影絵の槌
カン、カン、と鋼を打つ音。
振り下ろされる槌から火花が散って、影絵のような父の横顔が一瞬映る。
ケイズが思い出せる、一番古い父の姿――印象深い父の記憶はいつもそう。
暗がりで鋼を打つ、そんな影絵の中にある。
「ミューレ、ケイズを近寄らせるな」
「ケイズ、危ないから入っちゃ駄目よ」
「う、うん……」
美しいというより怖いものに見えて、けれど魅入られたように目を奪われる。
鋼の飛び散る火花の音。
淡々と振り下ろされる影絵の槌から、ぱっと光が咲いては消えた。
父――コーズはケイズに対し、何かを求めることはしなかった。
少なくとも、子供の時分は何一つ。
どちらかと言えばあれをしろ、これをしろと言うのは母の方。
「ケイズ、生き方は自分で選べ。わしの子だからと剣を打つ必要はない」
ある程度の歳になり、多少物事の分別がつくようになった頃、父が口にしたのはそんな言葉。
ぼんやりと、自分は父の後を継ぐのだろうと考えていた矢先である。
正直、何でそんなことを言うのか、と怒りを覚えた。
危ないから近寄るな、勝手に入るな、と鍛冶場から遠ざけられてそれまで過ごし、ようやくケイズは父からその手伝いを求められるのだと考えていたのだ。
明日から仕事を手伝え、という言葉を期待していたケイズとしては肩透かし。
自分に鍛冶を教える気もなければ、期待もしていないのではないかとへそを曲げた。
そこからは家のことなど知ったことかと外で遊び呆けたが、それでも父は無関心。
母さんの家事くらいは手伝え、と多少の小言は口にするものの、自分の仕事を手伝えとも、鍛冶を教えてやるとも言ってこない。
半ばムキになって、日暮れまで家に帰らぬ日々を繰り返した。
父の打つ剣は、子供ながらに魅了されるほど見事なもの。
それを金槌一つで叩きあげる、父の姿も格好良くて憧れていた。
だからこそ余計にムキになってしまったのだろう。
親父の後なんて頼まれたって継いでやるものかとあちこちで吹聴し、自分はいずれ戦場に出て手柄を挙げ、英雄になってやるのだなどと、ありがちな夢を語っていた。
そんな折りに訪れたのがガーレンという、父の元上官。
未だに父が隊長と呼び慕い、笑みを浮かべて接する数少ない人物で、弓の名手なのだという。
今は故郷で狩人をやっているそうだが、当時は軍で知らぬ者はいない英雄の一人だったのだと、ガーレンの事を語るときの父は少しばかり誇らしげであった。
後に北部の将軍となった英雄、ボーガン=クリシュタンドでさえもが今なお敬意を向ける相手なのだ、と知ったのは後のこと――当時としては大げさな、眉唾物な話のようにも思えたはずだが、とはいえそういう真偽は見ればそれと分かるもの。
筋肉質で強面だが、それに加えて大柄な父と比べ、背丈はそこまで高くはない。
どちらが強そうかと聞かれれば、考えるまでもなく見た目で父だと答えそうなものだが、二人が並んで立ってみれば不思議と大きさが逆転する。
店に並んだ刃を見つめる目はぞっとするほど鋭く、ちょっとした仕草一つ、その一挙手一投足に何とも言えない風格があった。
威圧感、あるいは覇気か。
子供ながらに得体の知れない怖さを感じていて、それまでは挨拶程度にしか話したこともなかったのだが、その日コーズが話しかけたのは英雄になるなどと馬鹿な夢を嘯いていたため。
本物の英雄から何か助言をもらおうと、帰り際に話しかけたのだ。
父との話しぶりで思っていたとおり、見た目とは違い穏やかな人。
ケイズの話を黙って静かに聞いた後、苦笑しながら口にした。
「流石はコーズの息子だな。言うことがそっくりだ」
「そっくり……」
「ああ。コーズが戦場に出た理由を聞いたことは?」
「いや、ない……ですけど」
父は戦場で怪我をして足に後遺症が残ってしまい、それが切っ掛けで家の鍛冶屋を継いだ。
戦場での話や鍛冶屋をやっている事情については色々と聞いたものだが、思えばどうして戦場に出たのか、という理由については詳しく聞いたことはない。
男なら大抵一度は英雄に憧れるもの――特に疑問に思わなかったためだ。
「お前とは丁度正反対……お前の爺さんは厳しく真面目な人だったようでな。コーズを一人前の鍛冶職人に育てようと、子供の頃から熱心に鍛冶のあれこれを教え込んでくれたそうだが、あいつはそれを窮屈に思ったらしい」
ガーレンはケイズに露天の焼き鳥を買い与え、歩きながら父の話を。
「生まれたときから自分には鍛冶職人としての未来しかないのかと、父親に文句を言って大喧嘩……俺は英雄になるんだと息巻いて家を飛び出し、戦場に出たそうだ。お前と理由は真逆だが、今のお前とそっくりだろう?」
「ぇ、いや……そ、そっくりじゃ……」
「コーズも別にお前に期待していない訳でも、跡継ぎになってもらいたくないという訳でもない。厳しいのが嫌で自分は親と喧嘩し家を飛び出したものだから、自分と同じ馬鹿な真似をさせんようにと、息子のお前にはあれこれ言わんようにしているだけだ」
くつくつと肩を揺らしてガーレンは笑う。
「しかし親の愛情は伝わらんもの……当の息子は期待されていないのだとへそを曲げ、それを理由に家を出たがっておるのだから」
ケイズは顔を赤くした。
「まぁ親に反発したくなる時期は誰しもあるもの。わしが戦場に出たのも似たような理由……田舎の狩人で終わるものかと父に吐き捨て家を飛び出した。結局今は、色々と取り返しのつかない後悔を重ねながらも、田舎の狩人としての生活に満足しておる」
「後悔……」
「そう、沢山のな」
ふ、と寂しげな笑みを浮かべて、目を細める。
「でも、ガーレン様は英雄だったって……その、親父が」
「確かに一時、多少の名誉を手にしたし、得がたい出会いも多かった。得たものも決して少なくはないが……しかしやはり、後悔することの方がずっと多い人生だ。少なくとも、そうして村を飛び出していなければせずに済んだ、そういう大きな後悔がいくつもあった」
そうして、家の前の木箱に腰掛けた。
「無論、お前がわしと同じ後悔を味わうとも言いはしないが……大当たりと大外れしかない酷い博打のようなものだ。右も左も分からんかったわしの初陣は酷い負け戦でな、わしのいた百人隊で生き残ったのは三人……その前日、酒を飲んで夢を語った同期は皆死んだ」
「え?」
「わしが生き残ったのは運が良かったからだ。百の内の三つにたまたま選ばれたに過ぎんし、戦場とはそういうもの。どんな猛者だろうと、運が悪ければ呆気なく死ぬ。その点コーズも死なずに済んだ分、運が良かったが……結果としては足を引きずる羽目となり、他にも色々と後悔もあるのだろう。だから同じ轍を踏ませまいと、お前にあれこれ言わんのだ」
苦笑しながらケイズの頭を軽く叩く。
分厚く大きな手だった。
「そうしてへそを曲げるくらいだ。……別にコーズの後を継ぐのが嫌なわけでもあるまい。素直になれんというだけなら、悪いことは言わん。兵士になるのはやめておけ。お前が一言弟子にしてくれと口にすれば、コーズも喜んで教えてくれるだろう」
そう言ってガーレンは腰の小剣を引き抜いた。
一瞬びくりとしたケイズを笑いながら、それを手渡す。
鋭い刃――力強く美しいしろがねの肌。
繰り返し研がれ、年季が入っていたが、誰が打ったものかはすぐに分かった。
「コーズは良い剣を打つ。頑強でありながら鋭く、使い手の得手や体格に合わせた大きさとバランス。多くの剣を見てきたものだが、コーズほどの剣を打てるものは王国でも有数だろう。……お前にはこの剣がどう見える?」
そう尋ねられて、言葉に迷った。
見たままを答えれば、それが答えとなってしまう。
「……遠く険しい山に挑むことは、確かに誇らしい生き方だろう。誰にとってもそう見える。だが、だからと言ってその先に、望む宝が落ちているとは限らないものだ」
かつての英雄は、何とも寂しげに。
「他人からどう見えるかではなく、自分にとって本当に大事なものは何か。……進む道はそうやって決めなさい。それが、この老いぼれからの忠告だ」
そうして言葉を紡ぐ様は、見た目以上に老いて見えた。
失望と言えば失望なのだろう。
最も身近な英雄は、伝説や伝承にあるような存在ではなかった。
けれど冷静になった頭で考えれば、戦場で英雄になるという考えがどこまで浅はかで愚かな博打であるかくらいは理解も出来る。
父に弟子入りすることを決めた後も迷いはしばらく続いたが、十五になる少し前。
ケイズの四つ上――ガキ大将のようだった近所の兄貴分が、初陣で戦死したと聞いて踏ん切りがついた。
ただ、惰性のように進んでしまった、という感覚はその後ずっと纏わり付く。
消去法で父の後を継ぐことを決めたものの、それは己の選択などではない。
父ほどの熱意がある訳でもなく、鍛冶屋の倅として生まれたから自然にそうなっただけのもの。
父は尊敬に値する職人であった。
少しでも気に入らない点があれば、何日も掛けて自分で仕上げた剣を自分で叩き折る。
食事する間も寝る間も惜しみ、それを溶かして一から鋼を叩き始めた。
妥協という言葉を知らないのだろうか。
そう思うほど真剣に、槌を振っては火花を散らす。
ケイズには父ほどの熱意はなかった。
一流の鍛冶職人であった父の手伝いを重ね、学び、それなりの剣は打てるようになったつもり。
実際、ケイズが打つ剣も普通の鍛冶が打つ剣に比べれば上等であったし、悪い剣を打っているとは思えないのだが、父はそれを真っ当な売り物としては認めなかった。
五本打てば四本は鉄屑に、残りの一本も数討ちの剣として樽に突き刺し安値で売る。
嫌がらせだと思わなかったのは、父が無機質な鋼に捧げる熱量を知ればこそだろう。
ただやはり、父のようにはなれないと諦めを覚えていた。
「ケイズ。何故これで良いと思える?」
「……十分じゃないか? 斬れるし頑丈、それなりに長持ちするだろう。親父はこだわりすぎだ。普通の人間はそこまでの求めちゃいないし見る目も無い。そういう連中にして見れば上等すぎる。クリシュタンド家の方々から贔屓にしてもらってるからゆとりもあるが、もう少しこのくらいの品質で数を打って、稼いでもバチは当たらないと思うぜ」
雑多に物が置かれた鍛冶場。
出来上がったばかりのケイズの剣を眺め、コーズは嘆息する。
こちらが一息つく間もなく、早速文句を口にしたコーズに呆れながら、ケイズは続ける。
「もちろん、親父の剣は最高だ。俺には真似出来ないけどさ、一本打つのに何本も無駄にしちゃ割に合わないだろう。装飾剣みたいに金貨十枚にでもなるなら別だが、時には足も出るくらいだ。この剣だってそこら数打ちと比べりゃ比べものにならない出来のはずだろう? 確かに完璧とは言えないけど――」
「完璧を目指そうとして失敗することと、それなりで良いと思って打つことは全く違う。わしはお前の心構えについて尋ねている。お前は筋がいい。実際この剣の質は悪くない、そこいらの鍛冶に比べればむしろ上等だろう。だが、お前はそれ以上を目指そうとしていない」
コーズは剣を置いて、椅子に腰掛ける。
「剣は戦いの場で、戦士が命を――あるいはもっと大事なものを預けるものだ。だからこそ、それを打つわしらも命を賭けるつもりで向き合い、全身全霊で剣を仕上げなくてはならん」
そして嘆息して首を振った。
「全力で向き合い、その結果完璧に到らないというのであれば仕方のないことだ。人間には限界がある。実際、完璧な一振りを打てる者などはおらんだろう。しかしその上で最善を尽くすことが重要なんだ。金の話ではない」
「そういう理想論は分かるけどさ。それじゃ食って行けないだろう」
「今は食って行けてるだろう。出来上がった一振りに、わしらが込めた気持ちを見てくれる方は必ずいる。お前は楽をしようと考えているだけだ」
「それは親父が辺境伯と戦友で、そういう切っ掛けがあったからだろう。隊商護衛なんかの傭兵をメインに、他より良い剣を数打ってく方が稼業としちゃ安泰だ。俺の代もずっと贔屓にしてもらえるとは限らないだろ? 辺境伯が異動することだってない訳じゃないんだ」
今では北部の将軍となったボーガン=クリシュタンド。
コーズは隊長ガーレンの下で彼と共に同じ釜の飯を食らった戦友であった。
それを切っ掛けにクリシュタンド麾下の貴族達から贔屓にしてもらうまで、家計は火の車。
コーズのこだわりで幼い頃は困窮していたし、自分の代では願い下げ。
もちろん良い剣を仕上げたいという気持ちくらいは当然あるが、それにしたってコーズはやはり過剰であるように思える。
「悪い剣じゃないならいいだろう? 他の街の鍛冶屋じゃ装飾を整えて金貨で売ってるような出来映えだ」
「そういう問題じゃないと言ってるだろう。何故分からん?」
「分かった上だって何度も説明してるだろ。親父は理想を追求すりゃいいし、それはすげぇことで、尊敬もしてる。俺が稼げる鍛冶をやることで親父にだって損はない。ゆとりが出来れば親父は今以上に集中出来るだろう。何が気に食わな――っ!?」
コーズは立ち上がり、ケイズの胸ぐらを掴んで吠えた。
「お前がわし以上の職人になれると、そう思うから言ってるんだ!!」
「っ……」
「親父のためだなんだと言い訳などせず、お前の人生を賭けて剣を打て。お前がこうして片手間で仕上げた剣は、わしが必死になって、お前より十も上の頃にようやく打てるようになった剣だ。お前は才能に恵まれた。必ずこの先、わし以上の剣が打てると思うからこそ言っている。……わしの打つ剣は確かにわしにとって最高だ。だが、所詮はわしにとっての最高――お前は必ずその先に行ける」
殺意すらを感じるほどの眼光であった。
一瞬怯み、目を逸らすと、コーズは嘆息して手を離した。
「……親父は俺に期待しすぎだ」
吐き捨てるように告げると、ケイズはそのまま部屋に戻る。
自分に才能がないとは思わなかった。
ただ、その先に行ける人間にはある種の狂気が必要なのだと思う。
己には父ほどの熱意も、執着も、己への厳しさもない。
妥協してしまえるケイズには、一切自分に妥協を許さないコーズを超えることなど一生出来まい。
そう腐ってしまえる程度の人間だったし、それから数年は変わらずだった。
それが変わった切っ掛けと言えば、クリシュタンド家の養女。
大英雄アルベリネア――クリシェ=クリシュタンドであった。
「あの子は自分で研ぐって言ったんだけれど、わたしの剣も出すついでにお願いしようかと思って。戦いが終わって体調を崩してたから、しばらくはそのことを忘れて休ませてあげたくて」
「なるほど。しかし、これは……」
後にアルベリネアと呼ばれる彼女との出会いはクリシュタンド家ご令嬢として。
セレネと使用人と共に訪れ、父が一本、護身用の剣を打った。
蛮族が使う鉈のような小剣で、携行性と手入れのしやすさを重視したもの。
それから二年ほど。
父がそんな剣を打っていたという記憶すらケイズの頭から消えた頃に、彼女の剣を持って訪れたのはセレネであった。
刃こぼれさえなく、滑らかな曲線。
滑らかな形状を保ったまま、しかし刃だけが丸みを帯びていた。
剣と言うより使い込んだ包丁のような鈍り方。
「……凄まじいですな」
大きな刃こぼれもなく、あまりに美しかった。
肌にも目立った傷はなく、けれど刃引きをした後のように先端の刃だけが鋭利さを損ねて、異様なほどに輝きは鈍く。
見れば分かるほど酷使されているというのに、戦場で剣として使われたとは思えなかった。
「……すごいとか、そういう次元の話じゃないわ。敵の中にほとんど一人で斬り込んでそれなんだもの」
呆れたように嘆息する。
そして悲しそうに、その剣へと視線を落とした。
「出来るだけ綺麗にして欲しいわ。ちょっと荒っぽい使い方をしちゃったから申し訳ないって気にしてたから」
承りました、と頷くコーズに、お願いね、とセレネは出て行き。
しばらく父は、クリシェ=クリシュタンドの剣を眺める。
「すげぇな、こりゃ……」
「包丁のようだ。荒事に使った剣ではない」
そして剣を手渡した。
「どうだ。これほどまでの剣を振るう人間に、剣を打ってみたいとは思わんか? 己の全身全霊、生涯の全てを注ぎ込んだ、そういう剣をだ」
「そりゃ……」
ケイズは言いかけ、口をつぐむ。
「後悔しておる。あくまで護身用……そういうつもりで打った。無論、悪くはない剣だが、クリシェ様の力量に対し、見合わぬ剣には違いない。より硬く仕上げればこうはなっておらず、刃こぼれさえもなかっただろう」
確かに、そうだろう。
欠けた、ではなく、刃が潰れている。
寸分の狂いもなく正確に振るわれた結果であった。
「あくまで護身用の剣である、と無意識に妥協した結果だ。最高の剣を振るう人間に対し、最善を尽くせなかった。この刃こぼれはクリシェ様ではなく、俺が生んだ刃こぼれ。……一人の鍛冶屋として、何より恥ずべきことだ」
「それは流石に……ちょっと喋っただけで、そこまで――」
「無論、そうだ。分かるはずもない。だが……例えばある日、ふらっと立ち寄った相手に注文を受けたとして、その相手がどれほどの剣を振るうか、お前には理解出来るか?」
ケイズは眉を顰め、首を振る。
「相手の力量も、才覚も、何もかも分からん。しかし今日訪れた相手は想像を絶するような剣士かもしれず、いつかそうなる相手かもしれない。……だからこそ、常に最善を尽くし、最高の剣を相手に届ける。大事なのはそういう心構えなんだ」
コーズは言って、ケイズを見た。
「俺はお前に商売の話をしているんじゃない。生き方の話をしている」
「……生き方」
「お前は一人前だ。十分どこでもやっていけるだろう。稼ぐために鍛冶をしたいと、お前が本気で商売の道を極めたいと言うなら、俺も文句は言わん。だが、惰性で生きるな」
そう告げると、コーズはセレネの長剣を引き抜いた。
細身ながらも厚く、頑強な長剣。
無数の傷がありながらも、大きな刃こぼれは一つだけ。
「……年齢でも、能力でもない。自分で自分の生き方を定め、真っ直ぐと進む人は、優美な鋼のように美しい。そんな人が険しい道を進む際、その支えになればと祈りを込める。……この仕事は、そういう仕事だ」
鞘に納めると、再びケイズを見た。
「わしらが打つのは鋼ではない。鋼を通して槌に伝わる、己が魂を叩き上げる。槌を振るう度、これで良いかと問い続け、弱い心が消えるまで……それが一つの美として昇華されるまで」
真っ直ぐと、戦士のように力強い目だった。
「辛く苦しい困難な道を歩む者にこそ、与えられるものは必ずある。……一度で良い。お前も一度、妥協のない一振りを打ってみろ」
そして立ち上がると、ケイズの肩を叩いた。
「この道が一度きりの人生を費やすに足るかどうか、それでお前にも分かるだろう。父としてはお前に、実り多き人生を過ごして欲しいと思う」
父は芸術家なのだろう、と思った。
やはり自分とは違う、そう考えてしまう。
言っていることはある程度理解していた。
生まれてからずっと、父の仕事を見てきたのだ。
金のためでもなく、名誉のためでもなく、父は誰よりも誠実な職人。
端金というべき代金で仕事を請け負うこともあった。
時にはそれを深く感謝され、数年後に改めて仕事を依頼され、代金が金貨で支払われることもないではなかった。
けれど武器を扱う商売。
その相手が二度と現れないこともよくあったし、夢半ばで諦める者も、時には感謝さえもなくその剣を売りに出すような人間も少なくない。
父が一本の剣にどれほどの力を注ぎ込んでいるかを理解すればこそ、何とも言えないやるせなさと憤りがあった。
誠意に誠意が返らずとも、父は何も言わない。
ケイズが何を言おうと、売った剣だ、と一言で済ませた。
父の剣は美しい。
妥協のない一振りとは、簡単なようで、簡単ではない。
技術が上がるほどに粗が見え、粗を残せば妥協である。
父が叩き上げる均質な鋼の優美さは、まさにコーズの魂そのものであった。
それを粗雑に扱う人間を見れば見るほど、果たしてそこまでする価値があるのかと思えるのだ。
多くの人間には、父の仕事の価値は分からない。
相手の体格と力量、そして用途に合わせ、細部までこだわり抜かれた鋼の価値が分からないし、理解も出来ない。
多くの者が美しいと呼ぶ、形ばかり煌びやかな金貨何十枚の名品よりも、父の鋼には価値があった。
けれど、そこまでする必要がどこにあるのか、とそう思うのだ。
ケイズは父の剣をずっと高く売る方法を知っている。
父もまた、当然理解していた。
細工を施し、鞘までそれらしく整えて、化粧のように鋼を研いでみれば、金持ちがこぞって買いに来る。
そういう話は何度もあったし、それが本来、父の鋼の正しい価値だろう。
父の歩む道は美しいと思いながらも、踏ん切りはつかない理由はそこにあった。
ケイズは父のように、売った剣だ、とは納得出来ない。
その価値が理解出来る相手にならばまだしも、と。
――それから一年と少し。
王権戦争と呼ばれる内戦が終わって訪れたのは、クリシュタンド家の使用人ベリーと、天剣と呼ばれる爵位を得たクリシェ。そして部下の女が二人。
「……ごめんなさい。折角、コーズさんが一生懸命打ってくれた剣なのに……クリシェ、一生大事にしようって思っていたのですが」
「ああ、いや、お気になさらず。ここまで使われれば剣も本望と言うべきでしょう。元より剣は消耗品、使い研げば減るものですから」
刃物である以上、使い研げば減るというのは道理であった。
とはいえ、その減り方は想像を絶する。
親の代から台所で使われてきた包丁だというのであればまだしも、戦場で使われる刃物の減り方ではない。
半年程度の内戦だった。そんな減り方をする前に、先に剣が折れるだろう。
剣としての形を保っているのが奇跡であった。
以前に比べ薄くなった刃に可能な限り配慮して、包丁でも扱うように肉を裂き、骨を避け、当然刃を打ち合わせるような真似もしていないに違いない。
「元より、戦場で使うには少し細身に過ぎたと言えるでしょう。私の失敗です」
以前研いだときと同様、コーズから出たのは、本心からの言葉であった。
使い方を誤り、折ったというならそれは仕方のないこと。
正しく使えば折れぬようにと叩き上げられてはいたが、当然限界もある。
とはいえ、常軌を逸しているとはいえ、その技量に対し、明確にコーズの剣がついて行けなかった。
それは決して、父に許せることではなかったのだろう。
その日から、寝食を忘れたように父は槌を振るった。
声も掛けられぬほど、ただただ没頭するように。
以前見せられた時から、試しにと何度か同じ曲剣を叩き上げていた。様々な産地の鉄鉱石を取り寄せて、不純物の具合を確かめながら。
炉で熱した鉄塊を叩き上げることで精錬し、不純物を弾き出す。
ただただ純度を高めながらも、だからと言ってただ純度が高いだけでもいけない。
混ざり合う不純物のバランスこそが、鋼の価値を決める。
そして柔らか過ぎず、硬過ぎず。
その絶妙なバランスこそが、剣を剣として成立させる。
柔らかいものは欠けにくく、丈夫であるが、刃は潰れやすく、あっという間に摩耗してしまう。
以前打った曲剣はそういう代物であった。
反面硬過ぎれば、欠けやすく、折れやすく。
ただ硬い刃を作れば良い、というのは素人の発想であった。
肉を斬っても摩耗せず、骨を断っても潰れず、そうでありながら決して割れない粘りも持つ――例えるならば、槍の穂先に槍を立てるようなもの。
神懸かり的なバランスが必要であった。
そして赤熱した鋼は、自分が今どのような状態かを喋ってくれる訳ではない。
ほんの僅かな色味、火花の変化、槌の振るった感触と、音の響きで判断する。
呼びかけても気付かぬほどに、父の心は鋼に向けられた。
影絵の中で、火花を散らす。
人ではない何かのように、無心にただただ槌を振るう。
――狂気の中にありながら、けれども父は美しい。
「どうだ、ケイズ。コーズの様子は」
「……聞こえているとおり、朝から晩までいつも通りです」
店の裏手で炭の在庫を眺めていると、声を掛けてきたのは白髪を伸ばして纏めた、革工房の親方ファセロだった。
鞘や留め具など、革製品の一部は彼の工房に依頼している。
「親父さんも熱心な人だったが、あいつはそれに輪を掛けてだな。……女王陛下の剣となられたクリシェ様の一振りとなれば、余計にだろうが」
「それにしても根を詰めすぎです。いい歳だってのに、体を崩すんじゃないかと、母さんと心配してるんですが」
「仕方ねぇさ。職人ってのはそういうもんだ」
ファセロは笑う。
「小銭のために働く商人みてぇな連中もいるがね。そんなのは職人とは言えねぇ、己の技術に全てを捧げるのが職人ってもんだ」
「耳にタコができるくらいに聞きましたよ、親父から」
「理解出来てねぇからタコになるくらい言われるんだろ」
言いながらファセロは側の樽に腰掛けた。
「お前が着てる服も、俺が尻に敷いてる樽もそう、お前の家だってそうだろう。見事なもんだとは思わねぇか?」
「……?」
「何人の人間がそれに携わってきたと思う?」
「そりゃ……」
ケイズが答えられずに口ごもると、ファセロは言う。
「何千年、何万年を掛けて色んな職人が生涯を捧げた技術に、俺達はこうして支えられてる。大きなものから小さなものまで、下らなく見えるようなちょっとした道具まで、それを作るためには色んな職人が頭を捻ってきただろう」
遠い目で空を見上げながら、ファセロは微笑む。
「そんな方々があればこそ、俺らもこうして飯が食えて、生きていける。だから先人達に敬意を込めて、職人は仕事をする。……下らねぇ仕事をしちゃ、そんな方達の顔に泥を塗るようなもんだ」
お前の場合はちょいと分かりにくいのかもな、とケイズを見つめた。
「身近で言えば俺の場合は師匠だ。師匠の仕事に惚れ込んでこの道に入った。だが、お前にとっちゃ親父……一流の仕事を見せてもらえるその有り難みがよく分かってねぇんだ。とはいえ、どうだ、親父は格好いいだろう?」
「……まぁ、もちろん尊敬はしてます」
誰より尊敬していた。本物の職人であると思う。
ただ、そうなりたいかと言えば別の問題だった。
そこまでしなくても良いだろう、と心の中で思うことがあった。
「お前の爺さんは早死にしちまったからな。戦争からコーズが怪我して帰ってきて、数年して亡くなった。……あいつは親父さんの業全部をきちんと引き継いでやれなかったことを悔いてんだ」
人間の人生は短い、とファセロは言った。
「先人が築いた業を、一歩前へと進ませる。それが先人達への恩返しだ。それだって並大抵の努力じゃ出来やしねぇが、あいつは多分、道半ばで倒れた親父の分も含めて、いつも槌を振ってる。あいつにとっちゃ、多分今がそうだろう」
「今……?」
「その恩返しの瞬間だ。てめぇの人生はこの一振りを仕上げるためにあった……きっと、そう思ってる。そして、その瞬間をお前に見せてやりたいってな」
ファセロは立ち上がると、ケイズの肩を強く叩いた。
それから告げる。
「こんな場所で油売ってる暇があるなら、親父の仕事をしっかり見ておけ。あいつのこれまでが全部詰まった大仕事だ」
「……はい」
「あいつは口下手だから言わねぇだろうが、あの一振りは誰よりお前に見せたい一振りだろう。……下らねぇこと考えてねぇで、しっかり見てやりな」
そう言って、ケイズの頭をわしわしと撫でて、踵を返す。
「最高の剣を待ってるってコーズに伝えろ。クリシュタンド家ご令嬢、クリシェ様の剣だ。こっちも全員、最高の仕事で応えてやるってな」
切っ掛けはそんな言葉。
邪魔になるだけだと長居していなかった工房に、ケイズもそれから入り浸る。
母は苦笑しながら、店は気にしなくて良いと告げ、父も何も言わず、作業を手伝おうとするケイズを受け入れた。
刃先を硬く、けれど全体としては硬すぎず。
悩んでいるのは鍛造前の精錬過程。完全な均質を目指すものではなく、硬度の濃淡、そのバランスであった。
刃先を硬くしながらも、背に向かうほど徐々に柔らかく。
潰れぬほどに硬い刃で有りながら、その衝撃を柔らかく受け止める。
その上で肌の荒れや乱れを許さない。
そして厄介なのは,直剣とは違うその形状。
くの字に前に折れた曲線を描く過程で、それを乱してはならない。
神経質なほどの精錬によってのみ、運良く仕上げられるベースを使い、類い希なる修練による技術を重ねて運良く仕上げる。
その鍛造はもはや、人の領分ではないだろう。
ただ無心に、槌と己を一体化させる父の美しさは、多分そこにあった。
人であっては生み出せないものを生み出すために、人であることさえも捨てるのだ。
身も心もそのためだけに存在すると、父の影絵はケイズに伝える。
飛び散る火花は不純物――鍛冶屋コーズという、人間そのものであった。
ただ、やはり限界もあったのだろう。
寝食を忘れたように没頭する父はもう老境にあり、
「っ、親父!」
ある日、気を失ったように倒れた。
「過労だって。……全く、本当にこの人は」
「……悪い。もうちょっと無理してでも休ませるべきだった」
顔を蒼白させていた母は、ひとまず医者の言葉に安堵したように、ベッドで眠るコーズの額を撫でる。
困ったような顔で、子供を見るような目だった。
「どうせ言っても聞かなかったでしょう。強制的に休む機会が出来て良かったわ」
苦笑する母に、尋ねた。
「母さんは……どう思ってるんだ?」
「どうって?」
「親父の仕事。いつも止めないけどさ」
母は白髪の増えた髪を揺らして考え込み、柔らかく微笑んだ。
「お父さんの仕事が好きで、わたしは嫁いできたからね。わたしには技術的なところはさっぱりだけれど」
困ったように言いながら、コーズを見つめる。
「でも、お父さんの仕事は、すごく綺麗だって思うわ。ただただ一生懸命で、誠実で……そんなこの人の生き方に惚れ込んだんだもの。それを側でずっと眺めて、支えることが、わたしの幸せ」
どう、も何もないわ、と苦笑した。
「王国一の英雄となられたクリシェ様から、改めてお父さんにって仕事を頼んでいただけたの。そんな人に自分の仕事がちゃんと伝わって、本当にこの人は嬉しいのよ。あなたみたいに愚痴は零さないけれど、沢山苦労も、辛い思いもしてきたしね」
言葉に詰まるケイズに母はくすくすと笑う。
「……わたしもそれが嬉しい。止めたりなんて出来ないわ。この仕事を完璧にやり遂げることが、お父さんにとって、一番の幸せだろうから」
「母さん……」
「あぁ、違うわね」
母は意味深にケイズを見つめる。
「お父さんにとっての一番は、その完璧な仕事を愛弟子に見てもらうことかしら」
それから、油を売ってる暇はあるの? とケイズに尋ねた。
ケイズはそうして、工房で槌を振るう。
父ほどの仕事が出来る訳ではないが、その手伝い程度は出来る。
アーナから取り寄せた良質な鉄鉱石を炉に入れて、赤熱した鉄塊から、不純物を叩き出す。
技術だけではなく、ある種の運が必要だった。
理想は不要な不純物のみを叩き出し、必要なものだけを残す。
その鉄鉱石が当たりかどうかは、叩き上げてみるまで分からない。だが、完璧な素材さえあれば、父は必ず完璧な仕事をするだろう。
半面には粘り、そして半面には硬質さ。
鉄鉱石を板のように叩いて延ばし、折り曲げ、これではない、と放り出す。
求めるものはケイズにとっての理想ではなく、父にとっての理想であった。一つ叩く度に、眉間に皺を寄せる父の渋面が脳裏に浮かんだ。
不思議な心地であった。
槌を振り下ろし、火花が散る。赤熱する鉄塊が見える。
世界の全てはただそれだけだった。
真っ暗な世界を炉が照らし、舞い散る火花が煌めき、飛び散る。
時間も忘れて槌を振るう腕は、疲れなど知らぬよう。
問いかけるように鉄塊へと振り下ろされ、響く音と火花だけが槌に応える。
十分だとか良質だとか、ここにあるのはそういう言葉ではなかった。
本物か、出来損ないか、ただそれだけ。
父が槌を振るうに相応しいものか、そうでないか――ただ、それだけ。
目が覚めてから眠るまで、全ての時間を鍛冶に費やす。
食事の時間さえも煩わしく感じるほどに、影絵の世界へ入り込む。
見つけたときには、音が違う、と思った。
飛び散る火花も何もかもが、期待した通りの弾け方。
背筋をぞくぞくと、寒気にも似たような感覚。
自分が探していたのはこれなのだ、と理解して、何度も何度も槌を振り、火花と音を響かせる。
そうして、存分に振るった槌を置き、余韻に浸っている時だった。
「そのまま仕上げてみるか?」
「っ、親父……見てたのか」
工房の入り口脇――コーズは腕を組み、壁に背中を預けていた。
「……馬鹿言うな、ここからは親父の仕事だ。これが直剣ならまだしも、今の俺には仕上げは無理だ」
ケイズは立ち上がり、一瞬立ちくらみ。
コーズは咄嗟にそれを支える。
「俺は疲れた。親父は十分休んだろ? 自分の仕事は自分でやってくれ」
「……そうか」
「今日という今日は文句を言わせない出来のはずだ」
言いながら、別の椅子へと腰掛け水を飲んだ。
コーズは代わって金床の前に座り、伸ばされた鋼をしばらく眺める。
何も言わず、静かにじっと目を細め、槌を手に取った。
「……鍛冶は好きか? ケイズ」
「暑いし疲れるし、ろくな仕事じゃないな」
「そうか」
コーズは苦笑し、言った。
「わしもそう思う。家業だからと親父を継いだが、どうせならもっと楽な仕事であれば良かったと、そう考える時は少なくない」
見ている方が好きだ、と口にして、俺もそうだ、とケイズは笑う。
「いつかお前も、自分の子供に見せてやれ」
そうして影絵となった父は、槌を振り下ろす。
火花が咲いて、音が響いた。
リズム良く、ぱっと光が花咲くように、小さな光が明滅する。
ケイズがそうであるように、父もまた、そんな影絵を見ながら育ったのだろう。
そしていつか、父のように、ケイズも影絵になるのだろう。
父の振るう槌を脳裏に浮かべて、火花を散らし、景色の中へと溶け込んで。
「……ただまぁ、悪くはない仕事だ」
ケイズが告げると、影絵は一瞬槌を止め。
笑いながら、火花で応えた。
煉瓦造りの工房がいくつも並ぶ、雑多な通りを抜けた先――その鍛冶屋の看板には、クリシュタンドの簡略紋。
遊びに行こうとしていたところを捕まり、母親から店番を命じられた少年は、うんざりしたようにカウンターへうつ伏せに。
扉が開いて顔を上げると、そこにいるのは銀髪の少女であった。
黒い外套を身につけて、内側は随分と上品なワンピースドレス。
年齢は三つ四つ上か――凄まじく綺麗な少女であったが、こんな鍛冶屋を訪れる理由が分からず、何の用事だと首を傾げる。
「……? いらっしゃいませ」
「こんにちは。ケイズさんはいらっしゃいますか?」
「いるけど……じいさんは親父と一緒に仕事してるよ」
そう言いながら背後を目で示す。
槌の音が先ほどから延々と響いていた。
「用件は?」
「えぇとですね、プレゼント用に剣を一振り打って欲しいのです」
そう言いながら腰のベルトを外すと、二本の剣が少年の前に。
少年は眉を顰める。
店にも置いている、変な形をした蛮族の剣だった。
アルベリネアと呼ばれる英雄が使っているそうで、護身用にとそれなりに人気の商品であった。
見せられた片方は手入れされているものの、随分年季の入った品で、もう片方は鞘から何から、随分と細工を凝らした一品。
二本も提げているのは驚きだったが、その奇妙な組み合わせが謎だった。
「道場の子に贈るものなんですが、護身用にこれと同じような曲剣が欲しいみたいで」
「こういう装飾剣は打ってないぜ、うちは。金積まれても断ってるからな」
見事な細工が施された曲剣を示して告げると、少女は頷き、もう一方の剣を示した。
「あ、はい。こっちの簡素な感じで大丈夫です。お孫さんですか?」
「そ。コーズってんだ」
「コーズ……」
「ひいじいさんの名前でな。あのアルベリネアに剣を打ったすげぇ人なんだぜ。こういう剣使ってるなら聞いた事くらいあるだろ?」
「それは、はい……」
曾祖父はアルベリネアに剣を打ったことで有名だった。
その名前を与えられたことは少年の密かな自慢であったのだが、何よりの不満は一向に鍛冶の仕事を手伝えとも言ってこない父と祖父である。
最近はそのせいでふてくされ、外で遊び呆けていた。
「だってのに、全然俺には仕事を教えてくれなくてよ。店番ばっかで嫌になるぜ。作業中だしちょっと時間掛かるから、そっちの棚でも見ておいてよ。似た剣置いてるし、最近忙しいから注文打ち受けてくれるかわかんねぇし」
「そうなんですね……」
「ま、そっちの棚にあるのも上物だから安心していいぜ」
そう言って少年は裏に回る。
そういや名前を聞きそびれたと考えつつ、まぁいいか、と工房の中へ。
扉を開けると、いつも最初に感じるのは熱気であった。
薄暗い部屋の中、炉だけが煌々と輝いて、影絵が槌を振り下ろす。
かん、と音が響けば火花が咲いては舞い散った。
槌を振るう祖父の仕事を、じっと見つめる影絵は父。
こういう時、声を掛けても少し待て、と言われるのが関の山。
大胆に見えて繊細な作業、一段落というタイミングで声を掛けなければ叱られる。
けれどもそれうして待つのは嫌いじゃなかった。
影絵と火花、その独特の空間を見ていると、違う世界に迷い込んだかのよう。
赤熱する鋼がその場の全てで、槌が響く度に静寂が広がる。
世界からそれ以外の音が消えたように、静かであった。
邪魔をしてはいけない、というのは誰が見たって分かるだろう。
寸分違わず振るわれる槌の軌跡が、何とも言えぬほど綺麗だった。
「客か? コーズ」
少しして、尋ねたのは父であった。
こちらに目を向けず、赤熱した鋼を見ていた。
「ぁ、ああ。貴族っぽい変な姉ちゃんが来てる。じいさんに依頼だって」
「名前は?」
「聞きそびれたけど、銀髪ですげぇ美人な姉ちゃん。プレゼント用に、アルベリネアの剣を打って欲しいんだってよ」
その言葉に、影絵の槌はぴたりと止まる。
それからしばらくして立ち上がると、ゴツゴツした手で少年の頭を撫でた。
「コーズ、次の仕事は最初から最後まで、お前も工房でよく見ていきなさい」
「……俺も?」
「ああ。……どうやら、俺の番が来たようだ」
影絵は手に持つ槌を眺めながら、笑みを浮かべてそう言った。





