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帳を置いて、下がります

明日から硝子の息は誰にも教えません。夏の注文はご自分で

作者: 久瀬 澪
掲載日:2026/08/13

水差しを灯りへ掲げたまま、カタリーナは背後の笑い声を聞いた。泡は三つ。聞き違いは、一つもなかった。


「ええ、炉の温度は朝昼晩と測らせています。一本に何息、日に何本。それさえ守れば、出来は揃いますよ」


 エメリヒ・ゾルンの声は、炉の火よりも仲買人のほうを向いていた。若い衆のロッコ・ケラーが、そうそう、と語尾を重ねる。二人の肩が近づき、また同じところで揺れた。


「息は、誰でも吹けます」


 カタリーナは水差しを半回転させた。三つ目の泡は底の厚みに隠れかけていたが、灯りを斜めに受ければ、針の先ほどの影を落とす。


 十一年使った吹き竿が、彼女の右手の届くところにあった。握り癖のついた柄は煤け、口を当てるところだけが毎朝磨かれている。今日も五本を吹き、四本を残し、その一本を脇へ避けたところだった。


「それで、奥さんには?」


 仲買人が声を落とした。エメリヒは、聞こえないところまで下げる気はなかったらしい。


「吹き上がった器を見てもらえば十分でしょう。種のことまで奥さんに頼るから、いつまでも手間賃が減らせないんです。次の夏物からは、俺が差配します」


「甕の仕込みもか」


「月数は書いてあります。古い順に使えばいい」


 ロッコが炉脇の柱を指で叩いた。そこには昨日までなかった白い紙が貼られ、温度と息の数と、一日に吹く本数が大きな字で並んでいる。


「これなら俺にも読める。目で見える仕事は間違いがねえ、なあ、若旦那」


「ああ。読めないものへ銭を払う必要もない」


 カタリーナは水差しを不出来の棚へ置いた。炉のそばで笑い声がもう一度重なったが、泡は増えも減りもしない。


「奥さん、次は六本だ」


 振り返ると、エメリヒは仲買人に見せていた笑みをしまっていた。顎だけで吹き竿を示し、炉の口を開けさせる。


「この種なら、五本になさってください」


「紙には六本と書いた」


「では、五本目までを注文へ。六本目は工房でお使いください」


 カタリーナは吹き竿を取り上げた。エメリヒの口が動く前に、熔けた硝子へ竿先を沈める。橙の塊が竿へ巻きつくと、背後の声は炉の音へ呑まれた。


 五本目を徐冷窯へ運び、六本目には手をつけなかった。夕方、エメリヒは控えの出来高欄へ大きく五と書き、その横へ細く、奥さんの都合、と添えた。


 カタリーナはその字を灯りへ透かさなかった。


    *    *    *


 翌日、種硝子の覚え書きが棚から外された。甕ごとの癖、灰の年、砂に混じる細かな色、火から出したあと縮む早さまで、十一年かけて継いだ紙束だった。


「こんなものがあるから、奥さんにしか分からなくなる」


 エメリヒは紙束を紐で括り、勘定場の下段へ押し込んだ。代わりに甕の肩へ、仕込んだ月だけを書いた札を掛けていく。


「その覚え書きは、甕のそばへ置いてください」


「月が分かれば足りる。俺の工房だ、やり方は俺が決める」


「承知しました」


 ロッコが柱の貼り紙を平手で叩いた。紙の端が風を受け、ぱたぱたと鳴る。


「温度よし、本数よし、息の数もよし。これで誰が休んでも同じだ。奥さんも肩が軽くなるだろ、なあ」


「今日の種は、紙より一息短く」


「またそれか。若旦那が決めた数に、いちいち口を挟むなよ」


「では、六本目は工房でお使いください」


 ロッコはエメリヒを見た。エメリヒも口の端を上げたので、二人は同時に柱から手を離した。


 カタリーナは一日分を吹き終えると、作業着の灰を払い、外出着へ替えた。襟を留める針も、靴の泥も、持ってきた朝と同じ場所へ戻す。曇ったものを身につけて、よその店先へ立つつもりはなかった。


 灰屋のクルト・ハーゼは、荷車へ空袋を積んでいるところだった。カタリーナが今年の灰を一掴み示すと、老人は指先で揉み、鼻先へ寄せる。


「次の仕込みには、去年の残りを二つ、今年を一つでお願いします」


「工房へか」


「ええ。次の一度だけ」


 クルトは彼女の顔を見ず、空袋の口を結び直した。結び目を二重にしてから、短く頷く。


 砂の仕入れ先にも同じように、粒の細かい袋を先に使うよう伝えた。理由は置かず、量と順だけを頼む。店の者は聞き返さず、荷札の表へ書きつけた。


 工房へ戻ると、エメリヒが二年寝かせた甕の数を控えへ写していた。甕は奥から順に十二、壁沿いに八、そのほかに小さなものが三つある。古い種は、次の夏まで持つだけ眠っていた。


「どこへ行っていた」


「灰屋と、砂の仕入れ先へ」


「勝手に注文を変えるなよ」


「次の配合を伝えただけです」


「次からは俺を通せ。奥さんは吹き場だけ見ていればいい」


「承知しました」


 エメリヒは控えへ顔を戻した。月数の列は真っ直ぐで、どの甕も同じ幅の枠へ収まっている。


 カタリーナは一番手前の甕を灯りへ透かした。厚い陶の向こうは見えなかったが、見る癖だけは、まだ手に残っていた。


    *    *    *


 翌朝、カタリーナは誰より先に炉の口を開けた。火を読み、種を巻き、昨日の注文の最後の一個を吹く。竿を回す速さは途中で一度だけ緩み、丸い胴へ細い首が立った。


 鋏を入れ、口を整え、底を据える。出来上がった水差しを徐冷窯へ運ぶと、彼女は十一年使った吹き竿を布で拭いた。口元から柄まで二度拭き、いつもの掛け釘へ戻した。


 鋏も火箸も磨き、刃を閉じて並べた。持って出るのは外出着と、家から持ってきた手箱だけだった。


「朝から片づけか」


 エメリヒが柱の紙を確かめながら言った。ロッコは炉の温度を書き足し、昨日より太い丸で囲んでいる。


「今日の器は、すべて吹き終えました」


「なら次の甕を開けろ。夏物を前倒しする」


「開けません」


 ロッコの炭筆が柱の途中で止まった。エメリヒは振り返り、カタリーナの空いた手を見た。


「何だと」


「明日からは、硝子の息をどなたにも教えません。夏の注文は、ご自分でお吹きください」


「昨日のことを根に持っているのか。覚え書きなら要らないと言っただけだ」


「はい」


「吹くのは続ければいい。見立ての手間賃を外すだけで、お前の寝床も食事も今までどおりだ。悪い話じゃないだろう」


 カタリーナは答えず、甕の列を歩いた。手前から三つ目、一度も札を書き替えなかった大甕の前で足を止める。掌を置くと、冬の陶肌はひやりとしていた。


「十一年、わたしの種だと思うて寝かせておりました」


 炉の火が、甕の肩へ細く映った。カタリーナは掌を離し、指についた白い粉を布で拭い、外出着へ替えた。


「何を言っている。ここはゾルンの工房だ」


「ええ」


「親方から教わった仕事だろう。勝手に弟子をやめられるものか」


「今朝までの注文は納めました。明日から、こちらの奉公人でも、お弟子でもありません」


「奥さん」


 勘定場から出てきたゲルハルト・ゾルンが、戸口で名ではなく役目を呼んだ。普段と同じ穏やかな声だったが、片方の上履きしか履いていない。


「話なら、夕餉のあとにでも」


「外出着で参りましたので」


 カタリーナは壁の吹き竿へ目を向けた。磨いた口元に朝の灯りが一筋乗り、炉の熱でほどける。


 戸を開けると、外の風が外出着の袖をわずかに膨らませた。彼女は工房の敷居を踏まずに越え、戸を閉めた。


    *    *    *


 半年のあいだ、ゾルンの工房から届く器は変わらなかった。二年寝かせた種硝子は、カタリーナが残した順に熔け、紙に書かれた温度と本数で、見慣れた形になった。


 エメリヒは仲買人の前で柱の記録を示した。月ごとの出来高は揃い、手間賃を一人分減らした控えも黒い。


 息なんぞ、誰でも吹ける——。


 ロッコは新しい貼り紙を古いものの上へ重ね、丸を増やした。若い衆は紙を見て竿を回し、月数の若い甕にはまだ手をつけなかった。


 カタリーナは講の女衆が借りた家の一室で、冷えたパンを食べていた。初めのひと月は朝に一切れ、夜にも一切れ。火を使う時刻を工房の鐘で測る癖が抜けず、鐘が鳴るたび、手が膝の上で止まった。


「そんな石みたいなもの、汁へ浸しておしまい」


 向かいの女が、豆のスープの椀を押し出した。湯気がカタリーナの指へ当たり、磨いた爪の縁に小さな雫を作る。


「わたしの分では」


「鍋の底が見えたら、あんたに洗ってもらう。これで貸し借りなし」


「それは、ずいぶん軽い貸しですね」


「なら、明日は薪を一本多く割っとくれ」


 カタリーナは椀を両手で持った。冬の夜に熱いものを急がず口へ運んだのがいつだったか、舌のほうが覚えていなかった。二口目で、冷えたパンを汁へ浸した。


 講の女衆は、はじめに薬瓶を六つ頼んだ。次に糸巻きを入れる広口瓶を四つ、その次には祭りで果実水を注ぐ小さな水差しを十二。カタリーナは町外れの古い炉へ小さな坩堝を置かせてもらい、注文の数だけ吹いた。


 炉の前へ立つ日は、クルトの灰と、以前訪ねた仕入れ先の砂が届いた。袋には工房名ではなく、受け取る者の欄だけが空けてある。


「カタリーナさん、ここへお名前を」


 荷を運んだ男に言われ、彼女は炭筆を取った。カタリーナ・ヴェークナー、と袋ごとに同じ字で書く。自分の姓は、工房の控えより少し長く見えた。


 出来上がった薬瓶を灯りへ透かすと、泡のあるものが一つだけ混じっていた。カタリーナはそれを食卓の花瓶にし、残りを包んだ。


「これ、売り物にならないのかい」


「薬屋へは納めません」


「じゃあ、うちでは上等だ」


 女は道端の草を二本挿し、豆のスープの鍋の横へ置いた。その晩から、食卓には泡を一つ抱えた瓶が残った。


 ゾルンの工房では、甕の札が一枚ずつ外された。冬が過ぎ、春の終わりに、二年寝かせた最後の札が控えへ貼られた。


 古い種で吹いた最後の水差しも、前と同じ形をしていた。


    *    *    *


 夏最初の朝、新しい種を巻いた竿から、硬い音がした。膨らみかけた器の縁に白い筋が走り、炉の口で二つに割れた。


 落ちた半分は石床でさらに砕けた。ロッコは柱の温度を見上げ、丸で囲んだ数字を指でなぞる。


「温度は合ってる。息も数えた。なあ、若旦那、これは竿のせいだろ。竿が悪い、そうだ」


「次を吹け」


 エメリヒは割れた破片を火箸で端へ寄せた。二本目は形になり、三本目も徐冷窯へ入ったが、口の厚みが揃わない。翌日、箱詰めされた器の底には、細い筋のあるものが混じった。


 硝子問屋のバジル・フェイバーは、戻ってきた木箱の前で一個を持ち上げた。灯りへ向けることもなく、親指で口を撫で、首を横へ振る。


「夏物には使えません」


「温度は同じです。割れたのは最初の一本だけで、これは割れていない」


「水を入れる前から筋があります」


「見えないほどの筋でしょう」


 バジルは器を木箱へ戻した。詰め草をかぶせ、蓋を閉める。受領の札には印を押さず、木箱を荷車へ載せ直させた。


 ゲルハルトは返った木箱を自分で勘定場へ運んだ。蓋を開け、ひとつ見て、また閉じる。エメリヒが次の便で埋め合わせると言っても、縄を解かなかった。


 翌月の注文書は届かなかった。次の月も、問屋から来たのは空箱を引き取る荷車だけだった。


 エメリヒは灰屋へ出向き、今年の灰を前年と同じ量で寄越すよう言った。クルトは秤の分銅を一つずつ箱へ戻し、蓋をした。


「あいにく、今年の灰は向きませんので」


「去年まで売っただろう。代金なら同じに払う」


「うちはあの工房に売ってたんじゃない。カタリーナさんの目に売ってたんだ」


「奥さんの?」


 クルトは答えず、店の奥にある荷札を裏返した。表には、カタリーナ・ヴェークナーと書かれていた。


 工房へ戻ったエメリヒは、柱の貼り紙を指した。温度も本数も、半年分の数字が乱れず並んでいる。ロッコは割れた器を前にしたまま、貼り紙から手を離した。


「おい。紙には間違いがないと言ったな」


 ロッコは名を呼ばなかった。炭筆を柱の桟へ置き、炉へ背を向けた。


 その日、ゲルハルトは工房の戸を早く閉めた。炉の火だけが、注文の載っていない控えを照らし続けた。


    *    *    *


 ゲルハルトが取引先を回り終えたとき、靴の片方は泥で白くなり、上着の釦が一つ外れていた。返された木箱の縄を腕へ掛け、朝の炉へ入ってくる。


 ロッコは柱の前から退いた。エメリヒだけが控えを開き、来ない注文の欄へ日付を書いていた。


「叔父さん、バジルにもう一度話せばいい。形は直せる。灰屋が意地を張っているだけだ」


 ゲルハルトは木箱を床へ置いた。柱の貼り紙を上から下まで見て、一番新しい一枚を剥がす。


「明日から炉の前に立つな」


「俺に任せたのは叔父さんだ」


「任せた。見なかったのも、わしだ。だから後始末はわしがする」


「奥さんを戻せば済む」


「口を閉じろ」


 穏やかだった声が、炉の口を閉める鉄板より短く落ちた。ゲルハルトは残りの貼り紙には触れず、木箱を抱えて勘定場へ入った。


 同じ日の午後、バジルは講の女衆の食卓を訪ねた。手には、泡のある花瓶とよく似た形の薬瓶を一本持っている。


「こちらを吹いた方に、夏の水差しを頼みたい」


「カタリーナなら向かいの炉だよ」


 女衆の一人が、スープ用の豆を選り分けていた手を上げた。指先で戸口を示し、それ以上は品物の話へ加わらない。


 バジルは古い炉まで歩き、カタリーナが吹き終えるのを待った。彼女が竿を置くと、薬瓶を炉前の台へ載せる。


「カタリーナさん。次から、あなたの名で納めてください」


「ここは借りた炉です」


「炉が要るなら、注文と一緒に用意します。灰も砂も、届け先はもう決まっているそうです」


 カタリーナは薬瓶を灯りへ透かした。泡はなく、底の厚みも揃っている。返すと、バジルは同じ向きのまま布へ包んだ。


 講の女衆が用意したのは、使われなくなった染め場の石床だった。一人が煤を掻き、一人が壁際の桶を外し、もう一人が炉の煉瓦を運ぶ荷車の代金を控えへ記した。カタリーナは石床の中央へ立ち、煙道までの歩数を測った。


 クルトの灰は、炉が組み上がる前に届いた。砂の袋も同じ荷車へ積まれ、受取人の欄には初めから彼女の名がある。


 夕刻、ゲルハルトが一本の吹き竿を抱えてきた。十一年分の煤は拭われ、口元だけが白布に包まれている。


「置いていったものだ」


「工房の道具です」


「工房が十一年借りた。控えはわしが直した」


 カタリーナは白布をほどいた。握り癖のついた柄へ指を添え、すぐには持ち上げない。


「任せきりにした。すまなかった」


 ゲルハルトは返事を待たず、炉の外へ出た。背中の上着には、木箱の縄が擦れた筋が二本残っていた。


 新しい炉へ火が入る朝、カタリーナは吹き竿を両手で握った。右手の指が煤けた柄の窪みへ収まり、左手が前より半手ぶん先を支える。


「カタリーナさん、火はどうだい」


 豆を選っていた女が、薪を一本だけ炉脇へ置いた。カタリーナは火口を覗き、竿をゆっくり回す。


「もう少し待ってください。今朝は、わたしが決めます」


 女は薪から手を離した。食卓のほうでは、鍋の蓋が小さく鳴っていた。


    *    *    *


 夏の注文が止まって三月目、エメリヒが新しい炉を訪れた。上着は以前と同じ仕立てだったが、襟が片方だけ内へ折れ、靴には乾いた灰がついている。


 カタリーナは朝一番の種を竿へ巻いていた。炉の前から動かず、橙の塊を鉄板の上で整える。


「奥さん」


 エメリヒの声に、薪を運んでいた女が足を止めた。バジルは納品用の木箱から顔を上げたが、誰も返事をしない。


「奥さん、話をしに来た」


「その呼び方の者は、こちらにはおりません」


 カタリーナは竿へ一度息を入れた。小さな膨らみが生まれ、回すたび丸みを増していく。


「カタリーナ。工房へ戻ってくれ」


「戻りません」


「全部でなくていい。種を見て、どの灰を使うか、それだけ教えればいい。吹くのは俺たちがやる」


「教えません」


「叔父さんも、今度は手間賃を払うと言っている。前より出す。食事も寝床も別に用意する」


 カタリーナは竿を回したまま、エメリヒを見た。仲買人へ向けていた口元の笑みは消え、唇の端には乾いた白い筋がついている。


「見立てだけでいいんだ。夏物の注文を戻せれば、あとは俺が立て直す」


 竿の先で、硝子の胴が細長く伸びた。カタリーナは息を止め、底を整え、もう一度だけ短く吹く。


「頼む。教えてくれ」


「息は、誰でも吹けます」


 エメリヒの口が開いたまま止まった。カタリーナは彼の脇を通ってきた熱ではなく、炉の正面へ足を揃える。


「それは、俺が——」


「カタリーナさん、持ち手はこの長さでよろしいですか」


 バジルが見本の紐を掲げた。カタリーナはそちらへ顔を向け、目盛りを一つ指で押さえる。


「もう半指、長くしてください。水を入れたとき、手が口へ触れません」


「承知しました」


「待て。まだ話は終わっていない」


「若旦那」


 薪を運んでいた女が、炉の外を顎で示した。足元には注文分の木箱が積まれ、通り道は一人分しか空いていない。


「そこに立たれると、カタリーナさんの箱が運べないよ」


 エメリヒは木箱を見下ろした。一つ目には硝子問屋の札、二つ目には薬屋の札、三つ目には講の祭りで使う数が書かれている。どの札にも、ゾルン工房の名はなかった。


「見立てだけでいい」


 声は、炉の音を越えなかった。エメリヒは道を空け、戸口まで下がる。


 カタリーナは彼を追わず、吹き竿へ向き直った。胴を伸ばし、肩を丸め、口を切る。鋏を入れる指は一度も止まらなかった。


 戸が閉まると、外の足音は石畳の向こうへ薄くなった。バジルが木箱の向きを直し、女衆の一人が炉脇へ朝食の籠を置く。


「カタリーナさん、豆のスープが冷めるよ」


「この一個を入れてから参ります」


「パンは浸す分も残してある」


「では、急ぎます」


 出来上がった水差しは徐冷窯へ入れられた。カタリーナは吹き竿を拭き、今度は壁へ戻さず、自分の作業台へ横たえる。


 翌朝、水差しは窯の中でゆっくり冷えていた。カタリーナが取り出して灯りへ掲げると、夏の朝が薄い硝子を抜け、木箱の底まで届く。


 泡は一つもなかった。


「カタリーナさん、こちらへ」


 食卓から椀の触れ合う音がした。カタリーナは水差しへ井戸水を満たし、名前を呼んだ者たちの間へ置く。


 透き通った影が、湯気の立つ豆のスープと切り分けたパンの上で揺れた。炉には次の種が寝かされ、一本の吹き竿が彼女の席から手の届くところで、朝の光を受けていた。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

またどこかでお目にかかれましたら。


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