第30話 聖教国・カビ取り完了
セルダ大司教は、午後の早い時間に施設を訪れた。
六十代の、背筋の伸びた人物だった。白い法衣は質素で、装飾が少ない。聖務局の係官は施設の外で待ち、大司教だけが中に入った。マルセル神父が言っていた通りだった。
テレーズたちと短い言葉を交わしながら、大司教は施設を歩いた。私はその様子を少し離れた場所から見ていた。大司教の目は、施設の壁のカビにも、天井の雨漏りの跡にも、ちゃんと向いていた。
見ている人だ、と思った。
大司教がマルセル神父の部屋に立ち寄った時、私は神父の隣にいた。
「こちらは?」
「外から慈善活動でいらしている方です。少し、お話を聞いていただけますか」
大司教が私を見た。値踏みするような目ではなく、ただ確認している目だった。
「どうぞ」
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私は手短に話した。
フォル・ネビュラで確認したセドゥン商会への送金経路。聖教国の慈善局予算の横流し。フィノの台帳と地下室のファイル。全部合わせると、ヴァルタス猊下と外部組織の資金の流れが一本の線で繋がる。
大司教は黙って聞いていた。途中で口を挟まなかった。
話し終えると、シリルが用意した封筒を差し出した。
「証拠はこちらに全て入っています。原本もあります」
大司教が封筒を受け取り、少し重さを確かめた。
「これを私に渡すということは、あなたたちはこの国の問題に深入りするつもりはない、ということですか」
「ええ。内部の方が動いてくださるなら、それが一番確実ですわ。外から火をつけても、根が残れば再発しますから」
「……正しい考え方ですね」
大司教が封筒を法衣の内側にしまった。
「動くには時間がかかります。この国の仕組みは複雑で、一夜には変えられない。ただ、証拠があれば、手順を踏んで動ける」
「それで十分ですわ」
「あなたたちは今日、この国を出ますか」
「明日の朝に」
「賢明です。あなたたちがいなくなった後の方が、私は動きやすい」
大司教が立ち上がった。出がけに、マルセル神父に向かって言った。
「この施設の修繕と、配給の件は私の方で手を打ちます。遅くなりましたが」
神父が静かに頭を下げた。
「ありがとうございます、大司教様」
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宿に戻ると、リタが荷物をまとめ始めていた。
明日の朝に出発する準備だ。シリルが馬車の手配を確認し、管理人の女性に翌朝早く出ることを伝えに行った。
私は窓から白い街を眺めた。
証拠は渡した。内部の人間が動く。カルド局長の横流しは止まる。施設に配給が戻る。壁のカビも、修繕されれば少しずつ取れていく。
ヴァルタス猊下がどうなるかは、この国の手続きに委ねた。外から炎で燃やすより、内側から換気する方が、この場合は正しかった。
「お嬢様」
シリルが戻ってきた。
「出発の準備は整いました。明日の朝、国境まで一日、そこから王都まで四日です」
「わかりましたわ」
「一つだけ確認してもよいですか」
「どうぞ」
「王都に戻ってから、次はモルトに向かいますか。ネーベル・アルバの件が残っています」
「ええ。でもそれは第四章の話ですわ。今は聖教国を出ることだけ考えましょう」
管理人の女性が、最後の夕食を持ってきてくれた。
今日は特別に、デザートまで用意されていた。小さなタルトに、甘い果物が乗っている。
「旅の無事をお祈りして」
「ありがとう。あなたのおかげで、ここでの日々が快適でしたわ」
女性が目を細めた。
タルトを一口食べると、甘くて、少しだけ酸っぱかった。この国の空気が、今日だけは少し軽く感じた。
窓の外、白い街に夕暮れが落ちていく。第三章が終わった。次の場所へ向かう前に、まず王都へ戻る。国王への報告と、次の準備のために。




