第49話 束縛
十一月末の川島製鉄アリーナは、冬の訪れを告げる冷たい海風を跳ね返すような、異様な熱気に包まれていた。
王者アンギーラ浜松との最終節。
ガビアータ幕張にとって、それは単なる一試合ではなかった。勝てばクラブ史上初のJSLリーグ制覇、負ければ親会社による「切り売り」が現実のものとなる、文字通りクラブの命運を賭けた大博打の舞台である。
いつも一言余計な山際も、今日ばかりは借りてきた猫のように大人しい。
大一番に緊張しているからではない。
スタジアムを埋め尽くしたカモメボーイズたちのチャントは、もはや応援というよりは戦士を鼓舞する咆哮となって地鳴りのように響いていた。だが、その狂乱とは対照的に、貴賓席に陣取る川島製鉄の役員たちの空気は弛緩しているように見えた。
部下の愚痴、自分の担当する分野の業績の見通し。
サッカーには全く関係ない話をゲラゲラと野卑な笑いと共にしていた。
山際はその姿を見て苛立ちをひた隠しにして息を押し殺していたのだ。
日向の挑発的な誘いに応じて姿を見せた社長の敦賀憲佑を筆頭に、彼らは品定めをするような冷徹な視線でピッチを見下ろしている。
彼らにとって、このピッチはスポーツの聖域ではなく、いかに高値で売り抜けるかを見極めるための競売場に過ぎなかった。
しかし、非情な現実が、夢に陶酔しかけていたガビアータを襲う。
アンギーラのベンチは、後半戦の快進撃を牽引してきた「破壊神」奈良崎蒼汰を完全に封じ込めるプランを用意していた。
キックオフの笛が鳴った瞬間、日本代表クラスのボランチ二枚が、影のように奈良崎に張り付いた。
逃げ場のないマンツーマン。いや二対一だ。
日向が授けた「自由」を奪われた奈良崎は、苛立ちを隠せない。
「……くそっ、前を向かせてもらえない!」
奈良崎がボールに触るたびに、ボランチが二枚挟み込む。
「……っ、しつこいんだよ!」
しかもシャツを掴まれ、ピッチに引き倒され、激昂するも、逆にイエローカードをもらう始末だった。
若き天才が孤立すると同時に、攻撃の基準点であるヘンネベリも沈黙した。
奈良崎という供給源を失い、この大砲も撃つべき弾がないのだ。
「Jävlar!」
いつも紳士なヘンネベリがこんな呪詛を吐く。
言葉が分からないチームメイトも良からぬ言葉であることは肌で理解した。
アンギーラのセンターバック陣は、二メートルを超える巨漢に対しても組織的なカバーリングで対抗し、彼に決定的な仕事をさせない。前半のガビアータは、シュート一本すら打てない時間が続いた。
中野や山口が必死の形相で跳ね返し続けるものの、中盤の支配権は完全にアンギーラに握られていた。
王者の貫禄を見せる代表戦士たちの無駄のないパスワーク。ガビアータが誇る「アンタッチャブル・ビルドアップ」は、その厚い壁に跳ね返され、パスの出し所を失って停滞した。
前半二十分、サイドを崩され一失点。さらに三十分、マークのズレを突かれて二点目を献上。後半開始早々の十五分には、前がかりになった隙を突かれ、カウンターから絶望的な三点目を奪われた。
三対零。静まり返るスタンド。
貴賓席では、川島製鉄の役員たちが「やはりこの程度のチームか」と、手元の資料に売却を肯定するチェックを入れ始めていた。




