0.再定義【挿絵挿入済】
◇
0.再定義
◇
目が、覚める。
見覚えのある部屋。
どうやらソファーの上にいるらしい。
背後の窓から差し込む陽光に、少しばかりのまぶしさを感じる。
薄手のカーテンからきらりと光が飛び込んできて、思わず目を細める。
部屋の向こう、奥にある台所からトントンと何かを包丁で切る音、ジュージューと何かを焼く音が聞こえてくる。
ソファーから身体を持ち上げて完全に起き上がり、床に素足をつけて立ち上がる。
そうして歩き出そうとした矢先……。
───ゴンッ。
私は近くのテーブルに強く足をぶつけてしまった。痺れが広がるほどの強さ。
情けない声を上げそうになるのを耐え、思わず天井を見上げて痛みに耐える。じんじんと痛みを訴える足をひたすらに無視する。
「あれ、起きたんですか?」
台所の間仕切りの向こうからひょいっと、エプロン姿の女の子が顔をのぞかせた。
「なんか変な音しましたけど……大丈夫ですか?」
「ああ、いや……。うん、大丈夫だよ。気にしないで」
なんでもないと取り繕って、テーブルの椅子に腰を下ろす。
しびれる足が「痛いよー」なんて悲鳴を上げているが気にしない。
「それにしても早起きだね。ちゃんと寝たの?」
「寝ましたよ。そりゃもうぐっすりと。でもなんかわくわくして起きちゃって」
「そっか。まあちゃんと寝れてるならいいけど」
椅子の背もたれに身体を預けてぐぐぐーっと大きく伸びをする。
変に力を入れすぎて、ぶつけたばかりの足が攣りそうになった。慌てて伸びをやめて、足の攣る気配が消えるのをじっと待つ。
台所の彼女はまた、食事の調理に戻ったようだった。
「まあ、いつも通りで。無理しなくていいよ」
「無理しなくていいけど……それはそれとして成果は出してほしいんですよね?」
「欲張りかな」
「はい。二律背反です。無理をしないと成果は出ないんですから」
◇
───ファントム。
それは心の内に誰もが有する異形。精神の双子。
オーセンティック、アストロゲノム、パイプファクター、クルーゲンアブロッサム。
「プライドが人を作り、プライドが人を殺す」と彼のものたちは言う。
私はそうは考えない。
なぜならば───。
なぜならば、私は知っている。
なにが彼らを生み出し、そして死に至らしめたのかを。
『バルキュリア機関』。
それは奇々怪々連なる様々な「異なるもの」が集う場所である。
【収集せよ、収集せよ、収集せよ、収集せよ。我らが栄華のために。】
日本、東北地方。バルキュリア機関と呼ばれる組織、構造体、その一大都市はそこに存在している。
その仰々しい集合体の頂点に立つもの。「ウィル」。
名付けるは……偉大なる次元の開拓者である。
■
グレゴリ・オーツミルク?
グレゴリ・スキムミルク?
いえそれはきっとただのグレゴリ。
私は可能性が好き。
可能性にあふれているものが好き。
私は私自身が嫌い。
私は可能性を失ってしまったから。
不完全なのに。
不完全なままに。
■
夜明け前。私は使い古されたボロい校舎の窓から外に出た。
軽やかに地面に着地して、タイツの膝についた砂埃を払い落とす。
カララっと窓の閉まる音が静かに鳴る。
───ここもハズレ。
冷えた風が頬を撫でるのを感じながら、赤ペンで手元の折りたたんだ地図にしるしを付ける。
今日確認できたマークポイントはこれで全部。
そのすべてにバツのしるしがついた。
「まったくさあ。夜は寝るもんだってのに。また授業をさぼる気かい?」
太もものガンホルダー。
そこに仕舞われた一丁の拳銃からハスキーな男の声がする。いけ好かなさを感じるが、とくに嫌いでもない声。
こいつは私のファントムじゃない。
「黙ってろビリー。実弾をねじ込まれたいのか」
「おーい、やめてくれよそのあだ名。ビリーじゃねえって。偉大なるネシガード様と呼びな」
「…………」
「ちょ、ちょい待ち。待て待て、ゆーいか! オレが悪かった!」
年代物のリボルバーがよく吠える。
腰のポーチから9ミリ弾薬を取り出してシリンダーにあてがってやれば、そのリボルバーは震えた声で詫びを入れた。
ふん、口ほどにもない。
風村結華。
それが私の名前。
県立藤森高校に通う1年生で、ちょっと欠席は多いけど「超」がつくほどの優等生。期末試験の点数は学年全体で下から数えたほうが早かったけど「超」がつくほどの優等生だ。
そんなパーフェクトな私が一体、こんな古臭い小学校で何をしていたのかといえば。
「ここのも違った」
ファントム探し。
それは死せる人間のはぐれ者。天国に帰れなかった者。
この世界には往々にしてそういうファントムが存在している。
主たる肉体としての死を迎えてなお、帰る魂についていけなかった存在。だから「はぐれ者」。
目指すべき光を見失ってしまった───数えればきりがない彼らの中から、私はただ1つだけを探して、探して、探して、探し回っている。
「気を取り直していこーぜ、相棒。とりあえず今日は帰ろうじゃないの」
「……この調子で本当に見つかるのかな」
「深いことは寝てから考えようぜ! な!」
「…………」
しまった、と私は口元に手をあてがう。
少しだけ気が緩んで、弱音と取られかねない言葉を口にしてしまった。
気を取り直す。「ふん」と鼻を鳴らしてポーチから錠剤ケースを取り出し、一錠のカプセルを手のひらに転がす。
アンプトープ錠。紅白色のそれは「ほつれた精神構造の修復を早める」薬だった。
口に放り込んでかみ砕く。なんとも言えずほろ苦い味が口内に広がっていく。
顔をしかめながら錠剤ケースをポーチにしまう瞬間、そのポーチの隙間から、ほのかに青い光を放つ試験管がちらりと見えた。
私は目をつむる。
「しょうがない、帰ろうビリー」
「だからビリーじゃねえって」
私は知らなくてはならない、自分がいったい何者なのかを。
そのためにも必ず探さなくてはならないのだ。私の失ってしまったファントムを。
そうすればきっと、すべての記憶を取り戻せるはずなのだから。
◇
日本、東北地方、沿岸部。
グラン・ヴェーヌス。
それはバルキュリア機関の都市中心部に位置する塔の名称である。
全高はそれほどあるわけではないが、それでも都市全体を見渡すのには余裕がある高さ。
その一室に一人。淡い黄金色の髪をした、少女然とした女性が椅子に座っている。
存在?→◇◇◇エイリー・ベラシフォワース。
バルキュリア機関の「ウィル」。機関の創立者にして、すべてを司る者。
「世はすべて、こともなし───」
その白い部屋には何も、ほとんど物が置かれていない。
ここで生活しているわけではないのか、暮らしているわけではないのか。
部屋にあるのは中心に木製のテーブルと一対の椅子。そのテーブルの上には金細工の砂時計───それも丁寧に分解された砂時計が置かれていた。
主はここに存在せり。
天を覆う星、この銀河、その原点。
彼方にちらつく原初の光はいまだ遠く、おそらくこの次元では届くことはあり得ない。
決してたどり着くことのないその温もり。原初の愛。だが……たしかに繋がっている。とっかかりは目に見える場所に、手を伸ばせば届くところにある。
「縁起は巡り、実を結ぶ」
なればこそ、彼女はここにいる。
すべてを結実させるため、すべてを完成へと導くために。
土台はここにある。ここに至った時点で運命は定まったようなものだ。
彼女は閉じていた眼を開く。ドアの向こうに人の気配を感じ取り、手元に一冊の本を出現させる。エーテルが収束して白い表紙の本を象った。
「ウィルー。いるのー?」
ノックも呼び声もなくガチャリと、手前勝手にドアが開かれる。
鍵はついてないのかと問われれば……そのドアに鍵などはなく、また備え付ける必要もなかった。
ドアを開けたのは赤髪の少女。
黒いドレスに身を包んだその少女は、椅子に座る少女を視界に捉えて「にやり」と不敵な笑みを浮かべる。とはいえその笑みから悪感情などは感じられない。
「ふふん。なーにしてるのかしら?」
「なにもしてませんよ、ヤウダ。本を読んでいた以外は」
「なにかしてるじゃない。何の本?」
「『最強の奇術師とお馬鹿なペットの冒険』。ふむ、小説ですね」
「……アナタ、そんな奇抜な本も読むのね」
「意外でしたか?」
「意外以外の言葉が出ないわよ」
少女はエイリーの対面の椅子に腰を下ろす。
そこ以外に座る場所などなく、その椅子自体、彼女のために用意されたものといっても過言ではなかった。
ヤウダ・レーヴァ。当然ながら知らぬ仲ではなく、彼女はバルキュリア機関の「トップサークル」に名を連ねている御令嬢である。
魔法に秀でた才覚を有しており、中でも「炎」に関係する分野に突出している。知らぬ仲ではない、とは言ったものの、仲がよかったかと言われたら微妙である。
そのあたりは彼女本人に好感度を確認してみたほうがいいかもしれない。
「今日は……用事があったでしょうか?」
「なによ。会いに来るのに用が必要なの?」
「必要では?」
「必要じゃないこともあるのよ。私とアナタみたいな親しい仲にはね」
「なるほど」
それを聞いたエイリーは立ち上がり、今しがた座っていた椅子を持ち上げると、それを対面のヤウダのすぐ隣に移動させた。
「……え?」
「親しい仲ならこのくらいの距離じゃないと。そうですよね?」
ほぼゼロ距離。肌と肌が触れ合っている。
魔術で紅茶セットを造り出そうとしていたヤウダは、ろくろを回すようなポーズをしたままカチコチに固まってしまった。
「ヤウダ?」
ぽかんとした表情のまま微動だにしなくなった彼女を前に、エイリーはずいっと顔を近づけてその頬を指でつつく。エイリーの指先にぷにぷにとした感触が伝わってくる。
なにか、変なことをしてしまっただろうか? 石のようだけど、でもとてもやわらかい。
「……はっ。ち、近いわよ! 離れなさい!」
「なんで。こういうものだと教わっていますよ。親しい仲、親しい仲」
「んんなっ! どこ触ってんの!?」
さすりさすり。
ヤウダのドレススカートの上から、その太ももに手を置いて撫でるエイリー。
その瞬間、ヤウダは椅子から飛び上がって勢いよく距離をとった。その顔は「茹で上がった」なんて表現が的確なほど紅潮している。
「いったい誰に教わったのよ! おかしいから!」
「おかしい……? おかしくないです」
「お、か、し、い、わ、よ!!!」
次いで立ち上がったエイリーがずいずいとヤウダに近寄る。
胸元を両腕で抱えるようにしながら、部屋の端から端へと小走りで逃げ回るヤウダ。そんな彼女を少しだけ愉快そうに見つめながらエイリーは追いかける。
両手をわきわきさせながら。
「ウィル! 落ち着きなさい! アナタともあろう者が───」
「わかりました。落ち着きましょう」
しばらくそんなことを続けたところで、ヤウダは部屋の端でエイリーに人差し指をびしりと突き付けた。
───人差し指にエーテルが収束している。
それを認識したエイリーはぴたりと動きを止め、「ふう」と息を吐いてテーブルのほうへスタスタと歩いていく。
その切り替えはあまりにも呆気なく、彼女はそうして静かに椅子に座り込んだ。
「それで。本当のところ、用事があるのでしょう?」
「アナタの情緒、ほんとうにどうなってるのよ……」
お互いに一息ついた様子の二人。
その内心の具合はかなり正反対かもしれないが、状況はリセットされたとみるべきだろう。
まだ赤みの残る顔に呆れた表情を浮かべながら。ヤウダも同じく椅子に座りなおす───当然、椅子は少しだけ離した。
「まったく……。ちょっと待ちなさい。紅茶を出すから」
「それは必要ですか?」
「必要よ。私の気分のためにね」
バルキュリア機関、基礎魔法理学研究院。ヤウダ・レーヴァはその院長を務めている。
少女が院長? ああ、気にしなくて構わない。
あらかじめ言っておくと、彼女の実年齢を知る者は誰もいない。外見年齢は十五歳ほどだが、身辺調査などによれば彼女の目撃談はおよそ七十年前までさかのぼる。
もちろん他人の空似という可能性もゼロではない。
だが少なくとも五十年前にはすでに生を受けていたことは確実である。彼女を知る不死性をもったある人物によって、それが確かであることが証明されている。
「さて……なにから話そうかしら」
先ほどまで砂時計しかなかったテーブルの上。そこにはティーカップ、ソーサー、ティーポット、シュガーポットなど。まさしく「紅茶セット」というにふさわしい物品がそろっている。
そしてそれらのティーカップにはすでに、ほどよく湯気の立つ紅茶が注がれていた。
「そんなに話すことがあるのですか」
「そうね……。アナタ、ムアーメイル家を知ってる? イギリスの旧家なんだけど」
「ええ……。知っています。……古くは1600年代の貴族から続く魔術魔法界の名家。最近ではあっちの魔法学術院に出資も行っていましたね?」
「そうそう。それそれ」
ヤウダはそこまで言ってため息を一つ。
「あそこの魔法使い、禁忌の研究者。レアグリム・ムアーメイルが来訪するわ。一週間後ね」
ヤウダの発言を精査する。羅列を補完しながら記録領域における適合を確認する。
レアグリム・ムアーメイル。
問題児と名高い、ムアーメイル家の次男坊。禁忌とされる「反転魔法」を研究する者。
レアグリムの反転魔法→事象を反転させる魔法仮説。黒を白へ。白を黒へ。すべてのカラスが黒いことを証明する。すべてのカラスが白いことを定義する。
現実領域の改変を行う最高階位魔法の仮説。
彼が「反転魔法」を完成させるために立証しなければならない仮説は、「ヘンペルのカラス」に基づくものである。
「それがなにか?」
「表向きの理由は単なる視察。けどあれ、たぶん落星の儀をやろうとしてるわよ。ここで」
なるほど。そういう話だったか。
……そういう話だっただろうか?
エイリーはしずかにゆっくりと視線を落とし、自分のティーカップに口を付ける。アールグレイのさわやかな柑橘系の香り。
悪くはない、好き寄りのフレーバー。
その様子を眺めていたヤウダは、むっと眉間にしわを寄せて怪訝そうな表情をする。
その、あまりにもなにもないエイリーの態度に。
「ちょっと。なんかないの?」
「愉快なことではありませんか。賑やかになりそうですね」
「アナタねえ……。まあ知ってるけど! 絶対そう言うと思ってたから!」
むすっとしながら突っ込んでみたものの、エイリーから返ってきたのはほぼ予想通りの言葉であった。
言ってしまえば「話にならない」。
彼女は自分に直接的に関わること以外に対し、ほとんど無関心な対応を貫いている。
それは彼女と関わり始めてここ数年のヤウダもよく理解していた。
ことの成り行きを見守るスタンス。ただの傍観者。
「自分は関係ない」の究極系なのだろうか。あるいはそれでも何か考えていることがあるのか。
「バルキュリア機関の創立者たる人物がこんな体たらくで大丈夫なのか?」なんてことは脳裏にこびりつくぐらいには考えてきた。
だが、それでも機関は回っている。
それ以上にヤウダから見えることはなにも無かった。
「ここでなにが起ころうと、それはすべて運命です。そして───私がそれに干渉することはありません……たぶん?」
にっこりと微笑んだ表情で。
決まり文句、決め台詞のようにヤウダに言い放ったその言葉の最後で、エイリーは可愛らしく「こてん」と小首をかしげた。
「……たぶんって何よ。たぶんって」
「たぶんはたぶんですよ。私は天眼通を持っていないので。もしかしたら関わることだってあるかもしれませんよね?」
「なによそれ。しまらないわね」
「ふふ」
他にも言いたいこと、伝えたいことがあったのだが。
それさえもいつも通り。
エイリーのそんな様子を見て「言ってもムダだな」と察したヤウダは、話を週末のお出かけ事情に切り替える。
エイリーとヤウダの週末お出かけデートは、数か月前からの彼女たちの日課となっていた。
ヤウダは提案する。
「そういう小説とかも読むなら、本屋とかも良いかしら」と。彼女の視線の先にあったのはあの白い表紙の本。
そう提案されたエイリーは傍らに置いていた本を手に取って、ゆっくりとそれを開いた。
白いページ、白いページ。
なにも書かれていないページだけがエイリーの目に映っている。
「それ、面白いの?」
「ええ、面白いですよ」
ヤウダからは見えない位置で、白いページに勢いよく文字が這い始める。
最初は文章にすらならないただの羅列。
一列ずつ一列ずつ。
ずらり並んだそれらは文字が這って進んで行くごとに、組み換えと校正を行いながら次第に一つの物語を書き刻んでいく。
その工程のすべてにエイリーは塵ほども関わっていない。
「ちょっとそれ見せてよ」
「ええ、はい。どうぞ」
「ふーん? こんなタイトルだけど、中身は意外と硬派だったりするのかしら?」
さて、どうなのだろうか?
ヤウダへと手渡されたその白い本。
エイリーはその中身をほとんど知らない。誰かが、なにかが、たったいま書き上げたばかりのそれは、ヤウダがその第一試読者となった。
タイトルは『最強の奇術師とお馬鹿なペットの冒険』。
なんだかタイトルからある程度想像がついてしまいそうではあるが、中身の如何ほどは知る由もない。
「ふんふん……。へー……」
瞳孔を上下に動かしながらペラリペラリとページをめくるヤウダ。
そんな彼女の様子を、エイリーはいま一度じっくりと観察してみる。これも必要な情報だろうか? いや、これは単なる興味でしかないのだろう。
幼さの残る顔立ちに、ちょっとだけ大人びた切れ長の目。ベリーレッドの赤髪に色白の肌。
黒いドレスはフリルを多用していながら、スカート部分は軽く動きやすい作りとなっているようだ。
さっき触ったから知っている。
なるほど。
なるほど。
理解した。
とどのつまりはこれが私の───。
◇
1.再認識
◇
「はい。じゃあ次の時間は校庭に集合すること! 女子はここ、男子は多目的教室で着替えるように!」
一番気楽な、国語の授業の時間が終わってしまった。
……いや、一番は道徳の時間だろうか。
担任の金森先生はそれだけ伝えると、国語の教材を持って教室を出て行ってしまう。
「うぁ……」
憂鬱だ。
どうして体育なんて授業が存在しているのだろう。
体育。普通の体育の授業ならまだマシだったかもしれない。
私は黒板横の今日の時間割をちらりと確認する。
【4時間目・体育(使役訓練)】
「体育」の横に書いてある四文字。そこには見間違いようもなく、たしかに「使役訓練」と書かれている。
「───よし! じゃあ出席番号順に整列ー! 風村は練習用ファントムを取りにこーい!」
そうして始まってしまった体育の時間。
校庭から見上げた空はいい天気だけれど、薄っすらと雲がかかっていて暑くはない。
そこそこの涼しさを感じる。不幸中の幸いだった。
呼ばれるがままに先生のところへ行くと、先生から金属製のシリンダーのようなものを手渡される。
いつも使っている、いつもお世話になっている練習用ファントムだった。
「それじゃ各自、ファントムを呼び出して準備運動! 終わったやつからランニング5周だぞ! それが終わったら班に分かれて訓練な!」
なにがいつもお世話になっている、だ。
くそ。
自分で自分に悪態を吐きながら、私はクラスメイトたちに混ざってファントムを召喚する。
「我らは共命する───」
渡されたシリンダーにエーテルを送りながら、決められた呪文を唱える。
───でんっ。
そうしてしかる後に目の前に現れたのは、ダビデ系男性体型の白い人型ファントム。
白い人型。白い人。
なんの特徴もない、顔もない、髪もない、ただの筋肉質な白い人型。……これが私に与えられた「練習用ファントム」だった。
もう何度見たかもわからないそれを、頭から足先まで眺めた後、翻って周囲のクラスメイトへと目を向ける。
宙を泳ぐカラフルで大きな金魚だったり、クジャクのような鳥だったり、チェシャ猫のような大きな猫だったり……。
中にはちゃんとした、こんなのっぺら坊じゃない人型のファントムを召喚している奴もいる。
ファントムの姿形は人それぞれ。
「精神の双子」なんて呼ばれ方をすることもあるけれど、それは単に本人の性質がある程度混じっているというだけのもの。
魔法でも魔術でもない。
それ自体が独立した一つの「異能」。召喚魔法で呼び出す召喚獣とも性質が異なる。
兎にも角にも準備運動を終わらせて、ちゃっちゃとランニングも済ませてしまおう。
眺めていたって、どこからかファントムが生えてくるわけでもない。
ランニング終わらないと使役訓練できないし。
そうしてうんしょと準備運動を始めたところに近付いてくる複数の人影。
「あ〜ら、風村さん。今日もそんな借り物で授業を受けますの? 見学したほうがよろしいのではなくて?」
───うっっっざ。
それに気付いた時点で「ああ、こいつか」と無視をしようと決め込んでいたが、さすがに真横に立たれては反応しないわけにもいかない。
「タスティムさん、近いんだけど。腕当たって殴っちゃいそう」
「その貧相な腕で殴られても痛くも痒くもありませんわね。ご自分の心配をするべきでは?」
「…………」
アシリー・エルド・タスティム。
イギリスの魔術魔法界における名家、十二氏族に数えられるタスティム家の御令嬢。
こんな極東の島国まで留学に来たという、これまた数奇な変わり者だ。
とはいえ、ここバルキュリア機関における外国人比率は全体の約四十パーセントを占めている。
その点においては彼女のような異国人がいるのは不思議でも何でもないだろう。
それが名家の御令嬢だというなら話は別だが。
「あら、無視?」
「距離取ったんだから付いてこないで。話したくないの」
「あなたに配慮する必要がありませんわね」
無視されてるってわかったなら話しかけないでほしいんだけど。
こいつに絡まれるようになって早数ヶ月。最初こそ丁寧に対応したりしていたけれど、もうまともに相手なんかしていない。
だって嫌味しか言ってこないし。
私はアシリーの後ろに侍る二人のメイドに目を向ける。そしてアシリーの隣に立っている、武装ドレスに身を包んだ一体の人型にも。
青い髪の綺麗な女の子。
これがこいつのファントムだ。ほとんど人間そっくりな外見をしており、服を変えようものなら人間と区別がつかないだろう。
控えめに言って「羨ましい」。
一目見ただけでわかる。完成度というべきか、組成がかなり質の高いファントム。それも人型。
日本には「天は二物を与えず」ということわざがある。
なにがだ。バカタレが。
天は人間を選り好みしている。贔屓した一人の人間に一つも二つも三つも四つも与えてしまう。
───なんて疎ましい。
ああ、そんなことを考えてしまう自分さえも嫌いになりそうだ。
無視、無視。私は練習用ファントムに指示を出し、校庭のランニングコースへと走り出した。
準備運動はもう十分だった。
「追従」の指示を受けたファントムが後ろから付いてきている。
さて、ファントムは顕現させることで、その主人に恩恵を与えてくれることが分かっている。
主に身体能力向上、魔法魔術技能向上、エーテルストックなど。中には特殊な固有能力を持っているようなものもいる。
この練習用ファントムは身体能力を高めてくれる。
模造品ゆえにその効果はかなり控えめだが。それでも通常時の一割増程度の効果は得られるはずだ。
「───おっそいですわねぇ。散歩でもしてるのかしら?」
ううっっっっっぜえぇー!!!
あーうざいうざいうざいうざいうざい!!!
頭に上りかけていた血が全身に回るようになり、少し冷えた頭で考え事を。
そうすることで冷静さを取り戻そうとしていた矢先。
背後から勢いよく近づいてきた足音が並んだかと思えば、真横からそんな声が飛んでてくる。
「……早く追い抜いていきなよ。目障り」
「それを決めるのは私ですわね。ねぇ、影なしさん?」
「……っ」
無意識にエーテルを左拳に込めていた。
衝動的に、横にいたそいつに向かって拳を振り抜く。
「おっと」
風を切り、バチンと電気的な放出を伴なって。
勢いのままに放った何のひねりもないストレートパンチが空を裂く。
ズンと。踏み込んだ右足の地面が割れる程度の衝撃はあったはずだが、こいつはそれを容易に受け止めた。
「危ないですわね」
「うるっさいんだよ!」
───炎煥を放つ!
念いは即現実とならん。無詠唱魔法により右手にエーテルを収束させる。
一瞬にして凝集したエーテルが光球を成し、目がくらむほどの閃光を放つ。
狙うは顔面。
一切の構えなく次の瞬間、エーテルを蓄えたその光から太い熱線がほとばしった。
放たれるまでほんの一秒ほど。
一秒後には熱と爆風が吹き荒れ、至近距離での放射により視界が光で埋め尽くされる。
……ちっ。
距離を取ったあとで、すぐに舌打ちが出た。
アシリーを正面に見据えていた視界に映るのは、彼女を守るように立っている青髪のファントム。
その後ろに立っているアシリーはというと、不敵な笑みでこっちを覗いている。
───防がれた。
あのクソ女めがけて放った熱線は、どうやらご自慢のファントムによって軽々と防がれてしまったらしかった。
「───バカモンがぁーッ!!! そこで何やってる!!!」
不意に騒々しい声。
ポニーテールを揺らしながら、遠くからジャージ姿の先生が走ってくるのが見える。
「怒られるのはあなただけでしてよ? 私、なーんにもしてませんもの」
「お前、きらい」
「あらあら。私は好きでしてよ。それじゃあね〜」
やけに品のある笑い声と。軽やかな足取りで速度を上げて、ムカつく笑みで離れていくアシリー。
背後から近付いてくる先生の気配を察知しながら、私は苦虫を噛み潰したような顔でそれを見つめていた。
───夕暮れ時。
帰りのホームルームは一時間前に終わり、下校時間はとうに過ぎている。
窓の向こうから聞こえてくるカラスの鳴く声。
空をオレンジ色に染め上げる眩しい夕陽が、ゆっくりと雲に隠れる様子を眺めている。
彼女が座る机の上には一枚の原稿用紙。タイトル部分には「反省文」とだけ書かれてある。
ちなみに座っているのは彼女の席ではなく、他人の席。「窓側が良いから」と勝手に席を拝借しているだけだった。
まあどうせ、もう本人は下校しているから関係ないだろう。
「よう。なにやってるんだ?」
そうして正しく黄昏ていたところへ。
教室の後ろ側のドアが開いた音がして、そんな軽い声が聞こえてきた。
背もたれに腕を置いて振り返れば男子生徒が一人。
黒髪に黒ぶち眼鏡をかけた、これといって何の特徴もないような男子生徒。
「……喬也。見れば分かるでしょ、反省文だよ」
「反省文? おいおい今日はまた、どこの誰とケンカしたんだ」
「ケンカじゃない。ウザいやつをあしらっただけ」
「結華、かなり実力行使だからなあ。あんまり信用できないね」
「殴るよ」
「ほら」
綾坂喬也。
私と同じ高校一年生の私の友達……のようなもの。
おそらく。
こいつとの関係性は、考えてみてもいまいち不明瞭だった。友達とはっきり呼んでいいのかが分からない。
近づいてきた喬也は机の横に立ち、まだ三分の二以上が空白の書きかけの原稿用紙を手に取った。
面白いことなんて何も書いてないのに。
彼はそれに目を通しながら、口元に笑みを浮かべる。
「ふんふん。これ、相手は?」
「アシリー」
「ああ。それはそれは……ならしょうがないな。殴ったのかい?」
「防がれたけどね」
「そりゃ残念だなあ。やっぱり格闘力を鍛えるべきだよ、うん。うちの鍛錬倶楽部にくる?」
「いかない。行くわけない」
至極残念そうな表情で喬也は肩をすくめた。
むさ苦しく汗臭い鍛錬なんてごめんである。そんなものに頼らないために魔法や魔術が存在しているのだ。
魔法を使った格闘における肉体鍛錬の意味など「身体の動かし方を最適化する」以外にない。……まあ、それが無意味だとは言わないけど。
「けどあいつ。アシリーはなんかやってるらしいぜ。鍛錬みたいなの」
「ならなおさらやらない。むかつくから」
「そうなるか」
あのクソ女がやっているというのなら、その後追いなんてするわけがない。
「……ねえ、反省文つくってよ。魔術でちょちょっとさ」
「何を言い出すかと思えば。だめだぞ、ちゃんと書かないと」
良いことを思いついたと喬也にそうお願いしてみるけれど、即答で断られてしまった。
まあ……さすがにバレてしまうだろうか。
先生だって馬鹿じゃない。物質強度の違いなんてすこし確認すればわかってしまうことだ。
───魔術と魔法の違い。
「魔術は物質を形作るもの」、「魔法は物質を形作らないもの」。
大別するとそんな感じになるだろう。魔術で構築したものはエーテルを内包しているけど、魔法で構築したものはエーテルを内包しない。
単純な話、同じようにリンゴを造ったとしても、エーテルを供給しないかぎり魔法で造ったものはいずれ消えてしまう。
もっとも魔法でリンゴを造るなんて馬鹿げたことをする人間はいないだろうが。
あまりにも無駄なことだ。
魔術はエーテルを「固定化する」ことに特化しており、魔法はエーテルを「作用させる」ことに特化している。
私はいいかげん黄昏るのをやめてシャープペンを手に取る。
カチカチと芯の先を出す。
喬也は何も言わず、私が座っている席の隣に腰を下ろした。どうやら私がこれを書き終えるまで残るつもりらしい。
こいつのそういうところは、べつに嫌いじゃない。
◇
2.コーヒーブレイク
◇
■
人間は悪性である。
悪性の塊を、善意という名の薄っぺらい表皮で覆った存在。
それが人間だと私は認識している。
だからこそ人間は斯様に蔓延った。太く繁栄するためには社会という名の相互監視システムが必要不可欠であった。
パノプティコン───実にいい響きだ。
「法律」という名のルール、「常識」の相互監視でもって相対する悪性を抑制し合う。
魔性の化け物が決して、その薄皮を破り捨てぬように。
■
「レモンはないのか?」
「生憎と、今は切らしております。ライムであればご用意できますが」
「もらおう」
深夜、東京都、新宿区歌舞伎町。
色めき立つ繁華街の隅にある、寂れたバーのカウンターに二つの人影があった。
「どうしたのさ、ため息なんかついちゃって。らしくないよー?」
「貴様と話すのは疲れる。出来るなら会いたくなかったものだが」
「ちょっと? まだ一言しか会話してないでしょー!」
「騒ぐな。うるさい」
コトリ。
カウンターに黒い小皿が置かれた。
そこから切れ目の入った三日月状のライムを手に取り、グラスへと果汁を絞り垂らすどこか中性的な人物。
暗緑色のスーツに身を包んだ彼。
その表情はどこか暗くて憂鬱そうであり、視線はぽたぽたと垂れ落ちる、今しがた手で潰したライムをじっと見つめている。
彼の容姿。
黒いメッシュラインが所々に入っているアッシュグレーの長髪を、後ろで一まとめにした髪型。
青い瞳が薄っすらとおぼろげな光を放っている。
「話くらいは聞くよー? 聞くだけだけどね?」
その右横の席に座る、これまた中性的な顔立ちな人物。
「……私を推し量ろうとしている者がいる。推し量る……いや、今回ばかりは先手を打たれた。もう干渉されてしまった」
「おや」
もう片方の人物は明るいブロンドの髪をしている。
ボーイッシュなショートヘアで金色の瞳。なかなか快活そうな印象を受ける人物である。
そのパーカーにショートパンツというラフな格好は、横に座っているスーツ姿とはエラく対照的だ。
「君にしてはずいぶんと弱気じゃないか、サンタマリノス。もう手は打ったんだろう?」
「手を打つ? ハッ。……それができたら苦労はしない」
「おいおい……。勘弁してよ!」
───私は「存在の価値」を知る者。
宇宙より生まれ、壱より分かたれた「青色」をこの身に宿す者。
存在?→◇◇◇サンタマリノス。
私は知っている。私は観ている。事象の隙間。私は貴様の居場所を知っている。
あまりにも、あまりにも度し難いことだが理解している。これはそうならざるを得なかった、世界を包み込む潮流の余波であると理解している。
そこには余人の策謀さえも介在しない。
ならば意志は問わぬ。
意味さえもないがしろでよい。
今ひとたびは道化として、川面を揺蕩う落ち葉のごとき存在に成り果ててやろう。
それが「必要」であるというのなら。




