楽園送り
――ウルフェネイト攻略戦、その戦端が開かれ二日目の朝であった。
城壁は二十五尺――その前にある八尺の深い壕はアルズレン川の堰き止めによって水位を失い、それはさながら集団墓地の様相を呈している。
膝下の残った水は真っ赤に染まり、夥しい数の死体。
吐き気を催す死臭が漂っていた。
「続け! もっと橋を架けろ!」
壕の幅は精々四間ほど。
エルスレン神聖帝国はその集団墓地と成り果てた壕の中で工兵を動員。
水を吸わせた丸太を運んではつなぎ合わせ、無数の橋を架けていく。
壕の上にそうして橋を架ければ、橋の下は屋根の付いた作業場に変わる。
城壁の上を攻めることを一層容易にすると同時、城壁の下を掘り進み、城壁を崩すモグラ穴を作ることで、上下からウルフェネイト城壁の攻略を図っていた。
良質な岩で築かれたウルフェネイトの城壁は単なる投石機程度で容易に崩せるものではない。
分厚い土塁に組み上げられた石壁は芸術的と言って良いもの。
アルベラン最盛期に莫大な資金を投入され改良されたこの都市は今なお、大陸一と言える堅固な城郭であった。
10万人規模の都市でありながら、このような城壁でその全周を覆っているのだ。
そこに隙など何一つない。
大型投石機を失いながら、完全防備を整えたこの要塞都市を攻め落とすことなど狂気の沙汰であった。
あるいは数ヶ月の時間さえあれば、ここを孤立させ陥落させることも可能であっただろう。
だが、そんな時間はエルスレンに存在しない。
三国侵攻という優位は崩れ、既に南からの圧迫を受けているのだ。
彼等は9万の命を使い潰してでも、この城壁を越えざるを得ない。
「くそったれ、梯子が掛かったというのに前衛は何をやっておる!!」
「思った以上に城壁の上が厳しいようですな。……あのアルベリネアの存在がやはり大きい」
髭面凶相――エルスレン神聖帝国軍団長、オルカナ=レーカリシュの言葉に老副官ティグ=マグナスが答える。
彼等がいるのはアルベリネアの真正面。
そしてこちらからもアルベリネアの姿がよく見えた。
城壁の内側――高い時計台の赤い屋根にぺたりと座り、パンを咥えつつ弓を引く黒い外套銀の髪。
欠伸をする翠虎の体に背中を預け、なんともやる気のなさそうな姿であった。
だというのに、梯子から跳躍した大隊長、魔力保有者が呆気なく少女の弓に二射で射抜かれ転がり落ち、城壁の上から響くは歓声。
明らかに彼女の存在がこの一帯の士気を高め、攻略を妨げていることは確かであった。
攻城戦における魔力保有者の価値は、野戦とは比べものにならぬほどに大きい。
城壁上という限られた空間。
いかに幾万という兵力を有していても城壁の上では寡兵と寡兵の戦いであった。
そこでの戦いは連携以上に個の強さが重視され、そして魔力保有者とはその小さな戦いの勝利を強引にもぎ取ることを可能とする。
だが、アルベリネアはその魔力保有者を執拗に射抜いていくのだった。
昨日城壁にある防御塔を投石機により二つ破壊し、城壁を崩して優位を勝ち取ったこの北壁。
昨晩には橋もいくつか渡され、壕の中には中継拠点。
工作も順調であった。
しかし今朝アルベリネアが現れてからは状況に変化がない。
それどころか投石機がアルベリネアによって破壊され、悪くなる一方――城壁制圧に十分な戦力がありながら、未だこの北壁陥落を達成出来ていないのだ。
ウルフェネイトには外壁より大きなものではないが、内側にも城壁がある。
概ね東西南北を分ける四区画と、中央にある城砦を広く囲んだ中央区画。
まずは外壁の確保が行われなければその攻略もままならない。
「くそったれめ、俺が――」
「はっはっは、レーカリシュ軍団長、君ならそう考えると思っていた」
馬に乗って現れ、声を掛けたのは左目に眼帯を着けた男であった。
少し老いの見える男ではあるが、戦場でも綺麗に剃り上げられた髭と精悍な顔。
「……何の用です、ミルコース軍団長」
同じ北壁攻略を命じられ、隣で軍団を指揮するミード=ミルコースであった。
元将軍の上官であり、百人隊長から成り上がった生粋の武人――性格的に反りが合わず、オルカナは嫌っている。
「あんたは俺と同じ軍団長です。もう命令する権利はない」
「もちろん。命令ではなく提案だ」
「……提案?」
ミードは頷き、微笑を浮かべる。
「あのアルベリネアがある以上、我々がこのまま平押しを続けてもこの壁を突破することは難しい。数の優位がある内に、強引にでも突破を図るべきだろう。君とは同意見――違うかね?」
「……だからと言って、あんたと組む利点は?」
「将軍から既に許可も取ってある。私と君でこの城壁突破を図る、これは命令だ」
オルカナが渋面を作った。
オルカナとミードを指揮する将軍は公爵家の倅。
金と家柄で将軍の椅子を買った若造――ミードはそれを上手く手懐けている。
「……あんたのそういうところが嫌いです」
権威に用いて他人を利用し。
ミード自身は優れた戦士であるが、策謀家。
純粋な戦士であることを何より尊ぶオルカナとは相容れない存在だった。
「知っている。だが今回、名に誓って手柄は文句なしに二等分だ。私は人を騙しはするが、嘘もつかないと君は知っているはずだ」
「……余計に性質が悪い。まぁいい、どうせ断れないんだ。内容は?」
「君も喜ぶだろう。……私と君で、強引に血路を開く」
オルカナは眉を顰め、ミードを睨んだ。
「……らしくないですね」
「理由は分かるだろう? 先の敗戦で痛手を被った。首の皮一枚で繋がったがね」
先の戦ではこの男がバズラー=ルーカザーンよりウルフェネイトの防衛を任されていた。
だがアレハとバズラーの敗北、その後退によりウルフェネイトは孤立。
兵糧攻めに遭いウルフェネイトを放棄するも、追撃によって多大な損害を被り、その結果、此度の従軍は将軍ではなく軍団長。
あの状況でミードに失敗はなく、不憫と思わなくもない。
神聖帝国軍での地位は、どれだけ多くの金と兵を用意出来るかも大きい。
子飼いの貴族達や金と兵を失ったミードはこのまま行けば落ちていく一方だろう。
この男が手柄を求めているのは確かであった。
信用出来るか否か――話を聞いてからでも悪くはない。
「やることは単純。この二個軍団から魔力保有者を中心に精鋭を集めて強行突破だ。城壁は平民にとっては高いが、我らにとってはそうではない。……そして中に入り込みさえすれば、私は構造を知っている。門を開くこと自体は容易い」
「博打ですな」
「打つ価値はあるだろう」
オルカナは少し考え込んだ。
少なくとも少数精鋭は言葉の通り。
オルカナを捨て駒になど出来ないだろう。
そんな余裕はない。
「……悪くない。こちらから出せる魔力保有者は精々二十名程度でしょう。……大隊長クラスも駒に使う前提で」
「似たようなものだ。将軍の本陣からも十名ほど、我々は計五十名。後は腕の良い兵士を壕にいる工兵と入れ替えだな。混乱に乗じて城壁上を制圧させ、一手でこの北壁を攻略する」
「大胆なのは俺も嫌いじゃない。あんたらしくはない策だが」
その言葉にミードは笑う。
「噂話だが、内戦で活躍したアルベリネアの百人隊は全てが魔力保有者からなる精鋭であったそうだ。中々面白い発想だと思ってね、その内やってみたいとは思っていた」
噂を聞いて面白いとは感じたが、とはいえ、実際に同じことを出来るかと言えば否だった。
魔力保有者は大抵貴族で、指揮官。
そんな部隊を作ろうとすれば、軍の運用がままならなくなる。
「野戦では難しいが……攻城戦ではやれなくもない」
だが攻城戦に限って言うならば問題はそれほど大きくなかった。
敵の攻撃を受け止めるための判断など必要ない。主導権は攻める側にあるのだ。
城壁を攻略して敵を殺す。
兵士達はそれだけを考えれば良く、単に攻めるだけならば戦術を組み立てる脳がなくても、指示さえ出せれば誰でもいい。
「なるほど。……まぁその話は手柄を挙げた後、酒でも飲みながら話すとしましょうか」
「ほう? 嫌いな私と酒を?」
「意見が一致するなら悪くはないものです。精鋭を率いての突破は同意見だ。――伝令!」
オルカナは叫び、伝令を集める。
時計台の上からパンを咥えた少女の紫色が、じっと二人の口元を見つめていた。
ミード=ミルコースの突破は成功する。
総勢五十名の魔力保有者により、城壁を乗り越えての一点突破。
敵は怯え、すぐさま身を引いた。
戦場で鍛え上げられた魔力保有者達――即席部隊とは言え、そのほとんどが隊の指揮官級の軍人。
単なる兵士とはそもそも、瞬間的な思考能力自体が違う。
臨時編成でありながら高度な連携、彼等は一息で立ちはだかる敵を圧倒した。
ミードは全体指揮、オルカナは斬り込み役。
オルカナが身を引き、素直にミードにこの部隊の指揮権を預けたことも良かったのだろう。
全てにおいて問題がなく。
北門の一つ――そこに積まれた石積みを取り除けば、後は雪崩の如くであった。
高く月が浮かぶ夜空。
ウルフェネイトの北区画はほんの僅かな時間でエルスレン兵士達で満たされた。
北区画のみ――東部や西部、中央を隔てる内壁にはこちらに気付いた敵軍が戦列を作り、城壁の上には弓兵の姿。
だが、既に帝国軍兵士はウルフェネイトの強固な外壁、その内側に入り込んでいる。
兵力優位の状況、この戦にもはや負けはない。
「ミルコース、レーカリシュ! 良くやった、褒美は期待するといい!!」
馬に乗って現れた北壁担当の将軍――アーレ=ケインクルス公爵は戦場に不似合いな少年の声で言った。
線の細い、優美な鎧に着られているといった様子の、青年と言うより美少年。
年齢は二十の半ば、成長が止まるのが随分早かったのだろう。
威厳の欠片もない雰囲気であった。
「は! 将軍の英断あってのことです!」
オルカナとミードは内心の嘲りを欠片も出さず敬礼する。
正真正銘のお坊ちゃま、戦場が初というわけでもないが、実際に剣で相手を斬り殺したこともないだろう。
大した戦果を挙げたでもなく、家柄と金で将軍の地位を買ったような男であった。
此度の戦には大金を注ぎ込んで、将軍として参戦している。
毒にも薬にもならない無能であった。
日和見で頭もないが、経験豊富な副将やミードのような武人の言葉に耳を傾け、素直に応じる点だけは評価しても良い。
『お飾りの将軍としては』よく出来た将軍と言える。
「しかし、ここまで上手く行くとは……ミルコース、どう考える? このまま攻めるべきだと感じるか?」
「は! 私としてはこのまま東の区画を攻め、ルーカザーン大公の助攻を行うのが良いのではないかと」
神聖帝国軍は南北と東を攻めている。
手薄であろう西を攻めて陥落させ、更なる手柄を挙げるというのも悪くはなかったが、この軍の総大将はバズラー=ルーカザーンである。
誰よりも彼に華を持たせなければならないのは当然のこと。
武勲の第一功、ウルフェネイト中央の陥落をバズラーに譲らなければ、後で難癖をつけてくることは確実――戦場においても貴族としての政治は大きな問題であった。
「同意見かレーカリシュ?」
「は! 私もミルコース軍団長と同じ意見です、将軍」
オルカナはすぐさま答える。
帝国貴族としては初歩中の初歩の問題。
考えるまでもない結論であった。
「なるほど。良い部下を持って私も嬉しい。私も同じことを考えていたところだ」
聞いたのは不安であったためだろう。
二人がもし西を攻めるべきだと言ったなら、同じ言葉を言ってそれに従ったかも知れない。
風見鶏であったが、頑固でないだけまだマシ。
自分の無能を理解しているという点で好感を持てなくはない。
「君たちの軍団と同じく、ラクレーンスとラートルの軍団も中に入れた。君たちは自身の軍団に戻り準備を。それが済み次第、東の攻略に向かう」
「は!」
二人は踵を打ち鳴らし、敬礼するとすぐさま駆けた。
それぞれ率いてきた特務部隊の兵士達四十名もそれに続く。
損耗は合計四名ほど、被害は微少であった。
街の中を駆ける兵士達の数を見ながらオルカナは笑う。
4個軍団――2万の兵がこの北区画を埋めつつあった。
「はっはっは、あんたのことは嫌いでしたが、見直しました。終わったら楽しい酒が飲めそうです」
「くく、私は昔から君のことは部下として気に入っていたとも。とはいえ、これでようやく戦友となれそうだ」
ミードは右拳を向け、オルカナは左拳をそこにぶつける。
「しかし、呆気なさ過ぎるのが気に掛かるな。……敵の士気はそう低くもなかったはずだが」
「この状況で怯えない兵士もいないでしょう。戦は流れ――ある意味賢い兵士達です」
オルカナは答えた。
城壁の上に斬り込み、門に取り付くまで小半刻足らず。
開門し、流れ込んだ時には城壁を守っていた兵士達も事態を悟ったように逃げだした。
門が開いた時点で不利を理解し、東区画や西区画の防衛に回った――そう考えるなら悪くない動きではある。
一度雪崩れ込めば、それへの抵抗など焼け石に水でしかない。
「ただまぁ、懸念は分かります。この呆気なさはわざとかも知れない、そう思っているんでしょう?」
「ああ。元々、東や南に比べこの北の戦力は薄かった。温存策であったかも知れないと考えれば、内側の城壁攻略はそれなりに難航するかも知れん」
最初から守り切ることは不可能と、外壁を突破されることを最初から想定していた――その可能性はないでもない。
だとすれば、この内側の攻略はそれなりに手間を喰う恐れがあった。
「防衛が不可能な場合は無理をせず後退しろ――そんな命令が事前にあったと考えれば、この呆気なさは妥当だ」
「伏兵を警戒すべきですな」
「ああ。将軍は目の前しか見えていない。我々が――」
「――軍団長!」
馬に乗って現れたのはミード本陣の伝令であった。
手には拳大の丸い壺のようなものを持っている。
「……どうした?」
「は。このようなものが街の至る所に……確認してみたところ、どうにも中に魔水晶と鉄屑のようなものが入っているようなのですが……」
「魔水晶……?」
ミードはそれを受け取り、オルカナは左右に目をやる。
道の壁際や路地――同じような壺は至る所に見えていた。
ミード達が通ってきたのは職人街であることもあってそれほど気にはしていなかったのだが、魔水晶という言葉に眉を顰めた。
オルカナが近場に置かれた水瓶を蹴り割ると、その内側からも釘や鉄屑が現れ、そして拳大ほどの魔水晶が現れる。
「なんだ……?」
「……非常に精緻な刻印だ。魔術師に見せれば何かわかるのかも知れんが、私には分からん――」
言いかけた所で悲鳴のような声。
アルベリネアという単語を耳にして、声の方角を見る。
翠虎に乗った銀の髪、黒い外套。
それが時計台の上にあった。
そして翠虎はそこから大きく跳躍、まるで天に昇る月を喰らうように上空へ。
少女は肩に担いだ袋から、青く光る何かを周囲にばらまく。
「っ……!?」
彼女の四方へと飛び出したのは無数の魔水晶だった。
規則的な明滅を繰り返し、その輝きは夜闇すらを覆い隠し。
大地もまた、呼応するように青き輝きを生じさせる。
路地の暗がりも、ミード達のいる大道も。
そして、彼等が手に取る魔水晶も。
――全てが青の光を膨らませ。
エルスレンではレイネの天国という教えがあった。
死後魂は天にある楽園へと導かれ、そこで生まれ変わり、永遠の幸福を手にするのだと――初代皇帝エルスレイネの絵画によって、人々に伝えられた教え。
肥え太り腐敗した聖職者と、彼等に都合良く作り上げられた戒律。
締め付けと搾取、格差と貧困に喘ぐ日常。
それに対して思うところがない人間はいないだろう。
けれど死後に楽園に導かれるというその信仰そのものは、今もなお彼等は信じていた。
現世での苦しみを堪え忍べば、いつか死後に幸福が訪れる。
楽園へと導かれる。
そうした教えは、彼等にとっての救いであった。
だからこそそれは、ある種の神聖さすらある光景であろう。
――猛烈な爆音と共に、青い光柱は空へと伸びて。
ウルフェネイトの北区画に入り込んだのは、2万近い兵士達。
その半分以上をただの一瞬で、彼等の信じる楽園へと導いたのだから。





