第一問 ~どっちかっていうとカラーピーマンだよね~
以下の言葉を使って短い文章を作りなさい。
【どっちかっていうとカラーピーマンだよね】
夏休みの終わり、最後の登校日を儀式のように済ませ、柳原 誠司は教室で帰り支度をしていた。級友たちが「じゃあな」と言って出て行く背中に、誠司は「おう」と声をかける。待っていてやろう、などという気遣いを見せる者はいない。彼らは、そして誠司自身も、出遅れた者は置いていくスタイルだ。寂しいなら追いかけて捕まえるしかない。この距離感は、高校入学からおよそ四か月をかけて築き上げた彼らの『ちょうどいい』だった。いつも一緒にいなければならない、そんな義務感のない、少しだけ冷たい関係。
「おお、柳原。まだ残っていたとは、私の運もまだ捨てたもんじゃないな」
担任の大塚がガサツな態度で扉を開け、開口一番、にやりと笑った。まだ二十代半ばの、美人と言っていい女性なのだが、いかんせん豪快に過ぎる。そんな彼女がにやりと笑えば、それはもう嫌な予感しかしない。
「いえ、もう帰ります。先生さようなら」
急いで鞄のふたを閉め、足早に立ち去ろうとする誠司の腕を、さっきまで扉の前にいたはずの大塚が掴む。いつ近付かれたのか全く分からない。格闘技マニアであらゆる格闘技をかじって(極めて、ではない)いるとは本人談だが、忍者か暗殺者の修業でも積んでいるのだろうか?
「まあそう急くな若人よ。君はどうせ青春を持て余しているだろう?」
青春を持て余している、という言葉の意味がすでによく分からないが、何となく面倒ごとを押し付けられそうな気配がする。掴まれた腕を振り切ろうとするが、大塚の剛力はいささかも揺るがない。
「ゴリラ並みの握力ですね」
誠司の素直な感想に、大塚は勝ち誇った表情を浮かべた。
「それは、もう諦めたと思っていいんだな?」
心なしか腕を掴む手の力が強くなった気がする。痛みに顔をしかめながら、誠司はさっさと帰らなかった自分を後悔した。
「おぉい、入ってきて」
大塚が教室の入り口に向かって声をかける。未だ手を離さないのは誠司を信用していないからだろう。生徒を信用しない担任教師というのもどうなのか。もっとも、手を離されれば即座に逃げるつもりなのだから、大塚の人を見る目は案外確かなのかもしれない。
「……失礼、します」
やや遠慮がちに入ってきたのは、見覚えのない一人の女生徒だった。腰まである長い黒髪が目を引く。そして制服。この学校のものではない、見たことのないデザインの制服は、違和感と緊張感、そして不安と期待を誠司に与えていた。
「……どちらさま?」
一瞬、見惚れてしまったことを隠すように、誠司は視線を大塚に向けて言った。大塚はなぜか「ふぅん」と残念そうな目で誠司を見返す。女生徒はピクリと眉を顰め、すぐに元の表情に戻る。
「九月から転校してくる、椎名 美月さん。事前に校舎を見たいということで、来てもらったんだが――」
大塚は真剣な顔で誠司の目を見つめる。
「正直案内とかめんどくさいんで、暇な生徒に押し付けるべくやってきたら、いいカモがここにいたというわけだ」
「清々しいほど最低ですね、教師として」
ここまであからさまに理不尽な理由を突きつけられると、逃げるための言い訳もできない。大塚は誠司の非難を意に介さず、「じゃ、よろしく~~」と言って去っていった。どうしてこの人はクビにならないのだろう、素朴な疑問を抱きながら誠司は担任の背を見送る。
「……柳原、君?」
遠慮がちに声を掛けられ、誠司は転校生を放ってしまっていたことに気付いた。慌てて彼女に向き直り、ふと疑問が頭をかすめる。名前、紹介されたんだっけ? 大塚は誠司を彼女に紹介しもせずにさっさと行ってしまった気がするが、気のせいだったろうか?
「ええっと、椎名さん? お……僕は、柳原誠司です。どうやら案内役を仰せつかったみたいなんで、一通り校舎を案内しますね」
外向けの口調でそう言うと、転校生――美月は一瞬だけ誠司をにらみ、そしてにっこりと笑った。
「ありがとう。よろしくお願いします」
なぜ一瞬にらまれたのだろう。正直、女生徒との交流をほとんど持たない誠司にとって、同じ年の女の子は異星人に等しい。何を考えているのかさっぱりわからないのだが、まあ、極端な話、関わるのは今日だけだ。同じクラスに転入してきたとしても、特に話もしないクラスメイトは何人もいる。自分は義務を果たすだけ、そう心の中で念じて、誠司はにこやかに教室の入り口を指さした。
「それじゃ、行こうか」
理科室、美術室、図書室、体育館、食堂、トイレ、職員室に保健室。教室から近い順に、なるべく無駄のないルートで、誠司は事務的に校舎を案内する。案内はするものの、誠司はその必要性を疑問視していた。転入初日に何かをやらかして孤立することでもなければ、移動する場所など周囲の女子が教えてくれるだろう。仮に孤立してしまったとしても、移動するクラスメイトの後ろをついて行けば事足りる。実質食堂とトイレくらいの案内でいいのではないか。そんな疑問を抱えながらする案内は、どうやら転校生のお気に召さなかったらしい。案内が進むごとに、美月は少しずつ不機嫌になっていく。
(……きまずい)
気の利いた会話をする技術もなく、二人は無言で廊下を歩く。セミの鳴き声がうるさいほどに鳴り響き、日差しは容赦なく照り付けている。早く終わらせて帰りたい。誠司は切実にそう思った。
「ここは?」
美月が渡り廊下から外を見る。
「ああ、中庭だよ。お昼に弁当ここで食べたりとかする」
美月は中庭に降り、駆けていって木陰に入った。渡り廊下にとどまり、誠司は美月を見る。上履きのまま中庭に出たことを注意すべきか、悩ましいところだ。
「柳原君」
美月が振り返る。
「私に、何か言うこと、ない?」
上履きで中庭に出てはいけない、というルールを伝えるべきか、という葛藤が見透かされていたのだろうか? だとしたら、美月はすでにそのルールを知っていて、誠司を試しているのだろうか? きちんと注意ができる男かどうか試されている? いや、クラス委員でもない誠司にそれを試してどうしようというのだろう。誠司の悩みがその範囲を広げた。美月は呆れたように大きく息を吐くと、
「君ってさ」
挑発するような瞳で、いたずらを仕掛けるような顔で、
「どっちかっていうと、カラーピーマンだよね」
そう言って踵を返し、中庭の向こうへと走り去っていった。突然の展開に思考が追いつかず、誠司はぼうぜんと美月の背を見送る。
「……それって、どういう……?」
誠司の顔に無数の疑問符が浮かび、セミの声だけが中庭に響き渡っていた。
つまりパプリカではない。