03 埒が開かずの板挟み
窓の外にぼんやり視線をやりながら、私はバスにただ揺られていた。
腕時計は12月24日の午前10時17分をさしていた。
もうひと月も前になるだろうか。
たったそれだけの間に、街路樹は既に葉を落としきっていた。歩道を歩く人は一人もいない。皆移動を可能な限り控えているのか、それとも交通機関やら車やらで移動しているのか、いずれにせよひと月が経つとはそういうことだった。
正直に言えば、非常に困る申し出なのだ。
もちろん、誰かに相談するような話ではないし、そもそも自分だけに対する話である以上、後から「やっぱなし」は通用しない。まあ、実はできないこともない。卑怯なやり方だというだけだ。少なくとも、まりちゃんが誰かに言いふらすような子ではないことは重々承知している。そこをつけばいい。とても単純で、従順で、可愛い後輩なのだから簡単だ。
だからこそ、その期待に応えてやりたいとは思う。
バスは次の停車場を通過し、また次の停車場を通過していた。
その間、私はあの時のことを思い出していた。
***
「優子先輩、部活の後ちょっと時間取れませんか?」
私はその時ジャージの袖に両腕を通していた。にゅるんと頭を通して、予定を反芻し、女子高生ながら牛丼屋にでも行こうと思っていた自分を恥じかえり、ようやくのことでまりちゃんの顔に視線を落とした。
憑き物でもついたようなその表情に私は内心驚いた。
上目使いで捉えて離さない目に、強い意志を感じた。
これでも、頼れる部長・中島優子として通っている。
私は二回肯いてから、
「いいよ」
「じゃあ、お願いします」
部活が終わる。
途端に背後から肩を叩かれる。
「優子先輩。私、校門で先に待ってます」
「わかった。着替えたらなるべく早く行くね」
「はい!」
これでも、頼れる部長・中島優子として通っている。
部室に戻るや、あれが無くなっただの、提出する書類がまだできてないだの、その処理に追われるのはいつものことだった。アノ日について私に対応を求められることすらあるほどだ。終いには下着を忘れたと抜かす女郎に分け与えてやったこともある。要するに、頼られていると言えば聞こえはいいが、ただの敗戦処理というほうが実態に則している。
ともあれ、約束のために私は普段よりも素早く処理を終えた。
11月の校門の前では、まりちゃんは両手を合わせ、はあ、と白い息を吹きかけていた。
私に気が付くと、
「待ってないですよ、そんなに」
とほほ笑みながら牛丼屋へと歩き始めた。
なぜ心の中を読まれているのだろう。
***
「私、その、葦茂先輩が好きなんです」
意外でもなんでもなかった。少なくとも小中高を共に過ごしていたからよく知ってる。
寺田まりは私の一個下の女の子だ。
彼女がする素振りには葦茂に対する行為が見え隠れしてた。私が記憶している限りでは、中学校3年の時、彼女は2年で、同じ部活で、明らかに葦茂の前だとあがっていた。その時には既に好意を抱いていたのだろう。
実に健気な、そして報われない女の子だった。
用意したスポーツドリンクを渡せなかったり、バレンタインのチョコを先生に没収されて渡せなかったり、可愛いものだから別の男に言い寄られ、その度に妙な噂の中心にされたり――。
何故か少しイラッときた。
だからこそ、下手に同情してやることもない。
「うん。そうかー。まりちゃんがねー」
「はい……」
「いつから?」
「中2の頃からです……」
「じゃあ、もう股かけ3年か。それで、相談っていうのは、それ関係、でいいのよね」
「はい。それで、優子先輩、葦茂先輩と仲いいから、私、すごく迷ったんです」
「まあ、幼馴染だしね」
「こんなこと、言える立場じゃないんじゃないかって」
牛丼屋の二人席で向かい合う、まりちゃんの顔はトナカイの鼻のように赤かった。
その声が時折震える。 本当に可愛いと思う。
「いいのよ。私とまりちゃんの仲じゃない。お姉さんに何でも言って」
とは口にしたものの、私は正直それ関係の経験値がなかった。
それでもまりちゃんは、その言葉に安心したのか、犬の様な喜び方をして、身を乗り出してきた。
その上、手をいきなり上から被せて、目を輝かせて、
「先輩! 私、先輩のこと心の底から尊敬します!」
「うわあ。いきなり手を握らないで!」
男女であればプロポーズの光景に見えるかもしれない。
予期せぬ事態に私は弱い。いきなりは昔からダメだ。拒絶以外の反応ができなくなる。
しかし、まりちゃんは気にせずその言葉を口にした。
「私と葦茂先輩の仲を取り持ってください!」
***
「さて、どうしたものかね」
私はバスを降りると、真っ直ぐに歩き出した。直進していくと、大きなショッピングモールがあり、その喫茶店でまりちゃんと落ち合うことになっている。クリスマスイブという日に呼び出されたからには、言い逃れするのは難しいだろうなあと私は思う。
ただ、言い逃れは可能ではある。
それこそ予期せぬ事態が発生していたのだから。
回想の1週間後にそれは起きた。
その結果がひと月と1週間の空白。
既存の言葉を用いれば、「三角関係」という奴だった。葦茂がそんな素振りを見せた記憶はない。青天の霹靂だったのだ。だから、返事を先延ばしにして時間稼ぎをするしかできなかった。
それだけに、そんな態度をとった自分に内心驚いていた。
なんとなく、足取りが重い。ちょっと壁に手をついて、ゆっくりもたれかかってみた。
ため息。
――なんで、こう私たちは変っていかなければいけないのだろう。
――なんで、こう好意がつらいのだろう。
クリスマスイブ。恋人たちの特別な日。自分と葦茂をそれに見立てる。どうもなじむような、なじまないような。
逆に、まりちゃんと葦茂を見立てる。なんとなく、その先が想像できた。二人で重なる?
「ばっかみたい」
こんな妄想やめ。私らしくない。
右手の腕時計は、約束の15分前をさしていた。
健気な、まりちゃんのことだから、既に喫茶店にはいることだろう。そして彼女は切なげにカップを眺め、「はあ、葦茂先輩……」などと、美少女にのみ許される深窓の令嬢という技を繰り出しているはずだ。
私が男だったら、黙っておかんだろうな……。
だって、女の私でも今ときめきまくっているのだから。
そして歩き出そうとした私の目に、それが写りこんできた。
「なに、あれ……」
***
視線の先。施設内の中央、イベント広場のベンチ。
相沢葦茂。
そして、腕に絡まる、10歳くらいの女の子の姿がそこにはあった。




