疾走し出したようです
遅くなりました。
( へ;_ _)へ{リアル事情で時間ががが……
南門から北を向いて左側、三階建ての石造りの建物の屋上に立っていた黒騎士は、ただ静かに『それ』を見下ろしていた。
南門付近では、十人程の警備兵達が武器を構え、周囲を警戒する様に立っている。
周囲から走って来る警備兵が、門前に居る人物に何かを伝えては走り去る。
あの門前に居る人物が、この南門の警備兵をまとめている隊長格なのだろう。
伝令と思われる警備兵が来る度に、一言二言伝えて走らせる。
それらの動きを見ていると、何か妙な気配に気付く。
『魔法生物なのに』……と、『現在の主』であり『護衛対象』である『黒髪の少女』が、よく文句を言っていたものだ。
妙な気配の元へと視線を動かしてみれば、南門から西側の道路、建物と板壁との間に一人の警備兵が立っていた。
その顔はこっちを見ている。
何やら驚愕の顔付きだ。
顎が外れそうな程開けた顔で此方を見る警備兵と、しばらくの間にらみ合い状態になっていたが、そんな黒騎士の左腿の辺りを『ぺちぺち』と、何やら軽いモノが叩く。
黒騎士がそこに目を向けると、震える小さな左手が、黒騎士の鎧を叩いていた。
右手は口元を押さえており、喋る事が出来ない様だ。
黒騎士が目線を外した事で此方を見ていた警備兵が、我に返った様に何かを叫びながら南門へと走って行くのが見えた。
『知らせに走った』と判断した黒騎士は、左手で抱えていたリリーをそっと下ろす。
ここは南門から入って直ぐの所にある宿屋、その屋上だ。
他の建物と違い三角屋根では無く、平たい屋上になっている。
普段は、宿屋で使用後に洗濯したシーツ等を乾かす為に使っている様な場所だが、本来の役目は違う。
ーーー
ここバストラは、オルボアと違い頑丈な石壁は使用していない。
木の板を張り合わせた板壁で街を守っている。
これは、周辺にモンスターが多数生息するオルボアや、東の帝国領と近い位置にある魔法都市オードナルドと違い、危険地域が少ないバストラだからこその木壁だ。
更にバストラは、数十年の周期で、外へ外へと拡張している。
商人の出入りが多い事で、それを目当てにした人達が、新たな住人として各地から一攫千金を狙ってやってくるからだ。
その為、拡張に合わせて壁を作ろうとした場合、石壁よりも木壁の方が、安上がりで拡張し易いと言う利点がある。
一部住人には、壁なんていらないと言う者も居るが、過去の記録を見る限り、モンスターの襲撃が皆無と言う訳では無い。
極稀に、それこそ片手で数える程度だが、オルボアを抜けてバストラまでモンスターがやって来たと言う記録もある。
そして何より、商人が集まると言う事で、それらを狙った野盗の類いが、大挙して押し寄せたと言う事もある。
むしろ、バストラとしては、モンスターより野盗による被害の方が多く、切実な問題だった。
その為の木壁なのだが、それらの襲撃があった際、この壁近くにある建物類は、防衛の為の城壁代わりに変化する。
木壁沿いの建物の屋上に兵を備え、弓を使って敵を叩くのが役目となる。
このバストラを襲うモノは、まず木壁を壊すか乗り越える必要がある。
そうした行動を取る間に、建物の屋上から弓矢が雨霰の如く降り注ぐ。
結果、落とし易いと思われるバストラは、難攻不落の城塞都市と変化する。
とはいえ、完全武装した兵士相手では、ただの遅延作戦程度にしか使えない代物だが。
ーーー
そんな建物の上に、抱え込んでいたリリーを降ろす。
足が付くと同時に、南門とは反対側、裏通り側の屋根へと走って行く。
黒騎士からある程度離れた場所でしゃがみ込むと、ビシャビシャと何やら湿った音が聞こえてくる。
黒騎士が屋根の上を縦横無尽に飛び回った為、その腰辺りで振り回されたリリーの三半規管は限界に達していた。
プルプル震えながら嘔吐するリリーの側へと黒騎士はゆっくり近付きながら、これからの逃走経路を考える。
本来の目的地であれば、東側の門へと向かい、そのまま走り抜ければ良いのだが、このまま追い回されるのは面倒極まりない……っと、擬似的魔法生物でありながらも『自立思考』を持たされている黒騎士は考える。
「何を……考え……てる……の?」
水の入った皮袋を右手に持ちながら、フラフラと近寄って来るリリー。
はしたない行動だが、歩きながらも軽くうがいをしつつ黒騎士へと近付いて来る。
そんなリリーをジーッと見る黒騎士。
「な……何?」
そんな黒騎士の態度に、何やら不吉なモノを感じたのだろう、少し後退りするリリーの目の前で、黒騎士が片膝を付く……が、当のリリーはそれどころではなかった。
黒騎士の後方、この屋上へと上がる為の階段室、その扉の向こうから『ガチャガチャ』と、鉄の鳴る音と男性の声が聞こえて来たからだ。
「兵士が……来る?!」
聞こえて来る音と声から、どうやら警備兵だと分かったのだが、問題なのはこれからだ。
普通に考えれば、このまま捕まって誤解を解くのが良いのだが、そうする為にはリリー自身の事を伝えなければならない。
前までの『リリー』であれば別に問題無かったのだが、今の肩書きは『騎士伯の娘リリアーナ・アフィレス』だ。
当然、確認の為に義母のカタリーナへと連絡が行く事になりそれは困る。
何しろ、カタリーナはリリーが冒険者として旅する事を快く思っていない。
更に、リリーが襲われた理由も話す訳にいかない。
それを伝えれば、暗殺者ウィルの話をしなければならないし、当然、裏世界から自分に掛けられた賞金の話までしなければならない。
それらをカタリーナに知られてしまうと、間違いなく旅は中止、アフィレス家の領地に来る様に言われてしまう。
そうならなかったとしても、身分証明の事だけでも、アフィレス家に色々とご迷惑をかけてしまう事になる。
そして最後、黒騎士の問題。
捕まった後、黒騎士が自分の護衛だと話したとしても、それを証明するまで拘束される事になる。
当然、鎧を着たままなんて事はありえない訳で、鎧の中身が無い黒騎士を説明する方法が無い現実。
そもそも、『自立型の魔法生物』と言うモノがこの世には存在していない。
近いモノとしてはゴーレム等があるが、それも長時間持つ様な代物では無い。
そんな所に、『鎧に擬似的生命を宿した黒騎士』なんてモノが見つかりでもしたら、当然、色々な人々が出て来る。
それこそ、無事に旅が出来るはずもなく、最悪、黒騎士本体は、研究の為、その身をバラバラにされてしまうだろうし、そんな魔法生物と共に居たリリーにも関わって来るだろう。
祖父の事を話た所で、その張本人が雲隠れしている現在、どうする事も出来ない訳で……
そこまで考えたリリーの顔は、既に真っ青になっていた。
どう考えても録な事にはならない。
かと言って、このまま逃げ回る訳にもいかない。
どうにもならず、ただ焦るばかりのリリーだったが、自分の周りが暗くなっている事に気が付く。
今は夜、元々暗かったが、月明かりでうっすらと周辺が見える程だった。
それが段々と見えなくなっていく。
「えっ?!」
そう呟いたリリーの体が、いつの間にか胸部の装甲を開けていた黒騎士の中へと飲み込まれて行くのと同時に、後方の階段室の扉が蹴破られたのだった。
ーーー
この建物は、普段は宿屋として運営されている。
一階部分は酒場になっており、二階三階部分が宿泊施設となっている。
普通の宿屋であれば、二階三階へと上がる階段が奥の方にあるのだが、この宿屋はそれらとは違う造りになっている。
まず一階から二階に上がるには、入り口を入って左にある細い通路を通らなけれらならない。
大人二人がなんとかすれ違える程度の幅、しかもL字になっている。
真っ直ぐ突き当たりまで行き、右へと曲がると、その先に二階へと上がる階段がある。
それを上がれば、今度はコの字になって通路に変化する。
そのコの字になった通路の突き当たりを右へ右へと曲がれば、三階へと上がる階段が見えてくる。
そして三階に上がると、またコの字の通路になる。
ここまで面倒な通路を上がった先に、屋上へと向かう階段が見えて来る……ハズだったのだが、ここにもカラクリが仕掛けてある。
屋上に上がる階段は、歯車で巻き上げてある為、態々下げなければならない。
だが、下げる為には『専用のハンドル』が必要となる。
その専用のハンドルは、一階にある受付の裏に隠されている為、何も知らずに三階まで来れば、再度一階に戻る羽目になると言うものだ。
何者かに襲撃された際、屋上に籠るとなれば、簡単に上がれない仕組みにしなければならない、その考えから作られているのがこの面倒な通路と階段だ。
そして今、その面倒な階段を上がった警備兵達が、屋上への扉を開けた。
街中で暴れた挙げ句、少女を連れ去った『黒騎士』を捕まえる為に。
だが、階段室から出た彼ら警備兵達が見たのは、屋上を南門の方角へと全力疾走する黒い鎧姿だった。