そんな感じで、忘年会は始まった。
「す、すすすすいませんでしたぁっ!」
「ひいいっ!」
鋭い目付きの彼氏にすごまれた俺たちは、這う這うの体で退散する。
追撃なし、セーフ。今年最後の仕事は、無傷で終わった。
物語世界を抜けると、途端に街をびゅう、と師走の風が吹き抜けた。
「お、さみい」
A太が首をすくめる。今日は先方の都合で、俺たちは半袖だった。向こうの物語では季節がまだ夏だったからな。
だから、舞台も海に近い街だ。いつもの街から電車で一時間半。ちょっとした出張気分だ。
また強めの風が吹く。海が近いからか、風が強い。そして、寒い。
「寒暖差えぐっ」
ついさっきまで半袖でちょうどいい温度だったのによ。
温めた後で急に冷水をかけられたガラスのコップみたいに身体が割れそうだ。
背中に龍の昇ったスカジャンをそそくさと羽織るA太の隣で、俺も襟にファーの付いたジャンパーを羽織る。
やれやれ。ようやく人心地付いたぜ。
「お疲れ」
「おう。お疲れ」
何となくお互いにそう言い合って、右手でハイタッチする。
“右手で”ハイタッチ。そう。ついに俺の右腕も完全復活を遂げたのだ。
いやー、長かった。現実世界での怪我は、ほんとシャレにならない。現実では、怪我はしてはいかん。
とまあ、そんなこんなで今年一年、頑張りました。
A太がアプリで仕事の終了報告を入れている間に、俺は会社に電話を入れる。
「はい、皆さまの物語を底から支えて三十年、信頼と実績のモブ派遣、株式会社モビーでございます」
うるせえよ。
「寺井君、だからそれは顧客用回線に出るときに言いなさいって」
「あ、これ内部用回線でしたか」
入社二年目社員の寺井君が声を裏返らせる。
「って、その声はB介さんですね」
「おう、寺井君。今年最後の仕事、終わったよ」
自分の吐く息が白い。
「お疲れ様でした。えっと、終了報告ですか」
「終了報告は今、俺の隣でA太がアプリでやってる」
「ああ、そうですか」
寺井君はそう言って、そこで気付いたようだ。
「そうか。この時間に終わりっていうことは、お二人も時間通り来られそうですね」
「ああ」
そう。今日はこれから会社の忘年会なのだ。
「これから電車に乗って、夕方にはそっちに着くよ」
「分かりました。お店の場所はアプリの情報共有欄に貼ってありますので」
「ああ、それなんだけど」
俺はA太に目配せする。A太がうんうん、と頷いて俺にスマホの画面を向ける。
「貼られた地図がとりあえずブラジルっぽいんだけど、どうすりゃいいの、これ」
「え!?」
電話の向こうでがたがたと音が鳴る。
「あ、あ、ほんとだ! な、南米大陸!? どうしてこれ、え、座標がずれて、え?」
「去年と同じ店でしょ?」
相変わらず盛大にテンパっている寺井君に、そう声を掛ける。
「分かるからいいよ」
「す、すいません! 六時半からですので!」
「あいよー」
「森井さん、すいません! このデータの削除と修正って」
「それじゃ、また後で店でねー」
電話を切るのも忘れて焦っている寺井君に一応そう声を掛け、電話を切る。
「最後まで相変わらずだな、寺井君は」
A太が苦笑いする。
「違う店を貼るとかならまだしも、ブラジルって」
「まあ、百パー間違いって分かるからかえってありがたいんじゃね?」
「どうせ毎年同じ店だしな」
「そうそう」
結局、俺たちが電車に乗っている間に、アプリの忘年会の場所はイギリスと中国を行ったり来たりした後で、ようやくいつもの店に変わった。
「ういー、A太、B介、遅いじゃねえかよ」
「おー、F男さん。久しぶりっす」
「あらぁ、B介君ちょっと痩せた?」
「あ、G美さん、こんちはっす。いや、実は腕折っちゃって入院したりしてたんでそのせいかも」
「ええー? モブがいい年して何やってんのぉ」
忘年会の会場になっている居酒屋「有象無象」の二階の座敷は、大して特徴のない男女でパンパンだった。
「俺、あそこ座るわ」
「じゃあ俺、あっち。また後で」
「おう」
もうろくに座るところが残っていない。
最後の仕事現場が遠かったせいで開始時間ギリギリに店に着いた俺とA太は、顔見知りの同僚モブたちに挨拶しながら、二人ばらばらに空いた席に身体を押し込んだ。
「ちっす。お疲れっす」
周囲に座る男女に適当に頭を下げる。みんな掴みどころのない顔をしてるから、正直、誰が誰だかほとんど分からない。まあこの人たちだって俺のことなんか分かりゃしないだろうから、問題ない。
そう思っていたのだが。
「やけに他人行儀じゃねえかよ、B介」
「え?」
俺は隣に座るおっさんを見た。えーと。この人はもしかして。
「あ、お久しぶりです、ジュンさん」
「じゃねえよ」
違った。
そのおっさんは後ろのテーブルを顎でしゃくる。
「ジュンさんならあそこにいるだろうが」
そう言われて振り返ってみたが、それっぽいモブがわちゃわちゃと話してて、制服も着てないジュンさんがどれなのか俺には識別できなかった。
「あ、そうすね」
適当に分かったことにして、またおっさんに向き直る。
「ええと……」
「なんだよ、本当に忘れちまったのかよ」
おっさんは呆れた顔をした。
「すみません、忘れてはいないんですけど……」
自分でも苦しい言い訳だ。っていうか、俺だけのせいじゃねえぞ。人から忘れられたくなかったら、その特徴のないモブ顔どうにかしろ。
「ったく。ミロだよ、ミロ」
「あ、ミロさん!?」
思わずでかい声が出た。
「え、ミロさんそんな顔でしたっけ? この一年で何回か消滅しました?」
「消滅は二回くらいあったかな」
そう言いながら、ミロさんは自分の頬を撫でる。
「そんなに変わったかな」
「いや、そっすね。前はもうちょっとこう……何というか……まあ、うまく言えませんけど」
モブの顔を言葉で表現するのは難しすぎる。
前は目と耳が二つずつあって、鼻と口が一つずつあったんですけど、今は目と耳が二つずつあって、鼻と口が一つずつあります、としか言いようがない。
「でも、ミロさんでしたか。いや、お久しぶりです」
「おう。お前は相変わらずヤカラ顔してんなあ。性懲りもなく女の子に嫌がらせしてんの?」
「ちょっと、言い方言い方」
俺は苦笑いする。
「こう見えても、俺らキューピッドみたいなもんなんすから」
「いいように言うんじゃねえよ」
ミロさんは、ジャンルで言えば指摘系のモブ。
主人公の味方だったり敵だったり第三者だったり、立ち位置はまちまちだが、やることは一つ。
何か予想外のことが起きたり意外な人物が来たりしたときに、「あっ! あれを見ろ!」と叫ぶモブだ。
メインキャラの中にも解説役というのが大概はいるので、細かい「見ろ!」はそいつがやるわけだが、大群衆がいる場面とかだと、ミロさんの出番。
ほんと、どれだけ周囲がうるさくてもミロさんの「見ろ!」はよく声が通るのだ。主人公もヒロインもみんな振り向いちゃうよね。
でも、ミロさんのそのいい声が今日はちょっと嗄れている。それも俺がミロさんだと気付かなかった原因の一つだ。そうなんだ。そういうことにしておいてくれ。
「ミロさん、声どうしたんすか」
「おう、これな」
ミロさんは顔をしかめる。
「年末にデカい仕事が重なってよ。ちょっと喉使いすぎちまった」
「商売繁盛っすね」
「ありがたいことなんだけどよ。大怪獣ものの現場で『うわあああ、あれを見ろ!!!』って叫んだ後で、すぐ次のパニックアクションもので『な、なんだあれは!!!』『うわああ、こ、こっちにもおおお!!!』って連続で叫ばされてな。どっちの現場もビックリマークは三つ以上でって条件が付いててさ」
「ビックリマーク三つは喉に来ますね」
俺はミロさんに同情する。
通常の会話で使うビックリマークは一つ、叫んだところでせいぜい二つまでだ。
三つ以上というのは、もう絶叫に近い。それを連続でやらされたら、喉もやられるだろう。
「商売道具の喉は、大事にしてもらわないと」
「な」
そんな会話をしていると、座敷の奥で誰かが立ち上がった。
社員の森井さんだった。
「えー、まだ数名到着しておりませんが、時間となりましたので会を始めさせていただきたいと思います」
森井さんは一年に一度の忘年会だというのに、無理に盛り上げるつもりもないらしく、相変わらず淡々としている。
「あれ。幹事、森井さんなのか」
ミロさんが意外そうな顔をする。
「寺井君はどうした」
「そういやそっすね」
会場をぐるりと見回してみるが、寺井君の姿はない。
「昼に電話した時は会社にいたんですけどね」
「最終日に何かミスでもしたかな」
ミロさんは意地悪な笑みを浮かべる。
「倉井さんもいねえぞ」
「言われてみれば」
今年最後の勤務日なだけに、今日のミスは最悪だ。下手すると年末年始の連休、全滅なんてことも。でも、寺井君ならいかにもやりそうではある。
そんなことを話してる間にも、森井さんは淡々と進行している。
「それでは乾杯に先立ちまして、社長、ひと言お願いいたします」
「はいよ」
茂武民生社長が、うちの会社の社長らしい面白くもつまらなくもない話を長くも短くもない程度に話し、それから牟礼部長がそつのない乾杯の発声をした。
「かんぱーい」
みんなプロのモブだけあって、乾杯の発声もぴったりだ。
陳腐って言われるかもしれねえけど、こうやってみんなと一緒に「乾杯」と言えることがやっぱり嬉しい。今年一年頑張ったんだなって感じがする。
「おつかれっす、おつかれっす」
そんなことを言いながらカチカチとビールグラスを当て合い、それから一息に飲み干す。
あー、うまい。
そんな感じにモブ派遣会社らしい普通さで、うちの会社の忘年会は始まった。




