知識の仮面
「――ごくごくっ! ふぅーっ! 落ち着いた……」
移動から三十分後、小川に到着した俺は水で喉を潤した。
水が美味い。長時間歩いていたし、水分も長らくとってなかったからな。本当、現代の便利さを思い知った。お金さえ出せば大抵のものは買えるんだから。そんな当たり前のことさえ、俺は知らなかった。
もうすぐ日が落ちる。こんな森の中、一人で夜を過ごさなければならないと考えると、恐怖が俺に忍び寄ってくる。
「そ、そうだ! 火! 火を着けないと」
だが火を着けるものなんてない。ライターやコンロなんてないし、そもそも着火剤も火打石さえもない。何もない状態で火を着けるのは非常に困難だと聞いたことがある。実際、道具がない状態で火を着けることなんて、俺にできるとは思えなかった。
じゃあ、このまま暗い中で一夜を過ごすのか。
身震いしながら、俺の頭にふと考えが浮かぶ。
俺は跳ねるようにその場から移動する。周囲を見回し、必死で目的のものを探した。
「あった! あれだ!」
二つの赤黒い石を見つけるとポケットに入れた。急いで枯葉と枯れ枝を手にすると少し開けた場所へ放った。辺りを見回し、薄紫のツルを強引に引きちぎる。ツルはなぜか乾燥していて、水気がなかった。
枯れ枝と枯葉を置き、その上にツルをほぐして乗せる。ツルの真上で先程拾った赤黒い石を何度も叩いた。すると小さな火花が生まれ、ツルへと落ちる。ほんの少し煙が浮かび、俺はすぐに、息を吹きかける。
「ふーっ! ふーっ!」
何度も空気を送ると煙が徐々に大きくなり、火が立ち上る。火口となったツルを枯葉の上に乗せて更に息を吹きかけ火を大きくし、少しずつ枝を投げ入れる。
「つ、ついた」
すでに暗闇の帳が周囲を覆っていた。小さな暖かな火が周囲を照らしてくれている。唯一の光源だが、それでも俺には希望の篝火だった。
幸いなのは適温だったこと。これが寒冷期だったら俺は凍え死んでいただろう。
俺は急いで付近にある枝を集めた。乾燥している時期なのか、枯れ枝が多く落ちていた。
十分な量の枝を横に置き、俺は火の近くに座った。
ようやく一心地つける。俺は大きなため息を漏らして、心を落ち着かせた。
「何とかなったな……知識の仮面のおかげか」
あの仮面は一体なんなのか。それは知識の中にはなかった。だがそれ以外の幾つかの情報は頭の中に残っている。
空腹と恐怖を紛らわせるため、俺は疑問を自分に問いかけて、自分が得た知識を確認することにした。
知識で得たのは大きく分けて四つだった。
一つ目はこの異世界、イシュヴァ―スに関して。
現在俺がいる場所は、ノラ国という国の西方、ガンデット地方の森の中らしい。比較的小さい森で、数日で通り抜けられるくらいの規模のようだ。
付近の村への道は大体わかる。ただ、詳細な情報は近辺の地理だけで、幅広い知識は得られなかった。正直、その地理に関して不安要素がある。俺、方向音痴気味なんだよな……方向が明瞭にわかるから何とかなると思うけど。
二つ目はサバイバル知識。これは地球で言う、どういった植物が食べられるのかとか、火のつけ方とか、自然物の用途とかそういった情報の異世界版だ。地球で使えるかどうかまではわからないし、この知識はどうやら俺がいる森に特化しているようで、別の場所でのサバイバル知識はなかった。
三つ目は仮面について。
仮面に関しての情報は少なかった。
わかったことは、俺がつけた仮面は知識の仮面であり、他にも様々な仮面が存在するということ。
そしてあの仮面は知識を得るための仮面であり、それ以外の用途はなく、副作用の類もないということがわかった。
一先ず、悪影響はないようで安心した。ただこの情報が確実かどうかはまだわからないので、一応は気にしておく方がいいだろう。
三つの情報を総合すると、俺が得た知識は『俺の状況を鑑みた上で、必要なもの』だと思う。
つまり――
「俺を連れてきた誰かが、俺のために置いていった、ってところが妥当か」
もしも超常現象が原因で俺が異世界に来たとしたならば、俺の必要とする知識が詰まった仮面があることはおかしい。確実に人為があるし、俺への最低限の配慮も感じる。
ただ、俺の意思を無視して異世界に連れてくるような人間だ。配慮があろうとなんだろうと、最低な人間には違いない。
……だが、人間なのか? こんなことができるような人間が本当にいるっていうのか?
まさか。神様とか?
「ばかばかしい。さすがにあり得ない……あり得ない、のか?」
異世界に連れてこられた。そんなことがあり得ているのに、それは神の所業ではない、なんて断言できるのだろうか。すでに非現実だらけの中で、俺にとっての普通は普通ではなくなっている。
「はっ。異世界だ仮面だなんだと、意味がわからない。なんだってんだ……くそっ」
俺は頭を抱えて火を睨んだ。ゆらゆらと揺らめく自然の現象が、少しだけ俺の感情を和らげてくれた。一瞬の心の隙が生まれたせいか、俺はあくびをしてしまう。
「ふぅ……さすがに、疲れた……」
色々なことが起こりすぎて、俺の頭は限界を迎えていたようだった。過剰な疲れが、俺を睡眠へと誘う。
俺は地面に横たわり、胸の内に広がる不安を就寝することで強引にねじり伏せた。
大丈夫。きっと大丈夫。俺は生きているし、人がいる村の場所もわかる。だからきっとどうにかなる。
そんな風に自分に言いきかせ、そのまま意識を手放した。