エピローグ こんにちは。
繁華街の奥の、古い中華料理屋の前。
「いいじゃん、だから一緒に行こうよぉ」
「結構です」
俺が馴れ馴れしく肩を抱こうとするのを、制服姿の女の子はさりげなく前に出ることですかした。
「ほら、待って待って」
そのまま女の子が行ってしまおうとするのを、N斗が前に立つことで遮る。
よし、ナイスコンビネーション。練習の成果が出てる。
「ね、俺らと一緒に遊ぼ」
N斗の誘い方は、なんかアイドルみたいであんまりガラが悪くない。
それがずっと気になっていて時々注意もするんだが、やっぱりこういうとっさのときには素が出てしまう。
まあいい。そういうのは、今日はいったん置いておく。
「そうそう。今までの人生で味わったことのない、最高の忘れられない体験、させてやるからさぁ」
俺が懲りずに女の子の肩を抱こうとしたとき。
「ああ、もう! めんどくさい!」
女の子が叫んで、さっと屈んだ。
と思ったら、スカートがまくり上がるのも気にせずに、なんと頭を逆さにして倒立してしまった。
「え、ええっ!?」
俺とN斗は目を丸くする。女の子のスカートの中は、黒のスパッツだった。そりゃそうか。
次の瞬間、倒立したままの女の子の長い足が唸りを上げた。
「へ?」
ぽかんとする俺の顎を、足が蹴り飛ばす。
「げふっ!」
「せ、先輩!」
慌てるN斗の顎も、俺と同じように蹴り上げられる。
「んがぐっ!」
ぶっ倒れた俺たち二人を尻目に、女の子は立ち上がると制服の埃をぱっぱっと手で払って歩き去っていく。
いてえ……何だ、あれ。
女の子が去った後、ガタイのいいロン毛のおっさんが現れた。
「今のカポエイラは……まさか」
そう呟いて、女の子の後を追っていく。
あ、俺らが食らったあれって、カポエイラなのね。ブラジルの伝統的格闘技。初めて食らったわ。
しばらく地面に転がって呻いていると、物語の世界を抜けた感覚があった。
「あー、いてえ」
顎を押さえて立ち上がる。
「ヤバかったっすね」
N斗も頭を振りながら立ち上がった。
「思いっきりもらっちゃいました」
「おう。格闘系の小説なのかな? ああいうの、結構いきなり来るから気を付けろよ」
「はい」
N斗は素直に頷く。
まあ素直なのはいいんだけど、仕事の時はもうちょっと粗暴モブっぽくさあ……などとつい言いたくなるのだが、ぐっと我慢。
N斗はまだ二十歳になったばかりだ。ナンパモブのコツは、これから覚えていくだろう。
「今日、これで仕事終わりでしたよね」
N斗は言った。
「どうしますか、これから……あ、そうか」
俺の顔を見て、N斗はにこりと笑った。
「そうか。先輩、今日はその日でしたね」
「おう」
「どんな結果になったか、今度俺にも教えてください」
「教えねえよ」
俺は苦笑いする。
「じゃあな。報告は俺がやっとくから」
「ありがとうございます!」
そういうところでも遠慮しない。ほんとに素直だぜ。
現場でN斗と別れて、スマホを取り出す。メッセージが一件入っていた。
アイビーからだった。
この前、あいつの開いたネイルサロンに顔を出した時のお礼だった。
その時一緒に撮った写真が添付されていて、今度飲もうね、と書かれていた。
アイビー、いい顔になったな。
メッセージを返してから、モビーのアプリを起動する。
モビー星人がアイソレーションしながら、「め・ん・て・な・ん・す❤」とか言っている。むかつく。
仕方なく、俺は会社に電話をかけた。
「はい、皆さまの物語を底から支えて三十年、信頼と実績のモブ派遣、株式会社モビーでございます」
うるせえよ。
「寺井君、B介だけど」
「あ、B介さんお疲れ様です!」
「あのね、内部回線でいちいちキャッチコピー言いながら電話に出なくていいから」
「あ、これ内部回線でしたか!」
「まあいいんだけどね。ええと、今日の仕事終わったよ。アプリ、メンテナンス中だったから電話した」
「そうなんですよ、今アプリ使えなくて困ってるんです」
寺井君は憐れっぽい声を出した。
「お疲れ様でした。カポエイラ少女のナンパの件ですよね、了解です。あ、そうだ。B介さん、これから時間ありますか? 実は飛び込みで一件入ってしまって」
「ごめん、寺井君」
俺は言った。
「今日は、大事な日だから」
「……ああ、そうでしたね」
寺井君が電話の向こうで微笑んでいるのが分かる。
「そうでした、そうでした。今の話、忘れてください」
「大丈夫かい? 誰か頼めそう?」
「F男さんかG美さんにお願いしてみます」
「え? あの人たち受けてくれる?」
「大丈夫です、ヒロキ事件から僕、皆さんに一目置かれるようになったみたいで。格段に仕事がしやすくなりましたから」
「そっか」
「はい。ですから今日は何の気兼ねもなく行ってきてください。……あ、はい。森井さんからも、どうぞよろしくと」
「うん。ありがとう。行ってくるよ」
俺は電話を切った。寺井君もすっかり頼もしくなった。
と思ったら、また電話が鳴った。
A太からだった。
「もしもし」
「おう、B介! いよいよ今日だな! 頑張れよ!」
「お前、わざわざそれで電話してくれたの」
「当たり前だろうが。お前は俺の相棒なんだからよ」
「ああ。ありがとよ」
「どうよ、N斗は」
「あー、まあ……あと少しかな」
俺は苦笑いする。
「なかなか、お前とやってる時のようにはいかねえよ」
「そうだろそうだろ」
A太はなぜか満足そうだ。
「明後日は俺とナンパ入ってたよな。熟練のコンビネーションを見せてやろうぜ」
「おう」
A太とのナンパは久しぶりだ。楽しみだな。
「お前の方はどうよ。冒険者ギルドの受付前」
「順調、順調」
A太は明るく言った。
「チャーリーさんにもこの前褒められたんだぜ、絡み方がうざくて最高って。お前にも、いつでもやり方教えてやるからよ」
「機会があったらな」
「そうだ。今日うまくいったらさ、今度キュージーと一緒に四人で飲みに行くか?」
「ああ、いいな」
「……ちょっと先走ったな。悪い」
A太は口調を改めた。
「頑張れよ、B介」
「おう。ありがとな」
「じゃあ、また」
「おう」
電話を切る。
ユキシマ事件以来の巨大闇堕ち事件と言われる、ヒロキ事件。
あれからもう、一年が経っていた。
その間に、俺の周りではいろんな変化があった。
A太は異世界での冒険者ギルド受付前の仕事を始め、ついでにそこで給仕のモブをやっていたキュージーって呼ばれてる女の子と親しくなって、付き合い始めた。
彼女目当てにそっちの仕事ばかりに行くもんだから、必然的にナンパモブの回数は減った。
それで俺は、ナンパモブを始めたばかりの新人のN斗と組まされることが多くなった。
最初はヒロインを本気で口説こうとするわ、振られたら本気で泣き出すわ、とんでもない後輩だったが、最近はようやく様になってきた。
N斗のほうでも、俺を先輩なんて呼んで慕ってくれている。
あいつが一人前になる頃には、俺も次の身の振り方を考えなきゃいけないんだろうな。
A太と同じ異世界系も悪くないが、ジュンさんからは制服モブに、羊さんからは執事モブに誘われている。
そこは、これからじっくりと考えるとして。
今日の俺には、大事な大事な用件があるのだ。
俺は駅前へと向かっていた。
ヒロキ事件のあの日から、梨夏ちゃんとの連絡は取れなくなった。
もちろん、彼女の物語からモブの派遣依頼が来ることもない。
俺は、その日から毎日、梨夏ちゃんの電話番号に電話をかけた。
通じることはなかったけど、毎日電話をかけ続けた。
繋がることのない電話番号へのコール。いつの間にか、それは俺の日課になっていた。
そして三日前。
ちょうど、ヒロキ事件から一年経った日。
待ち焦がれていたその日は、突然に訪れた。
「もしもしっ」
電話の向こうで、梨夏ちゃんの声が弾けていた。
「さつきさんですかっ」
「ああ、俺だよ! 梨夏ちゃん!?」
「はい、梨夏です!!」
梨夏ちゃんはもう涙声だった。多分、俺も。
そう。電話が通じたということは。
梨夏ちゃんの物語が、エタったのだ。
作者さんは本当に梨夏ちゃんの物語の続きを書かなかった。
それでもヒロキ事件のときの執筆の熱量のせいか、エタるまでに一年を要した。
「俺、毎日電話してたんだよ」
「私もです」
積もる話はたくさんあった。でもとりあえず俺たちは待ち合わせをした。
三日後に、初めて俺たちが出会った駅前で。
俺はすぐにでも会いたかったんだけど、梨夏ちゃんがさつきさんに会うなら美容院に行かないと、と言うので、断腸の思いで日を空けた。
その時間に入っていた仕事をキャンセルがてら寺井君に報告したら、寺井君が喜んで大騒ぎしたもんだから、たちまちみんなに広まってしまった。
恥ずかしいやら、くすぐったいやら。
まあでも、みんなあったかかった。それはありがたかった。
いろんな人から連絡が来て、いい仲間に恵まれてるな、と思った。
駅が見えてきた。
駅前に一人、女の子が立っている。
水色のスーツケースを手に、きょろきょろと落ち着かなそうに周囲を見回している。
ここは現実世界なのに、俺にはその子がものすごいヒロインの輝きを放っているように見えた。
それは目の錯覚なんかじゃない。
だって、あの子は間違いなく俺の物語のヒロインなんだから。
さあ、始めよう。
俺たち二人の、新しい物語を。
俺はそっと背後から彼女に近づく。
「こんにちは」
俺は言った。
「おっきい荷物持って大変だね。どこ行くの? 手伝ってあげよっかー?」
「……あ」
振り向いた女の子の目が、たちまち潤んでいく。
「はい」
と女の子は頷いた。
「お願いします。……手伝ってもらえますか」
そう言って彼女は、スーツケースを俺に差し出す。
多分今日、人生で初めて俺のナンパは成功する。
(ナンパモブがお仕事です。完)




