《十》胡旋舞
「城内で榛色の瞳の女が複数行方をくらますという事件が起こっているようです。」
先日側近に話のついでに、奇妙な話がある、と聞かされた。
「榛色…?胡人なのか?それともお前のような?」
「ええ。胡人を祖に持つ亮人のようですね。本籍は何も镹安県です。」
晩秋からすでに三人。
治安を維持する武徳司の部隊や刑部が追っているが手掛かりはほとんどないようだ。
分かっている共通点は、『榛色の瞳』と周囲をうかがう『頭巾の女』たち。
目的も行方も不明。
一人は二十二と若くして寡婦、一人は二十、既婚で子あり、最後の一人は、十五になったばかりの官吏の庶出の娘。十五の娘以外の二人は裕福な家の妻や娘ではない。
瞳の色以外を考えるとどうも無差別のようだ。
そういえば、と猛禽のような光を放つ瞳を思い浮かべる。
『榛色の瞳』の女は知り合いに一人いる。忠告をしておいたほうがよいだろうか。
数日後。
四郎を明月楼に連れてきて代わりをやれ、と言ったのは三郎―――異母兄だ。
考えたくはないが謀略の場合もある。そういう世界に自分は生きている。
兄曰く、こちらは依頼する側、夜珠や妓楼の者は受ける側、とのことだったが念のため別口で調べさせ、父からも確認が取れ裏は取れた。
なぜこんなことに巻き込まれる羽目になったのか納得はいかないが、ちょっと面白くもなってきている。
間諜だと聞いたが、夜珠は妙だった。
潜入の日までに、楽と舞を合わせるために一度、奏者たちと集まる機会があった。
茶を出してくれた時に、夜珠の手に胼胝があることに気づいたのだ。
(琴のせいだろうか。…いや。指先だけではなく手のひらにもある。琴でこんなところに胼胝ができるか――)
何度も破れて硬くなったのだろうそれは、長年何らかの訓練をしていたのではないかと思わせる。
気になってみれば目立たないところに細かい切創のような跡も。
そういえば、触れれば手首を落とす、とか兄が言っていた。それには――ある程度以上の技術が必要になる、と思い至る。
偽装としても書寓という立場、見た目に目をくらまされていたが、やはり、
―――武術の心得があるはず。
従軍する、という三郎の言葉がやっと腑に落ちた。
まあ、間諜であれば危ない場面を切り抜けなくてはならないことも多々あるのだ。
四郎は一定の納得をしたが何かがまだ引っかかっていた。
それならば、側近から聞いた拐かし※があったとして対処出来るだろうか?
どうにも側近の話が気になってしまっていたらしい。
本人には顔を合わせたついでに話しておいたが、気にもとめない様子だった。
(余計なお世話だっただろうか。)
そして今、自分は康府――康大理寺卿の屋敷に潜り込んでいる。
二胡を弾くため琵琶や鼓、箜篌※など他の奏者と出番を待っているところだ。西域の異民族風に髪を編み、前髪を真ん中に寄せ、目を隠すようにして、これも西域風の揃いの衣を着る。出来るだけ背を屈めるようにし、一応変装とする。
誰も互いに素性を知らない集まりなのが不思議だ。
夜珠が宴で披露する胡旋舞は交易都市の沙蘭あたりから伝わった西域の舞である。昔、おおいに流行し、異民族の多い西市の妓楼などではすっかり定着した。
かつてこの舞の名手に国が滅ぼされかけたことがあった。新年を祝う宴にあまり縁起がいいとは言えなかったが、先祖は西域の国の王だったというその高官の好み、加えて客の高官にも長らく西に遣わされていた者がいるから、やはりお誂え向きの演目なのだろう。
今宵は高官達の交友関係、特に西域の者がどのぐらい入り込んでいるか探れということだった。おそらく今回上は収穫に大して期待はしていない。ただ見てこい、ということだ。
夜珠は早くに準備して来て、舞いの動きの確認をしている。
先日より、ずっと華やかな衣装を着、その青みがかった榛色の瞳が引き立つような、あでやかな化粧を施してある。
頭頂には大きく髷を作って玉飾りのついた髪帯を結わえ、額には小さく輪のように髷を。亮国風に異国情緒を加えた複雑な髪型だ。
胡旋舞は露出の多い衣装で舞われることが多いようだが、夜珠は立ち襟の窄袖※に、半袖で方襟の西域風にも見えるしっかりした生地の深衣※を纏っている。
その深衣は一見、方襟半袖の背子※と、裙※に分かれているように見えるのだが、胸の下から腰の部分まで紗になっていて、短めの不規則な裾までつながっている。
襟から腰までは不対象な位置に刺繍が一条、施されて、柔らかな素材の幅広帯と帯紐は低い位置で結ぶようになっている。
身体をひねって深衣の裾とその下に着けた裳が翻ると、膝下から足首まで細身に絞った袴をつけているのが見えた。
腰には金の繊細な鎖を連ねた飾りが下がっている。
窄袖の袖に、所々に縫い付けられた帔帛※にも文様のある帯紐にも、金糸が入っていた。
動きの確認のためだろう、手足をゆっくりと動かすたびにその金色がさざめき、小さな鈴がしゃらんと鳴る。
彼女の動きと共に、すっきりした中に甘い、花や菓子の様な香が運ばれてきて、鼻をくすぐった。先日と香の調合を変えたのだろうか。今日は随分と甘みを増して伝わってくる。
一旦控室あてがわれた部屋に戻ったあと、ほどなく宴会の会場である広間に案内される。
屋敷内のしつらえは、文人趣味。
高潔な印象の調度や書画、西方のものもあるが落ち着いた雰囲気のもので上手く合わせてある。
それなりに値が張るだろうが成金趣味でなく、好感を持った。
上座に座っている男達のうちの白い髭の男が康大理寺卿だ。
客は右丞相、中書令、そして刑部、御史台、大理寺の三法司の高官が主だ、と聞いている。
これだけ高官が集まっている宴もそうそうない。都の官人や文人の多くが招かれたいと思っていることだろう。
楽団用の席につき、二胡の上下の琴軸を調整する。自分のものではなく妓楼にあった借り物だ。
夜珠が奏者たちの準備ができたのを見計らい、客の前に進み礼をとる。
あくまで余興だから注目している者はそれほど多くない。
それなのに。
部屋の中央で、高く掲げた腕を少し傾け手首から下がった帔帛の影で目を伏せて、楽のはじまりを待つ。その瞬間、彼女はその場を支配した。
先日感じた圧倒的な存在感、覇気のようなもの。
一曲目は伝統的な舞踊で、少し物哀しい調子から明るく変化していく曲だ。
夜珠は背が高い。ゆったりした動きは手足の長さを引き立てている。
そして豊かな表情。
明るい調子に変わる所で引き込まれるような表情を浮かべて舞う。
この曲は大して長くなく鈴の音と帔帛の動きに余韻を残して終えたが、いつの間にか高官達だけでなく、給仕する侍女たちも瞳を潤ませ頬を染めて、ため息をついているのだ。
気になったのは、いかにも西域の者という風貌の者たちが夜珠の顔を見てざわめき出したことだ。
正確には、顔というよりその瞳の色に、のようだった。
二曲目が胡旋舞だ。
子供の頃、名の通り旋回が含まれる踊りなのだと思い何回回れるか数えていたら、想像以上に回転が多く目を回したことがある。
今回の夜珠の舞はその時以上だ。
それだけ回って跳躍しても息は上がっていない。
姿勢を少しずつ変えながら急激に速い回転が加えられる動きが随所にある。
そのたびに夜珠の袖につけられた帔帛や裙が野生味ある生き物のようにしなやかに添っていく。
回るたび表情を変え、万華鏡のように様々に模様をつくりながら夜珠は舞う。
音楽も舞踊に合わせた西域のもので、独特の拍子を取り、慣れない奏法で簡単ではない。
だから集中しなければならない。
それなのに、舞う夜珠から目が離せなかった。
――――――
舞は終わり、夜珠は挨拶も兼ねて、上座へ近づく。
屋敷の主、大理寺卿と主客の右丞相の元に向かって、優雅に跪き礼をとる。
「ああ、夜珠。立つがいい。素晴らしい舞いだった。」
「今宵はこのような場で披露の栄を賜り、ありがとうございます。」
「…非常に美しい舞いでした。」
右丞相は満足そうに言った。
彼は北国公家の当主で、右丞相として実権も持つ皇后の実弟である。
とはいえ権勢を振るうこともなく淡々としていて、自分より位が低い者に対しても丁寧だ。
「侍女たちもうっとりしていましたね。同性をも虜にするとは驚きます。」
確かに不思議に性別を感じさせない舞だった。
しなやかなのに色香を振りまいているわけではない、凛々しいが雄々しく荒々しいわけでもない。
「…姒右丞相はお若い頃西域に遣わされていらっしゃいましたね。この夜珠は西域育ちでして。懐かしい話ができるのではないでしょうか。」
大理寺卿は髭を撫でながら自分より若い右丞相に満面の笑みを向け話しかけた。少し怯えているように見えなくもない。
他の三法司の高官も同様だ。おもねるような表情。当然だが。
「そうなのですか。いや、ここでまた懐かしい西域の話が皆様とできるのはうれしいですな。」
右丞相は屈託なく、興味を引かれたようで少し夜珠と話すことにしたようだった。
四郎はふと、夜珠の部屋の青い玻璃の水滴と文鎮を思い出した。
だからか。
※拐かし
誘拐のこと。
※箜篌
ハープのような楽器
※窄袖
袖のすぼまった上衣
※深衣
上下一体になった衣
※裙
スカート状の下衣
※帔帛
ひれ、肩掛けのショールのような布。




