強いられる者
アルベランとの協調、融和政策を掲げたアーカズ王に対する不信感。
その姿勢を軟弱とする一派が反アーカズ同盟と呼ばれるものであった。
先の大戦で多くの損害を被った大部族ヴェーゼ、ミークレアが中心となり、アーカズ王の決定に反旗を翻し蜂起。
瞬く間に東部一帯を制圧した。
それを率いるはレド=ラーニ――ヴェーゼ傘下の部族、ラーニの戦士長であった男。
大戦後はアーカズ王と共にエルデラント内戦を戦い抜いた彼はしかし、先の方針に対する意見衝突から袂を分かった。
少なくとも伝え聞く情報において不審はなく、かつてヴェーゼの下で戦っていた男ならば理由も明瞭。
復讐というのは何よりも分かりやすい動機である。
三大部族は元々険悪な間柄。
ヴェーゼとミークレアは難を逃れ王権を掠め取ったアーカズという共通の敵を持ったことで手を組み、出来上がるのは四万の軍勢。
その指揮者レドが掲げる目標はアルベラン西部の支配と、軟弱なるアーカズ率いるエルデラントに代わる新国家、ヴェズレアの樹立。
必然、エルデラント東部一帯を制圧した彼等はそのまま東へ。
アルベラン西部へと侵攻を開始。
瞬く間に国境を突破した彼等は都市を中心に制圧、東の大樹海の手前――西部方面軍の拠点である大都市、ミシェルセーブを最初の目標として選んだ。
まさに電光石火と言えるだろう。
政治的にもアーカズ王が融和政策を掲げてすぐ――この侵攻にアルベランが不意を打たれる形となってしまったのは必然であった。
長引いていた大戦での賠償を含めた交渉のため、両国の間を使者が往復していた状況。
この規模の軍勢が侵攻を開始してくるとは夢にも思わない。
戦争とはあくまで外交手段の一つであり、単なる暴力などではないのだ。
その選択は常に衝動的なものではなく理性的な選択であり、そして国際関係の全ては常に理性的な計算に基づくという暗黙の了解を元に動いていた。
当然、それを度外視しての侵略を防ぐ手立てはアルベランにすらなく。
現れた暴徒の群れはその勢いのまま西部を荒らし、そしてその戦勝ムードにミシェルセーブを取り囲む軍勢は四万から六万に膨れあがっていた。
対する西部将軍、トルカ=カーナリウスは緊急動員を行い軍を充足させたが僅か二万。
ミシェルセーブの民衆の一部を民兵とし、計三万。
数的優劣は明白――そして、ミシェルセーブは決して強固とは言えぬ城郭都市であった。
アウルゴルン=ヒルキントスとその先代の時代から、西部方面軍は機動力を何より重んじた。
一個の拠点に力を入れての防御よりも、小さな砦を各地に建造、段階的後退によって相手を引きずり込み、疲弊させて致命の一撃を与えるという戦略。
エルデラントが纏まりのない、単一部族による略奪を各地で繰り返すことも理由にあったのだろう。
決戦よりも持久戦、機動力による各個撃破に重きを置いており、砦においては質よりも数を重視する。
ミシェルセーブもその例外ではなく、ウルフェネイトのように大軍勢を相手に戦えるような都市ではなかった。
ヴェズレア樹立を掲げるレドは数の優位を活かし、昼夜問わずの攻勢。
魔力を扱う少数の精鋭を自ら率い破壊工作を行い、城壁を指揮する敵指揮官の首を手ずから挙げ――これ以上の籠城は不可能と見たカーナリウスは撤退を決断。
包囲の東に風穴を空けるべく出陣し、そしてその殿となったのは名声高き古将。
――フェルワース=キースリトンであった。
「……いつか見た顔だな。こうしてまた会うことになるとは、これも一つの縁か」
草原にて両軍の兵士に囲まれながら、竜を象る銀甲冑を身につけ、担ぐは大槍。
老将は深い皺の刻まれた顔に笑みを浮かべ、馬から降り、長く伸ばした髭を弄んだ。
「もはや馬上で相手を出来る小僧ではなさそうだ、ラーニのレド」
「……あんたはくたばりかけだと聞いていたが」
身の丈近い巨剣を大地に突き立てる。
鋼の胸甲と手甲、脚甲。
軍の指揮者としては不安になるほどの軽装、彼は兜さえ身につけてはいない。
だが大量の返り血を浴びながら、それでもその体には傷一つなく。
「戦場に出てきた以上容赦はしない。あの戦の忘れ物でもある。……悪いが命をもらうぞキースリトン」
面白くもなさそうにレドは告げる。
アルベラン侵攻のタイミングは密偵から、キースリトンが倒れたという情報を得てからだった。
百を超えて三十年。
体調不良の噂は以前から聞いており、副官トルカ=カーナリウスに将軍位を譲っている。
遠くないうちに寿命で死ぬことは確か。
その混乱に合わせて――そう考えていたが、鎧を着込み、大槍を担ぐ姿には今なお歴戦の猛者としての気迫が宿っていた。
その覇気は場を満たし、老いの衰えを感じさせない。
百五十年を生きた大賢者、ジーグレットを知るレドには、年齢に対する侮りなどは存在しない。
それでも内心では素直な称賛があった。
この男が倒れ、伏していたのは事実。
それをただ意思によってねじ伏せ、死地をここと定めたのだろう。
「これ以上は無益な戦いだ。あんたが降伏すると言うなら認めなくもないが……まぁ、あんたはそんなことを言う人間には見えないな」
「……いかにも」
殿として残ったのは1万の正規軍人。
逃げだしたのは負傷兵と1万の民兵が主だった。
正確な数はともかく、撤退は人道的理由に過ぎない。
兵士達の士気は高かったし、最後までここで戦い抜くことも出来ただろう。
ただそれに民兵を巻き込まないため、このような手段を取っただけ――戦略的利益を目的とした行動ではないのだから。
民兵の撤退を成功させた時点で、既に彼等は目的を果たしている。
「君の見立て通りだ。わしは望めるならば戦士としての死を望む」
「潔くていい。俺もあんたも目的は果たした。将としての戦は引き分け――後を比べるならば刃の他ないだろう。……どうだ?」
そして、レドも同じく。
アルベラン西部の制圧という目的を果たした。
これは単なる後始末。
フェルワース=キースリトンは老いてなお、その名声に劣る事なき将であった。
しかし数の優位は絶対的なもの――多少の被害を出したとはいえ、レドがこうして本陣へ踏み込んだ以上、もはや決着はついたも同然。
尋ねるまでもない。勢いのまま、後はこのまますり潰せば終わり。
けれどそんな提案をしたのは、心の内に揺れ動く何かがあったからだろう。
「武人だな、レドよ。……君がその剣に聖霊協約の遵守を誓うならば応じよう。ここにいるのは良き兵達だ、捕虜としてなぶり殺しの目に遭うくらいならば、ここでわしと共に死兵となって戦う方が良い」
フェルワースは愉快げに笑い、レドは巨剣の柄に手を掛けた。
「いいだろう。――この剣と名に誓って、ラーニのレドはそれに応じる」
そして迷うことなく、そう答える。
「くく、この歳になってなお、これほど愉快なことがあるとはな。……もはや寿命と諦めていたが、光栄に思うよ」
フェルワースは担いだ大槍を半身で構えた。
静謐そのもの――どこまでも美しい構え。
敵意も殺意もなく、しかしただ圧倒されるものがあった。
古から大地に根を張る巨木のように、ただその存在が持つ力によって。
若木の頃から百年に渡り経験を積み、鍛え上げられてきた技と精神――それらの合一は僅かな綻びすらを見せず、一つの美へと昇華されていた。
古将フェルワース=キースリトンは、決して才能に恵まれた男ではない。
しかし凡庸なる身でありながら、大小数百の戦場を駆けて。
形なき戦場に根を張りし古木は、年月を経て非の打ち所のない美を纏う。
全盛期は遠き過去――今は枯れる際であろう。
なれど古将は今この時、武人としての最盛であった。
それは枯れ際の大樹が、その身に数多の花を咲かせるが如く。
「来るが良いレド。……老いたとはいえ、戦士としてはまだ死んでおらぬ」
レドは目を細め、自身の手が熱を帯びていることに気付いた。
血が沸いているのだ。
尊敬に値する武人と相対することに対して。
――随分前に、あの戦から失われたものだった。
戦場から輝きは失われ、戦いは作業と化して。
けれど置き捨てたはずの全ては今もここにあった。
あるいは、それを取り戻すために自分はこの場にあるのかも知れない。
だからこそ、新たに手にした全てを捨ててまで、自分はこうしているのだと。
一瞬目を閉じ、大地から巨剣を引き抜く。
そして左前の半身――巨剣の切っ先を右に引きずるように。
「剣姫シェルナ=ヴェーゼが直轄――ヴェーゼの狩猟隊、隊長。……ラーニのレドがその命をもらう」
レドは獣が如き疾走を開始した。
「……どうなさいますの?」
「わたしが行くわ。クリシェの軍を率いて」
セレネの部屋――クレシェンタの言葉にセレネは答えた。
エルヴェナが不安そうに二人を見つめながらも紅茶を注ぐ。
「おねえさまに――」
「……クレシェンタ。わたしより今のクリシェの方が不安よ。戦場で指揮を執れるような状態だと思う?」
エルデラント内での蜂起とアルベラン西部への侵攻。
寝耳に水の事態であった。
エルデラントとは外交上での交渉が始まったばかり――完全にこちらの虚を突かれた形となった。
心配しなくても大丈夫よ、とセレネはクレシェンタに告げる。
「北と南は問題なく動けるし、アルベリネア軍はクリシェがいなくても王国最高の一軍だもの。コルキスやアレハもいるし、黒旗特務とジャレィア=ガシェアもある。後詰めには編成が整い次第レーミン将軍にも来てもらうつもり。わたしはクリシェみたいな無理はしないし、やるのは時間稼ぎ。少なくとも負けはないわ」
現状即座に動けるのはアルベリネア軍のみ。
他は動員にまだ数日の時間が掛かり、そして今は一刻を争う事態であった。
少なくとも敵軍の中央進出を防ぐため、その頭を押さえなければならない。
巧遅よりも拙速を。
戦において僅かな遅れは取り返しのつかない損失を起こしうる。
遅れは戦場から選択肢を奪い、余裕を奪い、兵の体力を奪うもの。
研究に没頭し、精神状態も悪いクリシェを戦場に立たせるよりも、セレネが自ら軍を率いた方が良い、という考えは至極当然のことで――けれどクレシェンタは難色を示した。
「おねえさまが並の天才将軍程度であれば仰るとおり、セレネ様にお任せしますわ。別にあなたが無能で不安だと言っている訳ではないのですけれど」
クレシェンタは言って、壁に貼り付けられた王国の地図――西に隣接するエルデラントを指さす。
「わたくしですらこのタイミングでの侵攻は少し驚いてますの。今のエルデラントは少なくとも致命的な馬鹿ではないと思ってましたもの。こちらの心証を悪くするようなことは起こさないと思っていたのですけれど……」
指先で桜色の唇をなぞり、目を細めた。
「蜂起が伝わる情報の通り、単なる蜂起ならまぁいいですわ。でも、単なる蜂起にしてはあまりに規模が大きい。これだけの蜂起であれば起こされる前に当然エルデラントは察知して然るべきで、それが無かったとすると――」
「エルデラントの意図がある?」
「わたくしはそう思いますわ。少なくとも知っててわざと蜂起させたのではないかと」
指を二本立てる。
「考えられるのは二つ。エルデラント王は不穏分子を裏で操り、わざと蜂起させてアルベランに潰させようとしているか。外交的には最悪ですけれど、国内秩序を整えるという意味では悪くないですわね」
こっちはどうでもいいですわね、と指を一本折る。
「もう一つは再度の戦乱を望んでいるか。一気に中央突破してアルベラン中央へ進出、攪乱。アルベラン中央を大きく乱せばエルスレンが何かしらちょっかいを掛けてきますもの。アルベランには敵わない、という周辺諸国の意識を払拭。アルベランの独走に待ったを掛ける――まぁ所詮足を引っ張られる程度ですけれど」
多量のミルクと蜂蜜が注ぎ込まれた温い紅茶に口づけ、クレシェンタは続ける。
「ヴェズレア建国なんてお題目。どちらにせよ、ほぼ確実にエルデラントの意図があると思いますの。時間はあまり掛けたくないですわ。でも、セレネ様にあっさり終わらせてこいだなんて流石に言えませんもの……出来るならおねえさま、というのがわたくしの希望。理解頂けたかしら?」
セレネは眉根を寄せつつも頷き、紅茶に口付ける。
「無論おねえさまに無理はさせたくないですけれど、それでもおねえさまほど適任な方はなし。……セレネ様がお嫌なら、わたくしがお願いしてきますわ」
「…………」
セレネは視線を泳がせ、目を伏せる。
そして首を横に振る。
「……一緒に行くわ」
そうして二人は王城地下の研究室へ。
長い廊下の先、扉にノックして、けれど返答はなく。
ノブを回して開こうとすると内側から鍵。
二人は眉を顰めた。
クリシェには鍵を閉めないように言ってある。
彼女の体調のこともあるからだ。
「……ちょっと待ってくださいまし」
眉を顰めドアを蹴り開けようとしたセレネを手で制し、ドアから魔力を流し込んで中の様子を探る。
場合によれば非常に繊細な魔法を扱っている場合もあった。
魔水晶に刻む魔術ではなく、大気中に魔力で術式を刻む魔法の類は、多少の刺激であっても術式に変化が起こりかねない。
鍵を閉めている理由がそこにあるとすれば、文字通りクリシェが限界まで力を使って何かをしている場合もあり、荒い手段は危険であった。
けれど内側では特に異変はなく。
クレシェンタはそのまま魔力で内鍵を操作し、扉を開く。
「っ、クリシェ……!」
液化魔力の充填された円柱容器。
そこに浮かぶのは裸体のクリシェであった。
目を閉じ眠っているようで、慌ててどうにか彼女を助けようとするセレネの手を掴む。
それからクレシェンタは真剣な目で左右を見渡し、クリシェを眺めた。
丁寧に畳まれた衣服と下着。
容器の外側から手で触れ、姉であることが間違いないことを確認し、その体の状態を魔力で確かめる。
「……安心してくださいまし。生きてますわ。心臓も動いてます」
「クリシェは何を、してるの……?」
「今は魂とやらの研究だとか。……わたくしにもよく」
心臓は動いていた。
けれど、魔力に一切の動きがない。
意識がない、というだけではなかった。
仮に眠っていても、無意識下で魔力は動くもの。
少なくとも、ただ眠っているわけではない――別な原因で意識を失っているのだ。
不安を覚えて術式を刻み、クリシェの体内魔力を操作する。
高純度の液化魔力に浸かりながら、まるで魔力を扱えない一般人のような状態――クリシェの体内からはほとんどの魔力が喪失していた。
眉根を寄せ、その状態回復に務め――
「ぁ……」
うっすらとクリシェが目を開いたのはそれからだった。
どこか虚ろな視線――クレシェンタは跳躍すると円柱容器の縁に足を掛け、クリシェの体を引き上げ、ドレスを液化魔力で汚しながら床の上に。
クリシェは顔を歪めて口から液化魔力を吐き出し、嘔吐いた。
「クリシェ……!?」
「おねえさま、しっかりなさって」
セレネはその背中を撫で、クレシェンタはその頬に両手を当てて目を見つめる。
虚ろであった瞳に僅かな理性の光が宿り、僅かに口を動かした。
しかし声は言葉にならず、彼女はそのまま気を失う。
クレシェンタは眉を顰めたまま状態を確認し、ほっと息をついた。
「……眠っただけですわ」
「大丈夫なの? 様子が――」
「多分疲労と、魔力が枯渇してるだけ……念のため少しの間ここでちょっと様子を見ますわ。落ち着いてから屋敷に、アルガン様が余計に心配しますもの」
「……、そう」
セレネは少しほっとしたように息をつき、クリシェを眺めた。
それからクリシェの頬を撫で、クレシェンタに告げる。
「やっぱりわたしが行くわ。……この子に行かせられない」
「……セレネ様」
セレネは疲れたように目頭を押さえ、少しの間目を閉じた。
「それに、わたしがここにいて出来ることはないもの。このまま出るわ。……あなたに二人は任せる」
そう言って、目を開き。
眠るクリシェから視線を逸らす。
「……あなたもクリシェもベリーも、全員やるべきことをやってるんだもの。何もできてないのはわたしだけ。……安心してちょうだい、最低限のことはちゃんとするわ」
歯がゆそうに言って、アーネに伝えておく、とセレネはそのまま扉の外へ。
クレシェンタはそれを見送って、クリシェの体を抱き上げ、ソファの上に。
大きな問題はなかった。ただ、それは単にクレシェンタが間に合っただけ。
一歩間違えば、クリシェは目覚めなかったかも知れない。
クリシェはなりふり構わずだった。
――ただ、ベリーのために。
頬を撫でて、口付ける。
それから少しの間寝顔を眺め、拳を握る。
「……信じてくださいまし、おねえさま」
視線を揺らして、伏せて。
「わたくしは本当に、おねえさまと同じことを願ってましたわ」
――ごめんなさい、と。
すがりつくよう、クリシェの体に身を寄せた。
小半刻の間――それは嵐の如く。
熾烈な戦いをそう表現することはあるだろう。
ただ、そこにあるのは文字通りの嵐であった。
刀身の長さは五尺、身幅は掌ほどもあり、その厚みは剣と言うより鉄板であろう。
常人では持ち上げることすら出来はしない。
仮に振り回せば、それだけで筋肉と腱が引きちぎれ、骨など容易くへし折れる。
それをただ振ることが出来るというだけで、ある種の才能と言えた。
丈夫な骨格としなやかな筋肉、そして極めて高度なバランス感覚――故にその全てを兼ね備える彼は、ある種の天才と呼ぶべきものに違いない。
人間一人を振り回すような巨剣の遠心力を制御し、殺し、独特の歩法、荷重移動によって掌握。
ラーニの大剣――それが生み出す莫大なエネルギーを、余すことなく次の一閃へ繋げ、重ねる。
それはまさに外法の剣であった。
剣を自分の手足の如く操ることを目的とする、正統剣技とは真逆。
レドは己が体を剣の付属品として操作した。
剣を振るのではなく、自身の体を剣に振らせ――結果に生じるのは、常人では理解すら及ばない、剣術とも体術とも呼べぬ戦闘術。
彼はまるで素人の如く、重心を己ではなく剣に委ねた。
高速で振り回される剣の威力によって体を振り回させ、踊るように。
風を押し潰す暴力的な一閃はその通る空間にある全てを粉砕し、両断する。
見る者にはただ、巨剣が独りでに動いているように見えただろう。
レドの存在はまるで、柄尻についた飾りほど――ただ遠心力によって自身の体を振り回すレドの姿は消え去り、もはや刃の残像だけがその場に残る。
踊り狂う巨剣は神話のそれ。
武勇の神コレイスが持つとされる必勝の刃――主の敵を斬り殺すため、持ち手もなく踊り続ける魔剣であった。
その斬撃は全てが捨て身の一刀であり、そうでありながら本来捨て身の肉体は消え。
命もなく冷ややかに、魔剣は相手を切り刻むまでは止まらない。
そこに宿った圧と狂気は剣の嵐として、敵味方に関係なく、見るもの全ての背筋を凍らせていた。
重厚な戦列すら真正面から切り裂くだろう。
鎧や盾など、その剣圧の前には布と変わらぬものだった。
多くの猛者を知る戦士達ですら、この光景を現実のものと受け入れることは出来ない。
ラーニのレドが持つのはまさしく、コレイスの魔剣であるのだと。
「っ……!」
フェルワース=キースリトンですら手も足も出せなかった。
眼前の剣嵐に踏み込めず、槍を突き出すことも出来ず、ただ距離を開いて直撃を避けるのみ。
あの重量の巨剣を操る負荷は必ずその体力を蝕み、隙を見せるとそう考え――しかし、その剣の轟音、速度を緩まる事はない。
先の戦から血反吐を吐き続け、剣を振り――人としての生と恵まれた才覚の全てを、この巨剣一つに捧げて見せた。
それはもはや努力ではなく、狂気の沙汰であろう。
レドはもはや人ではなく剣そのものであり、全てを捧げられた魔剣はその魂を喰らいながら、喜悦を浮かべて踊り狂う。
疲労などはあるはずもない。
そこにあるのは、その魂が尽きぬ限りに踊り続ける魔剣であった。
人の身でありながら神の所有物を手にした愚かもの――それをあざ笑いながら魔剣は踊り、死を奏でる。
「ぐ、……っ」
体は衰えたとはいえ、積み重ねた経験夥しく、その魂に曇りはない。
――けれども人である限り、フェルワースに勝てる相手などではない。
命ある者として当然の反応。
酷使した肉体と集中、限界を迎えた体が悲鳴をあげ、一瞬の隙。
咄嗟に槍を構えるも無意味であった。
袈裟から振り下ろされた刃は鉄芯の入った槍を両断し、右肩から先を斬り落とす。
フェルワースは苦痛に顔を歪めながら大きく跳躍し、後方へと逃げ延びる。
魔法が解けたかのように風が弱まり、嵐の内からレドが姿を現した。
「……幕だな、キースリトン。あんたが若ければまだ踊れていただろう。……だが、その体では限界がある」
「くく、……若者の成長とは驚くべき、ものだ……」
脂汗を浮かべ、膝をつき、苦痛に顔を歪めながらもフェルワースは頬を吊り上げた。
「シェルナ=ヴェーゼ……その剣に宿る狂気。……復讐か」
レドは剣を引きずり、距離を詰めた。
目を細め、告げる。
「説教はいい」
「せぬとも。……ただ憐れみを覚えるだけだ」
腰から左手で剣を引き抜いた。
かつてヤゲルリネアの名と共に、王より下賜された剣であった。
「それだけの研鑽を積み、それだけの才覚を持ち。君ほどの戦士であれば、どうあれ目的は果たせたであろう。……その相手がどのような相手であろうと、人の範疇にある限り」
勝機の一切を失ってなお、老兵はその身を立たせる。
「戦士として称賛しよう。だからこそ、憐れに思う。……君には何も手に入るまい」
誇りと言う名の刃を左に。
それは悪あがきと言うべきもので、およそ意味のある行為ではない。
ただ、歩んできた道と矜持が老将を立たせただけ。
「……、それは俺の決めることだ、キースリトン。説教はいいと言ったはずだが」
されど、その瞳に映るは清涼。
レドに対する恐怖も憎悪も敵意でさえも――何一つなく、言葉通り。
老人が孫に対するような、その目にはそんな情すらが宿っていた。
「そう、か……確かに、これも……説教と言えるな」
フェルワースは笑い、その体から力を抜く。
倒れこむように――けれどその足を踏み出した。
流麗であり、極まっていた。
文字通り生涯最後の一刀――もはや、レドが距離を開いてやるだけで死ぬだろう。
しかしレドは応じて踏み込む。
重量にも関わらず、剣は風を――後から出でて先を取った。
右下から左上。
地を擦るように加速させた剣は容易く古将の銀鎧を両断し、胴を二つに。
そして胴を斬られながら振るわれたフェルワースの刃が、レドの右腕に。
体重も乗らず惰性で進んだ刃に威力は無く、腕を両断することもなく、小さな傷をそこに刻む。
それが古将の最期であった。
キースリトン将軍、と悲痛な声が響き、アルベランの兵士達が膝から崩れ落ち、レドの兵士達は歓声を響かせる。
レドは彼等を見ることなく、右腕の傷を撫でた。
それから転がったフェルワースの剣を拾い、その左手に握らせる。
「……兜を取って、後はこのままここに埋めろ」
「は……しかし、首を――」
「二度言わせるな。……この男は将ではなく、戦士として殿を買って出たまで。それを晒して手柄首と、悦ぶ趣味は俺にはない」
言ってレドは空を見上げた。
力が及ばず、あの時出来なかったことを一つ成し遂げ、けれど心は晴れることなく。
纏わり付く何かが消えることもなく。
どうあれ元より、何かを為すためではなかった。
手にするためでもなかった。
全てはもう手遅れで、手の届かなかったものは全て、遠く過去。
この先に転がっていないことは知っている。
――意味などなく、価値などない。
風が草原を吹き抜け、目を閉じた。





