第39話 逆襲のビルドアップ
サポーター三団体の代表者との「対決」から数日が経過した。
海浜幕張のオフィスでは、イベント担当の町島が、あの重苦しい宴会場「桜」で得られた膨大な情報の断片を整理していた。
町島が提案したラジオ番組——インターネット配信による「対話」の場を具現化するため、町島は彼らの言葉を何度も反芻する。
島が吐露した商工会の苦渋、横内が眼に負った傷に象徴される過去の悲劇、そして木下が抱くフロントへの拭いがたい不信感。
これらは単なるクレームではない。
行き場を失った熱量の塊、あるいは、歪んでしまった愛情の形であった。
町島はキーボードを叩き、企画書のタイトルを書き換えた。
『カモメ・ダイレクト・ライブ:幕張の風に訊け』
町島は、島、横内、木下の三名から得たインサイトを以下の三点に集約した。
まず、島が明かした商工会の内部事情は深刻だった。
若手による千葉ライナーズへの鞍替え論は、単なる競技の好みの変化ではない。
島自身がポケットマネーを持ち出してまで協賛を維持しているという事実は、歪んだ「自己犠牲」の限界を示していた。
次に、横内が指摘した前社長・水原時代の「対話の拒絶」。
八年前のエンペラー杯での暴動は、高校生に負けたという事実以上に、フロントがサポーターを「排除すべき対象」として扱い、一方的に裁いたことへの絶望から火がついたものだった。
彼らが求めているのは、勝利以上に「自分たちが尊重されているという実感」なのだ。
そして、木下らカモメボーイズが求めていたのは、フロントからの「指示」ではなく、自分たちがチームのビジョンの一部であり、苦しい時も共に歩む「当事者」であるという確信だった。
町島が溜息をつきながら画面を見つめていると、背後から軽やかな足音が近づいてきた。
日向だった。
「マッチー、いい顔してるね。島さんの『犠牲』という言葉に、ちゃんと答えは見つかった?」
日向は相変わらず飄々とした様子で、オフィスに自分で持ち込んだエスプレッソマシーンで淹れたコーヒーを啜っている。
「日向さん……。彼らはガビアータを愛することで、自分の居場所を守ろうとしていたんです。商工会の島さんも、本当はライナーズに負けたくないんじゃなくて、ガビアータを通じて地域をまとめたいだけなんですよ。でも、今のチームにはその受け皿がない」
日向は満足げに頷くと、デスクの端に腰掛けた。
「そうだね。僕たちは今まで『勝つための駒』として選手やデータを見てきたけど、彼らにとってガビアータは『生きるための理由』なんだ。ロジックだけじゃ解決できない領域だよ」
「日向さんからそんなウェットな言葉を聞くなんて意外です」
「心外だな。マッチー。僕は常に全体最適を考えているだけだよ。サポーターのメンタルが安定すれば、スタジアムの空気は良くなり、選手のパフォーマンスにプラスの影響を与える。これは立派なデータだ」
日向はスマートフォンを取り出し、ある画面を見せた。
「実はさっき、須賀川監督とも話したんだ。現場の選手たちも、サポーターの『怒り』の裏にある本当の声を知りたがっている。記念すべき最初のの配信、ゲストに中野選手をゲストに呼ぶのなんてどうかな?あの『0円提示』からセンターバックとして生まれ変わった彼なら、島さんたちの心に響く言葉を持っているはずだ」
0円提示をしたあんたがそれを言うか、と町島は呆れ、だが直感した。
データ分析の鬼である日向が、今や人間関係の「最適化」という最も不確実なゲームを楽しんでいる。
「中野選手……今の彼は、誰よりも這い上がる苦しみを知っていますからね。でも、日向さん、一つだけ条件が。配信中は絶対に私を『マッチー』って呼ばないでくださいね。あと、絶対に本番中にリフティングを披露したりしないでください」
日向は少し笑った。
「善処するよ、マッチー。あとリフティングはあの日以来、封印している」
そう言って日向は軽やかに去っていった。
町島は再び前を向き、PCを開いた。
予算はない。
だが、日向が言った通り、知恵と熱量があれば「金がかからない」工夫はいくらでもできる。
ガビアータ幕張は今、ピッチの外から、もう一つの「逆転のビルドアップ」を開始しようとしていた。




