08.灯り
彼と並んで歩く夜道は、なんだか新鮮だった。いつもは、真っ暗で先が見えず、まるで私のこの先を暗示しているかのように暗澹としている道も彼といるだけで、街灯の明かりが灯っているようなほのかな温かさがあるのだ。
家に着くまでの時間、意外にも二人の間に沈黙が落ちることは一度となかった。
「送ってくれてありがとう」
「いや、遅くまで付き合わせて悪かった。あと、夜中出歩くなら付き合うから呼んで」
「大丈夫だよ。今まで大丈夫だったんだし」
「……わかった」
「全然わかったって顔じゃないけど?」
「そりゃね。呼びたくないならしょうがないんだけど、普通に心配だから、気を付ける意識はして」
「……わかった」
「わかってないだろ」
また、二人で笑う。今日みたいな夜は、いつも以上に寂しくなってしまうんだよな。
「また、明日ね」
「うん、じゃ、また明日」
彼が背を向けて歩き出す。しんと静まり返った世界は、恐ろしいほど広く、慣れていたはずの孤独に引き戻されるのが急に怖くなった。
いつの間にか、置いてかないでと私の足は、一歩を踏み出し、気付けば彼の手を掴んでいた。
「どうした?」
「あ、えっと……明日提出の課題って何があったかなって!」
苦し紛れの言い訳なんて、彼に通用しないことは分かっている。だから、せめて、どうか気付かないふりをしてくれと、私は祈った。
「なかったと思うけど……あ、ちょっと喉乾いたから和泉の家、寄ってってもいい?」
その一言で、私の世界にまた、日が差す。
彼の手にあるペットボトル飲料は、まだ半分以上残っていた。
***
家に星奈以外の人間をあげることは、初めてだったが不思議と嫌悪感はなかった。少しだけ雑談をし、ふと時計を見ると時刻は、午前二時を回っていた。
「ねぇ、戸田、時間大丈夫?」
「あー、和泉が寝たら帰るよ。鍵、ポストに入れとけばいい?」
なんてことないように言うものだから驚いた。だって、彼があまりにも私に都合よく動いてくれるから。
途端に、私は、罪悪感に苛まれた。
「ごめん……私、最低だよね。戸田の好意を利用してる」
「何で? 別に利用してくれていいよ。寧ろ大歓迎……いや、逆に、俺が和泉の寂しさ利用してるのかもな、ごめん」
軽い感じで、おどけたように言う彼に、胸がきゅっとなる。
――何で、そんなに優しいの?
私は、彼の気持ちに応えられないし、彼もそれをわかっている。無理矢理自分の気持ちを押し付けることだって簡単にできるはずなのにそれをしないあたり、やはり優しさなのだ。
星奈以外の人にここまで心を揺さぶられたことは、初めてで、自分でもどうしていいのかわからなかった。だから、せめてもの対価に、と私は、彼に顔を寄せて――
「待って。見返りは、求めてないから」
彼の手に制されて、私は、自分の短絡的な思考が恥ずかしくなった。
ごめん、と小さな声で呟くと彼は、困ったように笑う。
「でも……和泉は、そっちの方が楽?」
その問いに、私が軽く頷くと、彼は触れるだけの優しい口付けを落とした。
***
その日から私は、一人で考え込む夜がなくなった。私が呼べば戸田は、すぐに来てくれた。軽く雑談をする日もあれば、ただ寄り添って過ごすだけの日もあった。戸田は、私にハグやキス以上をしてくることはなかった。
「ねぇ、戸田」
「何?」
「もしかして、遠慮してる?」
「何を?」
「いや、だって、キス以上のことしてこないから」
「別に遠慮してるわけじゃないよ」
「本当に? 私、遠慮せず、戸田のことばんばん呼びつけちゃってるから、そっちも好きにしてくれていいんだからね?」
彼は、一瞬固まり、視線を逸らした。
「ねぇ、やっぱり遠慮してるんでしょ」
「違うって、マジで。てか、まず、和泉が遠慮しないでくれてるのが嬉しいし、そういうのは、本当に好き同士になってからじゃないと嫌なんだよ」
「ふーん……そういうもんなんだ」
「うん、そういうもんなの」
そう言って、眉を下げて笑う。
彼は、案外ロマンチストなのだなと思った。
***
一人じゃないことが常となった夜、不意に私は、彼にこんな遊びを投げかけた。
「ねぇ、戸田。真実か挑戦かってゲーム知ってる?」
「質問に真実で答えるか、質問者が出した試練に挑むかってやつ?」
「そうそう。はい、じゃんけんぽん!」
有無を言わさずに、進めると、私の思惑通り彼は、グーを出してくれた。
「それ反則じゃない?」
「私の勝ち。真実か挑戦、どっち選ぶ?」
「俺に拒否権は無いわけ?」
「嫌だったら、無視してくれていいよ」
わかったわかったと彼は、触っていたスマホを机に置き、こちらへと向き直った。
「じゃあ、真実」
「挑戦じゃなくていいの?」
「どうせできないことしか言わないだろ」
「そんなのわかんないでしょ」
「わかります」
彼は本当によく、私のことを理解しているようだ。少し期待外れに感じながらも、ずっと気になっていたことを質問する。
「じゃあ、質問ね、どうして私のこと好きなの? やっぱり、顔?」
「まぁ、最初は、一目惚れだったことは認める」
「それで?」
「え」
「最初はってことは、続きがあるんでしょ? それとも、今もそうなの?」
彼は、しばし思案すると、口を開いた。
「和泉ってさ、最初は、フランクに見えるんだけど、関わってるうちに、どっか壁を感じて、この人、マジで他人に興味無いんだなって思ったんだよ」
実際、星奈以外の人は、どうでもいいと思っているため、的確に言い当てられたことに、私は、狼狽してしまった。
「あー、まぁ、そうなのかな……」
「でもさ、如月と話してる時に笑ってる顔みて、いいなって。この人もこんな顔するんだ、俺も、この笑顔を近くで見てみたいって思ったっていうか……待って、これ、俺、今大分恥ずかしいこと言ってる」
珍しく赤面している彼の顔を見て、笑みがこぼれる。
「ふふっ、今はどう? 君が望んでた笑顔は、見れた?」
「うーん、正直わかんないけど、俺は、和泉と一緒にいられるだけで嬉しいよ」
ちょっと揶揄ってやろうと思って、投げかけた言葉で、まさか自分がカウンターを食らうとは、思っていなかった。
「あぁ……そう」
今度は、私の顔が赤くなる番だった。
「何で急にそんなこと聞いたの?」
「いや、だって、この関係って、戸田にとってのメリットって全然ない気がしてさ」
「あるでしょ。好きな人に頼りにされるなんて、こんな嬉しいことないよ」
「ふーん、そうなんだ」
「うん。少なくとも俺は、そう思ってる。俺が和泉の隣にいる資格なんてないと思ってたから……いや、今もあるとは、思ってないけど」
「どうして?」
暫くの間、時間が進む音だけが部屋の中に響く。
「……ごめん」
気になっても詮索しない。それが私達の中での暗黙の了解で、心地よい関係を築くための大切なルールだ。
「どうしてそう思ってるのかは、わからないけれど、私が自分で選んだんだから文句は、言わないし、言わせないよ。もちろん君にもね」
私は、彼の『ごめん』が少しでも軽くなってくれればいいと思った。
「和泉の強引さは、嫌じゃないから困る」
泣きそうな顔で笑う彼の頭を、撫でることしか私には、できなかった。