《二十四》香る煙中
その頃、法会の会場では。
「衍。何か連絡があったか。」
「いえ。」
靖王は衍に問うたが、新しい報告はない。
慧が執務室に入ったとの知らせは受け取っていたが、ずいぶん時間が経ってしまっている。
「――法会が始まる。」
高僧・澄玄が入場してくる。
靖王府の私兵が扮した弟子たちで周りを固めている。
「師父。」
「首尾はどうですかの。」
着席を介助するふりをしてそばに寄ると、澄玄はひそやかに靖王に話しかける。
「…まだ何も。入り込んだとの連絡はありました。」
「そうかね。」
そのとき。
笛の音が聞こえた。長く一回。
証拠品を見つけた合図。
「少しお待ちいただいても?」
「かまいませぬよ。」
澄玄は柔和な笑顔を見せた。
「…気になっておいでですか。」
衍はそっと問いかける。
靖王は頷き返し、しばらく目を伏せ耳を澄ました。
そして――短く二回。
「――計都が呼んでいる。」
身近に侍衛をつけてあり、建物外にも潜ませている。慧なら何とかするだろうが、何かあって大勢人を呼ばれたら厄介だ。
「見つかったようだ。――証拠も、寺の者にも。」
寺の者に見つかった場合は自分を呼ぶよう、慧には犬笛を与えてあった。
見つけたものを奪われてしまえばこれまでの調査もこの法会も意味をなくす。
「私が参ります。」
「いや。笛は俺にしか聞こえない。どこかに連れて行かれると追えなくなるだろう。」
「ですが、危険です。行ってはいけません。きっと計都は切り抜けられます。」
靖王は衍を押し留める。
「どのみち乗りかかった船だ。物証を手に入れなければ、いずれまたこちらにふりかかる。…この場を取り繕っておいてくれ。」
「若さま…。」
靖王は、手近の寺男に声をかけ、少し香に酔ったかもしれない、と外に出る。
「少しこのあたりを歩いていてよろしいか。」
「どうぞ、ごゆっくり。」
寺男から見えない位置まで来ると靖王は走り出した。
暗衛が付き従ってくるのを気配で感じる。
計都がいる場所は分かっている。
そう遠くはない。
法会の始まりを告げる音が聞こえてきた。
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少し時間は遡る。
慧は長く一回笛を吹いた。
もう一つの隠し扉側から恰幅のいい男が入ってくる。
「この部屋に何の用だ?」
この男には見覚えがある。
「…胡人の、男か女かわからん者が入り込んだ、と聞いたんだが。まさかこの部屋に入るとは。どこの鼠かね。」
「あなたは…。」
そう、この男は確か、明月楼の妓女・夜珠として呼ばれた宴に招かれていた。
「――軍器監少監※どの。ご無沙汰しております。」
「…お前は。」
男装しているから相手にはすぐわからなかったようだ。
慧はふっと笑い声を漏らした。
「お分かりにならないのも無理ありませんね。」
髪をかき上げ、その時見せた舞踊の一くさりを舞ってやる。
羽織っているのは寺男の衣、それを大袖がわりに使って。
舞と武術は共通するところがある。体格で劣る慧には、舞の素養は重要な武器になっている。
「…お前。あの時の妓女か。ここで何をしてる。」
「榛色の瞳の女を、お探しではありませんか。わざわざ馳せ参じたのですよ。」
「――何。」
少監は顔色を変え、怒鳴る。
「誰かある。賊だ。捕らえろ!」
バタバタと足音がし、何人かが部屋に踏み込んでくる。
「計都!大丈夫か。」
慧は振り返り、入り口を見張っていた侍衛に扉越しに怒鳴る。
「寺の者に見つかりました!こっちの部屋は妙な香が焚かれてます!入って来ないようにしてください。」
侍衛が外の仲間に知らせるため、口笛を吹いている間に、人が殺到して来る。
慧は首から下げた笛を探る。
(「これは俺にしか聞こえない笛だ。」)
靖王から笛を渡された時、言われた。
証拠を確保し、時間が稼げたらそれでいい。
助けを呼ぶためではなく、計画を完遂させるため必要だと思って使え。寺の者に見つかったら、すぐに短く二回吹け。
囮は囮だが連れて行かれては元も子もない、と。
靖王の指示の通り、短く二回、笛を吹く。
「なに、ただの女だ、難なく捕まえられるだろう。」
慧は鼻で笑う。
ずいぶんと舐められたものだ。
尼姿では衣に隠すしかなかった暗器は、既にいつもの場所にしのばせている。
手始めに少監とその側近をこの場に留めてやる。
「気をつけろ!暗器遣いだ!」
慧の舞にも似た動き、そこに隠された攻撃で部屋は混乱に陥る。
「計都!大丈夫か。こっちは任せろ。」
入り口側の隠し部屋の扉を見張っていた侍衛が怒鳴る。
「頼みます!」
慧も怒鳴り返す。
「その女は傷つけるな。せっかく飛び込んできてくれたのだからな。」
駆けつけた僧兵たちは、女?どれが?これ?と困惑した表情を浮かべつつも、さすがに訓練されていてそのまま押し寄せ、斬り込んでくる。
(傷つけるなと言われたんじゃないのかい。)
屈強だが動きは遅く恐れるに足りず。気づいた時には彼らは暗器の餌食である。
何人かを袖箭※で留め、
跳躍して一番どんくさそうな奴の胸元を蹴り上げ、
刀をかすめ取る。
鋭く刀を一閃、
横から来た屈強な男の斬撃を退け、
身体をひねって回転しつつ
後ろから来た男の胴を斬り払う。
ほとんど音をさせずにつま先から地面に降り、頬にまとわりついた髪を払う――。
怪しい寺とはいえ仏のおわすところである。慧には別に信仰心などないが、祈りの場を汚したくはない。流血なく倒したいところだが、残念ながら多勢に無勢で慧と侍衛の二人では無理な相談だ。
敵を排除しつつ味方の到着を待つ。
部屋の中は狭く、敵の数は多い。
香のせいで平衡感覚が狂わされている。
目のかすみが酷い。
殺生はしたくないので手加減しておこうと思っていたが、目の不調のせいで思うようにいかない。
いかに自分の戦闘が目に頼っているかよくわかる。
見えないことの不安が迫ってきて、みるみるうちに壁に追い詰められる。
大丈夫、切り抜けられる――。
そこへ新しく人影が両方の入り口からなだれ込んできた。
「若さま。」
「全員捕らえろ!」
新手かと肝が冷えたが、声でわかった。
靖王たちだった。
一気に寺の者たちが制圧される。
「…無事か。怪我はないか。」
「は。」
靖王の問いに、見張りの侍衛が無事だと答えるのが聞こえ、慧は小さく息をついた。
(助かった。)
「計都は。」
「奥に。」
慧は壁にもたれたまま崩れるように座り込む。
「計都?」
靖王は、ずかずかと直進してきたかと思うと、慧の前に膝をついたようだった。気づけば影がぼんやり見えるだけになっている。
「…殿下。」
と思うといきなり両頬を押さえられた。
「ぶっ…何ですか。」
眇めるようにしている目を、覗き込んでいる気配がある。
親指が軽く下まぶたを押し下げる。
「――お前、目をどうかしたのか。…香に何か?」
あたりを嗅いでみて気づいたらしい。
侍衛に窓を開けろと指示した。
「見えづらいだけです。」
「嘘言うな。ほとんど見えてないだろう。…立てるか。」
靖王は支えてくれたが足に力が入らない。
喉奥で笑う声が聞こえたかと思うと、ひょい、と慧を小脇に抱え歩き出す。
「どうしてこんなところまで直々にいらしたのです。法会は。」
小脇に抱えられたまま呆れてしまう。
犬笛でまさか靖王本人が来るとは思わなかった。
「他の者だと場所を変えられたら分からなくなる。向こうは師父と衍がうまくやってくれる。」
なるほど。
どうもお手を煩わせまして、というと靖王が覗き込んだ気配がした。
「殿下、計都とはいえ、女子にそんな扱いはいかがなものかと。」
この侍衛は普段は素知らぬふりだが、慧の正体に気づいていて、ひそめた声で靖王を諭した。
さすがにこれでは、豚や鶏を捕まえるみたいだからな。
「?ああ。…とっさにな。非常時ゆえ許せ。」
「はあっ?」
この侍衛は慧たちより十歳ほど年長でよく気がつく男である。
靖王府の侍衛たちも色々だ。聖旨まで出させて入り込んだ慧に、好意的な者ばかりではない。
影で何かと突っかかられ、殿下の余桃が※、などと嘲られる。
そんな事実はない上、言われたところで同性が受け取ったように衝撃があるわけではなく、それこそ、ほーん?という感じだが。
その中で彼はいつもさりげなく彼らを諭し、間に立ってくれている。
靖王も、全幅の信頼を寄せる男なのである。
「計都は閉め切った隠し部屋に四半刻近くいて、香煙にさらされていました。」
靖王は侍衛に向かって頷き、慧を抱え直して外に出る。
夕刻になり風は冷たくなっている。
「降ろしてください。歩けます。」
子供みたいできまり悪くなりそう言ってみるが、靖王はどこ吹く風だ。
「見えるようになるまでやめておけ。随分香煙を吸っただろ。あれは、長く吸うとしばらく身体に力が入らない。」
…確かに。
仕方なく大人しく抱えられている。
見えないのは少し不安だが、あとは靖王に任せておけばいいだろう。
「お前よく戦えたな。それでいて、しっかり急所は外してるのはさすがだ。」
寺で殺傷となると、また靖王が死の君として名高くなってしまうから。
英王の事件だって靖王側の陰謀では、という見方もないことはないのだ。これ以上、主の評判が悪くなるのは避けておきたい。
「まだ少し見えてはいたので。…この香をご存知で?」
「効きが良い者だと一日昏倒することもある。明日一日はおとなしくしておくんだな。」
危ないところだった。
ふと鳥肌が立つほど猛烈に不安になって尋ねる。
「見えないのって治ります?」
「…おりこうに寝てれば、治るんじゃないか。」
「…。」
だいたいこの男の指示でこうなったというのにふざけてるのか。
しかし見えない目で睨んでも効き目はなさそうである。
目が見えないのは慧にとって人一倍死活問題だというのに。
「寺の前の茶館に伯安を待機させてある。軍匠長も診せねばならないしな。先に診てもらえ。」
準備のいいことである。
「…お前たち暗衛は父上から預かっている大事な人員だが、あえて危険な任務をさせてしまった。どうしても必要なことだった。許せ。」
「殿下はいつも狡いですね。そう仰れば殿下を許せない配下などいるわけがない。」
だんだん腹が立ってきて、揺れを利用し頭突きしてやる。
重罪にならない程度に。
靖王はびくともしない。腹も立てない。
…つまらない。
「お前の言うとおりだな。」
「目が見えないのは到底許せませんね。…これでは何の役にも立ちませんし。」
ふん、と顔を背ける。
それはもちろん、伯安に急いで治療させる、と靖王は少し焦ったように言う。
「あとはどうしようか。」
慧は靖王の気配をうかがい、口元を笑ませた。
「…目さえ見えるようにしていただけたら、褒賞の割り増しで手を打ちましょう。軍器監で刀を作っていただく約束でしたけど、少府監で装飾してもらってください。それと巴克拉瓦が欲しいです。」
靖王はきょとんとする。
「巴克…??なんだそれは。美味いのか。」
聞いたことがないな、と笑った。
「巴克拉瓦。西域のおやつです。砕いた堅果と甘い蜜のかかった千層酥。ちゃんと乳酪と緑色の開心果を使ったのにしてください。」
「わかったわかった。」
靖王は危険な奴だと慧はまだ疑っている。
それがどうも困ったことに揺られていると眠たくなってきた。いまいましい香煙め。
「計都。一人で大丈夫か。」
耳元で靖王が声をひそめて聞く。
靖王の言う意味はわかる。
外に控える伯安とこの侍衛に自分を託すのだろうが、女は他にいないからだ。
信頼する者に預けてくれるのなら異論はない。
「眠いですけど意識がないわけではありませんし、ご心配なく。」
靖王は侍衛を呼ぶ。
「…俺はまだやることがある。お前たちは先に帰っておけ。ご苦労だった。」
「は。」
「伯安に計都を診せてから興嘉宮に戻れ。興嘉宮の門で計都を乳母と伯安の妹に引き渡し、世話させろ。」
靖王は奇妙に細かい指示を与え、寺門前の茶館に待たせていた伯安に計都を預けると、踵を返した。
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その後、戌の正刻。
軍匠長の引き渡しは西市の茶荘で、との約束である。まず現れたのは壮年の男。
思遠が張り付かせていた配下によると、彼は弩坊署丞※。試射の夜に、軍器監の官衙を狙わせた下級官吏。
少し遅れてもう一人、中年の男が現れた。
軍匠長は木箱に横たわり意識のないふりをし、胡人の風貌を持つ思遠が自ら引き渡し役となった。
彼らが現れるのを待って、軍匠長を引き渡した瞬間、一気に網を引き絞るかのように取り囲み捕らえる。
そこへ突然、空を切り裂くような音がし、中年の男が倒れた。
見ると矢が喉に深々と刺さっている。
はっと振り返ると人影が奥に引っ込むのが見えた。
「追え!逃がすな!」
敵に警戒されていたのか、向かいの建物の窓から狙われたようだ。
だが誰に。
妓楼と寺の主要な事件関係者の身柄は押さえたはずだった。包囲に問題はなかったはずで、そのわずかな隙を狙うとは。相当の手練れだ。
夕刻から妙な胸騒ぎがしていたが、伯安は崇善寺の方は問題ないと言っていた。集中力を欠いていたわけではない。
「くそ…しまった。」
できることはやっていたからこそ悔しい。
男はほんのしばらく喉から空気が細く抜けるような音をさせていたが、ついに絶命してしまったらしい。
弩坊署丞は、とっさに近くにいた思遠が引き倒して無事だった。それは救いだ。
思遠はその場で男の身と矢を改めたが、身元は確認できなかった。
そして同じ頃。
崇善寺――異教寺では慧の手に入れた物証が精査され、少監の関与は決定的なものとなった。
法会の終了後、密かに崇善寺の関係者を講堂に閉じ込めていた。少監ら、事件への関与を強く疑われる者たちが順次、詔獄や大理寺に移送されていく。
また、境内を捜索させると、門の屋根の上で掖庭宮※の腰佩が三つ見つかった。
掖庭宮内を探させても持ち主の所在は確認できなかった。さらには掖庭宮の宮女ではあるが、現所属の部署の記録はない、ということも判明した。そのため、戻ってきていないことが把握されにくかったのだろうか。
そもそも三人の出入りは記録されていなかった。管理がずさんなのか、それとも何か別の理由があるのか。
それに、なぜこのようなものが寺の屋根の上に?
靖王は不思議に思い、すぐに以前、夜珠を誘拐しようとした三人の頭巾の女たちに思い至る。慧を囮に執務室に入り込ませる糸口となった女たち。
彼女たちの絵姿を、念のため掖庭宮で照会させた。
結果、腰佩の持ち主の宮女三人に間違いないことが判明した。
彼女らはかつて、ある中級妃の宮に所属していたが後宮内で負傷し、後遺症が残ったため、掖庭宮に移されていたことが分かった。
靖王は宮内にある彼女らの宿舎を捜索させたが、特に手がかりになりそうなものは出なかった。
――何故彼女らは榛色の瞳の女をさらおうとしたのだろうか。
※軍器監少監
軍器監の次官。従五品下、あたり。
※袖箭 しゅうせん
暗器の一種。そでの中に隠しておき,ばね仕掛けで矢を発射する昔の武器。
『コトバンク』
※余桃 よとう
男色相手の、気まぐれな寵愛を受ける美少年の事を指している。
原典は『韓非子「説難篇」』「余桃の罪」。
※弩坊署 どぼうしょ
軍器監の下部機関で、武器の製造を管掌する部署。
武器、その他の物品の出納、職人の受け入れと分配を担当し、生産を監督し、生産物を選別する。
『百度百科』より要約
※弩坊署丞 どぼうしょじょう
軍器監の下部機関・弩坊署の次官。従九品下、あたり。
※掖庭宮 えきていきゅう
宮城の西にある旧後宮。




