《七》佩剣
翌朝、霊泉宮の客殿に関係者が集まった。
英王は前日より元気そうな顔を見せ席についている。
「飯が美味い、と久々におっしゃって。早餐のお粥を三杯おかわりなさったわ。この状態が続くといいわね。」
英王の妃・掩月も悪戯っぽい笑顔でそう教えてくれた。
靖王は集った皆を見回して頷く。
中央奥正面に英王、靖王、その左右に掩月。当時親衛隊として皇子たちに付き従っていた己衡、己衍の兄弟、武徳司の巡検隊に籍を置く思遠、実際に崖の上から狙撃の伏兵を見、負傷した英王の応急処置をした慧。そして英王の侍医・田太医、靖王の侍医・伯安、それから薬剤に詳しい、姜䪭。
私的な集まりではあるが、この顔ぶれだけ見ても、事件の重みが感じられた。
「当時のことを思い出し、違和感や、分かることがあれば自由に発言してもらいたい。四年以上経っているが、これだけ集まれば何か見えてくるものがあると、私は信じている。」
慧は少しの間、過去を振り返る。
英王の生母の徳妃一族の関与が疑われ処分された皇子狙撃事件。
あの時のことはまだ、よく覚えている。
狙われた靖王を庇った第二皇子・英王が銃撃を受け、腕を失うことになった―――瀚黎国との戦の混乱の中それは起こった。
ーーーーー
【四年前、夕照の戦場】
陽を背に慧は馬のたてがみに顔をぴったり埋めるほど近づけて、射掛けた矢に追いつく勢いで崖を駆け下り、敵の元まで一気に駆け抜ける。こんな崖から降りてくるはずがないと、驚き隊列を崩した敵が矢を射返してくる頃には間合いを詰めている。
戦場が一気に混沌となる―――
金河の対岸、湾曲する丘陵に潜んでいた伏兵。
駆け下りる最中に聞こえた銃声二発、目の前で禁軍が総崩れになっていた。
将の一人――後に英王と知る人物が、撃たれたようだ。
妙だなと感じはするが騎馬や歩兵の渦の中に馬を駆って飛び込んだ―――。
伏兵のいたあたり、硝煙らしきものと英王の位置を目測しつつ、国内や周辺国の軍装備である火縄銃と比べ射程距離が相当あることを再確認した。
慧は嫌な予感を覚えつつ、襲撃者を制圧しようとする一団と離れ英王を探す。
「あそこか。」
騎馬と歩兵とが入り乱れる戦場の中心に、腕から血を流す英王と、この場に不釣り合いなほど幼い、少年。
英王を守るように付き従い、号令をかけながら、敵を切り捨て後退しようとしている。
よく見れば鎧は通常の兵とは違う、貴人の着用する山文甲だ。
副官を務めているのだろうか。
慧も敵を排除しながら彼らに追いつくべく、馬を急がせる。
「お前は。」
「武徳司巡検の者です!」
腰牌を掲げてみせる。自分の容貌では異民族、敵と誤認されやすい。
副官の少年は頷いた。
「助勢、感謝する!!」
目の前の敵を斬って捨て、英王の馬に自馬上からそのまま乗り移る。
「ご無礼お許しください。」
首巾を上腕に巻き付け止血し、創部の様子を確認する。
挫滅が少なく今まで見た創縁よりきれいだ。弾は貫通していない。
動脈は傷ついていないようだが、上腕に止血帯を施したにもかかわらず出血が多い。
「手綱を!代わります。」
手巾を傷口に当てて叫ぶ。懐にもう一枚清潔な手巾があってよかった。
武人であれば多少の怪我では倒れないよう訓練されているだろうが、いかんせん出血が酷かった。
その中、三発目のくぐもった銃声。見た感じ近くの着弾した様子は――ない。ほどなく伏兵がいたあたりから狼煙が上がる。排除完了の知らせだ。
「敵はお任せを。ここをぐっと押さえていてください!止血のためです。」
頷く英王の手から手綱を取り思いきり拍車をかける。後ろに座ると前が見えづらいが、馬を操り敵を排除しつつ、両手が使えない彼が落馬しないようにせねばならない。
副官の少年が斬り結びながら声を掛けてきた。
「兄上を本陣に頼む!!ここは我らでなんとかする。」
兄上と呼ぶのであれば、この少年は第四皇子、靖王だ。
「段丘の伏兵は始末済みです。…殿下と渡河して右岸沿いに本陣に戻ります。」
「後を追う。気をつけて戻れ。――己衡、お前たち英王府の侍衛は兄上を守って先に戻れ!」
向かってくる騎馬を払いながら河の方へ向かう。
「はっ。ご武運を!」
「西を空けろ。そちらへ追い込め!」
靖王は兵らに隊列を整えさせ、空けた退路に殺到する瀚黎軍に対し火器兵に一斉射撃を命じる。
それを見届けて、渡河し右岸へ出ると、瀚黎の軍装の伏兵がぽつぽつと倒れている。
平地の広がるあたりから南東に馬を駆けさせると、ほどなく禁軍本陣が見えてきた。
「殿下、本陣はもう見えて参りましたよ。二人乗せてもよく走ってくれるいい馬ですね。」
慧は英王に励ますように声をかける。
それからまもなく禁軍本陣にたどり着いた。
「よくここまで連れ帰ってくれた。…礼を言う。」
「当然のことにございます。どうぞお楽に。」
慧は何と伝えればいいか考える。
「…傷はおそらく切開手術になるかと。」
「…ああ。」
侍衛が英王に鎮痛薬を飲ませているのを横目に、技術のある医官がいればいいがと嫌な予感がした。
「ひとまずお休みください。手術までおそばにおります。」
しばし後、医官たちは手術を行う天幕に英王を運び入れるよう武官たちに言った。
そこに、靖王が帰陣した。
彼は運ばれていく兄に追いすがって泣いていた。
自分より幾分背が低いが同い年くらいか――そう、確か一つ上だったはず。
貴人の顔を見つめる事は無礼だと教えられてはいるが、慧はつい、ぽかんと見入ってしまった。
こんな砂埃と血にまみれた殺伐としたところに不似合いな、綺麗な顔。
長い睫毛で影ができた頬が涙で濡れている。
「おんなのこ...?」
思わず呟いた声が耳に入ったのだろう、靖王と侍衛がこちらを向いた。
仲間がいる、と思ってしまったのだ。
今、口にすべきことでは絶対ない。
慧は自分の発してしまった言葉にぎょっとして、慌てて叩頭の礼をとる。
「このようなときに大変ご無礼を申し上げ…。」
彼はまだ目に涙を溜めているのに少し笑い、咎めなかった。
「よい。立て。…言われ慣れている。気にするな。」
声変わりしかけの声。そうだ、夕刻戦場で別れるときも言葉を交わしたのに。
「…寛容なお言葉感謝いたします。」
「兄上を助けて戻った者だな。あの混乱の中、ここまでよく連れ帰ってくれた。礼を申す。…状況は。」
こちらの無礼を咎めもせず、さらに礼まで言われるとは。どうやら彼は、見た目の年齢より、ずっと大人であろうとしているらしい。
ーーーーー
【現在、霊泉宮客殿】
慧は話しながら過去に意識が囚われているのを感じ、そこで一旦言葉を切る。
大廳は静寂で満ちている。
誰も口を開かない中、兄上――と靖王が呼びかけた。
「…負傷なさったので覚えていらっしゃらないかもしれませんが、何か違和感を感じませんでしたか。」
「音が違うとは感じた。一発目は火縄銃に似た重い音、二発目はもっと鋭い音がした。感じた瞬間、撃たれたわけだが。」
「ええ…。己衡はどうだ。」
「殿下に同じく。低い音と鋭い音の違いは感じました。そして三発目は音がくぐもっていて、近くに着弾した様子がありませんでした。」
「…お前はどう思った。」
靖王は慧の方を見る。
「…一発目は遠雷のように谷に重く響く音、二発目は切り裂くように鋭い音と記憶しています。三発目については己さまと同じに感じました。直後に狼煙を確認しています。」
「衍と私にも音は種類が違うように思われた。一発目は通常の火縄銃らしい重い音、二発目は矢のような、より直進性を持った鋭い音だ。三発目は同じく、くぐもっていて着弾は確認できず…現場にいた我々の意見をまとめると全員一致で音の違いを感じたということですね。」
英王は頷く。
「…一発目は足止めさせるためで、しっかり狙うつもりがなかったと思える。瑾の近くに着弾させる、という程度の狙いだ。」
「しかし二発目は私を庇う兄上の行動を見越したかのように、馬を回り込ませるのを待って、放たれた。…複数の射手がいたなら同時に撃つのがこれまでの戦の定石だ。」
掩月は血の気を失った顔でじっと聞いている。
おそらく、彼女も当時のことを聞くのは初めてなのだ。
「あえて時間差で撃った意味は、必ずある。」
靖王は厳しい顔で皆を見回す。
「どちらかの暗殺を狙った可能性は大だ。だが私は生き延びることができた。…負傷してからしばらくのことはあまり覚えていないが、腕は痛み以外の感覚がなく、動かすことが出来ず、もしやと頭をよぎった。」
英王は静かな顔でそう言った。
「とにかくまず圧迫などで出血を抑えることが大事です。まずは命を繋がなくては。」
伯安は慧の方を見て、よくやったというように何度も頷く。
「…その日、軍営内の医官たちの天幕で火災が。薬剤の備蓄が焼け、消し止めようとした医官長はじめ数人が火傷を負いましたが、原因は分かっていません。ただ人員が薄くなる時間はあり、出火の少し前に医官の衣を着た、見かけない顔の者の出入りがあった、と。追ったそうですが見失ったそうです。」
軍営は将軍が出撃しているときでもそれなりの人数が残っている。人一人紛れるのは実はそう難しくはない。
「あまりに時機が合いすぎるな。特徴は。」
英王が問い、衍が答える。
「その者の特徴は…頭巾を被っていましたが、逃げるところでそれが脱げ、編んだ髪が後に垂らされていた、といいます。額には布が巻かれていたようで一部左目を覆っていたと。目に問題があるのかだらしないだけか不明ですが。」
亮人は仕事など公の場では髪を結い冠をつけるか幞頭などを被っている。
そういう場でも髪を編んで垂らしているのは武侠の世界に生きる者、無頼の者、西や北の異民族だ。
だがそれ以上何も分からない。
「そういう状況で、通常であれば執刀する医官らが、重い火傷を負ってしまい…。一報を受けてすぐ、後方にいた私が遣わされました。」
伯安は外科が専門で戦傷に詳しいと聞いた。
――慧はまた当時の記憶を遡る。
ーーーーー
【再び、四年前、禁軍本陣】
慧は靖王に医療部隊の現状を伝えた。
靖王の表情がさらに曇る。
「後方の医官が間もなく到着予定とのことです。」
「わかった。良くない状況だな。だがひとまず兄を助けてくれたことに感謝する。」
「いえ…。遅参し、申し訳ございません。」
慌てて跪き拱手すると、立て、と言われる。
「いいように吊り込まれてずいぶん先まで来てしまった。瀚黎国軍本隊の妨害にも遭ったろう。こちらの算の甘さだ。」
「そのような…。」
「いや。俺達が甘かったのだ。」
少年は唇をかみしめた。
「…あの。よろしければこちらをお使いください。」
涙を気にもせず続けようとする。
目のあたりを示しながら、手巾を差し出す。ちゃんときれいなやつだ。
彼はきょとんとすると、ああ、と恥ずかしくなったのか小さく笑い手巾を受け取った。
「ありがとう。」
その笑顔につりこまれ、話してみてもよいだろうか、と思ってしまった。
「恐れながら、気になったことを申し上げてもよろしいでしょうか。」
「言ってみろ。」
下手に関わってまずい立場に置かれるのはごめんだが、彼は合理的な性格であるらしい。とるに足らない者の話にも耳を傾けてくれるとは。
ならばとひとまず英王の傷の様子を伝える。
傷が小さいのなら良いではないかと言われるならそれまで。
「何…?」
「いずれにせよ切開して弾の摘出は必要だろう、とのことにございました。」
体内に弾が残っても薬で鉛毒は抑えられるが長期にわたってではない。
「…簡単に言ってくれる。」
「申し訳ございません。」
「…いや、仕方ない。医官がそう言うならそうなのだろう…感情的になっている。許せ。」
慧は、動揺なさるのは当然です、と首を振った。
「現場の捜索を伏兵を排除した隊が担っております。報告をお待ちを。」
靖王はうなずくと、何か探る素振りのあとに、佩剣を差し出した。
「殿下、それは守り刀では…。」
「衍、いいんだ。」
侍衛が窘めるように声を上げたが、彼は首を振る。
「これをやる。武人なら玉などよりいいだろう。抜いてみろ。」
「大切なものなのではありませんか。」
「構わぬ。」
手渡されたそれを押し戴いてから鞘を払う。
「素晴らしい剣です。」
柄に入った紋はおそらく靖王のもの、波濤のような美しい沸※、装飾はあるが、実用として丹念に鍛えられたさすがの品だ。皇子が持つにふさわしい。
「当然のことをしただけでございますが、ありがたく頂戴いたします。」
彼はうん、と頷いた。
「お前、名はなんという?」
「…薛です。」
覚えておこう、と靖王は笑った。
「薛。世話になった。…隊に戻れ。」
それが四年前、慧が最後に彼――靖王と交わした言葉だった。
※沸
刃文に現れる粒子のうち、肉眼で識別できる大きさの白い結晶のこと。刀剣に現れる刃文のなかでも、沸の強い刃文のことを「沸出来」(にえでき)と呼ぶ。
『刀剣ワールド』




