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転生平民レティーナの婚約事情  作者: 月森香苗


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後編

 キャスリーン様がお住まいになっている侯爵家の王都屋敷は平民の私からすれば腰を抜かすほど広くて綺麗で豪勢だと思ってたけど、公爵家は格が違った。

 王城に納品に行く父とは違い、城には行けない私は遠目から見ていたけれど、まあ、城だしな、と納得していた。前世の知識のおかげで海外の古城に憧れを持っていたし、宮殿とか写真を見てため息をついたりしていた。

 城は城だから、いつか私も商会長としてあそこに行くんだ、と思えたわけだ。

 ここは違うでしょ。

 城ではない。ただ、私が想像する宮殿があった。世界の美しい宮殿十選の一つ、オーストリアにあるあの宮殿! と内心で騒ぎながらわたしは馬車から降りる時に従僕から差し出された手に震えながら手を重ねた。

 平民が商人としてではなく客人として訪れることってこんなに怖いのか、と私は人生で初めて理解した。

 商人ならば仕事だからと考えられたけれど、平民は基本的に貴族とは近付こうとしない。出来ない。それが身分というものだ。

 貴族から平民になったのならば分かる。

 でも、生粋の平民にこれはきつい。


 今着ているドレスは派手すぎず、地味過ぎず。ポイントは襟や袖口に付けたレースだろうか。

 糸の加工が特殊なもので、まるで真珠のような煌めきを持つレース糸で編まれているのだけど、これを編んだのは私の叔母だ。父の妹で、レース職人をしていて、貴族の目に適う高い技術を持っている。

 叔母がすごいのは立体編みが出来ることで、私のドレスのレースも立体の花がついている。

 大商会の娘として、宝飾品ジャラジャラは下品だけど、何もしないのは恥になるので、レースが一番無難ということになった。

 叔母は発狂しかけながら編んでくれたよね。ごめんね、叔母さん。


 ド緊張している私と、何かもう達観しすぎて冷静な父は案内された応接室の椅子に腰掛けるように勧められ、ドレスの裾に気をつけながら座る。

 思い出せ、貴族の作法。

 椅子は自分では引いてはダメ。お任せするんだ。


 いや、これは前世でもなんか見た事あるぞ。

 高級レストランとかだとウェイターが椅子を引いてくれたな?

 なんというか、貴族な作法で気をつけるのは会話で、所作は最低限が出来ていれば良いし、そもそもテーブルマナーは叩き込まれている。

 私が緊張すべきなのはお屋敷の圧倒感ではなく、未来の夫になる人に対してなのでは。


 緊張の中、どれだけ待ったかは定かではないけれど、扉が開かれてデヴォン公爵家の方々が入室した。

 素早く使用人が椅子を引いてくれたおかげでみっともない姿を見せずに済んだわ。

 貴族は約束の時間があっても多少は待たせるもの。重要かどうかは待ち時間による、だったはず。

 素早く頭を下げる。高貴な方を直接ガン見するのはNG行為だから。


「待たせてすまなかった。ミルシア商会長、そしてご息女のレティーナ嬢。私がデヴォン家当主ファルシオンだ」

「お目にかかれて光栄に存じます、デヴォン公爵閣下」

「初めてお目にかかります。ミルシア商会長ドルフの娘、レティーナでございます」

「そう緊張せずとも良い。顔を上げよ」


 そろそろと顔を上げると、テーブルを挟んで真向かいに二人の男性。

 父よりも少し年上のナイスミドルイケおじの公爵様。

 そして私の正面にいるのは――。


「これが三番目の息子のクルーゼスだ」

「クルーゼスです。今日はお会い出来て本当に嬉しく思っています」


 美術品か?

 芸術品か?


 デヴォン家の濃い青とは家紋が施された生地の色だと思っていたのだけれど、髪の色でもあったのか。

 深い海のような色。そして、アクアマリンか、それとも海中から見た輝く太陽の光を受けた海面の色か。

 顔立ちは神の使徒と思うほどに整っている。長い睫毛。切れ長の目。すっと通った鼻梁。少し厚みがある唇。その横にある黒子が恐らくは女性を狂わせたのではないだろうか。


「ミゲルフィオの『使徒降臨』」


 口から出たのは、我が国で二百年前に活躍した画家の描いた三連画の名前。

 王都中央大神殿の中にある小礼拝堂に飾られているその絵は場所が場所だけにあまり目立たないのだけれど、画家などが神に祈りを捧げた後にその絵に祈ると有名な絵だ。

 その中の右に描かれているのが、青き使徒と呼ばれているのだけど。


「レティーナ嬢は絵画に詳しいのかな?」

「あ、いえ。申し訳ありません……」


 青き使徒は髪も目も青を持つ。対の左は赤系統で、原始の火と水を司っているのでは、という考察がされている。

 あまりにも異次元すぎる美貌のせいで、私が最も美しいと感じた絵画の名前が出てきてしまった。


「あれは私も幾度となく見てきたが、親の欲目と言われても構わん。右の青き使徒に似ていると思わないか?」

「はい。あの絵の使徒様が抜け出てきたのかと思うほどです」


 イケメンはときめくけれど、行き過ぎた美貌は芸術の域に達してしまう。

 え、貴族の方々は彼を見て争う元気があったの?

 確かにキャスリーン様を見ていれば貴族の顔は掛け合わせでどんどん美形になっていくのは分かる。

 デヴォン公爵様もナイスミドルイケおじで、若い頃は間違いなくイケメンなのは分かる。比較は私の父。やり手の商会長は人が良さそうで狸と言われる平凡顔。私も母親に似てちょっと可愛いとは言われるけれど、貴族を前にするとザ・平凡なわけよ。

 貴族なら理性を保てるの?

 その前に、こんな人と結婚?

 誰が?

 私が???

 は???

 この顔を平民の中に放流するの? え? 待って?


「お父さん、正気に戻って」


 隣で放心している父の腕をぺちぺちと叩くと、父は体を揺らして意識を取り戻した。気持ちはわかる。


「さあ、座ってくれ。今日は顔合わせという名目だが、実質は婚約の締結だ。陛下の御下命であるからな」


 デヴォン公爵様の言葉を遮ることが出来ず、さりとて聞かないままではいられなくて困っている私に声を掛けたのはクルーゼス様だった。


「レティーナ嬢、何か言いたいことがあるなら言っていいよ」


 柔らかい口調は私が緊張しているのを緩めるためだろう。

 にこやかな笑顔。目が笑ってないなんてことはない。それどころか機嫌が良さそうなのがよく分からない。


「ふむ。君は当事者になるからな。気がかりはなくしておいた方が良いだろう。聞きたいことがあるならば話すと良い」

「ありがとうございます。その、貴族として生きてこられたデヴォン公爵令息様は」

「クルーゼスと呼んで、レティーナ嬢」

「え、あ、あの」

「ね?」


 顔面の圧が強い!!!

 ね、じゃねーんだわ!

 顔面凶器が微笑みながら首を傾げないでくれ!

 お父さんの意識がまーた飛んでるわ!


「不敬になりませんか……貴き方々のお名前を呼ぶことは許されないはずで」

「僕は平民になるし、君の夫になるからね。名前呼びは不敬にならないよ」


 あびゃっ!

 それだよそれ。それを聞きたいのに先手を取られた! なんてこった。


「構わぬ。それにこれはしつこい。諦めて名を呼んだ方が早い」


 公爵様にも許されてしまった。なんてこった。

 ドレスのスカートを力強く掴みたいのに皺になるから必死に堪える。


「貴族として生きてこられた、クルーゼス様、は、その……平民の中で生活は、苦ではありませんか? 確かに我が家は平民の中では富裕層です。生活においては公爵家ほどとは言いませんが、使用人もいますので不自由はさせません……ですが、我が家は商人の家で、それこそ多くの人の出入りがあり、私も買い付けのために他国に行くことがあります。夫になる方には同行してもらいますし、働いてもらう予定ですし……」


 段々との声が小さくなる。

 平民の中でも、うちなら貴族に近い生活は出来るけれど、働かなきゃならない。食っちゃ寝生活は困るのだ。


「レティーナ嬢。自分で言うのは恥ずかしいのだけど……僕って顔がいいよね?」

「はい。とても。芸術品かと思いました」

「はは。そんな僕って、いい広告塔になると思うんだ」


 笑顔でそんなことを言ってくるクルーゼスをじっと見てしまう。確かにその通りだけど、でもそれはどうなのだろうか、と冷静に考える。


「クルーゼス様、の、お顔が良すぎて商品が目に入らないのではないでしょうか……」


 前世でトップモデルと呼ばれる人達は、本人のカリスマ性はとんでもなかったけれど、歩き方やポージングで服などに視線を集めていた。

 モデルが美しいのは大切だけど、それ以上に大事なのは「メインは商品であり、そこに意識を持っていく」なんだよね。

 クルーゼスは彼本人から目が離せない強烈な引力を持っている。


「いや、でも、小物なら……装飾品ならいける……身につける小物……リュオン国の衣装なら……」


 この顔に負けない商品はあるのか。彼を広告塔にするなら何が適切なのか。なんて考え始めた私に向かってクルーゼスは満面の笑みを浮かべた。


「僕はね、貴族には向いてないんだ。ご令嬢達の僕を巡る騒動は本当に困る。そりゃあ平民になっても同じだと思うけど、貴族よりも生きやすいと思うんだ。少なくとも、君のところで『コールディアの涙』は使われないだろう?」


 ピリ、と空気が張り詰める。

 呆けていた父も表情が一変する。


「その涙が誰かの元にあるならば、国よりも誰よりも先に闇が私達を永遠の揺り籠で眠らせるでしょう」


 この部屋の中にいる使用人達は少なかった。恐らくはクルーゼスが『コールディアの涙』の被害に遭ったことを知っている数少ない者たちなのだろう。

 闇ギルドの長を恐れて私達は絶対に手を出さない。そもそも表で生きる商人たちがそんな危険なものを手にしようなんて考えない。


「父上。レティーナ嬢に庭園を案内しても良いですか?」

「ああ、そうしなさい」

「レティーナ嬢、我が家の庭園は見応えがあるんだ。是非紹介をさせて欲しい」


 輝く笑顔を前に私は頷く。

 婚約の話が出てから私にこれまで礼儀作法を教えてくれていた先生が、貴族のお屋敷に招かれた時のお作法を叩き込んでくれた。

 元々王家に納品へ伺う商会なので、平民でも特例的に侯爵家出身で平民差別のない家庭教師の先生に師事していた。

 お見合いの席で庭園を婚約者になる者同士で歩くことがあることを教えてくれた。

 これには二つの意味があり、一つが当主同士の契約の内容を詰める姿を子供たちに見せないというものである。当然、後に双方の婚約する当事者も書面確認を行うのだが、その書類作成にあたっての交渉は人に見せないものとされるらしい。

 二つ目は、大人のいない場所で子供たちが互いを見極める時間とするためである。最後に署名をする前、この散策の時間に本当に良いのかと意思確認を行うのだとか。

 内密の話をするのもこの時らしい。

 私は差し出された手を取り席を立った。



 エスコートというのは基本的に平民の世界では無縁のものだ。

 流石に恋人でない異性同士が手を繋いだり腕を組むことはないけれど、畏まって歩くなんてことはそうそうない。

 ただ、貴族相手の商会で常識がある家ならエスコートの作法を学ぶ。

 私はまだ参加したことはないけれど、そこそこ大きい商会の商会長夫妻は時に貴族のパーティーに誘われることがある。その時に恥を掻かないように、と。

 それが今役に立っている。パーティーではないけどね!

 エスコートと言っても状況に応じて使い分けが必要になる。女性は受ける立場とはいえ、果たして今の状況にその振る舞いは正しいのかを見極めることが必要なのだそう。


 今の場合なら、クルーゼスが肘を軽く曲げて腕を差し出して来るので、私がその肘の内側に手を添えるのが正しい。

 けどね、顔面凶器な芸術品に触れていいのかって思うわけよ。

 普段の服はふくらはぎまでの長さの、いわゆるミモレ丈のスカートなワンピースに丈の短いベストを羽織っている私だけど、今日は平民に多い色合いの茶色の髪の毛にアンバーカラーの目に馴染むような、春らしい若草色の踝まであるドレスを着ている。

 昼間の来訪に合わせているのと平民なのでボリュームはそこまで出していない。だからこそ、足に絡まる布が気になる。躓かないように……。

 いや、待てよ。真隣にいるということは顔を見なくて済むわけだ。向かい合わせより気が楽なのではないか。

 と、百面相をしている私をクルーゼス様が楽しそうに見ていたことなんて気付くわけがない。

 庭園は確かに素晴らしい。ただ、花の知識もなければ美的センスに優れているわけでもない私は、間抜け面を晒しながら「綺麗です」としか言えなかった。


「下手に言葉を飾るより、心から出た素直な言葉が一番庭師に喜ばれるよ」

「そうですか?」


 貴族の屋敷で働く使用人は、貴族出身の人と平民出身の人がいる。

 料理人や庭師は平民なのだけど、下男や下女とは少し立場が異なる。

 料理人の中でも料理長は貴族の家で働く平民の中では限られた上級職の一つになる。貴族の体に入る食事を作ることが出来るのは名誉あることだし、命に直結する。

 独自に生み出したレシピなんかは秘匿とされ、物によっては引き抜きが行われる程だ。

 庭師はそのお家の顔となる庭園を管理するのだけど、当主一家の、特に夫人が漠然としたイメージで語る姿にする必要がある。

 昔から変わらないならば楽だけど、流行を押さえ、最先端を走る家の夫人の場合、それはもう大変な作業が待ち受けている。

 庭師は表立って出ることは無いけれど、センスが求められるし、何よりも気候などに合わせて手入れをする必要があるだけに臨機応変さが求められる。

 種苗を取り扱う農家から話を聞いたことだけど、庭師自らが土や種を選別して行く必要もあり、お茶会やサロン、パーティーなどがあればそれに合わせて花を咲かせなければならないからかなり大変らしい。

 庭師は大抵、親子で働いていて代々仕えるという。


「レティーナ嬢、あそこのガゼボで休もうか」


 クルーゼスが示したのは低木に囲まれた可愛らしいガゼボだ。

 この屋敷は門から屋敷までのいわゆる前庭は屋敷の玄関まで馬車が通れる幅の真っ直ぐな道が敷かれ、左右対称に造られている。

 それに対して奥庭となるプライベートエリアは規則性はなく、自然と調和した、前世のイングリッシュガーデンのような形式になっている。

 遊び心に溢れ、草花の影から妖精がひょこりと顔を出してきそうな雰囲気は私の心をうきうきとさせた。

 ガゼボは小さい八角形型で、テーブルと二脚の椅子、それからティーワゴンのセットを前に侍女が控えていた。

 私たちが席につくと手早くお茶の支度を済ませ、侍女はワゴンを隅に寄せると彼女自身は声が聞こえないけれど視界に入る場所に移動した。

 なるほど、二人きりにならないようになっているのか。別に構わないしむしろ有難い。


「冷めないうちにどうぞ」


 クルーゼスがお茶を飲み、そこでやっと私も飲める。

 紅茶は仕入れの関係でいくつも飲んできたから、この茶葉が最高品であるネルガル高山で取れる二レーナと言う銘柄のファーストフラッシュなのが分かってしまった。


「この、お茶は……二レーナと言うだけでも貴重なのに、ファーストフラッシュなんて……私のようなものに出すべきものではないです」

「流石レティーナ嬢。分かるんだね。これは僕が個人的に知人から貰い受けたもので、この家の所有物ではないから誰に出すかは自由なんだ」

「けれどっ……いえ、失礼しました。お心遣い、本当に嬉しいです」


 本来ならば高貴なる人々、そう、王族などに振る舞われるような逸品だけど、私物ならば誰に飲ませるかは彼の自由だ。

 平民の私に振舞おうとも問題にはならない。


「君はずっと、僕がなぜ大商会とは言えど平民になることを受け入れているのか不思議がっていたよね?」

「あ、はい」


 滅多に飲むことの出来ないお茶を必死に味わっていたら、正面に座るクルーゼスが私を見て目を細めた。

 目を奪われるほどの美貌の持ち主だけど、今浮かべている表情はなんというか。


 蛇に睨まれた蛙?

 そんな気持ち。

 え、怖い。怖いんだけど!

 私知ってる。これ、愉悦系の目の細め方だよ! 愉悦系ってネットミームになったヤツ! 人が翻弄されているのを楽しむような。

 あ、でもちょっと違うかな。

 これは、陶酔系? え、なんで陶酔?

 そんな私の内心の動揺など知らないとばかりにクルーゼスはゆっくりと口を開いた。


「僕はね、前から君を知っていてね。君はキャスリーン嬢の屋敷に父君と来ていた。兄はキャスリーン嬢の婚約者で、僕は家にひきこもっているよりはいいだろうとあの家に連れて行かれていたんだ」


 そこからの話は私の平凡な頭では理解が出来ないものだった。

 

 商会の出入りは正面ではなく使用人達が使う通用門からの出入りになり、お屋敷もそこから出入りするわけで。

 商談を終えた父と私は商会が持つ馬車を使うのだけど、様々な商品を持ち込むから、当然詰め込む作業がある。

 高貴な貴族の方々が決して近寄らないような場所だからと私はそこでかなり気を楽にしていた。

 クルーゼスはそんな場所に迷い込み、私を見かけたのだという。


「レティーナ嬢は侍女長やメイド長にそれぞれ大きな箱を渡していた。中から何かを取り出した彼女たちはそれを見て喜んでいたよ」


 あ、それは分かるかも。

 蜜蝋で作ったハンドクリームの試作品を配った時のやつだ。

 うちの商会の美容部門の主力商品になってるハンドクリームは私が母を扇動して作り出した。きっかけはうちで働く使用人の手が荒れてて痛そうだったことだ。

 ハンドクリームがあればいいのにと思ったけどこの世界にはまだ無かった。

 そもそもクリームというものが一般的ではなかった。

 私には化学の知識も美容品の知識もないけれど、父が幼い頃から私に見せてきた様々な商品知識だけはあり、美容部門を取り仕切っていた母にあれこれと質問して、そこから母がハンドクリームを作るアイデアを出すように誘導した。

 ハンドクリームが出来れば美容クリームも考えられるしね。


 貴族女性向けのフローラルな香りがついた、使う材料もなにもかもが最高品質のハンドクリームをキャスリーン様と夫人に「心付け」として提供した。

 このお試し品というのは基本的には貴族向けにするのは失礼となる。彼らは欲しいものは試すことなくポン、と買うのが財力を持つものとしての当然だからだ。

 だけど、私としては体に使うものだから相性があるし、お試しにして気に入ってもらえれば正規で購入してもらう方がトラブルが少ないと考えた。

 それは良かったようで、使い切れない量ではなく、香りが異なるものを少量ずつ「心付け」で渡した中で、夫人とキャスリーン様は好みの匂いを見つけて正式に発注してくれた。


 で、この国の貴族の慣習なのだけど。

 年に一度、当主一家から雇われている使用人全員に「お振る舞い」というものがある。家に仕える者への労いでお金ではなく、なにか品を渡すのだ。

 商会はこの日の為に様々なものを用意している。同日ではないのだけど、渡す月は決まっていて、商会に発注するからかきいれ時として私たちとしては力を入れる日なんだけど。

 ハンドクリームをお気に召した夫人はそれを女性使用人への「お振る舞い」に選んだ。

 うちでは商品をランク分けをしている。貴族と平民で分けるのは当たり前のことだ。

 夫人達が使う高級ラインを、家政婦長や侍女長、メイド長、それと夫人やキャスリーン嬢の専属侍女に。それより一段下だけど高品質の物を侍女に。平民でも少し高く感じる上級品をメイドに。平民でも手を出せる一般品を下女に、と依頼を受けたのだ。

 容器から差別化をはかり、特別感のあるものを主人から与えられるというのは使用人にとって大切なことだ。

 容量はあまり多くない。商売なのでリピート目的だけど、「お振る舞い」とはそういうものだ。

 この国の大貴族の家では、家政婦長は侍女やメイドなどの女性使用人の統括で、侍女長やメイド長よりも上なんだなぁ、とあの時知ったのだ。

 私から侍女長とメイド長に渡したのは、彼女たちがそれを下の者に配るから。彼女たちは既に夫人達から受け取った後なんだよね。

 私は必死に「これは手をつるつるにしてくれるし、あかぎれとかにも効果があります!」と売り込んでたはずだ。子供の必死な商品説明を彼女たちは微笑ましく聞いてくれていた。

 今思うと本当に失礼な態度だったと思う。平民商人の娘が貴族家の使用人に話し掛けるなんて。

 キャスリーン様のお気に入りでなければ無視されてもおかしくなかったのだ。


「あれは、その。新製品で「お振る舞い」として納品させていただいて。とても良い品だから必死だったのです」

「うん。その後にキャスリーン嬢から自慢されたんだ。ミルシア商会の娘は同じ歳で既に立派な商人だ、とか、お気に入りなんだ、とかね」

「キャスリーン様……!」

「あの時に見た君の笑顔が忘れられなかったんだよ」


 なんてこった。一体なんでそうなるんだ。


「貴族は感情を出すことは良くないとされている。付け入る隙を与えないためだね。僕は訳あって年上女性は苦手だ。それに貴族の令嬢達も僕を取り合う争いをしながら貼り付けた笑顔を向けて迫ってくるからそれも苦手になった。そんな時に見た君はとても自然で人間らしくて、君を忘れられなくなった」


 ダメです、そのセリフは!

 私は知ってる。前世の娯楽小説の貴族令嬢もので、いわゆる悪役令嬢系とか呼ばれる作品に出てきた!

 平民の少女を好きになった貴族男性のテンプレセリフーーーー!!

 まあ、大抵の令息は貴族のまま平民少女を引き上げようとするものだけどね。彼は自ら平民になろうとしてるから違うのかな?

 いや、まさか、ここでそのセリフが出てくるとか……一歩間違えたらストーカーの始まりのセリフですぞ……。


「それからキャスリーン嬢の家に君の商会が来る時は僕も兄上にくっついて来ていたんだ」

「え……」

「デヴォン家の出入り商人は別の所で、君の家を呼べなかったからね。兄上は僕の気持ちを察してキャスリーン嬢に話を通してくれたんだ」


 にこにこ笑顔が怖い。

 私は今、ストーカーの自白を聞かされているの?

 直接被害を受けてるわけではない。ただ単に見てるだけっぽいけど。

 え?


「でも、学園に入るまでは君の笑顔を見ているだけで良かった。その時は平民になることも考えていなかったよ。だけど、学園に入ってたくさんの人に出会って痛感した。僕はこの世界で生きるのが苦痛だって」

「あの……何か、あったのですか?」

「うん。僕を巡る争いは令嬢だけでなく男たちの間でも起きた。僕を傍に置いておけば女性の視線が集まるからね。跡取りではない公爵家の息子なら好きに利用出来ると考えたのだろう。それは王子殿下もだ」


 王族に気に入られたクルーゼスは常にそばに居るよう命じられ、逃げることが出来ない中で、時折見かける私に救いを見出していたらしい。

 やがて、貴族社会ではなく平民になり静かに生きたいと願うようになったクルーゼスに転機が訪れた。


「まさか……」

「伯爵家の庶子の娘が殿下に近付き籠絡を始めた。とは言え、初めは相手にしていなかったよ、殿下も。王族の婚姻相手に伯爵家は許されても不貞で出来た庶子は許されない。我が国は位上げのために嫡出子を養子にするのは認められても、不貞の結果の子は王家に入れられない」

「だと思います」


 平民だと、まあ、そこまで血筋は重要視されないけれど、貴族は違う。

 宗教が大きく関わっているのだ。

 前世よりもこの世界は宗教が強い。それは実際に神が存在するからだ。

 魔法はない世界だけど、神はいる。

 なぜわかるかと言えば、年に一度の祈神日と言うのがあり、その日に神々が降臨されるのだ。これはこの世界のどの国でも同じで、祈神日はずらされている。


 国の至る所に神々を祀る神殿が存在している。

 王家が信仰する神は王都中央大神殿にご降臨して下さり、他にも商業の神や法の神、勝利の神などの神殿は王都の外の円周上に建てられている。

 国中からこの日の為に人々が集まるため、混雑を避けるようになっている。

 地域に根ざす神だとその地域に神殿が造られるのだけど、メジャーどころの神殿は王都に集まっている。

 五歳の子供は祈神日に望む神の祝福を与えられる洗礼を受ける。

 我が家は商家なので商売の神の祝福を全員受けたけれど、その時に神のご尊顔を拝する機会を与えられるのだ。

 神様はいる。

 そして王家が庶子を認めないのは、王家が信仰する神に由来している。


 創世神の妻である豊穣の女神。

 その女神は浮気性の夫である創世神のせいで浮気を許さない。

 浮気の果てに生まれた庶子を王家に入れた途端、神罰が下される。

 事実、過去に庶子なのに嫡子と偽って貴族として育てられた娘がいたのだが、親子もろとも神罰が下された。

 とは言え、どうしようもない理由がある場合は認められることもある。

 ある夫妻は、妻が不妊で子が出来ない。だけど愛しているから離婚はしたくない。

 一方、子を産める体で、子を産むことは出来るが結婚したいわけではない。出家前に子をどうしてもと望む夫妻の為に子を産んであげたい。

 夫妻に恩義のある女性の申し出があった場合。

 女神の許しが出て子を成し、その子は嫡子として認められた、という事例がある。

 この場合は誰も不幸になるものがいないことや、三者が合意していること、そして浮気心ではなく誠実な思いがあったからとされている。

 女神の温情と呼ばれたその件は、誠実に女神の許しを得たからこその特例であるが、豊穣の女神の信者でなければ王家には嫁げず、不貞の子は認められないというのだからその時点で伯爵家の庶子が王子を狙う意味はなかった。

 なのに、その庶子は王子を狙い、王妃になる夢を見た。


 その結果が『コールディアの涙』の使用だ。

 自ら死へ向かっていく姿はすごい。


「あの女は手段を選ばなかった。どのような手段を使ったか僕は知らないけれど、警戒心の強い殿下やその周りが飲食するものに混ぜこみ、結果として殿下方は『コールディアの涙』を体内に摂取した。僕は外での飲食は決してしないようにしている。何度も被害にあってきたからね」

「それは大切なことですね」

「顔を見て僕を侍らせようと考えたあの女は殿下を使った。あの女がいない場所で、殿下に勧められればお茶の一杯でも飲まないわけにはいかない。ただ、僕は『コールディアの涙』程とは言わなくても多種多様な媚薬から毒薬まで盛られてきたのもあって、耐性をつけることを優先していたから軽微ですんだ。おかしいと思いハンカチに染み込ませたものを解析させ、その結果あの女は捕まった。その後は処刑にしても、それだけで終わるものではない」

「入手経路ですね」

「うん。それに殿下や他の被害に遭った奴らは治療のために隔離されている。解毒剤がないからね。婚約の見直しが多く行われる中、僕はやはり狙われたけど、事件解決のきっかけになったことやその他で僕の希望を聞いてもらえることになった」

「……あの、まさか」

「君を望んだのは僕だよ。初めて恋した子と結婚したいと願ったんだ」


 うっとりしながら言わないで!!!

 事情は分かった。父が聞く立場にないというのも理解した。

 被害者のことを父から聞かなかったけど、そりゃ言えないよね! 王族が害されてるなんて! お父さんごめんなさい。知らない方がいいことってあるね!


「クルーゼス様……その、私は見ての通り平凡な平民です。あまりにも釣り合わないかと」

「そう? レティーナ嬢は可愛いよ。なんならそこら辺の貴族の令嬢よりお金を掛けて手入れをしているよね?」


 それは、まあ、そう。

 輸入したり誰かが開発した化粧品が本当に害がないかどうかを確かめるのは私の役割だ。

 一定期間使い続けて肌に問題がないかを試したりしているし、洗髪剤のテスターも全部私がしている。

 お陰で私のお肌はつやっつやだ。

 髪の毛もつやつやサラサラなのは大事で、貴族のご令嬢に効果を見せることが出来る。


「外見だけで色々あった僕は、人を外見の美醜で判断しないよ。酷いことを言うけど、大抵の貴族の令嬢は僕よりも美しくない」


 それはそう。

 最早芸術の域に達した人の隣に立てば誰だって芋になってしまう。


「レティーナ嬢、君が望まなくてもこの結婚は決定なんだ。ごめんね。国王陛下の権力を使ったからね。だけど、僕は君を好きだから、君に好きになってもらいたい。愛し愛される関係になりたいんだ」


 女はリアリスト。男はロマンチスト。

 それを痛感している。

 顔が良い男に愛を請われるって、とんでもないね?


「あと、これは本当にそう思ってるけど、平民の中でも商人は他国への移動が楽だからね。憧れはあったんだ」

「あ、はい。確かにどの身分の中でも商人は一番移動が楽ですね」


 これは本当。

 平民は基本的に国から出るどころか住んでいる領地から出るのは神殿に赴く時だけで他国に行こうなんて考えない。

 商人は移動するのが当たり前の仕事で、それと同時に他国の情報を入手する貴重な存在。どの国もそれを分かっているから商人の移動は優遇されている。

 国境とか、それこそ城壁のような出入りを制限する場所でも、商人は別ルートで待ち時間無しのまま通り抜けが出来る。その分心付けもそれなりに支払ってるけど。

 それに移動可能な国の範囲は無制限だ。

 たとえ貴族でも他国へ移動するためには許可証がないといけない。

 その点、力のある商人はどこでもフリーパスという優遇がある。お金は掛かるけど。それだけのお金を払えるからこその名のある商会になるとも言える。


「僕はね、君と色んな国を旅してみたいんだ」


 キラッキラの子供のような笑顔のクルーゼスを前に私の言葉は封じられていた。

 結婚は決まっている。国王陛下の御下命に逆らう民はいない。

 なら、まあ、夫になる人との関係は良い方がいいに決まってる。


「あの……確かに仕入れの旅には出ますけど、そこまで楽しいものとは限らないですよ?」

「うん。それでもいいんだ。この国でいつ襲われるか分からない生活をするよりも楽しいと思うんだよね」


 お労しすぎる。

 命ではなく体を狙われて襲われるんだろうな、と思うと涙が出そうになる。

 要は、私が腹をくくれば良いのだ。


「直ぐにクルーゼス様と同じ気持ちになるのは難しいと思います。でも、私も夫婦仲は良くありたいので、その、よろしくお願いします」

「ああ! よろしくね、レティーナ嬢」


 生活に不自由なく生きたいと思っていた私はこの世界で恵まれた生活をしていた。

 大商会の商会長である父の子として生まれ、優しい母と可愛い二人の妹を持つ長女になった。

 そんな私は、とんでもない美貌を持ち、私が知らない間に好きになってややストーカーっぽい大貴族の息子を夫にすることになった。


 多分、不自由のない生活は継続されるだろうけど、波乱に満ちた生活にもなるだろうな、とそんな予感を抱きながら、私は目の前の人になんとか笑顔を向けた。

『コールディアの涙』の入手経路等はレティーナ視点では現状分からないままです。

クルーゼス視点を書く予定です。


追記

クルーゼスはこの後、レティーナの妹二人によって少し痛い目にあいます。やり口が卑怯とか思われた方はそちらの話をお待ち下さい。

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― 新着の感想 ―
ほだされちゃったんですね・・・ 前世の分、広い心で受け入れてしまいましたがその執着にはちょっと・・・ 妹ちゃんたちの反応が楽しみです。 少しは痛い目を見るんですね、ワクワク。
これはレティーナが前世持ちで優しい子だからこその広い視野と懐の深さでクルーゼスの境遇に共感して気持ちを慮ってくれていますが… 気持ちまで同じ熱量を求めるのは流石に欲張りすぎじゃんね…と思ったら妹ちゃ…
レティーナが完璧ではないけど、有能で周囲を気遣える素敵な女性ですごく好きです。 だからこそ、クルーゼス様は苦手かも。 王命という断れない絶対的な権力を背景にしながら、「自分は可哀想な目に遭ってきた」と…
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