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仮面(フェイス)


 森の中を歩き始めて二時間。

 相変わらず森は森のまま。人工物もないし、人もいない。人がいたらそれはそれでちょっと怖いが。俺を連れてきた犯人かもしれないし、自殺しようとしている人かもしれないし。極端な考えかもしれないが、状況が状況だ。考えが悪い方向にいってもおかしくはない。

 まだこんな風に考えられている時点で正常なんだろうけど。正直、不安が徐々に大きくなっていた。

 いやだって不気味だろ。自宅にいた俺を誰かがこんなところに連れてきたはずだ。誰が何の目的でそんなことをしたんだ。意味が不明すぎて、気味が悪い。

 とにかく人を見つけて、自宅に連絡してもらって、警察に通報だな。

 そんな風に考えてから、更に二時間。空が赤に染まり始めても、視界を覆う緑は絶えることはなかった。


「……やっぱり丘にすればよかったんじゃ」


 後の祭りである。ここから戻る時間なんてありはしない。

 夜が近づくにつれて、森の様相も変わっていく。奇妙な感覚に陥り始め、何か得体のしれない存在を錯覚する。動物の鳴き声が妙に耳に残り、背筋がぞわぞわとする。

 人を見つけるなんて甘い考えだった。すぐに見つかるなんてあまりに平和ボケしていた。この森の広さもわからないのに。もしかしたら森を抜けるのに数日、いや数週間かかるかもしれないのに。

 ここには何もないのだ。恵まれていた俺の場所ではない。親や大人や社会が助けてくれるはずもない。自分だけでどうにかしないといけない。そんなことも俺はわかっていなかった。

 動悸が激しい。吐きそうだ。意識が混濁してまともに考えられない。


「お、落ち着け。落ち着け……」


 悲鳴を上げる心臓を抑えようとして手を添えると、ふと何かの感触に気づく。

 仮面だ。仮面が俺を見ていた。表情は変わっていないはずだが、印象は少し変わっていた。仮面は険しい表情でありながら、俺をじっと見ている。その顔にはなぜか親近感のようなものを感じた。

 半ば無意識の内に、仮面をつけようと手が動いた。本当に何も考えていなかった。疲弊していたせいかもしれない。それなのに俺の手は不自然に動き、仮面を俺の顔につけようとした。

 仮面が俺の顔に添えられる。

 と。

 突如として視界が暗転した。


「があああーーーっ!」


 痛みとは違う。経験したことがない衝撃が脳から背中を通り、全身を駆け巡る。びくっと跳ねた俺の身体は、地面に横たわると魚のように地面を跳ねる。


「ぎいいぃっ! ああああああああぁぁあぁーーーッッッっ!」


 耐え切れない感覚。叫んでいることに気づいたのは、地面に頭を打ち付けた時だった。咄嗟に仮面を取り外そうとしたが、顔に吸着して離れない。固定するものは何もないはずなのに、仮面は俺の顔と同化したかのように、微動だにしなかった。

 呪いの仮面、という言葉が脳裏をよぎる。

 まさか、本当に?

 呪われていたのか?

 そんな非科学的なことが一瞬だけ浮かんだが、再び脳が何かに支配される。駆け巡る衝撃は止めどなく、濁流のように押し寄せ、俺の脳をかき混ぜる。

 耐え難い衝動に気を失いそうになるが、それさえ許されない。脳内が異常なほどむず痒い。頭を抱えて、必死に耐えていたが、やがて沈下する。


「はあはあ、はぁ……くっ!」


 痛みはないのに、過剰なほどに身体は疲弊していた。脳がまともに働いていない。しかしそれも徐々に納まり始める。すると俺は変化に気づいた。

 次々と浮かんでくる情景、文字、情報。それが記憶に刻まれていた。

 視界はチカチカと明滅すると、見知らぬ知識が俺の中に存在していた。


「ここはイシュヴァ―ス? は? い、異世界、なのか? お、おいおい冗談だろ!? 漫画じゃないんだぞ!?」


 知らない。知らないが知っている。なぜだ。なぜ俺は知っている?

 動揺しながらも俺は徐々に現実を受けいれていく。知っているのだから、後はその事実を受け入れるだけだった。だから、動揺は早い段階で薄れていった。

 顔に手をやると仮面は消えていた。周囲を見回しても仮面はない。顔の表面を手で探ると、以前とは違った感触がした気がした。俺の顔なのに、俺の顔じゃないような錯覚。

 仮面はどこに消えたのか。


「か、仮面……いや、さっきの仮面フェイスは知識の仮面。装着すると仮面に刻まれた力を得ることができる。だから俺は知らない知識を得た、のか?」


 知らない記憶を頭に無理矢理刻まれた。知らないのに知っているという感覚は著しく不快で、奇妙で、どこか心地がよかった。新たな知識を得るという快感を一気に得たような、それでいて頭の中を勝手にいじくられたような不快感もあった。


「よくわからないな……けど、起きたことは事実だ。受け入れるしかない。これは事実だ」


 俺は自分に言い聞かせる。非現実的だろうが、非科学的だろうが、起きたのだからそれは事実だ。ならばまずは受け入れ、その上で情報を整理すべきだろう。

 俺は自分を落ち着かせた。そして得た知識を慎重に精査しようとする。


「……ってか、何を知ればいいんだ?」


 だがこれが案外難しい。知識とは何かを考え、それに関連するものを頭の中で連想するもの。俺が得た知識、というカテゴライズができないらしく、何を得たのかがわからない。

 すでに時刻は夕方だ。疑問点が腐るほどがあるが、現状を打破するための情報があるか、自分の記憶を探る必要があるだろう。

 まずは人がいる場所は近くにあるか、俺は知っているか?


「北西に進めば、村があるな。村? ってことは田舎なのか? いや、そもそもここは異世界なのか……異世界って。マジかよ。地球じゃないってことか? そんな馬鹿な……」


 馬鹿なこと、だと思うが、知識がそれを否定する。ここは異世界で間違いなく、そして俺は……なんでここにいるんだ?


「……異世界に来た理由は不明、か。誰が連れてきたのかも、どういう経緯で来たのかもわからないな」


 俺は立ち上がりながら服についた土ぼこりを払った。すると、腹の虫がぐぅっと一鳴きした。考えてみれば昼から何も食べてない。日本時間の夕方に寝て、気づいたら異世界にいて、それから更に四時間くらい、結構な時間、何も口にしていないことになる。

 大事なのは食事と寝床だ。その知識は俺にあるか?


「近くに川があるな。寝床は……さすがにないか」


 水が飲めるだけマシだ。火が落ちるまでに移動して、水だけでも口にした方がいいだろう。

 俺は急ぎその場から移動を開始した。


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