第101話:英雄の帰還と、六千枚の負債
九月。二学期の始業式が行われた山口高等学校の体育館は、微かなざわめきと熱気に包まれていた。
壇上に立つ校長が、マイクに向かって咳払いをする。
「わが校の生徒が、先月の山口市での催事において、芸術活動で著しい成果を上げたことは喜ばしい限りである」
全校生徒の視線が、列の中にいる俺たちへ一斉に注がれるのを感じた。
「ただ、学生の本分はあくまで勉強である。それを忘れることのないように。特に三年生は、眼の前に受験が迫っている。決して浮つくことのないよう、日々の学業に邁進してもらいたい」
釘を刺すような訓示だったが、生徒たちの耳にはほとんど届いていないようだった。
式が終わった直後から、俺たち『beat less』のメンバーは、校内で完全にヒーローとヒロインの扱いを受けていた。
教室に戻ればクラスメイトたちが机を囲み、廊下を歩けば見知らぬ女子生徒たちからノートや色紙を差し出され、サインを求められる。進学校の無菌室のような日常に、あの大ホールの熱狂という決定的な非日常を持ち込んだのだ。彼らの興奮は当然の反応だった。
俺は表情を崩さず、差し出されたノートに淡々とペンを走らせながら、この熱気をいかに次の盤面へ繋ぐかだけを計算していた。
放課後。重い防音扉を開けて軽音部室に入ると、そこにはすでに後輩たち――『ハート・オブ・プリンセス』や『ワイルド・カード』の面々が集まっていた。
「アキラくん! 薫先輩!」
一年生の男子たちが、目を輝かせて駆け寄ってくる。
「市民会館のライブ、最高でした! 特に最後のお二人のギターパフォーマンス、痺れましたよ!」
「ああ。あれ、来年のTMFのステージで俺たちも絶対にやりますよ! 今からステップの練習しなくちゃ!」
興奮気味にギターを構えようとする一年生に、薫が呆れたようにため息をついた。
「あほ。パフォーマンスの前に、まずはまともに演奏できるようになってからだろ」
「分かってますよ! でも、あんなの反則級にカッコいいじゃないですか!」
俺はベースをスタンドに立てかけながら、彼らの熱狂を冷徹に分析した。
無理もない。彼らが知る音楽とは、譜面の指示に従って正確な音を紡ぐだけの『静の作業』だ。そこに肉体の衝動を乗せ、視覚的な暴力として空間を制圧していく俺たちのアプローチは、彼らの価値観を根本から焼き切る落雷として映ったはずだ。
「……ねえ、アキラくん」
部室の隅で、智ちゃんが冷ややかな声を上げた。
彼女の視線の先、スチール棚の一角には、荷造り紐で十字に固く縛られた巨大な紙の束が鎮座している。
「例のファンクラブの件、本当に作るの?」
「……いや。あれは市民会館の観客入れ替えをスムーズに行うために、適当な名目で誘導用の餌として考えただけですから」
俺が事もなげに答えると、智ちゃんのこめかみがピクリと引きつった。
「でも、立派な記入用紙まで作って配ったよね。お客さんに白紙で書かせるわけにはいかないからって。……あれ、亀山公園で回収した分だけで六千枚近くあるんだよ? 六千枚だよ! どうするのこれ!」
智ちゃんが、重さで棚板が軋んでいる紙の束を指差してキレかけた。
確かに、六千人分の個人情報と熱意が詰まった紙の束は、物理的な質量としてかなりの圧迫感がある。
「……木村さんに相談しますよ」
俺は迷わず、財団の若手職員である木村なおの圧倒的な事務処理能力を頼ることにした。大人が絡む実務は、大人のシステムに丸投げするのが一番効率がいい。
俺の即答に、智ちゃんは深く大きなため息をついた。
「ホントに、その場しのぎで何も考えてなかったのね。……薫くんみたい」
「あ!? なんでそこで俺が出てくるんだよ!」
突然とばっちりを受けた薫が声を荒らげる。
喧騒に包まれる部室の中で、俺は棚の上の六千枚の束を見つめた。
この紙の束は、俺たちの音が確実にこの街の連中を狂わせたという、何よりの証明だった。




