chapter 11 対峙
彼女が今から何をやろうとしているか、大凡の予想がつく。それは想像に難くなく、小学校の授業よりも簡単なものだった。
Gスーツに包まれてはいるが均整の取れた女性らしい肉付きは、暗闇の中でシルエットとして映えた。TYPE76の背面搭乗口から肩を伝い、頭部横に立つ彼女の姿。手元に指向性の拡声器らしき物体も確認した。
「おい……おい、本気かよ……」
TYPE74の主として鎮座する南雲の目に飛び込んだのは生身を晒した都留の姿であった。それは高感度の主外部環境受動器を通したことで、より鮮明となって彼女の姿をモニター越しに認めたのだ。
彼女の行為には、流石の南雲も呆れるどころか恐怖を覚えた。
下手を為なくても死ぬ。精神錯乱状態の模倣品に身を晒すは自殺行為に等しい。現に模倣品が操る重機の混合体である巨人から、抵抗の意思は消えていない。
戦いを生業とする者として理解できる、例え機械の目だったとしても、そこに闘気が有るか無いかは判別が付く。
「コイツは、まだやるつもりなのに、あの馬鹿野郎………!」
モニター越しに見た丸腰の彼女。ただ彼女を傍観するか否か。
一瞬、冷静になったところで気が付く。自分が幼馴染みとは言え、命を見捨てようとしていることに。それでは模倣品と同じじゃないか、俺は人間だ。奴等とは違う。
傍観しようとした自分を嫌悪し、HMD内蔵のインカムでコマンド機を呼びつける。
「クソッ!………、フェンリル2よりコマンド機へ! 表に立ってる馬鹿を連れ戻せ! 死なせる気か?!」
状況切羽詰まる中、南雲は上官という位置関係を無視して声を荒げた。
『コマンド機よりフェンリル2へ、やりたいようにさせてみたら?』
「その声、湯田川さんか。何で止めないんです?! あんなの死にに行くようなものじゃないか!」
『仕方ないだろ、処方できる薬が無かったんだよ』
スピーカー奧の声の主は気怠く放つ。何でも身をもって失敗してみければ解らないだろなどと利口な台詞も添えて。
「だったら、俺も好きにやらせて貰うさ」
南雲は悪態の言葉を吐き、TYPE74を手繰った。
途中、内蔵スピーカーから『愛しの幼馴染みが、そんなに恋しいのか?』などと戯けた事を抜かす湯田川を無視し、腹の主に従ったTYPE74はTYPE76の前に身を庇う形で躍り出る。
『ちょっ! なぐ……フェンリル2、何をやって?!』
「ヒーローごっこみたいなことしやがってさ、そんなに死にてぇのかよ?!」
声を荒げる。身を案じた南雲の温情とは言うまいか、ある種の義務的な行動を基に彼は都留を上官という立場を鑑みず叱責した。
『ヒーローごっこだなんて、私そんなつもりは!』
「来る!」
『?!』
二人の意思が混濁する一瞬の隙。その隙を突いて敵意が白兵を仕掛ける。継ぎ接ぎの巨人、その空いた右腕を振り上げ降ろす。加速の付いた重量物、質量の暴力というべき攻撃が南雲等に襲いかかる。
避ければ桜花に当たる。予測した思考を元にすれば行動は咄嗟だった。
電気のように走る反射で身体は反応を示す。HOTAS式の操縦桿を握っている両の手がやってのけるスイッチング操作。
指令を受領したTYPE74の両腕は、頭上で交差し振り下がった腕を真っ向から受け止める。去なす素振りもなく、己の剛性に任せた安易な防御だ。
ガコッンと鈍重な物を媒体に金属を引っ叩く嫌な振動が音として伝播した。
特殊装甲に貼り付く相手のスチール鋼は衝撃を去なしきれず、素材の剛性限界を超えて自壊した姿が映る。更には内部の骨格さえも絶えきれず特殊装甲に沿って歪む。
「んなろぉ、がぁ!」
最早、言葉にならない叫びを気迫の依り代として威圧の念を打つ。そして、その気迫でペダルを踏んだ。すると瞬間的に電気信号は駆け、頭で操作するより前に醜くでっぷりとした継ぎ接ぎ(パッチワーク)の土手っ腹へ、TYPE74は蹴りを鋭利に撃つ。
相手のエンジングリルは面白いほどに潰れた。潤滑油は鮮血と見違える程によく噴き、蹴りがもたらす威力に抗えず眼前の巨人は飛ぶ。
距離にして60メートル、間合いには充分すぎる間隔。
『フェンリル2! 被疑者の確保を!』
「今そんな状況かよ!」
無茶な指示に反論を投げる。注意を他所に傾けるだけで隙を見せてしまう状況下で、どう確保しろと。
手早く処理しちまった方が早い。社会はもう、この模倣品を必要とはしていない。生かして裁判にかけたところで結局は死刑になる、ならばいっその事。
『私は、これ以上貴方の手を汚したくない!』
「綺麗事を抜かしてる場合かよ! このままじゃ死ぬぞ。俺も! お前も!」
これでもまだ綺麗事を吐く。脅してみせても、その目が揺らぐ気配も無い。彼女の肝の据わりよう、その逸物携えた覚悟の決まりように南雲は舌を巻いた。
屋上で言ったことを彼は撤回した。
彼女は本物かも知れない。本気で状況を変えようとしている。だが、だとしても、ここで目の前のコイツを生かして確保する理由にはならない。
視界が霞む。操縦しながら口論も熟す。そして丸腰の都留を守りながら戦う。常人離れした行動に脳が遂に息切れを起こす。
「?!」
気付いたが対処が遅れる。胴に一発もらい、躰は蹌踉ける。脚を後方へ歩かせ威力を逃がす。俺としたことがと、己惚れも交えた自責で場を濁してやると従属化したTYPE74で反撃を試みる。しかし思考が追い付かない。
『これ以上はもう無理よ!』
「馬鹿言え、ここからが本番だっつぅの」
『無茶言わないで! だったら私が行って説得して……確保します』
「あっ! 待て!」
反射的に動く。TYPE76から降車しようとした彼女を機械越しに素手で止める。
『いったい何のつもりですか?』
「安心しろ、俺はまだやれる」
『無茶よ、素人目から見ても分かるよ! 反応速度や操縦が鈍ってるし、それに見す見す処理させるような事はできない!……だから、私が直接!』
止めろと言っても利かない。都留の悪い性格が全面に出てしまっている。梃子でも動く気配のない頑固を前に、南雲が口調を強めると、対して彼女も負けじと縋った。
口問答をする暇がない。
眼前にある危機はまだ生きているのだ。無駄な一分一秒の時間が惜しい。
のそりと立ち上がる姿が目に入る。左腕一体の機関砲、その銃口が向いた事に気付く。
「火器は…!」
ウェポンストアを覗くも携行火器、飛び道具の欄は『Non Lethal』の文字。先程の一撃でリボルバー式の携行火器を落としたことに気付く。
視線を配せた。ガトリングの銃口が此方を見たのと同時にリボルバー式のソレを発見する、が拾いに行く余裕がないことを覚えた。
此方の意思を阻害するようにガンバレルの束が回転する。
「チッ、マニュアル操作に切り換えたか。桜花は下がってろ!」
彼女の名を叫んだ。そして意識する間もなく腰部懸架装置から近接用短刀をスッと抜く。
逆手に構える。
空気に触れた刃は熱を帯びる。刀身が超振動し、耳を劈く高周波を蒔く。
発砲の刹那、己を盾としTYPE74が肉迫した。
『た、武瑠君!』
装甲を触媒にして跳弾の音は響く。彼女の呼ぶ声は掻き消え、60メートルという距離をあっと言う間に平らげると鼻先程の間隔に達した。
「先ずは一発だ。さっきの借りは返したぞ!」
左腕が唸る。続けて、その剛腕を遺憾なく発揮してやる。展開式の籠手が覆う拳、超電磁破砕鍔は撃たれた。
轟!と空を斬る。下から掬い上げる見事なアッパーカットだった。
相手の意識外から唐突に撃ち込まれた拳は、普通のソレではなく高電圧を帯びた拳だ。静電作用が蓄電を促し溜まった電気エネルギーは雷となった。
目の前で雷が落ちた。白化した景色と無音と化す空間の中、生じた衝撃波は機関砲を上方へと弾いて空気を引っ叩く。
集音装置が聴力に弊害を生む雑音をカットする。同時に失明するほどの閃光も外部環境受動器が絞った。
機械の恩恵を受けて怯むことなく目標物の隙とも言うべき一間に南雲は、右手の得物に付与された殺傷力を突き立てる。
超振動する刃、肘裏からスッと軽やかに浸透すると一瞬きのうちに前腕を上腕から離す。ゴトッという鈍重な落下音、それは眼前の奴の腕が斬られたことを暗示した。
既視感のある光景。再び腕を切り落とされたことに混乱する継ぎ接ぎの巨人。その様は痛みに悶えているのか。ならばと呼吸を整え、「安心しろ。今、楽に為てやる……」と引導を渡す。
公務員が吐く台詞ではない。が、それがどうした。意識せずとも紡がれる言葉は手を汚しすぎた結果の要因に過ぎない。
TYPE76により剥き出しとなった継ぎ接ぎ巨人の操縦室。その奧に座る詳細な姿は不明の模倣品。暗がりで良くは見えぬシルエット、操縦室にいることを半ば確信しつつ、思考が短刀を順手に構えさせる。
短刀の鋒(切っ先)は対象者を捉え、暗闇に刀身が輝る。
今は目の前の脅威を鎮圧することだけを考えろ。不要な思考を、ましてや感情など全て排除しろ。
冷静に相手を処理することだけに集中し、南雲の意思を機体は体現する。意思の制御下で巨体は動く。音速を超す突きの動作、刀身に円錐型水蒸気雲が巻かれ、一瞬のうちに失せる。
終いだ。心の内で決着を付けた時だった。
『待って!』
叫びだった。その声は一人の人間が発したのかと訊ねる程、身体に刺さった。
鋒(切っ先)が寸前で制止する。轟と衝撃波は靡き、外板を変形させるも模倣品に致命傷を与えなかった。
南雲は振り返り、画面に映る都留を射殺す程に睨めた。
何故、止めた。その言葉をもって言及する前に彼女が動く。
『……レオン・久瀬…で、間違いないわね?』
彼女の明らかに震えた声。怖じ気づく身体と緊張で張り詰める心臓の板挟みで、声帯が普段通りの仕事をしていないのだと解する。
『もう一度聞きます。そこにいるのはレオン・久瀬、本人で間違いないですね?』
都留の声に強張りがある。命を曝け出しているのだ、無理もない。だが人型という凶器を前に生身で説得している、その胆力だけは本物だろう。しかし南雲の感心も余所に、目の前の継ぎ接ぎ巨人は反応示さない。
巨人の真ん中にポッカリと空いた闇。吸い込まれるような闇の奧、ソレは確かにいる。その闇を見詰める都留は、自身が見詰められているかのような錯覚を覚える。
永く続く沈黙。痺れを切らしたくなる。根気が試されているか。
『レオン・久瀬! 本人なら直ちに降車しなさい!』
震えた声色を統率し芯を与える。夜闇の空気に響く彼女の声。だが、闇は彼女の声を呑み込むだけであった。