遺跡と追憶Ⅳ
「レディ・キャットの今夜の寝床は、ここの天幕になるっす」
レディ・キャットは促されるままに、周囲とは違い一回り大きな天幕の中に入れば、中は奥側に寝床となるべき場所が二つ布で区切られて、入ってすぐの場所は来客があっても大丈夫なようにと簡素ながらもテーブルが置かれ、ある意味、天幕の中を三つに区切られていた。
天幕の中を一瞥したレディ・キャットは、一瞬止まってエーベルハルド殿下には女性の付き人はいないので除外とし、魔導士たちの一行を思い浮かべる。腰や腕にガラス玉を付けた人々の中にも女性と思われる存在はなかったと記憶している。
「チェルソ…」
天幕の入り口の幕を上げたまま、レディ・キャットの動きが止まったことに首を傾げているチェルソへと、レディ・キャットはゆっくりと振り返って低い声で尋ねた。
「区切られているとはいえ、寝床が二か所あるように見えるのだけれど…行き遅れとは言え、私も一応独身の女なのだけれど、誰と同室なのかしら?」
調停中とはいえ、独身の女の身で男と一つの天幕を使用するという事までは、レディ・キャットとて納得は出来るわけがない。下手したら不名誉な噂になってもおかしくはないのだから。
「へ?誰って、隊長と一緒っすよ?俺ら魔導士の方で、レディ・キャットに手を出す馬鹿はいないっすけど、ルド殿下の方の護衛は知らないっすから、レディ・キャットの身の安全を考えたら、隊長の傍が一番安全っすからねー」
さも当然のように言うチェルソに、レディ・キャットはこめかみに指を添えて、深く、それは深くため息を零した。
レディ・キャットにとっての問題と、チェルソの脳内の問題では、僅かばかりの隔たりがあることが明白だった。
「魔導士の思考と、宮廷貴族との思考が同じじゃないことを、改めて痛感したわ」
諦め交じりにチェルソに聞こえないように、レディ・キャットが呟いていると、チェルソの後ろから声が掛かった。今まさに、問題の一端となっている人物である。
「チェルソ、入り口を塞ぐな。私が入れないだろうが」
夜の帳が落ちてきた周囲の中にあっても、きらきらと煌く銀髪をした美しい顔をした人物が軽くチェルソの頭を叩いていた。一般の女性であれば、歓迎しているであろうシルバーその人が、チェルソを押しのけるようにして天幕に入る。
「っつ、隊長―わざわざ叩かないで下さいよ。今、丁度、レディ・キャットを案内してきたとこなんっすから」
「お前が入り口を塞いでいるのが悪い」
ばっさりと、チェルソの発言を切り捨てて、シルバーは天幕の中に用意されている飲み物へとさっさと移動していった。どうやら、本当にシルバーと同室のようだとレディ・キャットは悟ると、未だ入り口付近にいたがシルバーへと慌てて近寄った。
「シルバー、今チェルソに聞いたのだけれど、今宵は貴方と同じ天幕というのは本当かしら?」
「ん?何か問題あった?レディ・キャットの調停の事もあるし、私の傍が一番安全だよ」
水を注いだコップを手にしながら、不思議そうにシルバーが首を傾げる。その姿に、レディ・キャットは半ば諦めをもった。ああ、シルバーもチェルソも、思考は魔導士そのものだったと…。
不思議そうにしながらも、シルバーは自分のものと、もう一つのコップに水を注いで、片方をレディ・キャットに差し出す。レディ・キャットも、素直に受け取り礼を言って口にすれば、その中身はただの水ではなく、ほんのりとした甘さを含ませたうえに、柑橘系の味と香りが付けられていた。
おかげで、香りによって精神の安定を取り戻したレディ・キャットは、完全な諦めを持ってシルバーに向き直る。
「判りましたわ。貴方を信頼していますから、調停の方も最上の結果を期待していますわね」
「じゃ、レディ・キャットも承諾したということで、チェルソ。外は冷えてきたから、二人分の夕食を持ってこい」
天幕の入り口で事の成り行きを見ていたチェルソへと、シルバーが容赦なく言い出す。言外に、冷めた食事にならないように、温かい物を持ってこいという圧力を視線で向けて。
いつもの事とわかっているチェルソも、覇気の無い声で返事をすると、踵を返して走っていった。
「よし行ったな。さすがに、冷え込んできた所で貴方に食事をさせる程、私も愚かではない」
「あら?焚き火を起こしているのでしょう?その傍でしたら暖かいのではないのかしら?」
シルバーの思いがけない発言に、レディ・キャットは初めて逢った時から度々感じる不思議な感覚を再度抱いた。シルバーは、普段から魔導士たちを酷使する事を気にもしていない上に、もちろんチェルソやハーラルト等といった直属の部下に対しては、子供が甘えているようなぐらいに我儘を貫いているのだ。
そんなシルバーがレディ・キャットに対して気温程度の事でレディ・キャットに気を遣うのが不思議なのだ。
「いくら焚き火を起こしていてもね、貴女は現在婿養子を探す女性だろう?ならば、子を為す事も将来の視野にいれるべきなのだから、身体を冷やすのは女性としてよくないだろう?調停を預かっている身としてはそれくらいの配慮はしているよ」
あははははと、軽やかな笑いを響かせながら、これも仕事の一環だとシルバーはレディ・キャットに内情を打ち明ける。そう言われてしまえば、レディ・キャットも納得するしかないが、子を為すという事を思い出して、彼女の気持ちをどんよりと曇らせた事には気にも留めていなかった。
まだ少し書き溜め分があるのですが、遅筆なだけでなく誤字脱字確認が遅くて更新も遅くなっております。
読んでくださっている方には申し訳ありません。




