのプリントアウトと、乃亜が解析した掲示板のログ、そしてカナのMDプレーヤーが並べられている。


「はい。……私のMDに入ったノイズと、ノアが見つけた書き込み。そしてリナの視覚異常。……全部、ここ数日で起きてます」

 

 カナが硬い表情で報告する。

 その隣では、莉子が不機嫌そうに貧乏ゆすりをし、リナは不安そうに俯いている。


「……MDの音声データ、解析してみたが」

 

 椚がモニターを指差す。


「音声信号としての痕跡はゼロだ。つまり、空気が振動して録音された音じゃねえ。……デバイスの回路そのものに、直接『意思』をねじ込まれてる」


「……意思?」

「ああ。幽霊からの電話みたいなもんだ。科学の領域を超えてやがる」


 九条院紗夜が、紅茶のカップを置いて口を開いた。


「……奴ら(上位者)が、こちらの戦力を学習し始めている可能性があります」

 

 その言葉に、室内の空気が凍りつく。


「学習……ですか?」


 大友拓也が眉をひそめる。


「彼らは本能で動く怪物だと思っていましたが」


「個体としてはそうでしょう。ですが、彼らが『集合知』を持っていたとしたら?」

 

 九条院の瞳が冷たく光る。


「これまでの戦闘データが共有され、私たちに対する『対策パッチ』が作られつつあるとしたら……。今回の現象は、そのための『偵察行動』かもしれません。そもそもが実態も正体も不明の「次元の違う存在」です。我々の想像以上の知識を持っていてもおかしくはない。これまでの奴らは知能すら低い「下っ端」が送り込まれていただけかもしれません。」


「カレルレン、オーバーロードみたい」


とリナがぽつり


「なにそれ?」


とノアが尋ねる。


「”幼年期の終り”って本だよ。有名なSF小説」


「リナさんってやっぱ見た目に合わずに本読むし、やっぱり頭良いんだね」


 と2人が小声で話していると、莉子がバージニア・スリムを1本取り出し口に加えると、それに火をつける。


「……気味が悪いわね」


 莉子が吐き捨てるように言った。


「姿も見せずにコソコソと……。出てくるなら正面から来なさいよ」


「……だが、相手の狙いがまだ読めねえ」

 

 椚がタバコを灰皿に押し付ける。


「しばらくは単独行動を避けろ。特に松浦、お前の『眼』は敵にとっても脅威だ。狙われる可能性が高い」


「は、はい……」

 

 リナが小さく返事をする。

 自分が見た、友人の顔のノイズ。あれは「お前を見ているぞ」という敵からのメッセージだったのかもしれない。


 会合が終わったのは、日が落ちた19時過ぎだった。

 リナは三鷹の実家へ帰るため、秋葉原駅まで送ることになった。


「じゃあね、リナ。……何かあったらすぐ連絡して」

「うん。……カナも気をつけてね」

 

 電気街口の改札で、リナが手を振る。

 その背中が人混みに消えるまで、カナと莉子は見守っていた。


「……さて、私たちも帰るわよ」

 

 莉子が革ジャンの襟を立てる。


「浅草橋まで歩く? 電車乗る気しないんだけど」

「……そうですね。風に当たりたい気分ですし」


 二人は駅を出て、総武線の高架沿いを歩き始めた。

 夜の秋葉原から浅草橋への道は、神田川沿いの静かな裏通りだ。

 川面を渡る風が、少しだけ湿り気を帯びている。


「……ねえ、リコさん」

 

 カナが歩きながら口を開く。


「さっきの話……もし敵が私たちを学習してるとしたら、この道も知られてるってことでしょうか」


「……かもね。セーフハウスの場所だって、バレてると思った方がいいわ」

 

 莉子が淡々と答える。


「だからこそ、いつでも迎撃できるようにしとくのよ。……ビビってたら奴らの思う壺よ」


「……強いですね、リコさんは」

「強がりよ。……本当は、今すぐにでも布団被って寝たいわ」


 二人が苦笑し合った、その時だった。


『ゾワリ……』


 カナのうなじに、またあの「視線」が突き刺さった。

 両国駅で感じたものと同じ。いや、もっと近く、もっと濃密な気配。


「……ッ!」カナが立ち止まる。

「……どうした、深澄?」


「……います。……近くに」

 

 カナはポケットから、改造ガラケーを取り出した。親指で弾いて起動する。


『カチッ』

 

 アンテナを伸ばし、赤外線スキャンモードに切り替える。


「……どこ?」

 

 莉子もカメラを構え、周囲を警戒する。


 カナは携帯をゆっくりと動かし、周囲をスキャンした。

 川沿いのフェンス、放置自転車、そして目の前に立つ古びたコンクリートの電柱。


「……!」


 カナの息が止まった。

 肉眼では、何の変哲もない電柱だ。

 だが、携帯の液晶画面を通した時だけ、そこに「それ」はあった。


 赤い手形。

 血のように赤い、無数の手形が、電柱にびっしりと張り付いている。

 一つや二つではない。

 大人の手、子供の手、そして人間とは思えないほど指の長い手。

 それらが幾重にも重なり合い、電柱を埋め尽くしている。


「……なにこれ」

 

 莉子が画面を覗き込み、絶句する。


 そして、手形は電柱だけではなかった。

 アスファルトの地面。

 そこにも、赤い手形が点々と続いている。

 秋葉原駅から、この道を通って、ずっと。

 そして、その手形が向かっている先は——。


「……嘘でしょ」


 手形の列は、二人の足元を通り過ぎ、闇の向こうへと続いていた。

 その方角にあるのは、神田川を渡った先。

 カナたちが住む、浅草橋のセーフハウスだ。


「……知られてる」


 カナの声が震えた。


「奴ら、もう知ってる。……私たちの家の場所を」


 闇の奥から、風の音に混じって、『ザザッ……見ツケ……タ……』というノイズ交じりの嘲笑が聞こえた気がした。

 二人は戦慄し、赤い手形が続く暗い道を、呆然と見つめることしかできなかった。

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