二律背反
夜も明けぬ時間。
屋敷ですらなく、部屋の区切りもない狭い家だった。
少なくとも戦士長という立場の人間が住むところではない。
男は眠る赤子の頬を撫でて、立ち上がる。
音を立てぬよう裸体に服を纏い、立て掛けた巨剣を眺めて目を細め、しばらくの間。
その柄を掴もうとし――
「……レドさま」
――声を掛けられる。
レドは固まり、その背中から柔かな感触。
妻の腕がぎゅっと腰を抱きしめた。
「まだ赤子のズレンを残して……フェニを置いていくのですか?」
華奢な体――細い腕には力が込められていた。
決して離すまいという意思と共に。
「行かないでください。……今生一度のお願いです」
レドは何かを言おうと口を開き、けれど言葉は出てこなかった。
ただ呆然とその場に立ち、目を伏せる。
「至らぬところがあるならば、必ず直します。……生涯をあなたの側で過ごすことを名に誓いました。……どうか、フェニをお見捨てにならないでください」
彼女の声も、その体も震えていた。
利発で、優しく、情に深く、美しい。
――自分には勿体ない女であった。
「復讐など、一体何になるのでしょう? 女の身であるフェニでさえ分かります、誰もお喜びにならないと。皆も、死者も……あなたさまでさえも」
あるいは、あの時に。
『ここで死ぬか、条件を呑むか。聞いてるのはそれだけだ』
死を選んでおくべきであったのかも知れない。
この優しい女を泣かしてしまうくらいならば。
「お前と過ごした一年あまり……充実した時間だった」
高々一年――それだけでこれほどに躊躇が生まれるとは思わなかった。
フェニは兄のトーバから全てを聞いていて、けれどこれまで一切口にはせず。
ただ良き妻としてレドの側で過ごした。
構えていたレドも、彼女と過ごす内にいつか、自分の中にあった何かが萎えていくのが分かって。
「……全てを忘れてしまうときすらあるほどに」
それはきっと、幸せなことなのだろう。
良き妻と子に恵まれ、育み、かつての戦を過去にして、そうして未来を紡いでいく。
「……シェルナ様のことをお忘れになれなどと、そのようなことは申しません。その想いを受け入れた上で、フェニはレドさまを愛します。……フェニのことを愛してくださらなくても構いません。ですから――」
「フェニ」
友を捨て、妻を捨て、子を捨てて。
それに比べれば、己の選択はどれほど愚かであるかも理解出来た。
「……お前を愛している。お前と過ごした時間は、幸福だった」
「ならば――」
「けれど幸福を味わうほどに、脳裏をちらつくんだ」
――森の中に晒された恩師の首。
戦友達の首と、そして――シェルナの首。
「……俺は逃げている。そして逃げた上で、幸福を一人味わっている。……俺は俺を、どうしても許せない」
暗い天井を見上げた。
月明かりが僅かに差し込み、狭い部屋を照らしている。
肌の温度すら分かるほどに、小さな家だった。
――最初は嫌がらせのようなもの。
生まれの良いフェニならすぐに根を上げるだろうと、そう思った。
『ふふ、まずはお掃除からですね。物は少しずつ増やしていきましょう』
けれど彼女はただ嬉しそうに、この簡素な家とレドを愛した。
何もなかった寒々しい家の中は、今では彼女の体温と匂いが染みついている。
雑に伸ばしていた髪はフェニの手で整えられ、伸ばしたままの髭は丁寧に剃り上げられて。
忘れていた人間としての暮らしを思い出す度に、過去の記憶が蘇った。
「矜持でもない。今となっては、復讐心でもない。……だが俺はかつての俺から、逃げたくはない」
彼女の腕を掴んで離させ、振り返る。
化粧もせず、美しい赤毛を結んで流し――それでも彼女は美しい。
こちらを見上げる瞳から、涙だけが零れていた。
きっとそれは、この世のいかなる宝石より美しい雫であろう。
「……俺は弱い男だ。忘れてくれ。お前にはきっと、もっと良い男がいる」
口づけし、離れ。
フェニはその美貌をくしゃりと歪め、両手で顔を覆った。
首を左右に振り、身を寄せ――そんな彼女の頭を撫でた。
しばらくはそうして、母の泣き声に気付いた赤子が泣き出し。
彼女が母としてそちらに気を向けたところで、剣を掴み、扉を開いた。
「……お帰りを、お待ちしています。何年でも、何十年でも……」
震えた声にレドは答えず、背を向けたまま扉を閉めた。
視界が滲んで、目頭を押さえ、瞼を強く閉じる。
東へ少し歩いて森の中へ――墓に行き。
「……嫌な予感は当たるもんだ」
墓前に座り込んでいたのは赤毛の男。
トーバ=アーカズは槍を担いだまま、こちらを見ず。
呆れたように嘆息する。
「……お前が出て行くなら、フェニとガキを殺す」
冷ややかな声だった。
「反逆者の家族だ。引き締めにも丁度いい」
それを聞いたレドは首を振った。
「……お前はそこまで冷徹にはなりきれない男だ」
トーバは舌打ちし、顔を歪めた。
「はっ、だからってその優しさにあぐらを掻こうってのか、レド。……随分と図々しいじゃねぇか」
「……不義理は承知の上だ。二人を頼んだ」
トーバは目を伏せ、再びため息をつき。
それから少しの間を空けて言った。
「旗色が悪けりゃ俺が直々にお前を殺しに行く。勝ったところで助けもしない。お前の嫌いなアルベランに尻尾を振って媚を売るためにな。最終的にはそれが俺の結論で……お前はここから東に歩いた時点でエルデラントの反逆者――」
これで最後だ、とトーバは言った。
「このまま家に戻れ。……何もなかったことにして。それからいつものように会議に出て、不穏分子を洗いざらい俺に報告しろ。フェニにはもうしないと泣いて謝れば十分だろう」
軽口のように言って、笑って。
目を細めた。
「物事は不可逆だ。川の水は流れるだけ。……だが流れる内に、纏わり付くもんはいつか薄れて消えていくもんだ」
――良い思い出も、悪い思い出も。
言葉を重ねて立ち上がり、レドの方へと向いた。
そうでありながら、トーバはレドを見なかった。
「逃げることも弱いことも、別に悪いことじゃねぇ。一切の後悔をしないで生きている奴なんていない。……大事なのは後悔しないようこれからを生きる事じゃねぇのか?」
そうだな、とレドは言い。
だがもう決めた、とそれに続けた。
「……、そうかい」
トーバはレドを見ないまま、すれ違うように横を抜ける。
「まぁ正直……お前のそういうところは嫌いじゃないぜ」
「……そうか」
――瞬時にレドは腰を捻り、放たれた槍の石突きを躱す。
そしてその腕を取り、トーバの体を大地へ叩きつけた。
大地が揺れ、木々がざわめく。
レドはトーバを見下ろし言った。
「俺も、お前のそういうところは嫌いじゃない」
「……この、くそったれ」
丸みを帯びた槍の石突き。
理由も意味も分かっていた。
「……すまない、友よ」
己ほどの愚か者を、レドは知らなかった。
王領屋敷、クリシェの部屋。
ベリーは椅子に腰掛けて、帳簿を指でなぞりながら説明する。
「――という感じですね。ここの数字はそういう理由です」
アーネとエルヴェナは真剣な顔でそれを聞き、帳簿を眺めた。
クリシュタンドの収入と支出が事細かに書き記された帳簿――普段はベリーの役目であったが、少しでも負担を減らしたいというアーネの要望もあり、半分彼女に任せていた。
アーネは元より頭が悪い訳でもないし、エルヴェナに関しては計算も得意。
理解するのは早い方で、慣れていけば十分。
このくらいでひとまず十分でしょうか、とベリーは頷き、ベッドに目をやる。
クレシェンタはベッドの上で静かに寝息を立てていた。
ベリーの看護もあって、仕事のない時間は仮眠を取っていることが多い。
立ち上がると捲れた毛布を引き上げ、掛けてやる。
まだ北部には雪の残る春――ベリーは額を撫で、微笑み。
ノックの音と共に入室するのはセレネだった。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
「ただいまベリー」
机の上に広がった帳簿を眺め、目を細め。
それから二人に目を向ける。
察したようにアーネは頷き、エルヴェナと目を合わせる。
「エルヴェナ様、部屋で少し復習しましょうか」
「はい」
机の上の帳簿をまとめると棚に戻し、二人は失礼しますと部屋を出て行く。
ベリーはお茶を淹れようとし、座ってなさいと呆れられ、仕方なく椅子に。
セレネはポットに湯を注ぎ、手早く紅茶を用意するとカップを二つテーブルの上に。
「お二人とも覚えるのが早いですね。もう大半は――」
「……あなたが言うとなんだか嫌味にしか聞こえないからやめなさい」
ベリーは人をよく褒めるが、大抵基準が低い。
自分が一日二日でクリアしたことを他人が数ヶ月掛けてクリアしても、良く出来ましたととりあえず褒めるのだ。
性格的な問題だろう。
別に悪意がある訳でも嫌味のつもりもないのだが、彼女を知る者からすればそれは嫌味に近い。
自分に対しては厳しすぎるほどであるのに、他人に対しては甘過ぎるのだ。
「……今日は平気?」
「はい。今日は今のところ快調ですね。……昨夜は少し痛んだのですが、クレシェンタ様のおかげでなんとか」
「……、そう」
少し、だとか、多少、だとか。
そういう痛みではないはずで、けれどベリーはいつも枕にそんな言葉を寝かせて聞かせた。
文句を言いたくて、けれどそれを指摘したところでどうにも出来ないのだ。
痛みが楽になる訳でも、消える訳でもない。
「……クリシェは今日も帰ってないのね」
「ええ、今日も王城地下に」
どこか寂しげにベリーは微笑んだ。
「……、いいの?」
尋ねると、いいんです、と首を横に振る。
「わたしのために頑張ってくださっているんです。……わたしは何も言えません」
紅茶に口づけ、それから眺め。
ベリーは静かに言った。
「……クリシェ様の事、お願いしますね」
「縁起が悪いからそういう話はするなって言わなかったかしら」
「しましたね」
何が楽しいのか、くすくすと笑って。
セレネは目を伏せた。
「もしかしたら、まだ時間は沢山あるのかも……そうしてクリシェ様がどうにかして下さるのかも。……でも、明日はいなくなってるかも知れません」
だからお願いしておきたいんです、ベリーは続けた。
いつもの笑みで、悲痛さも見せず。
それが尚更、痛々しかった。
「……あの子はあなたが大好きなの。知ってるでしょ。わたしじゃ代わりになれない」
「代わりだなんて。お嬢さまはお嬢さま、わたしはわたし。……そういつか仰いましたでしょう?」
「尚更じゃない。……わたしには、あなたの抜けた穴なんて埋められない」
馬鹿にしないでちょうだい、とセレネは言った。
「……わたしは、あなたに負けないくらいあの子が好きよ。あの子だってわたしのことを愛してくれてる。でも、あなたへのそれとは違う」
「まぁ、そうですね。……わたしは世界で一番クリシェ様に愛されている自信がありますから、勝ち負けで言えばわたしの勝ちです」
「……、あなたね」
睨み付けると楽しげに。
くすりと笑って言った。
「でも、些細な事で、些細な違い。もし二人同時にわたしたちが溺れたなら、クリシェ様はわたしを先に助けてくださるのかも知れません。……でも、例えばあの時刺されたのがお嬢さまであっても、クリシェ様は古竜様の所に行ったでしょう」
命を賭けて、と。
「……そうかしら?」
「お忘れですか、お嬢さまがクリシェ様をぶった時のこと。わたしのお願いだなんて、あの時のクリシェ様は聞いてくださいませんでした」
懐かしむように言って、目を閉じる。
「……好意に軽重あれど、愛に軽重なんてありません。あるのは順序程度のもので、それも所詮些細な事です」
「……あなたがその些細な順序で上にあるからそう言えるだけよ」
「ふふ、そうですね。悔しいですし言わないでしょう。……でもわたしがお嬢さまの立場で、同じことを言われたら、もちろんですと答えますよ」
セレネが眉根を寄せると、ベリーは微笑む。
「仮にクリシェ様にお嬢さまが一番だと言われても、わたしの愛が軽くなる訳ではありませんから。……その上で愛して頂けるならそれで十分」
「……一生を負け犬で過ごせって?」
「勝ち負けなどあるのでしょうか。正妻と妾、どっちが上かで競うようなものですよ。どちらも妻で良いではありませんか」
言って、どこか勝ち気にセレネを見つめた。
「勝ち負けになんてこだわって、その挙げ句にご自分を負け犬呼ばわりとはお嬢さまらしくありませんね。……からかい甲斐がなくて、正直少し残念です」
「……挑発には乗らないわ」
セレネの言葉にベリーはまた笑う。
楽しげに、少しして目を細め。
「下らないことですよ。……いつぞや申し上げた通り、クリシェ様はそういう方ではございませんし……そういうところがわたしは大好きなのです」
手を伸ばして、セレネの頬を撫でた。
「クリシェ様は誰か一人などとは選べません。不器用で、どうしようもない方ですから、ご自分の出来る限りの限界まで、捨て値で愛情をばらまいちゃうんです。……ご自分が損をしていることにも気付かないまま、お返しだなんてお馬鹿なことを言いながら」
首を僅かに傾けて、伸びた赤毛がさらりと流れる。
袖から覗く腕は不健康なほど細く、以前よりずっと痩せて見え。
それでも彼女は美しく見えた。
「クリシェ様はわたしのような性悪にすらころりです。……お嬢さまが真面目に迫れば――、っ」
堪えきれずに抱きしめて、その感触を確かめる。
一回りも二回りも体は細くて、顔を歪めた。
「……あなたはどうしてそうなのかしら? いっつも、人の心配ばかりして……たまには自分の心配をしてちょうだい」
ベリーは少し呆然と目を見開いて、その体を抱きしめた。
「みっともなく喚いて八つ当たりしてくれている方がまだマシよ。辛いだとか、苦しいだとか、痛いだとか怖いだとか……いくらだってあるでしょう」
それからただ微笑んで、震えるその背中を撫でて、髪を梳く。
「これで四度目ですから。……子供の頃と、ねえさまに止められた時と、刺されたときと、これで四度目。流石に覚悟は慣れっこと言いますか……」
「……慣れるはずないでしょ、お馬鹿。……どうしようもない嘘つきね」
ベリーは困ったように笑い、愛おしげに頬を擦りつけた。
「お嬢さまがどこまでも正直者ですから、帳尻が合いますね」
そして囁く。
「もしわたしに何かあったら、クリシェ様の事、よろしくお願いしますね。……答えはいりません」
「……あなた、最低だわ」
「ふふ、自覚してます。……みっともなく喚く代わりにお許しくださいませ」
「本当……最低」
華奢な体をぎゅっと抱きしめた。
熱を出しているかのように彼女の体は熱くて、それが平常だった。
命を燃やすように、彼女の体は再生を繰り返す。
少しでも楽になるなら、何でもしてやりたいと思う。
痛みを半分もらえるなら、そうしてやりたいと思う。
けれど、セレネは天才ではなく、平凡で――セレネには、何もしてやることは出来なかった。
頑張って、だなんて声も掛けられない。
もういいわ、だなんて言ってあげられない。
気休めすら掛けられない自分が、どうしようもなく腹立たしく、情けなかった。
少しして、ノックの音。
セレネが目元を拭い尋ねると、西部方面軍からの伝令がとエルヴェナが告げる。
すぐに行くわとセレネは言い、呼吸を整えて、ベリーの頬をつまんだ。
「……約束なんてしてあげないわ」
平気だ、と意地を張る彼女に言えるのは、ただ、そんな言葉だけ。
ベリーは嬉しそうに、はい、と笑って、ハンカチを取りだし、セレネの目元を清めた。
素直に受け入れ、セレネはその額に口付けると部屋を出て行く。
静かにベリーは微笑んで見送ると、立ち上がり、再びベッドに腰掛けた。
それから額を撫でようとしたその手が払われる。
「申し訳ありません。起こしてしまって」
「……うるさくって目が冴えてしまいましたわ」
言いながら身を起こし、ベリーの背中に身を寄せた。
腕を回して抱きついて、わたくしには聞きませんの? と尋ねた。
「クレシェンタ様にはお尋ねしなくても、答えは予想できますから」
「どうかしら? セレネ様のように駄々をこねるかも知れませんわ。尋ねてみたら意外な答えが返ってくるかも」
「なるほど……クリシェ様の事をお願いしますね」
「あなた如きに言われるまでもありませんわね、何様なのかしら?」
その言葉にくすくすと。
ベリーは楽しげに笑って、腰に回された手を掴む。
体の状態を確かめていた掌から、青い魔力が霧散する。
ベリーはそれを見つめ、静かに尋ねた。
「……どのくらいでしょうか?」
「さぁ。今日や明日かも、それとも一年後か、三年後か……やめれば今日にでも死ねますわ」
言って、少しの間を空けて。
クレシェンタはただ、その細い腰を抱きしめる腕に力を込め。
「少なくともこれから、もっと苦しくなることは間違いないでしょう。おねえさまの研究は進んだようで戻ったり、一から何かを始めたり」
頬をベリーの背中に押しつけるようにして尋ねた。
「……仮に持つとしても、あなたは何年待つつもりなのかしら?」
その言葉にくすりと笑って、ベリーは告げる。
「もちろん、クリシェ様が望む限りに何十年でも」
「今より酷い生活が続いても?」
「考える余地もありませんね。……わたしは誓っておりますから」
クレシェンタは口をつぐみ、少しの間。
「頭がおかしいですわね」
それから言って、
「かも知れません」
ベリーは楽しげにそう返した。
腰を掴むクレシェンタの両腕を離させて。
いつものように膝の上へと彼女を乗せる。
「……クレシェンタ様には、どれだけお礼を言っても足りませんね」
「これだけ迷惑を掛けて、お礼程度で済むと思ってるのかしら?」
腰を抱いた細い手首を掴んで、目を伏せて。
「……これならおねえさまに任せて、わたくしが研究している方がずっと良かったですわ」
それから掴んだ手を抱きしめた。
ベリーはそんな彼女の頭に左頬をすり寄せ、申し訳ありません、と微笑み囁く。
「謝罪でも足りませんわね。全部あなたが原因ですの。世界で最も大切にされるべきわたくしとおねえさまに、睡眠時間を削ってまで苦労をさせて。あなたは世界一のろくでなしですわ」
「……はい」
「不敬な上に足まで引っ張って、あなたは何様なのかしら。女王より偉いつもりなのではなくて? あなたはこれから史上空前の発展を見せるはずだったアルベランの邪魔をしてますの。どうしようもない大罪人ですわね」
「ふふ、はい」
ベリーは肩を揺らして、罵倒を楽しげに受け止めた。
首を少し後ろへ傾け、クレシェンタはその右頬に彼女の頬を擦りつける。
「わたくしのおねえさまをあんなにお馬鹿にした挙げ句、あなたはどれくらい取り返しのつかないことを繰り返すのかしら。わたくしの苦労も不愉快も、全部全部あなたのせいですわ」
そして腕を持ち上げ、掌で頬に触れる。
その輪郭と体温を確かめるようになぞりながら。
「……全部、あなたのせいですの」
囁くように言って、目を伏せる。
「あなたのこと、大嫌いですわ」
「……はい。ふふ、以前申し上げた通りでしょうか」
そんな彼女を柔らかく抱きしめ、愛おしげに言った。
「わたしはクレシェンタ様のことは大好きですし、クレシェンタ様の大嫌いは大好きと、勝手に頭で言葉が置き換わってしまうのです。……ですからいくらでも仰ってください」
「あなたは病気ですわ。……どうしようもない方ですわね」
そんな彼女にクレシェンタは体重を預け。
その感触と熱を背中で確かめながら。
少しの間を空けて、声を掛けた。
「ねぇ、アルガン様」
「……なんでしょう?」
尋ねようと口を開き、けれども言葉は声に出ることなく。
なんでもありませんわ、と首を振った。





