微睡のひと時
無残にも消し飛ばされた豪奢で重厚な玄関の扉。
そんな扉が消し飛ぶ様に恐怖しながらも、メイドたちは一様に頭を下げてそんな破壊を齎した暴君を待つ。
唯一人を除いて…
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『私の素敵な御主人様がお戻りになった!』
そう歓喜に身を震わせるのは、屋敷の暴君たるフレデリカでさえ、変態と警戒するメイド、エロイーズである。
傷心気味だった頃や暫く屋敷に帰って来なかった日々が続き、戻って来ても、一級魔導士試験に備え、勉学に勤しみ、嘗ての様な横暴さやお仕置きに時間を割く暇も無く、メイドたちを虐める時間が減ったフレデリカ。
そんな彼女に屋敷のメイドたちは歓喜していたが、エロイーズは対象的に、絶望と悲しみから、ゲッソリとしていた。
しかし、今し方帰宅したフレデリカの不機嫌具合と放たれる魔力に伴う威圧感。
誰かが被害者となるのは確定である彼女の醸し出すオーラに、頭を垂れ、主を迎えるエロイーズの顔は、誰からも見えないことという状況で堪えることは出来ず、欲望剥き出しの恍惚な表情で笑みを浮かべていたのだった。
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ネットリとした吐息と嬌声を小さく漏らしながら、恍惚とした表情を浮かべながら四つん這いで廊下を進むエロイーズ。
そんなメイドの背にフレデリカは不機嫌そうに脚を組んで座っている。
「座り心地が最悪だわ!!それにキモイ!!最低の豚ね!!」
フレデリカがそう怒鳴り、鞭を振るうと、
「ありがとうございますっ!!」
エロイーズが歓喜の声を上げる。
メヌエール邸で日に数回は見られる恒例行事。メヌエール邸の日常の1つであるのだが、そんなことを知らない客人たちはドン引きしていた。
知っているジェルマンとエミールは頭を抱えていた。
そして、一級魔導士たちは思うのであった。『噂に聞くフレデリカという少女は、かなりアレな性格だけど…噂以上である。』
と。
このことがフレデリカの試験結果に影響するのか、それとも影響は無いのか、それを知るのは、皆がフレデリカに注目している最中、現在喉に食べ物を詰まらせ、死の淵にいるのに、誰にも気付いてもらえずに、藻掻き苦しんでいる一級魔導士、最終試験担当のアダン・デュドネだけである。
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チチチチチ、という鳥たちの鳴き声と風に揺られた木々のざわめき。
そんな長閑な森の中、大樹に背を預け、穏やかな寝息をたてていたヒルメはゆっくりとその穏やかな垂れ目を開く。
「戻って来ましたね〜。」
眠気眼でそうのんびりと言うと、1つ大きな欠伸をする。
「さて、目一杯褒めてあげましょう~。」
啜り泣く少女の声と、それを厳しくも優しく叱咤激励する少女の声を遠くに聞き、そう微笑みながら彼女たちを迎えるべく、ゆっくりと立ち上がった。
「先生!いっぱい採れましたよ!!」
そう言ってサッポーは、籠いっぱいに採れた薬草を見せる。
「…はい、全部完璧ですね~。流石サッポーちゃんです~。」
薬草の山を手際良く選別した後、そう言って、良い子良い子とサッポーを優しく撫でるヒルメ。彼女から撫でられ、心底嬉しそうに目を瞑るサッポー。
そんなサッポーとは対照的に、籠は空っぽで泣きじゃくるアイアにヒルメは目を向ける。
「アイア、何で泣くんですか~?」
膝を曲げ、頭を撫でながら優しくアイアに問うヒルメ。
「変なのが邪魔するから採れなかったー!!」
予想外の答えを、グスグスと涙声で言うアイアに首を傾げるヒルメ。
「変なのですか…?それはなんでしょう?」
おっとりとした雰囲気が消え去り、一瞬で『最果て』へと至った魔法使い、桁外れの研鑽と経験を重ねた者であると分かる様な、それだけで周囲を圧倒する様な戦闘態勢をとった。
警戒はしていた。狸寝入りをしていたが、警戒は怠っていない。
可愛い弟子と教え子を不用意に危険に晒す気は一切無いのだから。
しかし、アイアの言った言葉、『変なのに邪魔された。』
その言葉が、ヒルメに完全な戦闘意志を持たせるのは十分であった。
アイアとサッポーに『薬草採りのお遣い』をさせた森は、二人とも幾度も訪れ、その場所の生態も、地形も、完璧に把握しているし、何より、ヒルメ自身が結界を張り、何人も寄せ付けない鉄壁の防御を敷いている。
そんな森に、アイアの知らない何かが現れ、邪魔をしたということは、ヒルメの結界をすり抜け、尚且、ヒルメの警戒と探知さえもすり抜けているということだ。
故に、ヒルメの戦闘態勢は当然のものであり、実際の戦闘となれば、完全に不意を突かれた、後手に回る不利なものであった。
左手に鞘を握り、右手で柄を掴んだまま、尋常ではない殺気で構えるヒルメに、戸惑う少女二人。
風も、鳥たちの鳴き声も止まり、静寂だけがその場を支配していた。
一瞬とも、恐ろしく長い時間とも思える時間の末、ヒルメの右腕が閃光の如き速さで動いた。
アイアの背後から飛び出したそれを一刀両断した。
した筈だった。
「鴉?」
ヒルメの一閃を軽々と受け止める生物に、サッポーが目を開く。
まるで大樹の枝に止まる様に、ヒルメの放った白刃に止まる漆黒の鴉がいた。
カーッ!!と鴉は一度大きく鳴き、呆気にとられたヒルメの足元に何かを落とし、ヒルメの額を軽く小突いて飛び去っていく。
「アイア…変なのとは、あの鴉ですか?」
普段のまったりとした話し方とは異なり、淡々と問う。
「…ぅ、うん…そうだよ、師匠…」
大好きな優しい師匠が別人の様になり、アイアは戸惑いながらもそう答える。
「そう…ですか…」
そんな回答に、感情の読み取れない、怒りとも、困惑とも、嘆きとも、歓喜ともとれる溜息混じりにヒルメは言う。
「暫く留守にしますが、いい子にして待っていて下さいね~。」
殺気も、緊張感も消え去り、いつものおっとりとした雰囲気で二人の少女に向けて微笑んで言うヒルメ。
その言葉に黙って何度も頷く二人を見て、更に優しく微笑み、二人の前からヒルメは、一瞬で姿を消した。




