最終章『Zero・dark・hour』第八話
舞い散る鮮血。
降り注ぐ血液。
熱く、生暖かい。
鼻孔をくすぐる甘い香り。
まるで別の何かを隠すよう。
耳に届くのは哄笑。
くぐもった、酷く昏い声。
結維は面を上げる。
自身の命がある不思議さを、
自身を刺した姉の不可思議さを、
眼前の光景を目の当たりにし、その理由を知った。
花蓮は、自分の左腕に深くナイフを突き立てていた。
彼女は顔面を右手で被い、笑っている。
「……ッフ、ハハッ! 花蓮よ……貴様の思い通りにはならなかったようだな!」
これまでの口調とは一変し、まるで男の様に話す花蓮。
「さすがの私も、君の行為には追い詰められたよ。まさか、自分の妹を犠牲にしてまで私に復讐しようとは……。その行為、驚嘆に値する!」
結維は何が起こっているか解らなかった。
傍から見ると、一人の人間がブツブツと独り言を言っている様にしか見えない。
だが、花蓮はまるで他の誰かと対話している様に、結維には見受けられた。
「だが、一歩遅かったようだな……。私の目覚めは、もはやこれまでの非とは比べ物にもならない。顕在意識の主導権はほぼ私が握っているのだよ! ……ッククク、フフフフ、ハァ――ハッハッハッハ!」
高らかに笑う姉の花蓮。
その姿は、先日の皇零を彷彿させる。
……何が起こってるの?
呆然と見上げる結維に、気づくと月夜が側にいて呟いた。
「……人格交代ね」
「……人格、交代?」
間の抜けた様に反唱する結維に、月夜は頷く。
「さっきも言ったはずよ。如月花蓮のボディに、二つの魂――人格が宿っている。これは超天才である私の偉業だけれど、一時的な奇跡のようなものみたいね。
本来、一人の人間には一つの魂しか宿らないの。二つも異なる命が宿れば、それは相反する。『ホメオスタシス』って言葉、知ってる?」
結維は首を横に振る。
「でしょうね。アンタが知ってたら、私も仰天してる所だわ。
いい? 『ホメオスタシス』ってのは、簡単に説明すると〝不変性〟よ。ものが長く変化しない性質のこと。人間は、一つの人体に一つの魂。これが神様が定めたルールであり、この世界が決めた絶対原則。それに私は反逆した」
スゴイでしょ、と月夜は言うが、結維は無視し、別の事を訊ねる。
「……つまり、お姉ちゃんと皇零は共存出来ないってこと?」
「あら? アンタの脳みそでその答えが導けるなんて意外ね」
余計なお世話だ、と結維は心の中で呟く。
ジッと黙って月夜を見つめていると、彼女は、その通りよ、と言った。
「アンタの答え通り、共存は不可能。だからこれは偉業であると同時に奇跡、偶然の女神の仕業みたいなものね。そしてそれは長く続かない」
「……どういう事?」
「人格の駆逐よ。弱い人格を強い人格が殲滅する。言ったでしょ、人格の共存は不可能だって。だから世界のルールに従って、自然と残る人格になる。今はまだ、その過程の真っ最中のようね」
「そんな……!」
「そう、あの様子だと遠からず如月花蓮の人格は消え、皇零の人格に統一されるでしょうね。皇花蓮はいまこの場限りの奇跡って所かしら」
残念、と言って月夜は両肩を落胆させる。
彼女とは対照的に、結維の心中は穏やかではない。
姉が消える。
すなわちそれは、姉が死ぬという意味だ。
「……何か、方法はないの?」
「方法?」
「そう。お姉ちゃんの人格が残るような、助かる方法」
「ないわね」
「ッ! そんな!!」
即断言する月夜に、結維が反論する。
「時間をかければあるのかもしれないけど、現時点でそれは難しいわ。それに、アンタ、花蓮にハッキリと拒絶されたじゃない? 殺されそうにもなったのよ? そんな相手を、よく助けようなんて考え出来るわよね」
「……そんな簡単に割り切れるもんじゃない。お姉ちゃんは、お姉ちゃんなんだから……」
意気消沈する結維に、月夜はため息をつく。
「呆れたお人好しね、アンタ。そんなじゃ皇じゃ…………、おっと」
へたり込んでいる結維から、月夜が逃げていく。
急にどうしたのか、と彼女を見ていると、結維の頭上に影が降り立った。
「やあ、如月結維。我が依代よ、待たせたな」
姉の声で、零の口調が結維に向けられた。
「邪魔者は封じた。当分顕現してこないだろう。さあ、今の内に私と共に行こうぞ」
差し伸べられる血まみれの手。
結維は恐怖でジリジリと座りながら後退していく。
「何も怖がる事などない。君と私が一つになるだけだ。君の魂は死なずに、私の奥底へと封印されるだけだ。そして、君は私が創りだす新世界を特等席で鑑賞できる。こんな名誉な事はあるまい」
徐々に距離を詰められ、その度に後ろへと引き下がる。
だがそれも長くは続かず、やがて袋小路に追い詰められる。
ドン、と噴水にぶつかり、逃げ場はどこにもなかった。
「フフッ、鬼ごっこもここまでだ。さあ、如月結維、依代よ。私と共に行こう!」
花蓮の手が、結維に伸ばされる――
「つ、月夜姉さん! 結維の姐さんがマジピンチッスよ!!」
「ん~、そうね」
「そうね、じゃなくって! つーか、俺の上からどいて欲しいっス!!」
「ん~、そうね」
ジタバタと地べたでもがく帝人の上に、月夜は座っている。
先程、役立たずと罵声を浴びせてきたので、帝人が怪我してる箇所にわざとグリグリとキュートなお尻を押しつけた。
「……ぐぉ! ……クソ! 俺の上に重いケツを乗せんじゃねえ!」
「あ~ら、帝人、何か言ったかしらぁ?」
「~~っ! イテえって言ったんだ! 早くどいてくれ! 結維の姐さんが危ないだろ!!」
焦り、口調がおかしくなる帝人とは対照的に、月夜はどこ吹く風と落ち着いている。
まるで、結維が助かる事が確定しているかのように。
「大丈夫よ、帝人。結維はアイツが助けるから」
「アイツ……?」
帝人は誰の事だ、と不思議がる。
その時、二人の横を一陣の風が過ぎ去った。
颯爽と、疾風のように一人の少年が駆け抜けて行く。
月夜はやれやれ、とため息をついて。
帝人は、キラキラと待ち焦がれた瞳をして、彼の背を見送った。
右手にはフィクサーたる分子刀。
双眸を銀に染め、結維を助けに行く。
「……裁也の兄貴ィッッ!! 結維の姉さんを、助けてくださーい!!」
帝人の叫びに、彼は剣を掲げて応える。
石杖裁也。
彼が悪夢から復活し、皇花蓮に襲いかかった。
小説でご飯を食べていければいいのに、と本気で夢想する。




