第8話 王子という空のゴミ箱
ガルベス子爵の件が片付いてから数日後、シリルが珍しい顔をして戻ってきた。笑顔は完璧だが、その奥に何か困惑したような色がある。
「お嬢様。少々、奇妙な報告があります」
「聞かせなさい」
「王子殿下が……最近、ほとんど執務をされていないようです」
「それは奇妙でも何でもありませんわ」
「ごもっともで。ただ、問題はその理由です。ガルベス子爵が失脚したことで、殿下の周囲から人が消えました。これまで殿下に取り入っていた貴族たちが、一斉に距離を置き始めているのです」
私は紅茶のカップを置いた。
「蜘蛛の巣からクモが消えた、ということかしら」
「うまい例えですね。ゴミ箱の中身がなくなって、ハエも去った、とも言えますが」
「残ったのはモモ・ダストだけ?」
「はい。ただ、彼女も最近は動きが変わっています。殿下の腕に絡みつきながら、今度は残った貴族たちへの接触を増やしている様子です」
-----
翌日、私は王城を訪れた。国王への報告という名目だったが、本当の目的は別にある。
廊下を歩いていると、向こうから王子がやってきた。以前の、傲慢な顔つきではない。目の下に隈があり、どこかぼんやりとした表情だ。
私の姿を見て、一瞬だけ足を止めた。
「……ヴィクトリアか」
「ごきげんよう、殿下」
「お前が、ガルベスを……」
「おそうじをしただけですわ。汚れが溜まっていましたので」
王子は何か言いかけて、やめた。それからしばらく黙って、ぽつりと呟いた。
「誰も来なくなった。政務の相談をしようにも、側近が誰もおらん」
「そうでしょうね」
「……お前は、最初からわかっていたのか。あいつらが私に群がっていた理由を」
私はしばらく考えてから、正直に答えた。
「わかっていましたわ。ガルベス子爵をはじめ、殿下の周囲に集まっていた方々は、殿下ご自身に価値を見出していたのではなく、殿下という器を利用していただけです」
王子の顔が歪んだ。怒りとも悲しみともつかない表情だ。
「では、モモは」
「それはご自身でお確かめになるべきことですわ」
それ以上は言わなかった。これは私が片付けるべき汚れではない。少なくとも、今はまだ。
王子は何も言わず、足早に廊下を去っていった。
-----
国王への報告を終えて屋敷に戻る馬車の中で、シリルが口を開いた。
「殿下に、少し同情しましたか」
「少しだけ」
「珍しいですね」
「空のゴミ箱は、ゴミではありませんわ。ただの器です。何を入れるかは、これからの話」
「では、殿下はまだ焼却処分の対象ではない?」
「今のところはね」
私は窓の外に目を向けた。夕暮れの王都が橙色に染まっている。
問題は、その器の隣に今もモモ・ダストがいるということだ。彼女が次に何を企んでいるのか。ガルベス子爵という後ろ盾を失った今、モモは必ず次の手を打ってくる。
「モモ・ダストの動きを、引き続き追いなさい」
「既に手配しております」
「さすがね」
屋敷に着くと、テーブルの上に焼きたてのアップルパイが置いてあった。シナモンの香りが部屋に漂っている。私はフォークを手に取りながら、静かに考えた。
大掃除はまだ終わっていない。一番厄介なゴミが、まだ残っている。




