新連載! 異世界メイドプリンセス!
男女比率は脅威の9:1。
百合小説を謳いながら、漂うものは血と汗と男臭さ。
それが少女の望まぬ英雄譚という物語でした。
小説家というものは葛藤の連続であります。
些細な気分の浮き沈みに綴る文字さえ置き換わり、少女を描くつもりがいつの間にかおじさんを描いている。そんなことはままあることです。
描こうとしていた『o(^_^)o百合百合イチャイチャ空間o(^_^)o』がいつの間にやら『(>_<)罵声響き渡る戦場(>_<)』へと変わり、『(-_-;)おじさんの苦悩(;-_-)』に変わり、番外編だしまぁいいか、と気を抜けばいつの間にやらおじさんだらけ。
その度に考えるのは、どちらを取るかという選択。
百合かおじさんか、天秤はいつも浮き沈み。
そこにリアリティだの何だのと、趣味と言うべき謎のこだわりが乗っかり、強いて言うならと生まれるおじさん主人公。
この作品で輝いていた百合の光はおじさんブラックホールと呼ぶべき引力に吸い寄せられ、まさに今滅びようとしています。
イベントホライズンは目と鼻の先。
もはやこの世界に百合の花が咲き乱れることはないのかもしれません。
小鳥が囀る春の世界に断末魔、優しき雨の代わりに血と汗と糞尿が降り注ぎ虹を描くような、凄絶な未来が待ち受けていることでしょう。
――しかし、まだ救える。
私は作者として、そうも思っています。
おじさん達に汚染された世界を捨て、少女達がわんにゃんぷりぷりごろだらいちゃいちゃと過ごせるような、そうした新たな楽園へと向かうことで。
勘の良い方ならば、ここまで言えばお気づきでしょう。
そう、あの異世界転(略
『新連載! 異世界メイドプリンセス! 最終話 邪竜のミルフィーユカツ』
それはお屋敷の大農場、カボチャ畑の一角。
銀の髪をした小さな使用人が、畑の隅でしゃがみ込んでいた。
「クリシェ様、どうされました?」
「なんかここに変な穴が空いてるのです」
「穴……あぁ、ちょっと空間が歪んでますね」
同じく小柄な赤毛の使用人もまた隣にしゃがみ込み、空間の僅かな歪みに首を傾げた。
向こう側が揺らぐような微妙な歪み。
「んー、放っておいても勝手に閉じそうなのですが」
歪みに対して両手を伸ばし、空間をにゅっと引き延ばす。
――それが、世界を救う冒険の始まりとなるとは知らぬまま。
『一章:勇者降臨』
そこはトートキ王国の王都に存在する、ユリン大神殿。
屋敷が丸々一つ収まるようなドーム状の空間には、無数の光が渦巻いていた。
高き天井には太陽と月、そして世界を統べるという女神ユリンが描かれ、周囲の壁面には隙間なく、建国神話をなぞらえた優美な彫刻が刻まれる。
石畳の床には六枚花弁、王国の紋章となるエーナの花を象る水路が配され、その花弁ごとにローブを着込んだ術者が乗っていた。
その周囲には過労にか膝を突き、あるいは倒れる術者達。
中央にはこの儀式の核となっているのだろう、美しき少女。
棚引く優美な金の髪、優美な白のドレス。
眉間に深い皺を刻みながら両手を掲げ、その凜々しき青き目は宙空の黒き歪みを睨むように見つめていた。
「姫様、これ以上は――」
膝を突いた術者の一人が喘ぐように口にする。
昨日、日の入りから始まった儀式であったが、随分前に夜明けを迎え、太陽は天頂から傾き始めていた。
王国中の魔術師を集めての大儀式。
可能な限りの最善を尽くし、疲労と魔力の使いすぎで意識を失う者も出ている。
この場にある多くの者の顔には諦観が滲んでいた。
「まだです、諦めてはなりません……っ」
行なわれているのは勇者召喚の儀であった。
異界より強き魂を呼び寄せる、国家レベルの儀式魔法。
王国を――世界を救うため、何としても成し遂げなければならない彼女の責務であった。
第一王女リリーベルの目には今も力強い色。
自分の命を燃やし尽くしてなお、諦めてはなるものかという執念が宿っていた。
異界とを繋ぐ空間の穴。
あと少しという手応えがあった。
しかし、もう少しで穴が開くというところで、空間の歪みが異様な力で閉じられる。
「……これだけの力を持つ世界。必ずや我等を救う勇者様が現れます。あと一歩が足りないのであれば、この魂を捧げてでも」
「なりません、姫様……!」
繋がる世界を選ぶことは出来ないが、抵抗が大きいほどに強力な勇者が招かれると言われていた。
これほど長い時間、儀式が行なわれた例はない。
だからこそ必ずや、強き勇者が現れる。
その勇者は、この世界をきっと滅びから救ってくれるだろう。
「次で決めます。わたしを死なせたくないという者は前に出なさい」
姫が響かせた声に、膝を突いていた魔術師の一人が立ち上がる。
長い白髭を蓄えた老人は大賢者、ヤークアイであった。
「……先に捧げるべきは……老いぼれのわしの命でしょう」
「ヤークアイ……」
よろめくように花弁に乗った老人の姿に、荒く息を吐き、膝を突いていた者も立ち上がる。
これ以上は死人が出る。
理解はしていたが、止める訳には行かなかった。
今を逃せば次に儀式を行なえるのは数十年の先――その時、王国が残っているとは思えなかった。
「……、行きます」
様々な感情を押し殺した凜々しき姫の声に、皆は頷いた。
術者達の魂を吸い上げ輝くように、光は一段と強まっていく。
リリーベルは目を閉じ、呪文を唱え、
「異界の地より来たれ、勇者よ。我が呼びかけに――」
『あ、いっぱい人がいますよ、ベリー』
「っ……!?」
その声に目を見開く。
にゅっ、と空間の歪みを押し広げるように顔を覗かせているのは美しい少女であった。
長い銀の髪とエプロンドレス――メイドか何かか。
『まぁ……』
その背後では驚いた様子の赤毛の少女。
同じくエプロンドレスを身につけていた。
その向こう側には畑か何かか――異界の景色。
『クリシェ様、邪魔しちゃ悪いですし閉じちゃいましょうか』
『そうですね。それじゃあ失礼――』
「っ――お待ちを!」
咄嗟にリリーベルは声を掛け、膝を突いた。
そして魔導具、対話の指輪の力を用い、異界の言葉で語りかける。
『わたしはリリーベル。トートイ王国第一王女です。勇者様……どうかわたしの話に耳をお貸し下さい』
『おぉ、こっちの言葉で喋ってます。……ベリー、どうしましょうか?』
『えぇと……』
『どうか、お願いします。お話だけでも……お願いします』
涙を目に滲ませ、顔を上げると、赤毛の少女は困ったように頬を掻き。
仕方なさそうですね、と穴を広げてこちら側へと降り立った。
魔術師達は安堵し、そして次々に倒れ込み、赤毛の少女は困惑したように、銀髪の少女は、はえー、と少し驚いた様子で周囲を眺める。
リリーベルも同様であったが、今倒れる訳には行かなかった。
「――この者達の力を、我に見せよ」
口にすると、頭の中に浮かぶのは二人の情報。
――――――――――――――――――――
・クリシェ=アルベリネア=クリシュタンド
クラス :メイドプリンセス
レベル :――
固有アビリティ:永遠の見習いメイド(神話級)
――――――――――――――――――――
クリシェという銀髪の少女はレベル表記もされないレベルの一般人。
若干の落胆を抱いた。
メイドプリンセスという訳の分からないクラス。
プリンセスと言うからには恐らく、高貴な生まれなのだろうが、メイドとはどういうことか。
永遠の見習いメイドという固有アビリティも理解不能である。
ランクの表示は神話級――未だかつて見たことのない高ランクであったが、レベルなし、見習いメイドという文字列。
どうあれ、強さを示すアビリティではあるまい。
「っ……」
しかし驚いたのは赤毛の少女を目にして、であった。
――――――――――――――――――――
・ベリー=アルガン
クラス :ロイヤルメイド
レベル :327
固有アビリティ:メイドの嗜み(特級)
――――――――――――――――――――
想像を絶する、とはまさにこのことだろう。
レベル10あれば優秀な兵士、50もあれば大陸有数の戦士である。
それに対し、327という意味の分からないレベルの高さ。
あまりの数字にリリーベルは言葉を失っていた。
『あの……?』
困ったような赤毛の少女――ベリーの声に、はっとしたように向き直る。
『……勇者様』
『ゆ、勇者様……?』
『どうか、お願いします。この国を……いえ、この世界をお救い下さい……!』
そして、深々と頭を下げた。
光の女神ユリンと、闇の女神ガルラ。
この世界は双子の女神が混沌より作り出した場所。
現在は光と闇が均衡を保つことによってこの世界は保たれているが、しかし過去にはその均衡が崩れた結果、想像を絶するような災禍が世界を覆い尽くした。
大地震に大津波、火山の噴火に大地を削り取るような大嵐。
この地に住まう光の民と闇の民はかつて互いに反目し合う関係にあったが、そうした歴史の語る多くの災いが、両者に調和の道を歩ませていた。
しかし近年、千年の眠りに就いていた闇の邪竜オジロスが復活。
竜達は統べる王の復活にはその勢力を拡大。近隣の村や町は焼かれ、近頃はこの王都周辺にも竜が姿を現わすようになっている。
オジロスと竜達がこのまま生息域を増やし続ければ、滅ぶのは王国だけではない。
光の民を多く有する王国や他の国々が滅びれば、世界は大きく闇に傾き、未曾有の天災がこの世界を襲うこととなるだろう。
それは、この世界の崩壊を意味した。
そこで呼び出されるのが異界よりの勇者であった。
光でも闇でもない中庸の属性を持ち、強大な力、あるいは凄まじい才覚を有する者。
この世界は滅亡の危機に晒される度に勇者を招き、その力を借りてきた。
中には戦ったこともないような人間もいたが、鍛えられれば凄まじい勢いで成長し、勇者たり得る力を手にする。
今回の幸いは、現れた勇者がレベル327という規格外であったこと。
鍛え上げる時間も惜しいこの状況に、これほどの勇者が現れてくれたことはまさに、光の女神ユリンの加護あってのものと言うほかないだろう。
当初は難色を示した勇者であったものの、人同士の争いではなく、竜が獣と聞いて安堵したようで、最終的には引き受けてくれることとなった。
どうやら話を聞く限り、今は俗世から離れ、世捨て人のように親しい者達と過ごしていたようで、それが理由なのだろう。
彼女ほどの力――権力者という権力者が彼女という力を求めたに違いない。
想像すれば、その心中は容易に想像が出来た。
その穏やかな生活を奪ってしまったことに対し、重ねて頭を下げるリリーベルに首を振り、事情は伝わりましたから、と彼女は微笑む。
強さと人格を兼ね備えた、素晴らしい勇者。
ただ問題は、あまりに謙遜の過ぎる方であった。
本当に自分が勇者で良いのか、何かの間違いではないのかと口にし、それがちょっとした騒動を引き起こすこととなる。
「えぇと……この距離でよろしいのですか?」
「この距離、とは?」
王国の修練場、およそ三間の距離を開き、勇者と向かい合うのは黒髪の近衛団長のユーリスであった。
小柄な赤毛の勇者と違い、女性としては高めの身長。
高く結った髪を揺らし、その凜々しき顔に疑問を浮かべる。
対する赤毛の勇者、ベリーはその愛らしい美貌に困惑を浮かべていた。
事の発端は謙遜を続ける勇者ベリー。
彼女が仕えているらしい姫君、クリシェを立てるためか、『勇者は多分、クリシェ様なのでは……』などと度々口にするのだ。
レベルは強さを定める指標、女神の定めたものである。
間違いは決してない、と告げるリリーベルに当初ユーリスも同意を示していたのだが、あまりに謙遜を重ねるベリー。
レベルなしのクリシェが勇者と語るベリーには、こちらをからかう意図があるようには見えず、本心からそう口にしているように思えた。
あれだけの大儀式によって召喚された勇者。
その実力に関しては一切疑っていなかったリリーベルと違い、疑問を口にしたのは近衛団長ユーリス。
彼女には強力な戦士が持つべき強大な魔力を感じないと彼女は告げる。
その上、クラスはロイヤルメイド。
――メイドである。
およそ戦闘職とは思えないクラス。
こちらとあちらではそもそも、レベルの概念というものが大きく異なるのではないか、と彼女は考えたらしい。
こちらにおけるレベルとは、強さを示す絶対的な指標。
しかし、彼女のそれはメイドとして見た場合における強さが、レベルとして表現されているのではないか――そう彼女は考えた。
メイドとしてのレベル100は、例えば戦士としてのレベル10に相当する強さ、という解釈である。
327という異常な数値もそれならば納得がしやすい。
ベリーは何でも出来ますし、剣も上手なのです、という姫君クリシェの言葉と、剣は嗜み程度というベリーの言葉。
『メイドの嗜み(特級)』というよく分からない固有アビリティ。
一度手合わせを行なえば全てがはっきりするでしょう、とユーリスは告げ、この状況へと到った。
そういうことならばまずはクリシェ様と、と告げるベリーであったが、流石に侮りが過ぎます、と告げる彼女に困った様子。
どうやら、構えた距離にも疑問があるらしい。
「勇者殿が望むのであれば、距離を近づけても構いませんが……わたしは魔法剣でも、純粋な剣技の勝負でも構いません」
「魔法剣……いえ、ユーリス様がよろしいと仰るならこれで」
クッキーを食べながら、隣で見ていたクリシェにリリーベルは尋ねる。
「あの、勇者様は何を……?」
「距離が近すぎるので勝負にもならないと。こっちの人は魔力を沢山持ってるのに、肉体拡張はしないのでしょうか?」
「……勝負にもならない? 肉体拡張とは、肉体を強化することでしょうか?」
クリシェが頷くと、リリーベルは答えた。
「ユーリスはマジックウォリアーです。肉体を強化する術に関しては、誰よりも長けておりますが……」
「根本的に魔力の使い方が違うのでしょうか……」
「根本的に……?」
リリーベルは眉を顰めた。
二人の正面では、勇者と三間隔て向かい合うユーリスが、胸の前で剣を掲げる。
「では……大いなる光の女神ユリンよ! トートキ王国が剣、このユーリスに目映き光の加護を与えたまえ!」
そして叫び剣を頭上に突き立てると同時、全身から迸るは強大な魔力。
見ていた者達は驚きを浮かべ、団長は本気だ、と近衛の者達も顔を見合わせていた。
いくら実力を試すためとはいえ、流石に手合わせという言葉からは逸脱した力。
思わず制止しようかと迷うリリーベルであったが、ますます困惑した様子のベリーと、隣で暢気にクッキーを食べているクリシェに躊躇する。
「なるほど、こっちの人は魔力の扱いがすごく下手っぴなんですね」
「へ、下手……?」
「魔力がほとんど散逸してますし。体内魔力が多いせいで、つい無駄遣いをしちゃうのでしょうか……」
鉄剣を光の剣に変えるような、魔力の光。
ユーリスのレベルは56――大陸でも有数の戦士であった。
それに対して下手、とはっきり口にする隣のクリシェに違和感を覚える。
そして誰もが一歩距離を取るような圧力に対し、勇者ベリーも剣をぶら下げ立ったままであった。
「さ、どうぞあなたも。勇者殿」
「ぃ、いえ……わたしは特に、そういうのは……」
その言葉に、侮られたと感じたのか。
ユーリスの眉間には深い皺が刻まれ、わかりました、と答える。
「……姫様、合図を」
「ぇ、ええ……では」
リリーベルは右手を上に。
「……始め」
そう手を振り下ろした瞬間、ユーリスは正眼に構えた剣を振り上げる。
閃剣のユーリス――その二つ名は伊達ではない。
魔力で強化された肉体から放たれる一閃は、眼前の障害を数間先まで一刀両断にする光の刃。
近間であれば竜の首さえ両断する、そういう絶技である。
対抗するにはそれを相殺しうる魔法剣を振るうか、あるいはその剣速を圧倒するような踏み込みにて先の機を手にする他ないが、あまりに遠い三間の距離。
魔法剣による真っ向勝負を行なわないのであれば、ユーリスが口にしたように間合いを近づけた純粋な剣技勝負に持ち込むべきであった。
しかし勇者ベリーは魔力を解き放つこともなければ、魔力を練り上げるでもなく、剣さえ構えず向かい合っている。
このままではただ棒立ちで、魔法剣を受けるだけだった。
あまりにユーリスを侮りすぎている――
「……ぇ?」
――そう感じた瞬間、事は終わっていた。
棒立ちであった彼女が姿勢を落としたと思った次の瞬間、彼女の剣の切っ先はユーリスの首の横を貫いていた。
まるで瞬間移動でもしたかのように。
いや、宙を舞った後ろ髪と、エプロンドレスの裾がふわりと落ちる様を見れば、認識も出来ぬほどの踏み込みであったのだろう。
それを確信させたのは、冷ややかな微風を感じて。
その場にあった誰もが呼吸を失っていた。
光の剣を振り上げたユーリスでさえ、構えたまま硬直し。
困った様子の、申し訳なさそうな彼女と、クッキーを食べる隣の少女だけが自然体。
「えへへ、すっごく上手です、ベリー。ぴしゅんっ、って感じですね」
「ぁ、ありがとうございます……その、何だかすみません」
申し訳なさそうに告げるベリーに、固まっていたユーリスは上擦った声で、いえ、とようやく絞り出す。
そして集めていた魔力を解放すると、膝を突いて頭を垂れた。
「確かめる、などと……失礼を申し上げました、勇者殿」
「そ、そのようなことは……こちらこそ、その、申し訳ありません……」
慌てたように勇者ベリーも頭を下げる。
体内で練り上げた魔力の動きを欠片も悟らせず、そうでありながら時を超越するが如くの踏み込み――それがレベル327という異次元の高み。
『メイドの嗜み(特級)』という訳の分からない固有アビリティの力。
嗜み程度、という言葉の意味が、あちらとこちらでは違うのだろうか。
その答えが分かる日はその先も来なかった。
『二章:異界の姫君』
彼女らの世界はこの世界とは比べものにならぬほど発展しているようだった。
あっという間に言葉を翻訳、謎の扉であちらとこちらを平然と行き来し、こちらの魔術師の間では絵空事と笑われる空間転移さえ、勇者は可能だと聞く。
魔力が薄いというこちらでは多少の難があるようだが、あちらの世界から魔力を引っ張れば、容易に邪竜の巣、魔の山チウ=ネーンまで辿り着けるという。
ただ、懸念されたのは二つの世界が混じること。
あまりあちらの世界から大きな魔力を引っ張れば、それが後々こちらの世界に大きな悪影響をもたらす可能性もある。
勇者達だけであればそれを踏まえた上で、あちら側の世界を経由し邪竜の近くまでは行けたそうだが、問題は同行するリリーベル達。
ついでに村や町の被害状況を確認し、対応したいと告げる自分達を気遣い、旅は陸路でという形となった。
こちら側は万が一し損じた場合に供え、邪竜を封じるためにリリーベルと大賢者ヤークアイ。
近衛からはリリーベルが最も信頼する戦士、ユーリスを含め、選りすぐりの精鋭八名を連れてきていた。
皆騎乗し、勇者達にも馬を用意するつもりであったが、
「えへへ、ぐるるんと旅も久しぶりですね」
「ですね。いつも現地にそのままでしたし……」
扉の向こうから、クリシェという少女が騎乗用に連れて来たのは翠の虎である。
肩高で九尺はあろうかという、想像を絶する巨大さの。
エプロンドレスから黒い外套の旅衣装になったクリシェと勇者ベリーは、そんな虎の上に平然と腰掛け、談笑しながら街道を進んでいた。
屋敷で飼ってるペットだそうだが、ペットと聞いて想像する生き物ではない。
それを背後から見ている近衛達は困惑していたし、リリーベル達も同様である。
どこをどう見ても、凶悪極まりない化け物であった。
これから狩りに行くはずの竜達と、恐ろしさという点であまり変わりない。
実際話を聞けば、ただの獣と区別され、魔獣と呼称される怪物であるらしい。
聞く限りではこちらの世界に住む魔物と似た扱いをされる生き物で、体毛はしなやかだが、一本一本が金属で出来た繊維のよう。
抜け毛の一本でさえ、刃を叩き付けねば容易には切断出来ない。
――――――――――――――――――――
・ぐるるん
クラス :ペット(猫)
レベル :132
固有アビリティ:森の王(高級)
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そのレベルと『森の王(高級)』という固有アビリティを見る限り、リリーベル達では歯も立たない怪物なのだろう。
魔物の多いはずの場所を通っても、不自然なほど魔物の気配がなかった。
魔物でさえ本能的に逃げ出す化け物だということだ。
森での野営の最中、恐ろしい速度で木々を薙ぎ倒し、猪を狩る姿(遊んでいたらしい)を見せられれば、リリーベル達も本能で理解出来た。
そうして、旅の三日ほどは順調に。
野営を取る度、彼女達は見事な料理をリリーベル達に振る舞った。
あちらの世界の技術や文明に関してはあまり教えられない、と申し訳なさそうにしながらも、ちょっとした文化や作法の違いであったりと、日常的な部分についての交流は積極的に。
話しやすいのはやはり食に関するところだろう。
特に食材や料理に興味があるらしい二人に地方の特産や郷土料理を語れば、目をキラキラとさせるのはクリシェ。
知らない食材の話を聞く度、楽しそうにベリーと話し、和やかであったのだが、気になるのはやはり彼女である。
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・クリシェ=アルベリネア=クリシュタンド
クラス :メイドプリンセス(ハンター)
レベル :――
固有アビリティ:優しい狩人(神話級)
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いつの間にかクラスと固有アビリティが変わっていた。
見た目で言えば服を着替えたくらいだろう。
上質な黒外套に、ワンピースドレスやシャツにスカート。
ただ、そのブーツは鉄で補強された頑強なもので、後ろ腰には曲剣二本。
簡素な造りのものが一本と、優美な彫刻のものが一本。
どちらも手入れをされているが古いもののように思え、簡素な方は随分と使い込まれているように見えた。
令嬢の旅装束と言える装いでありながら、戦いを意識した妙な出で立ちであったが、異様なほどにしっくりと来る感覚。
そして意味の分からない、『優しい狩人(神話級)』という固有アビリティ。
クラス名や固有アビリティは自己認識と他者認識、そして経歴や能力からの客観的要素で決まるものだと言われていた。
恐らくエプロンドレスから着替えることで、彼女自身の認識が変わり、適当なクラスと固有アビリティが新たに割り当てられたのだろう。
立場を使い分ける人間にはこうしたことも時折あることで、修練と自己暗示の果て、意図的にクラスを偽装する裏稼業の人間というのも存在していた。
クラスだけで言えばそうした稼業の人間だろう。
話している雰囲気としては無邪気で幼げなのだが、違和感はいくつもある。
ぐるるんというペットに飛び乗る、身のこなし一つ見ても不自然だった。
肩で九尺――背中と言っても体勢によっては十尺はある。
その巨体にぴょんと跳びはね横乗りになる身のこなしは、とてもレベル0とは思えなかった。
身体強化も行なえない常人では、そもそも乗れもしない高さである。
だというのに、何故レベルが0なのか。
2でも3でもあれば、身体能力は高いが鍛えていないのだろう、と最低限の納得は出来た。
しかし、レベルは非表示。
戦うつもりがあるようには見えない、異様に謙虚なメイド勇者(レベル327)。
何故か武装した、異様に魔法や戦闘術に詳しいプリンセス(レベル非表示)。
馬鹿馬鹿しい答えを思考が導き出そうとする度、流石にそれはと首を振る。
あちらとこちらでは魔法体系が大きく違うということは聞いた。
詠唱魔法やレベル表示など、根本では同じ力を使いながらも法則そのものが大きく違っているという。
自分達が使う魔法はずっと原始的だと二人は言い、判子と筆だと説明した。
筆の方が自由度も高いが、判を押す方が簡単に同じものを生み出せる。
リリーベル達は詠唱にて指向性を持たせることで同じ魔法を用いた。
大枠は一緒。効果の差は純粋に込めた魔力の差であるが、どうやら彼女達は都度魔法を創造しているらしい。
どう説明すれば良いかと二人は暢気な様子であったが、最も魔法やその歴史に詳しい大賢者ヤークアイは言葉を失い、
『……お二人が語っているのは、神代の原初魔法のことではないかと』
後でひっそりとリリーベルに口にしていた。
あらゆる魔法が生み出されるずっと以前、原初魔法は願う全てを叶えたという。
人間には理解出来ない神の言葉。
自在に操れば世界の法則さえをもねじ曲げる、力の文字。
存在さえも疑われている神話の存在であったが、常識外れなベリーの力を見ればあり得ない話でもないと思えた。
リリーベル達が必死にこじ開けようとしていた穴を、造作もなく開いて閉じようとしたのはクリシェである。
勇者の降臨――果たしてそうであったのだろうか。
異界を自在に行き来する二人組。
その力はもはや、
「あ、飛び蜥蜴ですよ、ベリー」
「あれがこちらの竜でしょうか……飛んでますね」
二人の言葉にはっとしたように空を見上げた。
まだ黒点のような影が、空に二つ。
「――女神よ、我に調べを届けたまえ!」
護衛達がざわつき、すぐさま大賢者ヤークアイが杖を掲げて詠唱する。
魔力の波が大気を伝播し、少し遅れて返って来た。
「姫様、成竜が二体……どちらも大物です」
「ええ、総員戦闘準備を! ……勇者様、よろしいでしょうか」
「えと……はい、クリシェ様」
「こっちに気付いたみたいですね」
ぴょん、とぐるるんからクリシェは飛び降り、馬車の方へ。
中から二本の槍を手に掴んで、一本を軽く前方に放る。
何とも滑らかな投擲であった。
やはり、レベル0とは思えない動き。
黒点のように見えていた二つの影は凄まじい速度で近づき、すぐさまその形状までがはっきりと。
クリシェは手慣れた様子でくるくると槍を弄び、欠伸をするぐるるんの上、平然とそれを眺めるベリーに、リリーベル達は困惑する。
彼我の距離は一里と少し。
「っ……」
近づいて来た二頭は恐ろしい咆吼を響かせ、大気を震わす。
小声で詠唱し、確認すればどちらもレベル80台。竜の中でも大物であった。
「えへへ、久しぶりに飛び蜥蜴のステーキですね。お肉が柔らかいと良いのですが……」
「ふふ、クリシェ様はステーキお好きですよね」
二人は暢気に会話をしており、ふっ、と身を沈めたのはクリシェ。
踏み込みは見えず、響いたのは恐ろしい轟音。
転がるクリシェの姿に困惑していると、ぱん、と何かが弾ける音と共に竜の悲鳴。
一里先の上空では、頭を失った一頭が落下しているところだった。
もう一頭は悲鳴と共に翼をばたつかせ、すぐさま轟音。
一瞬黒い影が走り、もう一頭の竜の頭に当たると、血肉を撒き散らして弾けた。
一里の先で大地に叩き付けられた巨体が二度の地響きを。
「んー、あれくらいならもうちょっと加減しても良かったかも……結構柔らかめですし、もったいないことを――」
唖然としていたリリーベル達の目の前で、荘厳なファンファーレが響く。
「おぉ……なんか鳴ってます」
クリシェの頭の上ではレベルアップを知らせる光。
光の羽が舞い散り、再びファンファーレ。
一瞬で三度のレベルアップを果たしたクリシェの周囲で夥しい光の羽が祝福していた。
勇者の頭の上でも、同じようにファンファーレと光の羽。
何でしょう、と不思議そうな勇者に、リリーベルは伝えた。
「れ、レベルが新たな位階に到達したことを伝える、女神の祝福です……」
「あ、なるほど……そういう仕組みなんですね。世界自体にそういう魔法が掛けられているのでしょうか……」
勇者のレベルは328に。
クリシェのレベルはやはり、非表示であった。
何かの間違えで、多分勇者はクリシェ様である。
竜――あちらでは飛び蜥蜴と呼称される生き物の解体をしながら、改めて説明されたのはそんな言葉。
ただの投槍で一里の先から頭を粉砕された竜の死骸を見た後では『馬鹿馬鹿しい妄想』を否定する言葉はなくなった。
あまりにレベルが高いために、表示もされない。
そういうことであったのだろう。
『優しい狩人(神話級)』とは文字通り、優しい狩人。
獲物を痛めつけることなく、一瞬でその命を奪う姿を表したもの――竜の頭蓋は弾け飛び、確かに痛みを感じる間もなかっただろう。
優しい狩人だと言われれば、なるほど、と強引に納得させられる光景である。
あちらでは時々食べられている狩りの獲物だそうで、解体も手慣れたもの。
こっちの飛び蜥蜴は鱗がなくて楽ですね、と口にしながら、あっという間に皮が剥かれてただの肉に。
二人にそれを指示されつつ、護衛達の剣も解体用の包丁扱いであった。
余った肉は保存する、と扉の向こうの倉庫に運ばれ、旅の続き。
翌日立ち寄った村では、山を荒らす魔物をどうにかして欲しいと乞われたことで、山の主と呼ぶべき猪の魔物と遭遇したが、
「あ、やっぱりこの辺りですね」
装甲と呼ぶべき強固な外皮をあっさりと抜き、目にも留まらぬ速さで心臓を一突き。
軍を連れてくるべき相手さえもが狩りの獲物。
竜が生息圏を広げた結果か、村や町はどこも魔物の被害に悩まされていたのだが、サクサクと槍で貫かれ、あるいは首を曲剣で裂かれ、時には投槍で頭を粉砕されながら、全てその日の夕食に。
連れてきた護衛はもはや、剣を抜くことさえなくなった。
野性の獣特有の、鋭敏な感覚を持つ魔物に気付かせることなく、クリシェはあっさりモンスターを狩る。
屋敷のペットだというぐるるんは、誰もが身構えるような魔物の頭を遊び感覚で殴りつけ、豪快にその首をへし折った。
近衛団長ユーリスが手も足も出ない、メイドのベリーはそんな光景を微笑ましそうに眺めながら拍手する。
世界が違うとはこのことだろう。
この世界で恐れられる魔物達は、多分彼女達にとって兎か何かなのだった。
レベルの上がり方も別世界。
新しい魔物を狩る度、解体する度クリシェのレベルはいくつも上がり、響き渡るはファンファーレ。
遊んでいるぐるるんの頭の上でもファンファーレ。
笑顔でそれを見ているだけのベリーの上でも、何故か時々ファンファーレ。
女神のファンファーレもセールの時期があるのだろうか。
異様な大盤振る舞いである。
レベルとは強さを示すもの。
経験を積み、魔力と技術が高まることで位階が一つずつ上がっていく。
十年二十年の歳月を掛け、レベル10から11に上がるものもいれば、同じ時間で40、50と上がるものもいる。
生まれ持っての才能というものは残酷なものであった。
同じことをしているようでも、得る経験は大きく違ってくる。
同じ時間剣を振り、あるいは同じ魔物を倒しても、得られるものは平等ではない。
ただ一つ確かなことは、高くなればなるほどに膨大な経験が必要になる、という一点だろう。
数十年を掛け鍛え上げ到達したレベルから、一つレベルを上げるためには凄まじい修練を要するものだ。
レベルが上がったことを祝し、宴を開くこともある程度には。
レベルというのは積み上げるもの。
高く高く積みあげるほどに、新たな経験を積むことが難しくなるのは必然だろう。
果たして彼女達は、何から経験を得ているのか。
リリーベル達はファンファーレが鳴る度に閉口するしかない。
再び現れた竜は、綺麗に心臓を一撃だった。一里の先から。
どうやら狙ってのものであったらしく、先日は竜の頭を弾けさせて折れていた槍は突き刺さったまま綺麗なまま。
上空から落下する竜の姿勢も考慮していたのだろうことは、
『ん、こんな感じで仕留めれば使い回しが出来そうですね』
『ふふ、流石クリシェ様、お上手ですね』
『えへへ、咆吼する時に上体を起こす習性があるので、そのタイミングに合わせたらベリーも出来ると思います。背中から落ちてくれますし』
などと、槍の状態を見て満足そうな二人の姿から理解は出来た。
獲物を解体するときにもレベルが上がる、メイドと姫君。
恐らく魔物の体の構造から、どこに槍を突き立てれば仕留められるか、どこが最も脆弱か――そうした情報から莫大な経験を得ているのではないか。
神妙な顔をしていたユーリスはそのように解釈したようだ。
是非後学のため、差し支えない範囲で剣を教えていただきたい、
そう頭を下げるユーリスに二人が語ったところによると、根本的に戦い方、力の使い方が異なるようで、対峙する距離からして五間や六間。
槍であってもかすりもしないような距離から始まるそうで、威力を重視するこちらとは違い、あちらは速度を重視した。
五体を最大限に駆使し、精密かつ流動的な神懸かり的魔力運用によって弾き出される、驚異的な踏み込みと一閃。
刃圏からして大いに異なり、一見異様な遠間に見えても眼前で剣を振るわれるのと大した違いはない。
剣を振るう一挙動の間に終えられる、常軌を逸した踏み込み。
それが出来て初めて、クリシェが語るには最低限。
無論それは遙か高みのクリシェの視点。
現実には四間五間の踏み込みと剣を振るう一挙動を合わせられる人間はあちらでもそう多くはないとベリーは語っていたが、速度という点でこちらの剣術を圧倒していることは間違いないのだろう。
彼女達の世界の戦闘術は常に対人間を想定し、磨かれてきたという。
対するこちらは魔物を倒すため、威力を重視した戦闘術が発展したのではないかとベリーは語った。
こちらでは人を脅かす魔物が数多く生息していたし、強固な外皮、外殻を備えるものも少なくなく、兵士は皆魔物と戦うことを想定し訓練する。
対するあちらでは魔獣というものは希少だそうで、街道に現れることも稀。
極一部の地域を除けば、魔獣討伐を専門に訓練する、ということがない程度には珍しい存在だという。
目的の違いによるものだと言われれば、なるほど、と納得も出来る。
そして魔力量の差。
あちらと比べこちらの人間の魔力量は随分多いようで、彼女達の世界では魔法は周囲の魔力を用いるもの。
内側の魔力だけで魔法を使うというのは至難。
魔法剣を用いて数間先を切り裂けるならば、踏み込みによって数間先を刃圏に収める彼女らと結果としては変わらない。
それを磨いていく方が良いのではないか、とベリーは言いながらも、ユーリス達に熱心に乞われ、困った様子で彼女達に指導を。
ユーリスも選りすぐりの近衛達も子供扱い。
嗜み程度という言葉は果たして、どういう謙遜であったのだろうか。
一振りで分かる理想の極地。
主従が振るって見せるは究極の剣である。
相手の弱いところに、こちらの強いところを押し付ける。
相手に強い行動をさせないよう、崩しや誘いで動きを縛り、あるいは殺し、弱い行動を誘発させる。
最終的には積み木のパズルだと、口にする言葉は極めたが故のものだろう。
自分の最高到達点に到ってしまえば、考えるべきは相手にどう対処するかだけであり、鳴り響くファンファーレもそういうことだ。
新しい魔物と出会い、習性や構造を知り、弱点を知ることがそのまま強さ。
積み木のパズルでレベルが上がるのが勇者というもの。
二人はもはや、剣を振るう必要もない、理解出来ても納得出来ない境地にあった。
『そうですね……確かにクリシェの方が微妙に、ほんのちょっとだけ得意な部分もあったりするのですが、ベリーはクリシェよりずっとずーっとすごくて頭が良くて賢いので、勇者様? が世界一強い人を示すなら、やっぱりベリーなのです。クリシェはまだまだベリーの足元にも及びませんし』
『く、クリシェ様……余計に誤解されますので……』
あちらでは世界一の剣士らしい、クリシェが手放しに語るところを見るに、勇者もまた常人の域からは逸脱していることは確かなのだろう。
ユーリスとの一戦から謙遜も失礼だと思ったのか、嗜み程度、などとは口にしなくなったのだが、
『年に数回、暇なときに剣で遊んでるくらいですね。ベリーはいつも使用人としてのお仕事ですっごく忙しいのです』
うんうん、と語るクリシェの言葉を聞けば、なるほど確かに嗜み程度である。
――常軌は逸していたものの。
そのようなクリシェの言葉もあり、勇者はやはりベリーという形となった。
実質、どちらであってもリリーベル達からすれば想像を絶する主従であることは変わらず、理解出来ない高みの話である。
勇者様、と呼ばれることにベリーは居心地が悪そうであったが、彼女も渋々納得しつつ、その後も旅は順調に。
二人の姿に剣の神髄を見た、とユーリスのレベルが三年ぶりに上がったりと色々あったが、邪竜討伐の旅は信じられないほど和やかに進み、そうして二週間が経とうという頃だろう。
「使用人の分際でおねえさまを二週間も独占するなんて!」
「……甘えてばっかりのクレシェンタはお留守番だって言ったはずなのですが」
「ま、まぁまぁ、クリシェ様……」
現れたのはお屋敷と呼ばれる場所の主。
赤に煌めく優美な金の髪を揺らし、大きな眼をつり上げた、
――――――――――――――――――――
・クレシェンタ=ファーナ=ヴェラ=アルベラン
クラス :ペット(プリンセス)
レベル :――
固有アビリティ:偉大な名君であった犬(神話級)
――――――――――――――――――――
レベル非表示のプリンセスがまた一人。
偉大な名君であった犬――果たして彼女は、どのような異能の持ち主なのか。
ペットとはどういうことなのか。
リリーベル達は新たな勇者一行の姿に顔を見合わせた。
青き光が空を覆う世界。
木々に囲まれた屋敷の庭で、ブラウスとスカートに身を包み、紅茶を飲むのは優美な金の髪を纏めた少女。
「たまにはいいわね、静かにのんびりとお茶を飲んで」
「ふふ、クレシェンタ様まで出かけてしまうと流石に少し寂しいですが」
黒髪を垂らした使用人は苦笑しながら、同じく紅茶に口付ける。
その言葉に呆れた様子で、金の髪の少女――セレネは言った。
「あなたは本当、変わってるわよね。置いてかれて不機嫌なお馬鹿の相手をしながら、毎日飽きずに楽しそうで……」
「クリシェ様に任された大役でございましたから……とても楽しかったです」
黒髪の使用人――アーネは微笑みながら口にして、セレネは呆れを強くする。
異世界とこの世界が繋がり、クリシェとベリーは飛び蜥蜴のようなものを退治するようお願いされてしまったらしい。
世界の危機に異界から勇者を呼ぶのがその国の慣習で、どうにも断り切れなかったらしく、魔獣退治だけならと出かけていった。
こちらと関わりのない全く別の世界だそうで、その辺りはよく分からないかったが、ベリーが大丈夫だと言うなら大丈夫なのだろう。
基本的にろくでもない使用人だが、良識というものはきちんと持っていた。
踏みにじるために良識を学んだのではないかと随分前から疑ってはいるのだが、法や倫理、道徳というものをセレネが教わったのもベリーである。
今のベリーに当時の自分の言葉を聞かせてやりたいと何度思ったものだろうか。
問題はクレシェンタ。
旅行気分の姉に、
『この旅行――いえ、この旅はベリーの息抜き……こほん、勇者であるベリーがお願いされたすごく大変なお役目なのです。クリシェはお手伝いするため一緒に行きますが、クレシェンタはお屋敷で大人しくお留守番ですからね』
などと繰り返し念を押されて渋々納得したものの、不機嫌も不機嫌。
毎日ぷりぷりと文句を言い、セレネのところに入り浸っては邪魔をして、アーネはお守り役として一日中わがままを命じられていたのだが、当のアーネはけろりとした顔で一日中ニコニコと。
不機嫌なクレシェンタの相手などセレネはお願いされてもしたくないのだが、何を言われてもお任せくださいとアーネはべったり世話をしていた。
まるでそれが生き甲斐と言わんばかりである。
クレシェンタはお馬鹿でわがままでだらしなく、基本的にクリシェ以上にどうしようもないお子様であるが、あれで意外に人を気遣うところがあった。
全てが全て善意で構成されたアーネが相手となると、遠いどこかに置き忘れた気遣いの心を取り戻すようで、二週間も我慢していたのはアーネの力。
ぷりぷりと文句を言う度宥められ、わたしがいますから、などと溺愛するアーネに対しては強くは出られなかったらしい。
「わたしにとってクレシェンタ様は今も変わらず、永遠に偉大な女王陛下にございますから、お世話をさせていただけるなら毎日でも嬉しいです」
「あなただけよ、あのお子様にそんなこと言ってるの。ベリーといい勝負だわ。あっちは最初の最初から、クレシェンタをお子様扱いしてたけれど」
くすくすと、アーネは楽しそうに笑って言った。
「あの頃の皆様は本当に、大変な責任を背負われていましたから。そのご当人であったセレネ様にはお分かりにならないのかも知れませんが……」
「……?」
「そうした皆様の大変なご苦労あったからこそ、あの時代、本当に多くの人が助けられ、幸せに過ごせたのだと思っています」
幸せそうに胸に手を当てて。
「多くの内の一人であったわたしに、何かお役目があるとするのなら、あの時代に生きた一人として、そんな皆様に感謝を伝え、お仕えすることなのだと」
何年経っても変わらない、心根が透けるような微笑みであった。
「偉大なる女王陛下もアルベリネアも、気高き王国元帥も、今となっては忘れ去られて史書の中。ですがわたしだけは、そこに生きていた一人の民として、皆様が成した全てのことを永遠に覚えておきたいと思うのです」
呆れるようなアーネの言葉に頬を染め、嘆息する。
クレシェンタが苦手とする訳である。
毎日毎日ぐーたら、わがまま三昧。
ぷりぷり拗ねて、べたべた甘えて、わんわんごっこの三歳児。
そんな今の有り様を見せているにも関わらず、平然と心からの敬意を向けられてしまうのだから、居心地悪い事この上あるまい。
「……あなたって、色々ベリーと真逆よね」
「ま、真逆……」
「まぁいいけれど、あなたはそんな感じで。普段ベリーと接しているせいか、心が洗われるようだわ、本当に。今度爪の垢でも飲ませてあげてちょうだい」
「ぉ、恐れ多すぎます……」
アーネは困ったように言って、セレネは嘆息する。
いかがわしい本を書いてはいるものの、何と清らかな心の持ち主だろうか。
どこぞの使用人とは大違いである。
「ま、しばらくは伸び伸びしましょ。折角お馬鹿二人を連れてベリーが出かけてる訳だし、たまにはこういう時間を満喫しないと……今日は夜空でも見ながら焚き火を囲んで、庭で網焼きでもしない? リラも呼んで」
「あら、楽しそうなお話ですね」
「エルヴェナ様、お仕事は終わりですか?」
肩で黒髪を揃えた使用人――エルヴェナは、ええ、と頷き微笑んだ。
「リラ様も周期的には修行も終わりの頃合いですし、後でお声掛けしますね」
「……あんまりいじめないようにね?」
「いじめる……?」
「とぼけないの。全く……」
呆れたようにセレネは言い、笑った。
「ま、あっちはあっちで楽しくやってるんだもの。こっちもぱーっとお酒でも飲んで、楽しくやらないとね」
『三章 エーナの光』
あちらの世界を統べる、気高き孤高の君臨者。
王の中の王にして神に等しき大君主、クレシェンタ=ファーナ=ヴェラ=アルベラン(自称)。
美しき少女はクリシェと同じくレベル非表示。
レベルの表示さえされもしない高みの存在である。
勇者やクリシェと同様、あるいはそれ以上の存在なのではないか。
そんな彼女が果たして何のために現れたのか――困惑していたリリーベル達であったが、
「うるさい音ですわ……ふぁ……」
「ふふ、レベルアップおめでとうございます」
結論としては、鳴り響くファンファーレが一つ増えただけであった。
勇者にダッコされ、眠たげに欠伸を漏らすクレシェンタの上ではファンファーレ。
勇者の上でもファンファーレ。
当然クリシェの上でもファンファーレが幾重にも。
山道、地に伏しているのは鉱石竜ヘィガネー。
文字通り外皮が鉱石のような鱗に覆われた、巨体の竜である。
空は飛べないものの、その突進は城壁さえも崩すと言われ、竜の中でも上位種に位置づけられる化け物であったが――威嚇の咆吼をした瞬間、あっさりと口内を槍で貫かれての脳破壊。瞬殺であった。
「うぅ……っ」
「うぅ、じゃありません。お仕事はちゃんとするって約束ですよ。解体も手伝わないなら無理矢理送り返しますからね」
などと、クリシェはクレシェンタの頬を引っ張り、始まるのは解体作業。
近衛達もすぐさま近づき、彼女達の指示に従いながら作業に参加する。
生涯一度あるかないかという竜の解体作業であったが、もはや近衛達も手慣れたものであった。
牛や豚の解体のように淀みなく、その手の剣も解体包丁である。
竜や大型の魔物が造作もなく狩られていく姿に、もはや彼らの驚きも薄れ、敵が現れ剣を引き抜くのは戦いの準備ではなく、解体の準備のため。
「えへへ、今回竜の角はミッドさんですね」
「は、ありがたき幸せ……!」
希少価値が高い竜の角など家の家宝にするべきものだが、特に興味がないらしく、竜を狩る度に贈呈された。
何でもあちらで有り余っているらしい。
「ぷりりん、皮を剥がしてください」
三日ほど前クリシェに拾われ、勇者一行に加わっていたスライムは、竜の肉と外皮の間に体を滑り込ませると脱皮でもさせるように皮を剥ぐ。
出会った頃はレベル3。
ぷるぷると震えてこちらを見ていたスライムは、竜の血肉を存分に喰らって凄まじい成長を遂げ、たった三日でレベル30の大台である。
ゴキ、ゴキ、と歪な音と共に強制脱皮させられる鉱石竜を眺め、色々な常識が遠く彼方へ消えていくのを感じていた。
「……得るものが多い旅ですね、姫様」
岩に腰掛けていたリリーベルの隣、近づいて来たのはユーリスであった。
「え、えぇ……あなたのレベルも60になるなんて」
「ただ、剣の威力を高めることだけを意識してきた三十年……勇者様達と出会ったことで、新たな道が拓けたように感じます」
ユーリスはそう言って頷いた。
戦いとは力と力のぶつけ合い、正面からの戦いが基本。
強大な敵に対し、最大限に高めた一撃によって勝利を手にする、というのが王国の剣技であった。
恐れを消して邪念を排し、己を追い込むことでのみ振るえる武人の剣。
細かな違いはあれど、この世界における戦闘の基本はそういうもの。
最大の力に対し、最大の力で応じることを決闘や手合わせでも美徳とした。
ベリーの言葉通り、魔物に対する戦いというものを重視してきたが故だろう。
対する彼女達の戦い方は、徹底的に相手の力を封じ、最小の力で勝利することを目的としており、こちらの文化としては卑劣と捉えられる手段も戦いにおいては平然と行なうらしい。
『勝負に勝つためにはどんな手段を使っても良い、というのがクリシュタンド家の教え……強さとは自由であることなのです。ね、ベリー』
『そ、そうですね』
――強さとは自由であること。
矜持や名誉ではなく、何のために剣を振るうか。
何のために勝たねばならないのか。
そうした言葉がユーリスの琴線に触れ、何かの切っ掛けになったのだろう。
三年伸び悩んでいたレベルが三つも上がって今では60。
近衛達も数人、稽古の中でレベルを上げていた。
「己の魔法剣に限界を感じていました。腹を据え、それのみに集中することで最大の威力を振るう……確かにそこにも利点はありますが、その剣ではわたしよりも弱いものしか倒せません」
ユーリスは腰の剣に触れ、頷く。
「いかに力を振るわず勝利するか。勇者殿やクリシェ様の技は常に、十分に足る最低限……過不足なき一閃。極めれば魔力も通さぬ槍で易々竜の頭蓋を砕き、鉱石竜さえも仕留められるのです。これより目指すべきはそうした道でしょう」
その言葉を聞いて、リリーベルは微笑んだ。
「……わたしは勇者様達のお力に驚くばかり。あれほど隔絶した力を見せつけられて尚、熱意を失わない……あなたのような武人が、わたしの隣にいて良かったと思います」
「自分は何をやってきたのか……正直、心が折れる思いでしたが、わたしは姫様の剣です。例え折れたとて、溶かし打ち直せば良い……そう思い直せました」
「……ユーリス」
ユーリスは片膝を突くと、リリーベルの手を取った。
「未だ、なまくらではありますが、必ずや、姫様に相応しき剣となりましょう」
「……ええ。期待しています」
そうして恭しく口付けを。
くすぐったいその感触に、リリーベルはくすりと笑って見つめ合い、
「いやはや、若さとは素晴らしいものですな」
その言葉に二人は肩を跳ねさせ、頬を染める。
近づいて来たのは髭長の老人、大賢者ヤークアイであった。
「……ヤークアイ、花の触れ合い妨げるべからず……ユリンの裁きが下りますよ」
「これは、お許しを……触れ合いも終わったところかと」
「全く、ユリンの大賢者ともあろう方がその様でどうするのです」
リリーベルは頬を染めて老人を睨んだ。
女神を信仰するトートキ王国において、女性が力を持ち、その触れ合いは神聖なものとして尊ばれていた。
それを妨げるものには神罰が下るとされている。
同じく頬を染めたユーリスはわざとらしく咳払いすると、言った。
「姫様……大賢者殿は女神の教えに精通する方。何かお考えがあるのでしょう」
「……考え?」
ヤークアイは頷き、山道の先を眺めた。
「……眺める者として誓いを立てた身……花の触れ合いに割って入ろうなどと、罪深きことを望んではおりません。しかし、感じるのです」
「感じる……ですか?」
「ええ。光強く輝けば……影もまた濃く闇へと転じる。この世に光と闇……二つの大きな力があることはご存じでしょう」
リリーベルとユーリスは眉を顰め、頷く。
子供の頃に習う、この世界の基本原則であった。
「しかし、それを司るユリンとガルラ、二人の姉妹神は時に意見を違えど愛し合う関係にあり……故に世界は相反する要素を内包しながらも、保たれている。それもご存じですな?」
「……ええ、それが何か?」
「それの意味することはこうです。光と闇だけではなく……この世界にはそれを繋ぐ、もう一つの大いなる力が存在する」
「っ……」
これは仮説でありましたが、とヤークアイは勇者達を眺めた。
勇者の両腕に抱きつき甘える、二人の姫君の姿。
「勇者様がクリシェ様と現れたとき、薄々と感じていましたが、もう一人……クレシェンタ様が現れてから、半ば確信となりました。勇者様達のこと、姫様にはどう見えますか?」
「それは……とても、仲睦まじい、とは」
ユーリスと顔を見合わせ、リリーベルは答える。
朝から晩まで、文字通り一日中二人はべったりと過ごしていた。
早朝には天幕から二人で現れ、楽しそうに昨晩の夕食の残りをつまみつつ、楽しそうに朝食作り。
町や村で手に入った食材で何を作ろうあれを作ろうと語りながら、凄まじい速さで手際よく料理を仕上げつつ、イチャイチャと。
花の触れ合い妨げるべからず、とはまさにこのこと。
余人の立ち入れない、花の結界と呼ぶべき空気の中に二人はあった。
話しかけられるのはその隙間時間(ごく僅かである)か、移動中にぐるるんの上、クリシェがすやすやとベリーに身を預け眠っているタイミングである。
夜になれば酒を口にしたクリシェが益々強く甘えるようになり、困って頬を染めるベリーと共に天幕へ。
酔うとキス魔になるらしく、見ているこちらが赤面するような仲睦まじさ。
そこにクレシェンタも増えたことにより、花の結界はその力を増していた。
「わしの目から見た勇者様達は、ユリンでありガルラでもあります」
「……それは」
「光の内には闇を孕み、闇の内には光を孕む。我等は光の女神ユリンの使徒ではありますが……勇者様達にはそのような区別もないのでしょう。昼日向にはユリンの花を咲かせ、月夜の晩にはガルラの花を」
何とも美しい在り方です、とヤークアイは深く頷いた。
光の女神ユリンは清らかな愛を尊び、闇の女神ガルラは欲望の愛を尊ぶ。
故に目が合い、手が触れ合って恥じらう関係をユリンの信徒は至高とし、相手を我が物に支配するような、ドロリとした関係こそをガルラの信徒は至高とする。
一方こそが全てと語る者もいるが、互いが孕む光と闇あればこそ際立つもの、と学びを深めた者ほどに寛容であった。
「光と闇を調和させた、女神の奇跡の体現者。勇者様達はまさにそのような存在……わたしはそこに美しき花の力を見ました」
「花の力……」
「ユリンとガルラ、そしてそれを繋ぐ王国の紋章、エーナという花の力。それによってこの世界は成り立っているのです」
リリーベルは目を見開き、ヤークアイは続けた。
「しかし、光と闇がそうであるように……エーナの力にも対極の力がある」
「……邪竜オジロス」
「そう。美しき花畑を踏みにじるが如く、この世に戦乱と災いをもたらす力。恐らくは魔物達もその影響を強く受けているのではないかと」
リリーベルは渋面を作り、ユーリスも同様であった。
「……不自然には思いませんか? あまりに強大な魔物ばかりが我々の前に現れる。勇者様達のお力があればこそ、どうにかなっておりますが……」
「それは……感じていました。どれも、一頭現れれば村や町を易々と滅ぼすような魔物達です」
しゅぱんっ、びしゅっ、とクリシェはあっさり仕留めているが、どれもが恐ろしい魔物達であった。
空を舞う竜に対しては魔法で上手く拘束するか、運良く技量ある魔法剣の使い手のを狙うことを祈るしかない。
装甲を持つような魔物であれば並の兵士では歯が立たず、ただ巨体だというだけでも多くの攻撃は有効になり得ないのだから。
精鋭を連れてこなければ、どうにもならない魔物達。
この近辺にこれほど強大な魔物が生息していたのかと驚くほどであった。
「光と闇が共に高め合うように、勇者様達の強き花の力に奴らもまた呼応しているのではないかと。勇者様達が輝くほどにあの忌まわしき魔の山、チウ=ネーンから発する悪しき波動……センキィが強まっているように感じるのです」
「センキィ……」
「世界に血と悲しみの雨を降らせるという、邪悪な力……ユリンとガルラ、そしてエーナを焼き滅ぼす災厄の炎。勇者様達が輝かしき花を咲かせるほどに、その炎は天をも焦がすでしょう。決して油断すべきではありません」
真面目な顔で語るヤークアイの言葉に、何かを返そうとした瞬間、
「っ……」
――大気が震えた。
心臓が鷲づかみにされるような、下肢から力が抜けるような、そんな咆吼。
山脈の向こうに顔を覗かせる、魔の山からそれは響いていた。
リリーベルは思わずユーリスの手を握り、ユーリスも強く握り返す。
近衛達もまた手を止め、僅かに後ずさるように山へと目をやり、
「活きが良さそうですね。レベルが高いほど旨味も強いみたいですし……邪竜はすごくおいしいかもです」
「ふふ、そうですね。お肉が柔らかいと良いのですが……」
「硬かったら薄切りにして、お祝いに皆でじゅーじゅーしながら焼き肉も良いかもですね。あっさり系のテールスープも作って……」
「カツも食べたいですわ」
勇者達は暢気である。ぐるるんは大きな欠伸をしていた。
この咆吼に何も感じないのであろうか。
どうやって食べるかしか考えていない。
「お伝えする……べきでしょうか?」
リリーベルの言葉に、ヤークアイは神妙な顔で首を振る。
「クレシェンタ様を加え、高まるエーナの力……呼応し強まるセンキィの波動。今勇者様達に水を差し、エーナの力を削ぐことはどのような結果を生じさせるか、このわしには分かりかねます」
「……、なるほど」
「それに、これまで聞いた限り……勇者様達はセンキィの色濃い世界よりいらっしゃったのではないか、と」
眉を顰めると、ヤークアイはユーリスに目をやった。
「人と人とが争う世界で磨かれた技術……人同士で殺しあうことを前提に、編み出された恐ろしき戦技。……ユーリス、あの高みに到達出来る、と?」
「……いえ、近づくことは出来ましょうが、そこまでは」
ヤークアイはその言葉に深く頷いた。
「我々の常識を超えるあの力は、センキィで覆われた世界であったが故、培われたものではないか、と思えるのです」
「センキィで、覆われた世界……」
「されど、あれだけの強さがありながら大輪を咲かせるエーナの花。勇者様達は、荒れ果てたセンキィ世界を彩り輝かせる、一輪の花であったのではないか。そうもわしは考えました」
真剣な顔でリリーベルとユーリスを見つめ。
それから、楽しそうに竜の肉を切り分ける三人に目をやった。
「世界を照らすほどのエーナの光。オジロスも女神に等しき力には敵わない。仮にそうでなくともエーナとセンキィ、両者が互するならば……勇者様達が内に孕む、センキィの力が勝敗を分かつだろう、とも」
わしの願望も混じったものですが、とヤークアイは続け、リリーベルはユーリスと顔を見合わせ、微笑んだ。
「……信じましょう。女神の導きによって現れた勇者様です。邪竜オジロスがいかに強大であろうと、勇者様達はそれを打ち破る……と」
「ええ。勇者殿はこの短い旅の間に、我々の常識を幾度も塗り替えてきた。今回もまたそうでしょう。……案外邪竜オジロスさえ、槍の一投で終わらせてしまうかも知れません」
ヤークアイは二人の言葉に、
「そうですな。……信じることもまた、女神ユリンの教えです」
細い目を更に狭め、柔らかく頷いた。
「…………」
「…………」
「…………」
それから更に一週間後――日暮れの魔の山、チウ=ネーン山頂。
炭火焼きの台や寸胴などが並べられた即席調理場にて、三人が見つめるのはいつになく真剣な顔をした少女クリシェ。
彼女はまな板の上、薄切りにした肉を病的なほど丁寧に重ねているところであった。
一見流麗、淀みなく鮮やかに見えるその動きであったが、見る者が見れば分かる迷い。
そう作られたカラクリが寸分違わず同じ動きをするように、常に理論上の最高を描いてきた彼女は赤味と脂身を重ねながら、その都度こうではないと向きをずらし、その額に薄らと滲むは汗。
「クリシェ様、適当で大丈夫ですからね? お料理は楽しく気楽にですよ」
「はい……でもこれは、この旅の思い出になる、最後の一品なので」
隣でスープを味見し、苦笑する勇者に、クリシェは答え、手を動かす。
肉の隙間には時折ハーブを薄く香らせるようにパラパラと、深々とした夜に振る粉雪の如く、薄い塩。
規則的でありながら、不規則に、細やかながら大胆に。
まるで絵画でも描くように、味に濃淡を描いていく。
『じゃあ、旅の終わりの記念に……クリシェ様にはメインのカツをお願いしてもよろしいですか?』
勇者が何気なく口にした言葉を聞いた途端、それまで楽しげであった少女の眉間に深い皺。
まるでこれから命懸けの勝負に挑むかの如く真剣な表情になり、
『……分かりました。クリシェがベリーの旅の最後を飾るに相応しい、最高の一品に仕上げます』
重々しくそう口にした。
最初に彼女は各部位を吟味するように、薄切り肉を焼いては口にし、選んだのは尾の付け根――竜の中では最も旨味がある部位。
そこに脂の乗った腹の肉を組み合わせ、考えているのは旨味と柔らかさ、そして油の甘みの調和。
計算され尽くした味の濃淡。
目指すはベリーがその小さな口で一口囓る度、変化する奥深い味わい。
「……おねえさま、パン粉はこれでよろしいかしら?」
隣にいる姉の真剣な様子に当てられてか、若干の緊張を浮かべたクレシェンタは、銀トレイを見せるように前へ。
焼いたパンから作成した出来立てのパン粉――ほんの少し香り付けのハーブが混ぜられている――を眺め、顔を近づけ目を閉じる。
ごくり、とクレシェンタが無言の姉に喉を鳴らす。
「……過不足ない良い香りと、絶妙なパン粉の形状、立ち方。流石はクリシェの妹なのです」
その言葉にほっとしたようにクレシェンタは微笑み、後で沢山褒めてくださいまし、と身を寄せる。
「……クレシェンタ、盛り付けは任せます」
「分かりましたわ」
見ている側が緊張するような真剣さ。
誰もが何も言えず顔を見合わせ、側に置かれた肉の山に目を向けた。
今行なわれている料理とは比べものにならないほど雑に仕留められた、邪竜オジロスだった肉の山である。
それは昼過ぎのこと。
山頂にある邪竜の窪地に辿り着いた一行が目にしたのは、女神の祝福を受けた封印剣――真っ二つに折れたリリエーナの痛ましい姿。
そして窪地の中央で身を伏す邪竜、オジロス。
並の竜の倍、と語られていた逸話以上の巨体であった。
黒曜石が如くの光沢を持つ黒き鱗を纏い、稲妻の如くに捻くれた角。
折り畳まれてなお、翼は嵐を巻き起こさんばかりに巨大であり、家々を容易に薙ぎ倒すだろう尾の先には凶悪な無数の突起。
周囲には大型の――魔物の骨が散らばり、そこには同胞だろう竜の骨がいくつも混ざる。
今もオジロスは身を伏せながら、竜の腹を噛み千切り、貪っている最中であった。
「これが……」
「……邪竜、オジロス」
半里の先、姿を見せたこちらに気付いても、慌てた様子を見せはしない。
リリーベル達を一瞥しながら同胞たる竜を喰らい、堂々たる王の風格。
竜達を統べる絶対者の姿であった。
貪っていた竜の肉を嚥下し、煩わしそうにその尾を振るう。
甲高い笛のような音が響き渡り、それに呼応するように、周囲から響き渡るは悲鳴のような竜達の声。
伝承に記される、災厄の笛。
鳴り響けば数多の竜達が空を舞い、この世の終わりを伝えるという死の音色。
「……この者の力を、我に見せよ」
リリーベルが唱えると、表示されるのはステータス。
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・オジロス
クラス :邪竜
レベル :255
固有アビリティ:竜を統べる者(特級)
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見えた文字列にぞっとして、思わずたじろぐ。
レベル255――勇者同様、遙かな高み。
無論、勇者やクリシェの方がレベルという意味では圧倒的に上である。
しかし彼女らの異様なレベルの高さは、あくまで魔法を使うことを含めた上での評価なのではないか、とベリー達は語っていた。
三人とも異界の壁を自在に行き来する、想像を絶する魔法の使い手。
その力を使えばこそ、300を超えるレベルと評価されているように思える、と勇者は語っていたし、表示されないほどのレベルである二人の姫君のことも納得がしやすい、と。
特に彼女達の魔法難度は、ある一定のラインから指数関数的に上昇するものであるらしい。
完璧な精度の式を途方もなく積み上げることによってのみ、到達出来る境地。
二人が100の精度ならば、勇者が扱える精度は例えば99。
『簡単な魔法』であれば遜色ないものを扱えても、幾重にも重ねられ、複雑になればなるほどにその僅かな誤差も重なっていき、最終的にはそれが致命的な誤差となっていく。
勇者のそれには限界があるが、二人の魔法は理論上、無限の魔力があれば無限の魔法を行使出来、故にレベルも表示されない。
勇者達の解釈はそういうものであった。
勇者達はそれでも強い。
圧倒的な速度と力、そして技巧を有するが、しかしそれも五体を駆使し、物理法則に則った上での強さであろう。
それのみで255というレベルに到達しうるものかと言えば疑問が残る。
あの巨体、あの威圧感。
とても、人間の肉体で太刀打ち出来るようなものには見えなかった。
ぐるるんと呼ばれる強大な魔獣の上。
頭の上にスライムを乗せ、はえー、と暢気にオジロスを眺めるクリシェ。
そしてその隣――すやすやと気持ちよさそうに眠るクレシェンタを抱きつつ、少し驚いた様子の勇者は、リリーベルの視線に気付くと口を開く。
「あれが邪竜なんですね……随分と大きいです」
「ええ。……勇者様、これまでの竜とは桁が違います。……構いません、どうか、魔法をお使いください」
異界から魔力を引っ張れば、こちらの世界に重大な影響をもたらす可能性がある――彼女達はそれを懸念し、その選択を取らなかった。
だが、この状況ではその油断は命取りになり得る。
リスクを覚悟した上で挑まなければ、この邪竜は世界を滅ぼしうる災厄を引き起こすだろう。
「魔法を……?」
「はい。レベル255……かつての記録では、150の辺りであったと聞きます。今のオジロスは過去の封印時と比較にならないほどの力を――」
「ベリー、早速狩ってきますね」
ぴょん、とクリシェは飛び降りると、そのままとてとてと。
唖然とするリリーベル達を置き去りに掛けだした。
頭の上のスライム――ぷりりんは触手を伸ばすと槍をクリシェに手渡し、応じるようにクリシェはぷりりんを頭上へ高く放り投げる。
自分の話を聞いていなかったのか。
慌てて声を掛けようとするリリーベルであったが、鎌首をもたげたオジロスの気配に息を飲む。
完全にこちらを敵と捉えた戦闘態勢。
その顎門を大きく開き、響かせるは咆吼。
天地を揺るがす災厄の邪竜の声に、臓腑が締め付け――られそうになったが、しかしそれはすぐに止んだ。
くるり、と転がるクリシェの前方。
槍と思えぬ音と共に、大きな口から突き抜けた一撃が、オジロスの後頭部から内蔵物を噴出させていた。
立ち上がったクリシェの手の中に、空に放り出されたぷりりんは着地。
「ぷりりん、早速血抜きです。行けますか?」
その言葉に任せて欲しいと言わんばかりにその体をくねらせる。
滅びの音色に集まった竜達の羽音は、その光景を目にするや否や、悲鳴と共に彼方へ消え。
リリーベルは手を伸ばそうとした体勢のまま、固まっていた。
それから数刻後。
世界を滅ぼす災厄の邪竜――オジロスであったものをリリーベルは食べていた。
宴のため、用意されたテーブルにはカツとスープ、そしてパン。
物足りない人のためにと焼き肉用の肉も大量に用意され、料理好きな近衛が勇者様達の代わりにと、じゅーじゅー音を響かせる。
「……すごく美味しいです、クリシェ様。これは今まで食べたカツの中でも一番かも知れません。ね、クレシェンタ様」
「当たり前ですわ、おねえさまとわたくしが本気で作った一品ですもの」
「えへへ……でもクリシェ、まだまだ全然、ベリーには敵わないです……」
ふふん、とふんぞり返るクレシェンタを膝の上に乗せ、照れ照れと頬に両手を当て、クリシェが体をふりふりと。
その背後ではぐるるんとぷりりんがオジロスの心臓(食べるには硬すぎたらしい)を貪り溶かし、実に満足そうな様子であった。
「お、美味しいですね、姫様……」
「え、えぇ……ユーリス」
瞬きほどのズレも認めない、とばかり、鮮やかに油から引き上げられたカツは、光沢さえ感じるようなきつね色。
木製の皿には味わいの異なる二種のソースが何とも流麗な花々を描いており、添えられた香草と小さな果実が華やかに。
野外とも思えぬ宮廷料理、いや芸術作品と呼ぶべき一品に仕上がっていた。
サク、とした衣の食感の下では、ミルフィーユのように重ねられた肉の感触。
噛めば程よい油と肉汁が溢れ、口の中でとろけるよう。
あれほど硬い肉が、どうなればこれほど柔らかくなるのか。
口を動かす度に旨味が滲み、ハーブの香りが食欲をくすぐる。
異なるソースの軽重が生み出す、爽やかさな酸味と濃厚な深み、そして丁寧に振られた下味の塩が、虹のようなグラデーションを舌に描いた。
それを口にする近衛達には唖然とする者があり、夢中になって口を動かす者があり、邪竜に相応しい魔的な一品。
口にすればするほどに、もっともっとと胃袋が訴える。
立場からすれば慎ましい暮らしをしてきたとはいえ、王女として生まれ、美食を口にしてきたリリーベルさえ心を奪われる食の魔法。
――なるほど、だからこそ彼女達は戦士ではなく、メイドなのだ。
そんな訳の分からないことを考えながら一人納得し、視線に気付いてユーリスに目を向ける。
鋭い、と表現される事が多い彼女の瞳は柔らかく、その口元には穏やかな微笑。
「ゆ、ユーリス……?」
「……いえ。久しぶりに……心から幸せそうに食事をする、姫様のお顔を目にしましたから」
その言葉に頬を染めると、ユーリスはハンカチを手にしてリリーベルの口元を愛おしげに拭った。
「口にソースまでつけて……まるで子供の頃に戻られたようです」
「う……」
ユーリスは肩を揺らして幸せそうに笑い、リリーベルは益々顔を赤く。
それを少し離れた席で眺めていたヤークアイは、その目から溢れ出そうとした熱いものを堪えるように目頭を押さえた。
「あぁ……女神ユリンよ。もはや死を待つだけの老人に、なんと美しきエーナの光をお見せになるのか……」
心を落ち着け、呼吸を整え、胸に満ちた感動を味わうようにゆっくりと頷き。
両手を組み、顔を上げると、空を見上げた。
「ありがとうございます、女神ユリンよ」
そして目の前のカツに目を落とし、楽しそうな勇者達に目を向ける。
「実はですね、クリシェ様達が解体されている間に、こっそりこちらの果実を使ったデザートを用意しておいたのです」
「おぉ……」
「毎回毎回、似たようなサプライズで芸がないですわね。途中でサボりだして、どうせそんなことだと思ってましたわ」
「まぁ、手厳しいです」
肩を寄せ合う三人から放たれるのもまた、美しきエーナの光。
両界の姫と従者が放つ、何とも気高く美しい、トートキ王国を照らす輝き。
「……ありがとうございます、勇者様」
尊きエーナの輝きに満ちた、カツを一口。
胸に満ちるのは、幾重にも折り重なった女神ユリンのミルフィーユ。
例えようもない愛で彩られた、そんな至高の一品であった。
「……ぷりりん、クリシェ達とはお別れですが、達者で暮らすんですよ」
――そうして翌日、別れの時間はやってくる。
宙空に生じた大きな扉の前。
リリーベルに抱えられた赤味を帯びたスライムは、銀の少女に優しく撫でられ、ぷるぷる小刻みに、悲しみを堪えるように震えていた。
「……不思議ですね。言葉が通じないはずなのに、こうして抱いていると気持ちが伝わってくるような気がします。……この子もお別れが寂しいのですね」
「本当は連れて帰ろうか迷ったのですが……やっぱりこの世界の子はこの世界で生きるのが一番だって、ベリーとも話し合って」
その手を離すと、少女はリリーベルに微笑む。
「リリーベルさん、ぷりりんのこと、お願いしますね」
「ええ。……大切に、預からせていただきます」
リリーベルも微笑み、それから深々と頭を下げた。
「勇者様……クリシェ様、本当に……本当に、ありがとうございました」
朝食を食べ終え、すやすやと幸せそうに眠るクレシェンタを抱きながら、勇者ベリーは困ったように首を振る。
「いえ、そんな……全てクリシェ様のご活躍あってのものですし、道中、わたしもクリシェ様も、皆様のおかげで素敵な旅を……ああいえ、こう言うと失礼かも知れませんが……」
「そんなことは。邪竜討伐という恐ろしい旅路が、これほどまでに笑顔溢れるものになろうとは思ってもみませんでした。……皆、そのことを心より感謝しております」
そう口にして、隣のユーリスに微笑む。
彼女は同様に微笑み、頷いた。
「表立っては、と仰いましたが……機会があれば、いつでもこの地を。次に来るときは勇者様ではなく……旅人として、心ゆくまでお楽しみください。勇者様達がお救いになった世界は、それに足る……美しい場所であると思っておりますので」
「……はい、機会があれば是非に」
そうして勇者達は二三、他の者達とも言葉を交わし、三人と一匹は扉の向こうへと帰って行く。
一人すやすやと眠ったままの姫君――果たして彼女が何のため、この世界に訪れたのかは最後まで分からなかったが、この結末の前には些細なことであった。
邪竜、オジロスの完全なる討滅。
トートキ王国の史書に深く刻まれる大いなる旅は、そうして終わりを迎える。
「姫様! はぐれ竜が現れました……!」
「っ……ユーリス、わたしも出ます!」
「は!」
「ぷりりん、あなたは――……分かりました、あなたもわたし達のため、戦ってくれるのですね」
オジロス討たれても、魔物の脅威の全てが失われた訳ではない。
「……すごい、これがレベル113、ドラゴンブラッドスライムの力……」
「竜を圧倒するとは……ぷりりんに手柄を奪わせるな! 援護するぞ、お前達!」
しかし異界の剣技を学んだ近衛兵団と、彼女達から国中に広められた対竜、対魔物戦術。後にトートキ王国の守護神と謳われることになる勇者の友、ぷりりんとその同胞達の活躍によって、その脅威へと懸命に立ち向かった。
勇者達が築いた平穏を守り抜き、永遠のものとするために。
センキィの魔の手はこの先も、この世界から消えることはないだろう。
永遠の平和は訪れないのかも知れない――しかし、女神への信仰を強く抱く限りそれに抗い続けることは出来る。
近衛兵団長と結ばれた姫君、リリーベルはそう民衆に語り聞かせた。
「えへへ、ぷりりんも今では守護神なんて呼ばれてるみたいですね」
「まぁ……」
「すごく立派になりました。昔はこの子達みたいに小さかったのですが……」
「……さっきから歩いてるだけでこのスライムとかいう魔物、わらわらついてくるんだけれど……一体何なの?」
「ぷりりんのお友達? みたいです」
そんな彼女達を遠くから眺めながら、永遠の旅人達は歩き続ける。
腕を組んで、抱き上げて、周囲の景色を眺めながら。
そこはセンキィに覆われた世界から、遠く離れた花畑。
咲き乱れるのはエーナと呼ばれる六枚花弁。
「……それにしてもこの辺りは一面、綺麗な花畑になってますね」
「はい、すっごく綺麗ですね」
彼女達の世界では、
「百合の花がいっぱいなのです」
そのように呼ばれる、美しき花々であった。
続かない。
『おまけ』
一方、別世界。
「絶対嫌! 何でわたしがドラマなんて出なくちゃいけないのよ!」
「昨今女性同士の恋愛ものがとても人気なのですわ。特にこの鳥籠シリーズは妖精界でも結構流行ってますの」
セレネは企画書を手に振り回し、リビングのソファに座るベリーの上――に座るクリシェの上――の頭の上でふんぞり返る羽虫、妖精女王クレシェンタを睨み付ける。
「魔法少女と何ら一切関係ないでしょ!」
「ありますわ! 誰のおかげで魔法少女をやれてると思ってますの!」
「誰が頼んだのよ! 今すぐにだってやめたいわよ魔法少女なんて!」
「ま、まぁまぁお嬢さま……」
宥めるようにベリーが声を掛けると、クレシェンタは彼女を見つめた。
「あら、よろしいのかしら? マジカルベリー、この前マジカルセレネが署名した契約書の控えを出してくださいまし」
「……えぇと、声優の時のですか?」
虚空から契約書の控えを取り出すと、クレシェンタの前に持ってくる。
クレシェンタは軽く飛び上がると光る鱗粉を撒き散らし――空白に浮かび上がるのは輝く文字。
「見てくださいまし。マジカルセレネは現在フェアリープロダクション所属のタレントとなってますわ。魔法少女を勝手にやめたらわたくしは損害賠償を――」
「無効に決まってるでしょ! そんな詐欺契約!」
「こちらの法律ではどうか知りませんけれど、妖精界では合法ですの。騙される方が悪いのですわ」
「この害虫……!」
マジカルスプレーを取り出すセレネに、クレシェンタはぱたぱたぱたとクリシェの影に避難する。
「暴力はこちらでも禁止のはずですわ!」
「害虫駆除は合法よ!」
「ぉ、お二人とも落ち着いて……」
「さっきからなんであなたはこの羽虫の肩を持つのよ! どう考えても一方的に悪いのはその羽虫でしょ!」
「え、えぇと、それはそうなのですが……」
困ったようにベリーは告げ、セレネは眉を顰める。
「いいわよね、あなたは。良い歳してあんな少女趣味のふりふり衣装を着て、ノリノリで『魔法少女マジカルベリー参上ですっ』とかやれちゃう人間だもの。あなたは恥って言葉を知ってるかしら?」
「そ、それはもはや、少女という歳ではなくなったお嬢さまにも言えるセリフではないと思うのですが……」
「わたしはっ! 嫌々っ! やらされてるのっ!」
声を張り上げると、セレネは眠りながらも迷惑そうに眉を顰めたクリシェの頬を引っ張った。
「ぅにっ!?」
「ほんっと、よくこの状況で平気で寝てられるわね、あなたは」
そしてぱちん、と手を離されたクリシェは混乱しながら頬をさすり、それを見たベリーは責めるようにセレネを見る。
「……お嬢さま、八つ当たりは――」
「クリシェも思いっきり当事者でしょ。ともかく、わたしは絶対に、死んでも嫌だからね。三人で仲良く好きにやってればいいわ」
そう告げると、怒りが収まらないとばかり。
セレネは階段を荒々しく、そして自分の部屋のドアを乱暴に閉めて引きこもる。
「まったく、マジカルセレネは本当短気ですわね」
「さ、流石にお嬢さまが怒るのも無理はないと思いますが……大丈夫ですか?」
「えへへ……はい」
クリシェの頬をさすりながら、困ったようにベリーは答える。
「……あなたのせいですわよマジカルベリー」
「わ、わたしのせいになるんですか……?」
「そーですわ。来月辺りには本格的に進めて行くつもりですもの、マジカルセレネをそれまでに説得しておくように」
「それは流石に厳しいような……」
「わたくしの辞書に無理という文字はありませんの」
わたしの辞書にはあるのですが、とベリーは嘆息する。
「……? 今日のセレネは何を怒ってたんですか?」
「それは、その……深いような、深くないような、複雑な事情でしょうか……」
首を傾げるクリシェの頭を、優しく撫でて、首を振った。
そうして数日後、拗ねて口も利いてくれないセレネに困り果てながら、花壇に水遣りをしていると、視線を感じて門の方へ。
そこにいたのは眼鏡を掛け、黒髪を束ねた和服姿の女性であった。
「こ、こんにちは……」
「アーネ様、旅行はどうでしたか?」
「えぇと……はい、と、とても有意義で……これ、有賀様達にお土産です」
「まぁ……ありがとうございます」
隣の家の住民で、詳しくは聞いていないが今は文字書きの仕事をしているらしい。
両親達は仕事の関係で故郷に引っ越したようなのだが、彼女はここが随分と気に入っているらしく、こちらに一人残って暮らすことを決めたという。
和服であったり花であったりとお料理であったりと趣味が合い、近所の人間では随分と仲が良い方だろう。
今も出かける度、何かとお土産を送り合ったりする関係であった。
「どちらに行かれてたん、で……?」
すか、と言葉が繋がる前に、紙袋の中身を眺めて言葉を失う。
中に入っていたのは妖精まんじゅう――妖精の国で売られる土産物。
ぱたぱたぱた、と背後から現れ、アーネの肩に乗り、ふんぞり返るのはクレシェンタである。
「く、クレシェンタ様……?」
「原作者ですわ」
「……え?」
「鳥籠の登場人物、随分とあなた方に似ているとは思いませんでしたの?」
「え、と……」
ベリーがアーネに目をやると、彼女は緊張した様子で顔を上げ。
「ま、マジカルベリーシリーズ……わ、わたし、全話拝見しました」
「え、ぇ……?」
「どうかお願いします! 有賀様! ど、ドラマのキャスト……引き受けてくださいませんか!」
顔を真っ赤に、周囲に響き渡る大きな声で口にした。
ベリーは唖然と固まった。
――次回マジカル☆ベリー、ドラマ編に続(





