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第32話:色彩の果て、永遠の腕の中で


 精霊王の城を中心とした世界は、もはや外界の「時間」という残酷な砂時計の概念からも、完全に解き放たれていた。

 城を囲む禁域の森には、一秒の停滞も許さぬほどに瑞々しく、永遠に枯れることのない極彩色の花々が咲き乱れている。空を見上げれば、そこにはリリアナの真名の輝きを映した虹色の雲が絶え間なく揺らめき、万物の吐息が光の粉となって大地を潤していた。かつて泥の中で絶望し、屋根裏部屋で一人震えていた少女の記憶は、いまや数千年の時を越えた伝説よりも古く、お伽話の序章のように淡く、優しい色彩の中に溶けて消え去っていた。


 城の最深部、神でさえ立ち入ることを躊躇ためらう「真実の寝所」。

 そこは、アルヴィスがリリアナのために創り上げた、世界で最も甘美で、最も強固な愛の檻であった。窓の外に広がる精霊たちの凱歌は、ここでは柔らかな子守唄のように静まり、ただ二人の心音だけが、ひとつの完璧なリズムを刻んで響いている。


 アルヴィスは、真珠色の天蓋の下、自分の腕の中に収まったリリアナを、片時も離さぬように抱きしめていた。

 彼の金色の瞳は、数千年の孤独を経てようやく手に入れた「完成された永遠」を、飽きることなく、執拗なまでの熱量で見つめ続けている。その視線は、彼女の睫毛の震えひとつ、唇の微かな動きひとつまでを飲み込み、自分の魔力で塗り潰そうとする執着に満ちていた。


「……リリアナ。お前は今日も、世界で最も美しい色彩を私に見せてくれる。お前が瞬きをするたびに、私の世界の理が新しく書き換えられていくのが分かるのだよ」


 アルヴィスの低い、蕩けるような声がリリアナの鼓膜を甘く震わせる。

 リリアナは、王の逞しい胸に顔を埋めたまま、幸福な溜息を漏らした。彼女の銀色の髪は、アルヴィスの魔力を絶え間なく受けてかつてないほど神聖な輝きを放ち、その白い肌には、王の愛によって刻まれた目に見えぬ「寵愛の印」が、熱を帯びて息づいている。もはや彼女の身体は、アルヴィスの魔力なしには維持できぬほど、深く、濃密に彼と混ざり合っていた。


「アルヴィス様。……私、時々ふと思うのです。あの泥の中にいた私が、今の私を見たら、きっと信じないだろうな、と。……あの日、あなたに見つけられた瞬間に、私の人生から『灰色』という言葉は死に絶えてしまったのですもの」


「……泥、か。……もはやその不快な言葉さえ、私の耳に届かせる必要はない。……お前をそのような場所に置いた世界は、すでに私の手によって無へと還り、一粒の塵すら残ってはいない。……今のこの眩い色彩こそが、お前のための唯一の真実なのだ」


 アルヴィスは、リリアナの細い手を取り、その指先に繰り返し、狂おしいまでの執着を込めた口づけを落とした。

 彼はリリアナを人間としての制約――すなわち、老いや病、そして「死」という名の救いからも完全に解き放ち、自らと同じ、永劫を生きる高位の存在へと昇華させた。この楽園は、二人の愛が続く限り永遠に、その輝きを失うことはない。彼女を縛るものは、もはや重力ですらなく、ただアルヴィスの腕という名の、温かな拘束だけであった。


 リリアナは、アルヴィスの銀髪を優しく撫で、その瞳を見つめ返した。

 かつては「檻」に感じたかもしれないこの圧倒的な独占欲も、彼の深い孤独と、自分を失うことへの狂信的な恐怖を知った今では、自分を包み込む「慈悲」そのものであると理解している。彼女は自らの意志で、この王の腕の中に留まり、彼の魂を愛で満たし続けることを、自らの永遠の役割として受け入れていた。


「……私の歌は、かつては誰かの道具でしかありませんでした。でも今は、私があなたの隣で笑っていること、それ自体が、私の最高の歌なのです。……アルヴィス様、私をあの日、誰もいない暗闇から救い出してくれて……本当に、ありがとうございます」


 リリアナの瞳から、一粒の真珠のような涙が溢れた。

 それは悲しみの雫ではない。あまりの幸福と、自分の存在が全肯定されている歓喜に、魂が震えて零れ落ちた純粋な結晶。

 アルヴィスはその涙を指先で掬い上げ、自らの魔力を込めて、世界で最も美しい宝石へと変えた。それは、二人がこれから歩む途方もない時間の、ほんの一欠片に過ぎない輝き。


「……礼を言うのは、私の方だ。……お前の歌声がなければ、お前という名の光がなければ、私は今も、あの灰色の玉座で、ただ滅びを待つだけの冷たい石像であったろう。……お前が、私に色彩を与えてくれた。お前が、私に『愛』という名の生を与えてくれたのだ。……リリアナ、私はお前を、一生をかけても、数万年をかけても、愛し足りることはないだろう」


 アルヴィスは、リリアナを逃がさぬように強く、その細い身体が折れんばかりに抱きしめ直すと、その唇を深い、深い情熱を込めて奪った。

 二人の魂がひとつの輪を成し、真名が共鳴して、城全体がまばゆい虹色の光に包まれる。

 かつての過酷な冬、家族の冷酷な裏切り、婚約者の非道な仕打ち、そして屋根裏の孤独な夜。それらすべては、この究極の大団円を迎えるための、微かな、しかし必要な序奏に過ぎなかったのだ。


 窓の外では、数千万の精霊たちが二人の永遠を祝し、かつてないほど高らかに、世界の理を書き換える凱歌を奏でている。

 外界の因縁は完全に断ち切られ、リリアナを傷つけた者たちが存在した事実さえも虚無の中に消え去った後、この色彩の果てに残されたのは、ただ寄り添い合う王と女王の、甘やかな愛の軌跡だけ。


「……愛している、リリアナ。お前の吐息のひとつ、まつ毛の震えひとつまで、すべて私が愛で満たしてやろう。お前はただ、私の胸の中で、永遠に甘い夢だけを見続けていればいい」


「……ええ、アルヴィス様。……私も、愛しています。……あなたの隣で、あなたの熱を感じながら、永遠に色彩を紡ぎ続けてまいりますわ」


 精霊女王としての気高き威厳と、ただ一人を愛し抜く少女の純真。

 リリアナは、自分を溺愛する王の胸に深く、深く顔を埋め、閉じられた瞼の裏で、これから始まる終わりのない色彩の物語を、幸せそうに夢描き続けるのであった。


 虐げられた令嬢の救済劇は、ここに完璧なる完成を見た。

 色彩の果て、永遠の腕の中で、二人の愛は不滅の神話となり、世界の鼓動と共に、どこまでも甘く、美しく、響き続けていく。

 

 そして、その調べが途絶えることは、決して、ないのである。


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最初から一気に読みました! 楽しく読ませて頂きましたよ!
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