第一章『学校占拠事件』八話
結月詩音は、眼前の少年が何を言っているのか理解出来なかった。
――彼は今、何て言ったのだろうか?
詩音の聞き違いではなければ、彼は――石杖裁也は、如月結維を奪還すると言ったはずだ。
――奪還。
つまりこの場合では救出と意味は同義。
自ら結維を『トライブ』に差し出しておいて、今度は彼女を助けると言った彼に、詩音は混乱した。
そして同時に、胸の昂ぶりも覚えた。
石杖裁也は真っ直ぐに詩音を見つめている。
その瞳には一切の迷いや揺らぎがなく、間違いなく結維を助けるのだと、告げていた。
結維を助けるつもりなら、何故彼は敵に彼女を売ったのだろう。
何故、彼は結維を助けられると信じているのだろう。
何故、何故、何故――
たくさんの『何故』が、詩音の脳に渦巻く。だがそんな事は、もうどうでも良かった。
石杖裁也は、如月結維を助けるというのならば、私も喜んで協力しよう。自分に何が出来るのか解らないが――――
そんな事を考えながら、気づくと口は勝手に動いていた。
「で、私は何をすればいいの?」
詩音の協力を仰げたのは、僥倖だったと裁也は思う。
裁也一人で動くには限界がある。
だが協力者がいれば、その選択肢は広がる。
この場にいる人間を、いくらでも犠牲にしてもいいのなら、裁也一人でも突破は可能だ。
だが、極力被害を最小限に抑えるならば、協力者の助力は必須だった。
その為には詩音と協力して、この場所から裁也は脱出しなければならない。外にいる仲間と合流するためにも――
「石杖君。それでどうやって結維を助けるの?」
詩音に話しかけられ裁也はハッと気付く。
小声で囁く詩音に、裁也は現状を打破する方法をめまぐるしく脳で展開していき、ある一つの方法に帰結した。
「……少し危険だが、この方法でいこう」
「? なに?」
「それはね……」
裁也は自身の作戦を、詩音に囁いた。
「そんな方法でうまくいくの?」
「うまくいくかどうかは実践してみないと解らない。最悪の展開に転がる場合もあるし、こればかりは僕にも解らない」
「でもそれじゃあ、貴方が一番危険よ?」
「リスクは元より承知だ。それに、君だって危害を加えられる可能性があるんだ。お互い様さ」
「……仮に、この場を脱出出来たとしてこの場に残された生徒や先生方はどうなるの? 彼らに皆殺しにされるんじゃない?」
「彼らはまがりなりにも如月結維を手に入れた。『目的』はまだ達成されていないようだが、彼女を手中に収めたんだ。そう簡単に皆を殺したりはしないさ。連中の目的は大量虐殺じゃない。一人の少女を手に入れる事だ。目的と手段が入れ替わったりはしないだろう」
「……貴方が一人で、結維を助けられる保証なんてあるの?」
「一人じゃない。外には僕の仲間もいる。彼らは既に手を打ち始めてる筈だ。それに、僕にはこの場を一人で制圧出来る力も持っている」
裁也は制服の下に携えている〝ソレ〟に手を当てた。
「ならやればいいじゃない」
「この場にいる人間をいくら犠牲にしてもいいならね」
裁也の発言に詩音はギョッとなる。
「僕もそんな事を望んじゃいない。だから最小限の被害に抑えるならば、君に協力をしてもらった方がいいんだ」
「………………」
詩音は裁也をジロジロと見て、やがてフゥ、と息を吐いた。
「……貴方って、変わってるわね。結維を助ける責任感があると思ったら、この場にいる人、全員を切り捨てる事も平気で言う。熱くて、冷たい人ね……」
「人間は皆、多面性を持っているんだ。君から見れば、僕は容赦のない冷たい人間かもしれないけど、その筋の人なら僕の事を、冷静に状況を分析する戦場の兵士だと思うかもしれない」
「ハッ、どうだか……」
詩音は呆れてそれ以上言葉を紡がなかった。
「後は何か質問があるか?」
「質問? 質問ね……」
詩音は裁也の襟首を掴み、彼を引き寄せる。
そして思いっきり睨みつけて、怒りと希望を混じえて言った。
「結維を、絶対に助けて。……お願いよ」
「……解った。必ず助ける」
『任せとけ』とは言わなかった。
それでかつて大切な人を失ったから――
――必ず助ける――
その信念だけで裁也には充分だ。
同じ過ちは二度と繰り返さない。
両の拳をギュッと握り締める。
「――さあ、作戦開始だ」
如月結維を奪還する作戦がいま始動した。