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第四七話 伯爵の葡萄畑 一三 真綾大爆掌


 大鴉の森でカッツェン・ヴァイトを倒したあと、熊野はじっくり考えた――。


『薪をぶつけられた時には再生なさった襲撃者さんが、〈鬼殺し青江〉で刺されると再生おできにならなかった理由……。二度の攻撃に違いがあるとすれば、打撃と刺突、もしくは木と鉄、でしょうか……いえ、それではどうにも腑に落ちませんね、わたくしに臓器はないですが……』


 ムムムと考えていた熊野は、もうひとつの違いに思い当たった。


『そうでした! もうひとつございましたね。あの薪はこちらの世界で拾った物で、〈鬼殺し青江〉は元の世界の物、つまり、この世界の物質ではなかったことが、襲撃者さんの再生を阻害した要因なのでは!』


 そこで彼女は思い出したのだ、今年の春、あの湾で花見をしたあと、真綾の祖父である義継と親友の花が話していたことを。


『たしか……あの小説に描かれた異世界では、万物に魔素というものが含まれていて、攻撃魔法は相手の魔素に働きかけることで危害を加える、花様はそうおっしゃいました。ですから、魔素をまったく含まない真綾様の結界には、ドラゴンブレスさえ通じないだろう、とも…………。いけません、感傷に浸っている場合ではございませんね』


 義継や花と過ごした幸福な日々を思い出し、急に切なさの込み上げてきた熊野だったが、その想いを振り切るように考察を再開した。


『この世界が小説の異世界と同様だったとして……魔素を含まないのは【強化】の結界に限りません、元の世界にあったすべての物質がそうですよね。そうすると、それらすべてが攻撃魔法に対する絶対防御を有していることに……あれ?』


 熊野はここへ来て、さらに進んだ可能性に気づいてしまう。


『……ひょっとすると襲撃者さんには、〈武器による損傷を再生する〉とか、〈武器では死なない〉などという魔法がかかっていて、こちらでは魔素を含んでいるのが当然の〈武器〉という括りから、魔素のない〈鬼殺し青江〉が除外されたのでは……。だとすれば、元の世界からこちらへ来た物質は、攻撃魔法だけではなく、防御や再生といった魔法も無効化できることに……』


 魔素を含まない物質が有する〈攻撃魔法を無効化する防御力〉と〈防御魔法を無効化する攻撃力〉、熊野の頭に浮かんだそれは、奇しくも日本で花が立てた仮説と同じものであった――。

 その後も、羊頭巨人戦、ナハツェーラー戦、ワイバーン戦と検証を重ねるにつれ、それは熊野の中でたしかなものへと近づいてゆき――。

 そして今日、真綾の馬鹿力で振るったにもかかわらず、古城で拾った棍棒がベイラに傷ひとつ負わせることなく砕かれた瞬間、仮説が間違いではなかったと熊野は確信した。


      ◇      ◇      ◇


「――さあ、どうする? 伯爵様」


 勝ち誇ったようなベイラの声が聞こえた、ちょうどその時――。

 氷壁のようなベイラの胸に肘から両手のひらまでを密着させる形で、強く抱きしめられている真綾の脳内に、熊野の明るい声が響いた。


『真綾様、わたくし必勝を確信いたしました! このまま力ずくで拘束を解き、元の世界の武器を使ってもよし、なんなら素手で殴ってもよし、要はこの世界の武器さえ使わなければよいのです! ただ最終的には、一気に大規模な損傷を与える必要がありそうですが。――いかがなさいますか?』

(大規模……密着……)


 熊野から言われた大規模破壊と現在の状況を考え始めた真綾の脳裏に、ちっさい親友の姿が浮かんだ。

 

 それは、ある秋の日曜日のこと――。


「ゼロ距離だよ!」


 朝っぱらから上がり込んだ真綾の部屋でゴロンと寝転び、持参の少年マンガ雑誌を読みふけっていたかと思ったら、唐突に立ち上がるなり意味不明なことを叫ぶ花。

 ちっさい親友の奇行などとうに慣れているため、真綾は今さら驚きもしない。


「何?」

「発勁だよ! 寸勁だよ! 暗勁だよ! 一〇センチ……いや、ゼロセンチの爆弾だよ!」

「?」


 意味不明な言葉を並べる花に、小首をかしげる真綾……いつもどおりの光景である。


「もう、しょうがないなあ真綾ちゃんは。……ホラ、敵との距離が近すぎたり、それどころか密着してたりして、攻撃しづらいときってあるよね?」

「あるかな?」

「あるんだよ! ――とにかく、そんな状況でも、こう、気とかコスモとか……なんかそんな感じのアレで敵を撃破する必殺技が、真綾ちゃんにも必要だと思うんだよ!」


 かなりフワッとした理論で花は力説しているが、十中八九、さっき読んでいた少年マンガの影響であろう。


「よし、そうと決まれば特訓だ! 今から超カッケー必殺技を編み出すよ!」

「…………『お~!』」


 ちっさい親友が短い腕を力強く突き上げると、熊野の元気な返事だけを律儀に伝える真綾……。

 ともかくこうして、羅城門真綾百八の必殺技(花が勝手に言っているだけで、それほどの数はないのだが……)のひとつが爆誕したのである。

 真綾はここで、ソレを選択した――。


「羅城門流奥義、〈真綾大爆掌〉」


 真綾の声が響いた直後、ベイラの巨大な胴体は……爆散した。


 ――真綾大爆掌――。

 花の指示により、真綾の【船内空間】には様々なものが収納されているのだが、そのなかには、熊野丸のボイラー内にあった高圧蒸気も大量に含まれていた。

 この技は、摂氏四百二十度、一平方センチメートルあたり四〇キログラムもの超高温高圧蒸気を、敵に密着させた手のひらのわずかな空間に出現させるという、良い子は決して真似をしてはならぬ危険極まりない大技なのである。

 ちなみに、ネーミングセンスのない親友によって付けられたこの技名を、真綾はあまり気に入ってはいないのだが、それでも使ってやるあたり、彼女の花に対する友情の深さを思わずにはいられない……。


「成敗……」


 衝撃で吹き飛ばされないように体重を超増加させていた真綾は、ベイラの爆散後に体重増加を解き、しなやかに着地したあと、ベイラだった光の粒子の下で決めゼリフをつぶやいた。

 そんな彼女のもとへ、ガシャガシャと甲冑の音を立ててカールが駆け寄ってくる。


「マーヤ、無事か!?」


 かく言う彼も無事でいてくれたようで、真綾がホッと胸を撫で下ろした――その時!


「ギャアアアァァァ!」


 ふたりがいる急斜面の下、カール宅を少し離れた場所から、何者かの叫び声が響いてきたのだった。


      ◇      ◇      ◇


 ヨーナスは起きていた、マーヤがカールたちに秘密を打ち明けている時から……。

 その後、代官らの襲撃から避難する馬車に乗せられている間も、彼はずっと眠った振りをしていたのだ。


(父ちゃんやマーヤねえちゃんが戦うんだ、俺だって役に立たなきゃ……)


 幼い胸のうちに闘志を燃やしながら。

 そして――。


「あ、松明の明かりが見える! おじいさん、男爵様が来てくださったよ」

「おお、そのようじゃ」


 男爵の迎えに気づいたアンナが馬車を止め、近づいてくる松明の明かりに老人の意識が向いた、その時――。


(よし、今だ!)


 ヨーナスはこっそりと馬車を降り、まださほど遠くはない自分の家へと、星明かりの下を駆け出した。


      ◇      ◇      ◇


 かつて代官だったモノは、混乱していた。

 たしか、地面に転がっていた自分は、青白い燐光を帯びた冷気に捕らえられ、体が徐々に凍っていったはず……。

 しかし気がつけば、自分はしっかりと大地に立っているではないか。しかも、なぜか目線がいつもよりはるかに高い。

 そんな彼の耳元に、しわがれた老婆の声が響く。


「――今日からお前は〈伯爵級〉だよ、ぎりぎりだけどねぇ」


 何を言っているのか理解しかねたが、あの妖婆は最後にそう言った。

 たしかに、今まで感じたことのないほどの力が体中に満ち溢れ、さらには、貴族の加護のような異能が自分に備わっていることもわかる。

 身長二メートル半ばを超える霜の巨人、それが彼の新たな姿だった。


(伯爵……このわしが、伯爵!?)


 歓喜!

 これまでずっと渇望していた、貴族、それも伯爵の力を得られたことで、彼の中に言い表しようのない喜びが込み上げてくる。

 伯爵ではなく、〈伯爵級〉なのだが……。


(母上、やりました! ようやく私は伯爵に……はて? 母上? わしの母上なら、今そこの急斜面の上に……)


 大都市コロニアの実家にいる優しい母の面影が、代官だったモノの頭に束の間だけ浮かんで、消えていった……。眷属として生まれ変わった今、もはや彼の母はベイラなのだ。

 彼がそうしている間にも、急斜面の上では戦いが始まっていた。

 彼の母と対峙しているあの娘、そしてその仲間らしき黒衣の騎士に、彼の仲間たちが続々と群がってゆく。


(あの娘、あんな場所にいたのか! 今のわしならば、伯爵たるこのわしならば、あの娘にも必ず勝てる! 待っておれ小娘、今すぐ氷の像にしてくれよう)


 自分を痛めつけた怨敵の姿を急斜面の上に見つけると、先に行った仲間、ジャックフロストたちのあとを傲然と歩き始める元代官。

 だが――。


 ズルッ、ズゥゥン! ズルズル……。


(なぜ!? どうしてわしだけ飛べないのだ!)


 霜の降りた急斜面に足を取られ、顔面から盛大にコケると、そのまま滑り落ちる元代官……そう、ジャックフロストとは異なるモノへ変化していた彼には、空中浮遊能力がなかったのである。

 その後も何度か登坂を試みては転び、とうとう彼は諦めた……。


(ううむ、致し方あるまい……。こうなれば、しばらくはこのまま督戦し、戦場がここまで下りてきたならば参戦しよう。真の勇者というものは最後に現れるものだしな……うん)


 などとひとり納得すると、戦況がよく見えるように急斜面から離れた場所に移動し、体育座りで事の成り行きを見守り始める元代官……。

 その背中に、遊びの輪に加われない子のような哀愁さえ感じるのは、果たして気のせいだろうか。

 そうやって観戦する彼の前で、戦況は目まぐるしく動いてゆき――。


(なんだアレは……)


 彼は愕然とした。

 召喚した〈伯爵級〉上位のリントヴルムを駆る黒衣の竜騎士は、同じく〈伯爵級〉上位のワイバーン二体と互角以上に渡り合い、あの娘は数十体ものジャックフロストを、まるで草を刈るように軽々と駆逐してゆくのだ。

 そこに彼の入る余地は、葡萄の葉一枚ぶんもなかった……。


(無理だ、あんなバケモノども、今のわしでも絶対に……)


 なまじ魔物に変わっていたがゆえ、彼我の実力差というものを本能的に察し、そして恐怖を覚え……彼は逃亡した――。




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