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第四五話 伯爵の葡萄畑 一一 ジャックとベイラ


 北に横たわるタウルス山地から南のレーン川まで続く丘陵地帯、レーンガウと呼ばれるその地方に、カール一家の葡萄畑はあった。

 葡萄畑となっている急斜面の上には丈の高い雑草が生い茂り、その奥にある深い森がそのままタウルス山地へと続いている。

 今、その茂みに身を潜め、急斜面の下を観察する狩人がふたり――。


「四十七人、フィデリオの情報どおりだ」

「始めますか?」


 ネギを背負ってやってきたカモたちを見下ろしていたのは――もちろん、カールと真綾である。


「ああ、まずは弓で――!?」

「!?」


 戦闘開始を告げようとしたカールが、突然、緊張した面持ちで夜空を見上げ、同時に真綾も上を向いた。

 星々の光を遮りながら、大きい翼を広げたナニカが夜空を横切っている……。

 そして、そのナニカから……もっと恐ろしいナニカが落ちてくる!

 そんな気配を察したふたりは、とっさに茂みの中で息を潜めた。

 ほどなく、真綾たちから水平に三十メートルほど離れた場所へ、ひとりの老婆が降り立った。その身から青白い燐光を発し、まるで雪の結晶のように音もなく……。

 真綾たちは、気温が一気に真冬のようになったのを感じた。


「火はいかんのう――」


 寒気を覚えるような老婆の声が静かに響き、代官たちに向け少々しゃべったそのあと、急斜面の下で繰り広げられた光景の……なんとおぞましいことか。

 それはまさに悪魔の所業。

 瞬く間に代官を含む全員が凍りつき、人とは違うナニカへと作り変えられたのだ……。


「――今日からお前は〈伯爵級〉だよ、ぎりぎりだけどねぇ」


 代官だったモノにそう言い終えた老婆が、凄絶な笑みを浮かべた……直後、その側頭部を一本の矢が貫通した!

 ――アレは人ではない、もっと恐ろしく邪悪なモノだ――そう直感した真綾が、あの剛弓で矢を放ったのだ。

 老婆の姿をしているモノに対しても躊躇なく矢を射掛けるとは、現代日本の女子中学生としていかがなものか、日本の教育はどうなっておるのか……そんなことは関係ない! 彼女は羅城門真綾、ゴリゴリ武闘派な武門の名家、羅城門家の姫様なのである!

 などと言う間もなく、二射目の矢が老婆の首を貫通した……こういう子なのである、真綾は……。

 だが――。


「こりゃ驚いた、この体を貫通させるとはね」


 その言葉どおり目を丸くして、矢の飛んで来た方向を振り返った老婆は、すでに三射目を構えている真綾の姿を認め、ふたたび凄絶な笑みを浮かべた。

 一射目で即死していても不思議ではないのに……。


「ああ、お嬢ちゃん、アンタだったのかい、なるほどねえ。さすがは大鴉の末裔、〈運命の子〉だ、聞いてたとおりホントに恐ろしい子だよ。――それにしても話が違うじゃないか、こんなのが一緒にいるなんて聞いてな――」


 頭と首を串刺しにしていた矢を自ら引き抜きつつ、何ごともなかったかのようにしゃべり続けていた老婆だったが、そこへ、三十メートルはあろう距離を一気に詰め、ランスを構えたカールが迫る!

 驚くべきことに、重いランスと甲冑をものともせず、彼の突進速度は人外の域に達していた。質量と速度の積で決まる運動量を考慮するならば、枯れ枝のような老婆の体など、長いランスの鍔元まで串刺しにされてしまうだろう。

 しかし……。


「――おお、怖や怖や」


 なんと老婆は、見た目からは想像しがたい敏捷さでランスを躱すと、軽やかなバックステップでカールから距離を取ったではないか。しかも、わずかひと跳びで十数メートルもの距離を。


「せっかちだねぇ、せめて名乗りくらいはさせるのが人間の礼儀だろう? ――アタシの名はベイラ、そこにいるお嬢ちゃんに用があるんだけどね、アンタ、ちょっと通しちゃくれないかい?」

「断る!」


 ベイラと名乗る老婆からの頼みをひとことで拒絶し、カールは真綾を庇うように前に出た。ベイラを見据える眼光は普段の彼からは想像できないほどに鋭く、羅城門家伝来の甲冑を纏った体からは、一介の農夫とは思えない覇気が立ち昇っている。

 その一方、そんな彼の反応など承知のうえだったのだろう、驚いた様子も感じ入った様子もなく頷くベイラ――。


「そうかいそうかい。――それじゃあまずは、アタシの可愛い子供たちを遊んでやっちゃくれないかい?」


 彼女がそう言い終えるや否や、ナニカがカールに急接近した!

 もちろん真綾がソレを見逃すはずもなく、襲撃者の頭部目がけて即座に矢を放ち、ものの見事に命中させる!

 ……だがソレは、ベイラ同様、深々と突き刺さった矢を気にもせず、カールに向かって燐光を帯びた息を吹きかけるのだった。


「アタシのジャックたちに矢が効くもんかい。すぐに氷漬けにしてやるよ」


 その言葉を合図にしたように、他の個体が一斉に真綾たちへ襲いかかってきた! かつて人間だったモノたちが。

 ……そう、青白い燐光を纏い空中を浮遊する彼らこそ、先ほどベイラにより人外へと変えられた男たち、その憐れな成れの果てなのだ。


『真綾様、ひょっとしたらコレ、〈ジャックフロスト〉かもしれませんね。花様からお借りした小説にも出てきましたので、ご存じかとは思いますが……それにしても……』

(なんか違う……)


 ――ジャックフロスト――。

 イングランドなどの伝承に登場する霜の妖精さんだ。日本ではゲームなどの影響により、雪ダルマチックな可愛い姿でお馴染みのアイツである。ただ、怒らせるとコールドブレスで凍死させられてしまうとか……。

 たしかに、真綾たちを現在襲撃中のコイツらには手足もなく、人の背丈ほどもある雪ダルマそのもの……ではあるのだが、できることなら真綾は信じたくなかった。

 なぜなら――。


『そうですよね~。一番大事な顔の部分が、素材にされてしまった殿方というのはちょっと……。ハーピーの時もそうでしたが、もう、この世界のキャラクターデザインに悪意すら感じますね……』

(可愛くない……)


 ……そう、熊野の言うとおり、なぜか顔だけが、苦悶の表情を浮かべたオッサンのリアル造形なのだ。真綾、ゲンナリである。

 こんな感じで呑気に脳内会話をしているようだが、体当たりしてくる個体やオッサン顔が吹きかけてくるコールドブレスを、真綾はヒラリヒラリと華麗に躱しつつ、【見張り】によってカールの状況もちゃんと把握していた。

 カールは長大なランスを自在に振るい、襲い来るジャックフロストたちを次々に粉砕しているようだ。その無駄なく洗練された動きは決して農夫のものなどではなく、戦闘の修練を相当に積んだ者のそれである。

 彼に粉砕されたジャックフロストは魔石だけを遺し、そのままキラキラと光の粒子になって消えてゆく。


『なるほど、頭に矢が刺さってもジャックフロストが平気だったのは、ハーピーやレッドキャップのような生物系の魔物と違って、もっと大規模に損傷させないと倒せない、ということなのでしょうね、納得です。――耐久性が高く、空中浮遊やコールドブレスの能力もある代わりに、ハーピーほど自在に飛翔はできず、敏捷さではレッドキャップに遠く及ばず武器も持てない、といったところでしょうか。――さ、真綾様、カール様もご無事のご様子ですし、予想どおりコールドブレスも効きません。このままササッと片付けちゃいましょうか』

(はい)


 敵の分析を終えた熊野からゴーサインが出たところで、【船内空間】から真綾の右手に出現したのは、湖の乙女の古城で拾った巨大な棍棒。長さ二メートル以上はあろうかという木製のアレだ。

 大規模な破壊が必要と聞き、刺すよりは斬る、斬るよりは砕く、砕くなら鈍器、鈍器といえばコレ! などと真綾が連想したのである。

 こうして、すでに大暴れしているカールに真綾が加わり、四十体を超えるジャックフロスト対人間ふたりによる、本格的な戦闘が始まった。

 ジャックフロストは〈城伯級〉の魔物だ。そのコールドブレスは人間を短時間で凍死させるだけの威力を有し、また、その体にも、触れた相手の一部を凍りつかせる能力がある。

 その大群に包囲されたとあれば、たとえ金ランクの狩人だったとしても、いずれ氷像に変えられてしまうのは明らか、な、はずだが――。


「あれだけコールドブレスを重ねがけしたら、〈伯爵級〉の下位くらいでも動きが鈍くなるもんだけどね、このふたりには効かないか……。こりゃ、ウチのジャックたちには荷が重かったかねぇ……」


 ベイラは現在の戦況にブツブツとひとりごちた。

 それほどまでに、真綾たちが圧倒的だったのだ。

 射程の短いコールドブレスをかけるため、あるいは体当たりするため、真綾たちに接近を試みたジャックフロストたちは、ふたりの振るうランスと棍棒によって簡単に砕かれ、仲間が犠牲になっている間になんとか射程圏内へ接近できた数体も、重ねがけしたコールドブレスが効果を発揮しないまま、その身を光の粒子へと変えられてゆく。

 カールと真綾、黒衣のふたりが奮戦する様は、さながら、荒れ狂う黒き暴風のようであった。


「どうも旗色が悪いね……じゃあ、これならどうだい?」


 ひとり離れた場所から壮絶な戦いを眺めていたベイラが、おもむろに杖を掲げると、その先端から夜空へとひとすじの光が立ち昇った。

 それから十数秒ほど経っただろうか……。


「む!」


 何かを察したらしいカールがとっさに身を躱した刹那、今まで彼のいた場所を、巨大な影が風鳴りとともに通り過ぎ、そのまま夜空へと舞い上がっていった!


「ワイバーン……」


 空中を旋回するソレを見上げ、その名を口にするカール。

 星明かりだけが頼りのこの状況下で、彼がなぜそう判別できるのかは不明だが、鋭い爪のある後ろ足に、大きな翼と一体化した前足、先端が槍のように尖っている長く太い尾、そして、ドラゴンのような頭――。それはたしかに、真綾がシュタイファーで倒した〈伯爵級〉の魔物、ワイバーンであった。

 しかも、である。なんと恐るべきことか、今度は二体もいるではないか……。


「今のを躱すとは、たいした男だよ……。いや何ね、ジャックが相手じゃお嬢ちゃんも遊び足りないと思ってね、新しいお友達を用意してたのさ。礼はいらないから存分に楽しんでおくれ」


 ベイラの陰鬱な、それでいて楽しげな声が響くなか、二体のワイバーンは次の襲撃タイミングを見極めるように、夜空を悠々と旋回している。

 またもや超跳躍してファイナルブローで倒すべきか、はたまた、襲ってきたところをカウンターで殺るべきか、真綾が考え始めた時だった――。


「マーヤ、アレは私が」


 迫りくるジャックフロストを倒しつつ、こともなげにそう言ったカールの隣に……なんと、召喚陣が輝き始めたではないか!

 やがて召喚陣から現れたソレは、ジャックフロスト二体を尻尾のひと振りで粉砕し、一体を強靭なアギトで噛み砕いた!

 その姿はワイバーンに似て非なるもの。ワイバーンに後ろ足があり、前足が翼と一体化しているのに対し、こちらは鋭い爪を持つ前足と背中から生えた翼が独立し、後ろ足は見当たらない。ただ、こちらの尾もワイバーン同様、先端が槍のように尖っている。


「たしか〈リントヴルム〉だったかね。……フン、なるほどね、そういうことかい。ジャックが相手にならないはずだよ」


 ベイラの面白くなさそうな声を聞いてか聞かずか、カールがその背に跳び乗ると、召喚されたその守護者、〈伯爵級〉でも上位に属すると言われる〈リントヴルム〉は、彼を乗せたまま凄まじい風圧だけを残し、一気に夜空へ飛び立っていった。

 ここに、ランスを携えた鎧武者が駆るリントヴルムと、同じく〈伯爵級〉上位である二体のワイバーンによる、夜間空中戦が始まったのであった。




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