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第五話 現実、らしい

 目が覚めてから、一か月が過ぎた。

 最初は、指一本動かせなかった。

 今は、誰かに支えてもらえば歩ける。


 ほんの少しだけ。

 本当に少しだけ。

 前へ進めるようになっていた。

「今日も頑張りましょう。」

 理学療法士が笑う。


「はい。」

 ベッドから立ち上がる。

 足に力を入れる。

 震える。


 一歩。

 止まる。


 もう一歩。

 息が上がる。

 たった数歩なのに苦しかった。

「今日はここまで。」


「……ありがとうございました。」

 ベッドへ座る。

 情けなかった。

 異世界では。

 魔王を倒したのに。


 今は歩くことすらできない。

 思わず苦笑いした。

「比べる相手がおかしいか。」

 夜。

 一人になる。


 窓の外を見る。

 街の灯り。

 車の音。

 どこにでもある景色。


 でも。

 まだ慣れなかった。

 目を閉じる。

 丘の上。

 焚き火。

 笑い声。

 全部思い出せる。 


 思い出せるのに。

 もう会えない。

「……会いたいな。」


 小さく呟く。

 返事はない。


 それでも。

 少しだけ温かい気がした。

 見舞いに来る人が増えた。

 両親。

 弟。

 先生。

 クラスメイト。


 事故の日、病室にいてくれたあの子も、時々顔を出してくれた。

「今日、天気いいよ。」

「そうなんだ。」

「もうすぐ夏だね。」

「うん。」

 他愛もない話だった。


 でも。

 不思議だった。

 前の自分なら。

 何を話せばいいか分からなくて黙っていたと思う。


 今は違う。

 誰かと話す時間が、少し好きになっていた。

 リハビリは続いた。

 思うようにはいかなかった。

 昨日できたことが、今日はできない日もあった。


「今日は調子悪いですね。」

 理学療法士が言う。

「そうですね。」


 悔しかった。

 もうやめたい。

 そう思った、その時だった。


 ふと。

 ある言葉を思い出す。

『今日のお前、一回できただろ。』

 ユウの声だった。


『じゃあ昨日のお前より強い。』

 思わず笑ってしまう。

「どうしました?」

「……いや。」


 もう一回。

 やってみよう。

 一歩踏み出す。

 転ぶ。


 でも。

 立ち上がる。


 レンなら言う。

『立て。』

 シアなら笑う。

『できるまでやれば、できます。』


 アリアなら。

『大丈夫です。』

 そう言って笑ってくれる。

 みんなの声が聞こえた気がした。


 もちろん。

 本当に聞こえたわけじゃない。


 でも。

 あの一年は、自分の中に残っていた。

 夢じゃない。

 生きた時間だった。

 退院の日。

 病院の玄関を出る。

 風が吹く。

 少しだけ、あの日の草原を思い出した。

 空を見上げる。


 同じ青空だった。

「帰ろう。」

 父が言う。

「うん。」


 車へ向かって歩き出す。

 一歩。

 また一歩。

 ちゃんと、自分の足で。

 学校へ戻った。

 最初は少し怖かった。

 みんな変わっていたらどうしよう。

 居場所なんて、もうないかもしれない。


 そう思っていた。

「おはよう!」

 教室へ入った瞬間。

 誰かが笑った。


「戻ってきた!」

「久しぶり!」

「元気になってよかった!」


 自然と輪ができる。

 少し照れくさい。


 でも。

 嬉しかった。

 放課後。

 鞄を持つ。

 帰ろうとした時だった。

「一緒に帰らない?」


 声をかけられる。

 少しだけ驚く。

 前なら。


「いいよ。」

 そう言いながら、どこか遠慮していたと思う。


 でも今は。

 違う。

「うん。」

 笑って答えた。

 二人で歩き出す。


 夕日が街をオレンジ色に染めていた。

「そういえばさ。」

「ん?」

「事故のあとさ。」

 少し照れくさそうに笑う。


「ずっと目覚める気がしてたんだよね。」

「……ありがとう。」

 それしか言えなかった。

 帰り道。

 公園の前を通る。

 小さな兄妹が笑っていた。

 あの日と同じ景色。


 でも。

 自分は少し違っていた。

 立ち止まる。

 空を見上げる。


 草原はない。

 魔法もない。


 レンも。

 シアも。

 ユウも。

 アリアも。

 ここにはいない。


 それでも。

 胸の奥には、ちゃんといる。

 みんなと過ごした時間が。

 前へ進む勇気になっている。

 深く息を吸う。


 空が、少しだけ眩しかった。

「……夢みたいだ。」

そう呟くと、隣を歩く友達が笑った。


「また変なこと言ってる。」

「そうかな。」

「うん。」


二人で笑う。

夕日が、帰り道を優しく照らしていた。

前を向いて歩く。

今度は、この世界で。

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― 新着の感想 ―
1話の「夢みたいだ」から、5話の「夢みたいだ」まで、駆け抜けるような疾走感と、儚さを同時に感じた作品でした。 でも、これでよかったんだと思います。 素敵な作品をありがとうございました。
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