3.婚約の破棄は、こちらから
ここまでくれば、もうお分かりだろう。そうつまり、どうせ両者の婚約者同士が浮気しているのだから、そちらはそちらで仲良くしてもらい、こちらはこちらで婚約を結び直そうという話に落ち着いたのだ。
この話の大事な部分は、真実を知った陛下が孫のために普段よりも迅速に、かつ内密にことを進めてくださったというところだろう。つまり浮気をしている本人たちもその家も、言い逃れできず婚約者の変更を受け入れるしかない状況に追い込まれてから、その事実を伝えられることになったのだ。そうなればもう、異を唱えることなどできるはずがないと分かりきったうえで。
(それを今さらどうにかしたいだなんて、もう遅いに決まっているでしょう)
一度だけでいいから直接会って謝りたいというから、せめてそのくらいならば機会を与えてもいいかと思ってしまったのが間違いだった。そもそも彼の口からは一度たりとも、私に対しての謝罪の言葉など出てこなかったのだから。
これ以上は時間の無駄とばかりに屋敷の奥へと歩き出した私に向かって、まだ何かを口にしていたようだけれど。声の雰囲気からして、おそらく屋敷の外へと排除されながらだったのだろう。なにを言っていたのかはもう聞く気もないので分からないが、私個人としてはお望み通り浮気相手と結婚できるようにしてあげたというのに、なぜそれを拒んでまで元婚約者が土下座してきているのだろうという思いしかない。
(浮気相手の侯爵家側は事の重大さを受け止め、素直に二人の婚約を認めていたというのに。往生際が悪いわね)
相手は格上なのだから、本人の努力次第では出世する道もないわけではない。とはいえ代々優秀な騎士を輩出している侯爵家に認められるには、相当な努力が必要なのだろうが。
けれど、彼自身がその道を選んだのだから仕方がない。それが嫌ならば、もっと婚約者である私を大切にして浮気などしなければよかったのだ。
(婚約者が格上で息苦しさを覚えていた、なんて。その程度の理由で意気投合して浮気していたのならば、最初からこちらもあちらも婚約は妥当ではなかったのよ)
家同士のつながりに、本人たちの意思は関係ない。それが貴族の婚約というものなのだから、事実を受け入れて二人で努力と協力をし続ければいいだけのことだ。そのために婚約期間を設け、信頼関係を築いていくのだから。
つまりそれができていなかった時点で、たとえ結婚したとしても結局はどこかで破綻していたということだろう。それならば婚約中に分かっただけ、まだありがたいと思うべきだ。
「お嬢様、本日も婚約者様からお手紙と花束が届いております」
「まぁ、本当にマメな方ね」
「花束はしおれてしまわないよう、すでにお部屋の花瓶に移しております」
「ありがとう。いただいたお手紙も、いつものテーブルの上でしょう?」
「はい」
そう、本来ならばこうして定期的に手紙のやり取りをするべきなのだ。だというのに、元婚約者は一度も私に花束どころか手紙の一通すら届けてはこなかった。そんな婚約関係で、うまくいくはずがない。
(とはいえ今度の婚約者様は、貴族の常識から考えてもかなりマメなのよね)
もしかしたらそのマメさや誠実さが、かえって侯爵令嬢に息苦しさを与えていたのか。あるいは相手のほうが自分を想ってくれているから何をしても許されると、変に誤解を与えて助長させてしまったのかもしれない。
(どちらにしても、もう私たちには関係のないことだけれど)
今の婚約者に、不満などあるはずがない。私たちは私たちで、新しい婚約関係を大切にして信頼関係の構築を進めていけばいいだけなのだから。
かなりあとになってから知ったことだが、結局浮気していた者同士の結婚生活はお世辞にもうまくいっているとは言い難いものだったようで、特に元侯爵令嬢のわがままや癇癪がひどすぎて手に負えなくなっていたそうだ。本当ならば今ごろ自分は公爵夫人になっていたはずなのにと、夫となった私の元婚約者に結婚当初からそれはそれはすごい剣幕で怒鳴り散らしていたらしい。
「自業自得だよ」
そう言って笑った彼の腕の中には、穏やかな表情で眠る息子の姿。
「私の妻は君だけだからね。あの日真実を教えてくれたことに、私は今でも感謝しているんだ」
「あら、それは私も同じですわ」
今のこの穏やかで幸せな日々は、きっとお互い元婚約者たちとでは得られなかっただろう。それを分かっているからこそ、なおさら毎日が愛おしいのだ。
もしもあの日、二人があの場所で密会していなければ。もしもあの時、彼が私の言葉を信じてくれていなければ。きっと今頃は、もっと違う悲惨な未来になっていたことだろう。それを回避できたことは、本当に何物にも代えがたい幸運だった。
二人で微笑み合ってから、息子の顔を覗きこむ。
婚約の破棄は、こちらから。そう決めて共犯者となった私たちは、今こうして夫婦となり親にまでなった。
きっとこの先もずっとこうして、毎日が過ぎていくのだろう。死がふたりを分かつ、その時まで。




