そんなことが、許されていいはずがねえ!
公園に行くまでにも、おかしなことになっちまっている物語世界をたくさん通り過ぎた。
どの世界もヒロキのせいで物語が推進力を失い、色褪せてしまっていた。
作者さんが混乱してるんだ。
あの状態が長く続けば、きっとその物語は放棄されてしまうだろう。
みんな、もう少しだけ待っててくれ。
俺があいつを止めるから。
アドレナリンがどくどく出てるせいなのか、身体の痛みはほとんど感じなかった。
どうせ後で大変なことになるんだろうが、今のところはどうでもいい。
「こっちだ、B介!」
裏通りに詳しいA太が俺の腕を引っ張る。
「こっちから行った方が早えぞ!」
「さすが相棒!」
でも痛いからもう少し優しく引っ張ってくれ。
「寺井君、ついてきてるか!」
「はい! 僕こう見えても学生時代はトライアスロンやってたんで!」
何気にスペック高いんだよな、寺井君。
俺たちは、そうやって三人で公園に辿り着いた。
噴水の前で、梨夏ちゃんの物語は夕暮れの薄明りを放っていた。
「ここに梨夏ちゃんがいるはずだ。俺は探しに行くから、二人はここで待っててくれ」
「いや、お前ひとりなんて無理に決まってんだろ。俺も行くよ」
「そうですよ、B介さん」
「でもあぶねえから」
そんな押し問答をしていると、携帯が鳴った。
三人で同時にスマホを取り出すと、鳴っていたのは寺井君のだった。
「はい、寺井です! あ、森井さん。はい、はい」
何か進展があったのだろうか。
「そうなんです! ええ、それは僕らも……え? ええ、はい」
最初は笑顔だったのに、寺井君の顔色がどんどん悪くなってきた。
「はい……え、それは……ええ、そうですが……いや、でも」
寺井君の返事はどんどん歯切れが悪くなり、声のトーンも落ちてくる。
「……B介さん」
寺井君が急に繋がったままの電話を俺に差し出した。
「……森井さんからです」
「え?」
俺は受け取ったスマホを耳に当てた。
「もしもし、B介っす」
「ああ、森井です」
森井さんはさっき会ったままの、冷静な声をしていた。
「B介君。ヒロキのあの力の源泉は、どうやら能勢梨夏さんへの執着にあるようだということが分かった」
「あ、やっぱりそうなんですか?」
「うん。すでにエタりかけた物語のヒロインである彼女は、物語の中の存在でありながら現実の存在にもなりかけている。もう少ししたら、完全に現実の存在になっていたんだろうけどね。そういう彼女に強く執着しているヒロキは、彼女の存在に便乗する形で現実世界でも力を振るうことができているんだ」
「そうですよね!」
自分の推理が正しかったことが分かって、俺は思わずでかい声を出した。
「俺もそう思ってたんです。だから絶対にどこかで常に梨夏ちゃんの物語が開いてるはずだって思って。で、今中央公園で見つけたんです」
「そうか。中央公園か」
森井さんの声が一瞬暗くなった気がした。
「はい」
「今しがた、組合で緊急決定がされたんだ。その物語をBANすると」
「……はい?」
「物語のみならず現実でまで闇堕ちの力を振るう危険なモブを、野放しにはできない。その力の源泉が突き止められたんだ。それをBANして消し去れば、ヒロキの力も消滅する」
「ちょ、ちょっと待ってください」
俺の声は上擦った。
「え、BAN? それって、どういうことですか」
「消し去るということだよ、物語そのものを」
森井さんの声は、あくまで冷徹だった。
BAN。
もちろん、聞いたことはある。
作者さんの悪ふざけや性癖であまりにもめちゃくちゃになりすぎてしまった物語は、他の物語や現実世界への悪影響を考慮して、消去されることがある。
それを、BANと呼ぶ。
BANされた物語は永久に消滅して、その記録すら残らない。
「そしたら、梨夏ちゃんはどうなるんですか。あ、そうか。もうエタってるから、梨夏ちゃんは現実に残れるのか」
「そうはいかないだろう」
森井さんは、俺の希望的観測を打ち砕いた。
「まだその世界が存在している以上、彼女の軸足はそちらに残っている。物語がBANされれば、残念だが彼女もまた消滅する」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」
思わず声を荒げていた。
「梨夏ちゃんは何にもしてねえのに、被害者なのに、ヒロキの巻き添えに消し去っちまおうって言うのかよ!」
「彼女には申し訳ないと思う。だが、これ以上の被害を現実に及ぼさないためにはやむを得ない措置だ」
「冗談じゃねえって!」
俺はスマホに向かって喚き散らした。
「森井さん、もうちょっと落ち着いて考えてくれよ! 絶対ほかに何かいい方法があるって!」
「B介君。これはもう決定事項なんだよ。世界がめちゃくちゃになってしまう前に、やらなければならない。派遣業者組合の理事会で緊急決定がされたんだ。もう覆らない」
「ふざけんなよ!」
「だからB介君。その物語の中に入ってはいけない。君まで巻き込まれて消滅してしまうから」
やなこった。
「BANまであとどれくらいあるんすか、それまでに梨夏ちゃんを物語から現実世界に連れ出せばいいんでしょ」
「それは意味がない」
森井さんの答えは非情だった。
「BANの手続きにかかる時間は数時間といったところだが、その間に彼女を現実世界に連れ出したところで、その存在の軸足はまだ物語にあると言ったはずだ。彼女は物語がBANされると同時に消滅する」
そんなことが。
「そんなことが、許されていいはずがねえ!」
突然、スマホが脇から奪われた。
寺井君だった。
「寺井君、返せ!」
「森井さん」
寺井君は俺に構わず、電話に向かって言った。
「僕もこの決定には納得がいきません、まだ何かできることがあるはずです」
森井さんに叱責されたのだろう、寺井君はびくりと身体を震わせた。
「それでも」
寺井君は震える声で言った。
「僕は、方法を探します。あるはずです」
電話の向こうで森井さんはまだ何か言っていたが、寺井君は電話を切った。
覚悟の決まった顔をしていた。
「B介さん、森井さんのことを恨まないでください。あの人だって言いたくてこんなことを言ってるわけじゃないんです」
「ああ、そんなことは分かってるよ」
仕事のときには私情を完璧に抑え込める。森井さんはそういう人だ。
「僕らは僕らで、最善を尽くしましょう」
寺井君はきっぱりと言い切った。
「でも寺井君、いいのかよ。森井さんに逆らっちまって」
「もうこの辺まで来てるんです、アイディアが」
寺井君は自分の喉仏の辺りを手で示した。
優男のくせに、結構しっかりとした喉仏だった。
「きっと何か方法はあるはずです。僕、必死で考えます。だからB介さんは物語の世界に入って、能勢さんを探し出してください」
寺井君の目は本気だった。やると決めた男の顔だ。
「……分かった」
俺は頷く。
「ありがとう、寺井君」
「BANの手続きにかかる時間は、通常三時間程度と言われています。だから、それまでに必ず出てきてください」
「分かった」
三時間。
それまでに梨夏ちゃんを見付けだす。
それだけじゃだめだ。
あの子を救い出す方法を考えなければ、物語と一緒に消滅してしまう。
そんなことになるくらいなら、俺も一緒に消滅した方がましだ。
「俺も行くぞ、B介」
A太が言った。
「俺らは相棒だからな」
「ありがとよ、A太。でもやっぱり一人で行くよ」
「A太さんには、やっていただきたいことが」
俺と寺井君の言葉がかぶった。
「え、おう」
A太が戸惑った顔で俺と寺井君を見る。
「こっちでやることがあるんなら、まあ残ってもいいけどよ」
「ああ、A太は寺井君の手伝いをしてやってくれ」
俺と梨夏ちゃんのために、会社の方針にまで逆らってくれたんだ。
申し訳ない気持ちはあるが、今は彼の心意気に縋るしかない。
「それじゃ俺は行くよ」
俺は物語世界の縁に立った。
「ありがとな、俺のわがままに付き合わせちまって」
「そんなことないですよ。前にも言ったじゃないですか。僕はB介さんのような人のためにこそ働きたいって」
寺井君は言った。
「絶対に何か方法はあります。諦めないでください」
「B介、無理はすんなよ」
A太が言う。
「でも今のお前、かっこいいよ。モブじゃねえみたいだぜ」
「俺はどこまでいってもモブだよ、お前と同じただのナンパモブだ」
俺とA太は握りこぶしを合わせる。
「じゃあ行ってくらあ」
俺は物語の世界へと飛び込んだ。




