#5 偶然なんて嫌いだ
ここまで第5話まで読んでくださり、ありがとうございます。
今回の話から、物語は少しずつ次の章へ向かって動き始めます。
それでは、どうぞお楽しみください。
週末は、ただ過ぎていった。
何も変わらない。
土曜日。
日曜日。
朝。
昼。
夜。
全部、覚えておく必要のないまま流れていった。
そして、長く感じる間もなく-
月曜日が来た。
学校はいつも通りに進む。
朝。
校門。
廊下。
教室。
座る。
一時間目が始まる前に、清水先生が教室へ入ってきた。
「はい、授業を始める前に、いくつか連絡があります」
何人かの生徒が顔を上げる。
まだ本を開いているやつもいる。
ただ前をぼんやり見ているやつもいる。
俺はいつもの席に座っていた。
後ろ。
窓際。
視線は外へ向いている。
空は、いつも通りだった。
雲がゆっくり動いている。
特に見るものはない。
前から、清水先生の声が聞こえる。
予定のこと。
何かの提出物のこと。
学校からの連絡のこと。
一文ずつ。
入って、
消える。
わざわざ覚えておく必要のあるものはない。
重要なら、そのうちまた耳に入る。
大抵、そういうものだ。
授業が始まる。
一時間。
二時間。
次の授業。
何も変わらない。
チョークが動く。
ペンが走る。
教師が説明する。
生徒は聞く。あるいは、聞いているふりをする。
俺は席にいる。
それで十分だ。
昼休みのチャイムが鳴った。
教室の空気が、すぐに変わる。
椅子が動く。
鞄が開く。
話し声が、少しずつ大きくなる。
何人かは食堂へ向かう。
何人かは教室に残って、弁当を開く。
それぞれの机で、小さな集まりができていく。
俺は動かない。
食堂にも行かない。
弁当も出さない。
腹は減っていない。
いや、正確には-
食べる必要を感じないだけだ。
朝で十分だった。
食堂に行くということは、つまり。
人混み。
列。
音。
必要のない会話。
面倒だ。
俺は頬杖をついた。
視線を、また窓の外へ向ける。
下では、何人かの生徒が食堂の方へ歩いていた。
笑っているやつ。
誰かの名前を呼んでいるやつ。
遅れたら食べ物が消えるとでも思っているのか、小走りになっているやつ。
どうでもいい。
まぶたが、少しずつ重くなる。
完全に眠いわけじゃない。
ただ、だるい。
こういう昼休みは、いつもそうだ。
空っぽで。
でも、静かというほどでもない。
俺は少しだけ目を閉じた。
何分経ったのかは分からない。
教室の音は、まだある。
話し声。
小さな笑い声。
弁当の袋が擦れる音。
たまに動く椅子の音。
全部、遠くに聞こえる。
その時-
「御影くん!」
前の方から、誰かの声がした。
俺はすぐには反応しなかった。
「御影くん!」
今度は、少しはっきり聞こえた。
俺はゆっくり目を開ける。
天沢が、俺の机から数歩離れたところに立っていた。
手には、まだ箸を持っている。
どうやら、食べる途中で止まったらしい。
「……何だ」
「外で呼んでる人がいる」
「誰が」
「クラス委員を探してるって」
俺は天沢を数秒見る。
「クラスの用事か?」
「さあ。クラス委員って言ってた」
天沢は、顎で扉の方を示した。
それだけ言うと、すぐに自分のグループへ戻っていく。
早い。
用が済んだから、もう関係ないということらしい。
何人かは気にしていない。
食べ続けているやつもいる。
話し続けているやつもいる。
本気で興味を持っている人間はいない。
よかった。
俺は顔を上げる。
それから立ち上がった。
椅子が、小さく音を立てる。
教室の扉までの距離が、いつもより長く感じた。
そして、教室の前に出たところで-
誰が立っているのか、分かった。
吉岡若菜。
彼女は扉の横に立っていた。
背中を少しだけ壁に預けている。
手には小さなビニール袋。
中身は、よく見えない。
俺に気づくと、若菜は笑った。
「やっほー、クラス委員」
俺は彼女を見る。
「……お前か」
「反応、ひどくない?」
「何の用だ」
「お礼を言いに来たの」
「何の」
「金曜日。勉強、付き合ってくれたでしょ?」
「俺は座っていただけだ」
「それも含めて」
「含めるな」
「私は含める」
若菜は小さく笑った。
傷ついた様子はない。
いつも通りだ。
「だから、お礼に一緒にお昼でも食べようと思って」
「断る」
早い。
考える必要もない。
若菜はゆっくり頷いた。
「そう言うと思った」
「なら聞くな」
「形式って大事でしょ」
彼女は手に持っていた小さなビニール袋を持ち上げる。
「だから、プリン買ってきた」
俺はその袋を見る。
「……なんで」
「お礼」
「いらない」
「でも、もう買ったし」
ひどい理屈だ。
俺が返す前に、若菜は袋をそのまま差し出してきた。
「食べてね」
俺はすぐには受け取らない。
若菜は差し出したまま。
数秒。
面倒だ。
俺は袋を受け取った。
「……食べるとは言ってない」
「でも、受け取ったよ」
「お前が差し出したからだ」
「じゃあ、成功だね」
勝手だ。
本当に、勝手だ。
俺は彼女を見る。
「これだけなら-」
「うん。終わり」
俺の言葉が終わる前に、若菜は一歩下がった。
「じゃあ、私戻るね」
「……」
「あ、そうだ」
若菜は少しだけ立ち止まる。
「ちゃんと食べてね」
それだけ言うと、彼女はすぐに背を向けた。
早い。
早すぎる。
最初から、それを置いて逃げるつもりだったみたいに。
俺が返す前に。
礼を言う前に。
断る前に。
何かを言う前に。
彼女は、もう歩き出していた。
俺は数秒、教室の外に立っていた。
廊下は、変わらず騒がしい。
他のクラスの生徒が通り過ぎていく。
遠くから、食堂の音がかすかに聞こえる。
俺は、角の向こうに消えていく若菜の背中を見た。
「……面倒だ」
俺は教室へ戻る。
誰も何も聞いてこない。
天沢は、もう自分のグループで食事に戻っていた。
ほかの生徒も、それぞれ自分の世界にいる。
よかった。
俺は席へ戻る。
座る。
小さなビニール袋を机の上に置いた。
重くない。
重要でもない。
そのはずだ。
袋を開ける。
中には、小さなプリンのカップが一つ入っていた。
透明な容器。
薄い茶色のラベル。
上には、薄くクリームが乗っている。
ティラミス。
俺は、それを数秒見つめた。
「……占い師か何かか、あいつ」
声は小さく漏れた。
ほとんど聞こえないくらいに。
別に、すごく好きというわけじゃない。
ただ-
プリンの味を選ぶなら、ティラミスは悪くない。
正確には、そこそこ好きだ。
それだけだ。
偶然。
間違いなく、偶然だ。
俺はふたを開けた。
小さなプラスチックのスプーンが、容器の横に挟まっている。
捨てるのは面倒だ。
返すのはもっと面倒だ。
持って帰る必要もない。
だから-
少しだけすくった。
クリーム。
薄いコーヒーの味。
重すぎない甘さ。
悪くない。
俺はゆっくり食べた。
一口。
もう一口。
窓の外では、まだ生徒たちが食堂の方へ歩いている。
教室の中では、話し声が続いている。
誰も俺を見ていない。
よかった。
プリンは、すぐになくなった。
空になったカップに、もう一度ふたをする。
小さくて。
軽くて。
どうでもいいもの。
俺はそれを、机の端に置いた。
そして、また窓の外を見る。
昼休みは、まだ終わっていない。
一日は、まだ長い。
そして舌の上には-
薄いコーヒーの味が、少しだけ残っていた。
それからの数日は、いつも通りに過ぎていった。
覚えておくほど重要なことはない。
火曜日。
水曜日。
木曜日。
朝。
教室。
帰宅。
バイト。
部屋。
繰り返し。
そして-
また金曜日が来た。
金曜日。
バイトはない。
クラス委員の用事もない。
学校に残る理由もない。
終業のチャイムが鳴った。
鋭い音。
教室はすぐに動き出す。
椅子がずれる。
本が閉じられる。
鞄が持ち上がる。
話し声が部屋を満たしていく。
いつもなら、俺はそのまま帰る。
学校。
帰宅。
部屋。
分かりやすい順番だ。
でも今日は、足がすぐに校門へ向かなかった。
誰かを待っていたわけじゃない。
待っている相手なんていない。
また誘われることを期待していたわけでもない。
そんなもの、必要ない。
ただ-
時間が余りすぎていた。
それに、早く帰ればいいというわけでもない。
放課後の廊下は、相変わらず騒がしい。
足音。
笑い声。
名前を呼ぶ声。
週末の予定。
俺には関係のないものばかりだ。
俺は下駄箱の前を通り過ぎ、少しだけ足を止めた。
今帰ってもいい。
帰らなくても問題はない。
数秒が過ぎる。
それから、俺は振り返った。
隣の棟へ向かう。
図書室。
先週、あの場所は悪くなかった。
広い。
静か。
音が少ない。
教室とは違う。
食堂とも違う。
廊下とも違う。
あそこでは、人は黙る理由を持っている。
いい理由だ。
図書室の扉を、ゆっくり開ける。
中の冷えた空気が、すぐに肌に触れた。
高い本棚が整然と並んでいる。
中央には長い机。
部屋の横にある大きな窓が、傾き始めた夕方の光を受け止めていた。
今日は、前よりも人が少ない。
何人かの生徒が、離れた席に座っている。
本を読んでいるやつ。
何かを書いているやつ。
大きな声で話す人間はいない。
いい。
俺は小説の棚へ向かった。
先週、読み終わらなかった本は、まだ同じ場所にあった。
それを手に取る。
特別な理由はない。
ただ、まだ読み終えていない。
読みかけの本は、できれば最後まで読んだ方がいい。
少なくとも、本は返事を求めてこない。
俺は窓際の机へ向かった。
先週と同じ席。
特別な理由はない。
ただ、そこが空いていただけだ。
窓に近い。
明るさは十分。
外の音は入ってこない。
そこからは、校庭が見える。
遠くで、まだ何人かの生徒が動いていた。
走っているやつ。
集団で歩いているやつ。
グラウンドの端に座っているやつ。
全部、遠くに見える。
その方がいい。
俺は一番端の椅子に座った。
他人からは十分に離れている。
それでも、外は見える。
いつからか、こういう場所の方が楽になっていた。
教室の後ろ。
窓際。
図書室の端。
ガラスのそば。
たぶん、空は何も聞いてこないからだ。
本を開く。
挟んでおいたページは、そのままだった。
俺は読み始める。
一行。
次の行。
別の机から、ページをめくる音が小さく聞こえる。
悪くない。
五分も経たないうちに-
「え?」
横から、小さな声がした。
俺は読むのを止めた。
振り向かない。
早すぎる。
「和夫くん?」
当然のように、その声だった。
俺は少し目を閉じた。
今日は失敗だ。
ゆっくり顔を向ける。
吉岡若菜が、机から少し離れたところに立っていた。
手には、教科書とノートが数冊。
肩には小さな鞄。
少し驚いたような顔をしている。
作った驚きではない。
たぶん。
「私、今日誘ってないよね?」
若菜は小さな声で言った。
「なのに、なんで先にいるの?」
俺は彼女を少し見る。
「……ああ。吉岡か」
「今気づいたの?」
「何しに来た」
「勉強」
返事は早かった。
彼女は手に持っていた教科書を少し持ち上げる。
「私は普通に勉強しに来ただけ。和夫くんがいても、いなくても」
「……そうか」
それは分かる。
先週もそうだった。
彼女は座って、
本を開いて、
勝手に集中していた。
ほとんど別人みたいに。
なら、俺の存在はあまり重要じゃない。
いいことだ。
そのはずだ。
若菜は俺の前の机を見る。
それから、少し笑った。
「もしかして、考えることが同じだったのかもね」
「不愉快な偶然だな」
「冷たいなあ」
俺は本へ視線を戻した。
余計に返せば、会話が伸びる。
だが、当然-
彼女は去らない。
若菜は俺の隣の椅子を指さした。
「ここ、座ってもいい?」
「できれば、別の席を探してくれ」
「あ、いいの? ありがとう」
若菜はすぐに椅子を引いた。
俺は彼女を見る。
「……どこを聞いた」
「いい、のところ」
「そんな部分はない」
「でも、だめとは言ってない」
「別の席を探せと言った」
「それは提案でしょ。禁止じゃない」
「理屈が壊れてる」
「たまに便利だよ」
若菜は俺の隣に座った。
近すぎるわけではない。
だが、さっきまで俺だけのものだった机は、もう俺だけのものではなくなった。
俺は手元の本を見る。
落ち着け。
図書室はまだ静かだ。
ただ-
邪魔の発生源が一つ、隣に座っただけだ。
「……面倒だ」
若菜が教科書を開く。
「何か言った?」
「何でもない」
「絶対言った」
「風だ」
「図書室に風はないよ」
「なら聞くな」
若菜は小さく笑った。
それからノートを開く。
シャープペンを出す。
消しゴムを横に置く。
教科書を開く。
動きは整っている。
他人の拒否を許可にねじ曲げた人間とは思えないくらいに。
数秒後、彼女は書き始めた。
話さない。
聞かない。
邪魔をしない。
俺は少しだけ横目で見る。
本当だ。
俺がいようといまいと、
彼女は勉強する。
俺は本に視線を戻した。
それなら、まだ無視できるかもしれない。
たぶん。
窓の外で、夕方の空がゆっくり動いている。
図書室の中では、シャープペンの音とページをめくる音だけが聞こえた。
俺は小さく息を吸う。
そして、また読み始めた。
今は-
これで十分だ。
数分が過ぎた。
若菜のシャープペンが止まる。
彼女はノートを静かに閉じ、少しだけ肩を伸ばした。
「ふう……」
声は小さい。
図書室では、まだ許される程度だ。
俺は振り向かない。
「終わりか」
「うん。今日はここまで」
「そうか」
俺は本に視線を戻した。
会話は終わったと思った。
当然-
終わっていなかった。
「あ、そういえば」
俺はページをめくる。
「何だ」
「この前言ってた学年順位の掲示、見た?」
「見てない」
「答えるの早いね」
「自分の成績にも興味がない。まして他人の成績なんて、もっとない」
「ふうん……」
若菜は片手で頬を支えた。
「一応聞くけど、うちの学年一位が誰か知ってる?」
「どうでもいい」
「藤原宇作くん」
俺の手が、ページの上で少し止まった。
「……ああ。あいつか」
「知ってるの?」
「クラス一位だということは知ってる」
「うん。学年でも一位」
「そう」
「反応、薄いね」
「どうすればいい」
「分からないけど。感心するとか、やる気を出すとか?」
「興味ない」
若菜は、しばらく俺を見た。
「結構有名だよ。成績もいいし、態度もきちんとしてるし。運動もできるらしいし」
「そう」
「それだけ?」
「それ以上、何がいる」
「普通、近くにそういうすごい人がいたら、もっと頑張ろうって思うでしょ」
俺はページを見る。
文字が、すぐには頭に入ってこなかった。
数秒。
それから、静かに言う。
「そういうやつらは、点数以外の目的をまだ持ってないだけだ」
若菜は黙った。
長くはない。
それでも、別の机でページをめくる音が、さっきよりはっきり聞こえた。
「じゃあ、何か別の目的があれば、成績は大事じゃないってこと?」
「さー」
俺は本に視線を戻した。
こういう話を続ける必要はない。
若菜は、すぐには何も言わなかった。
今度こそ終わったと思った。
だが-
「じゃあ、体育祭は?」
俺は少し視線を上げる。
「何だ」
「二週間後でしょ? 体育祭」
「……」
「知ってる?」
「今知った」
「つまり、知らなかったんだね」
「重要じゃない」
「重要だよ。全員参加だし」
「人間は、どうでもいいことを重要にしたがる」
若菜は俺を少し見た。
それから、小さく笑う。
「変わらないね、和夫くん」
「体育祭のために変わる方が悲しい」
「ちょっとひどい言い方だね」
「普通だ」
「また普通」
俺は答えない。
若菜はノートを見たあと、筆記用具を片づけ始めた。
「まあ、とにかく二週間後だから」
「そうか」
「来週から、クラスで準備の話も始まると思うよ」
「うまく進むといいな」
「和夫くん、クラス委員でしょ」
「残念ながらな」
若菜は小さく笑った。
声は小さい。
でも、聞こえた。
「頑張ってね、クラス委員」
「断る」
「まだ始まってないよ」
「だからだ」
彼女はまた笑った。
俺は返さない。
図書室は、変わらず静かだった。
それなのに、なぜかその言葉だけが少し残る。
体育祭。
二週間後。
どうでもいいもの。
そのはずだった。
それからの二週間は、大きな変化もなく過ぎていった。
朝。
教室。
授業。
休み時間。
帰宅。
バイト。
部屋。
繰り返し。
時々、教室では体育祭の話が聞こえるようになった。
徒競走。
リレー。
綱引き。
騎馬戦。
男女混合リレー。
そういうものだ。
何人かは楽しそうだった。
何人かは文句を言っていた。
何人かは、流れに従っているだけだった。
俺は最後の方だ。
いや-
それより下かもしれない。
必要以上に関わりたくないだけだ。
クラス委員として、聞かなければいけないことはいくつかあった。
出場者の名簿。
競技の割り振り。
用紙の回収。
清水先生からの指示。
全部、耳には入る。
一部は残る。
一部は消える。
重要なら、誰かがまた繰り返す。
大抵、そういうものだ。
教室では、レンの名前がよく呼ばれるようになった。
「レン、リレー出るよな?」
「レン、綱引き入ってくれよ」
「レンって足速いんだろ?」
彼はどれにも気楽に答えていた。
時々笑う。
時々文句を言う。
時々、そのまま受け入れる。
ああいう人間は、こういうものに向いている。
動いて。
笑って。
人に囲まれて。
騒がしさの中で、小さな中心になることに、特に抵抗がないように見える。
俺は後ろから、それを見ているだけだった。
羨ましいわけじゃない。
感心しているわけでもない。
ただ、記録しているだけだ。
若菜も、何度か廊下で見かけた。
本を持っている時もある。
友達と一緒にいる時もある。
俺に気づいて、小さく手を振る時もある。
俺は大抵、軽く頷く。
あるいは、反応しない。
それで十分だ。
日々は流れていく。
体育祭が近づいていく。
校庭には横断幕が張られ始めた。
グラウンドのラインは引き直される。
放課後に練習しているクラスもある。
笛の音が、以前より多く聞こえる。
生徒たちの声も。
学校は、いつもより少しだけ騒がしくなった。
面倒だ。
それでも-
時間は進む。
誰かを待ったりはしない。
体育祭の前日が来た。
金曜日。
普段通りの授業はなかった。
朝から、学校は準備に使われていた。
テントが立てられる。
グラウンドのラインが確認される。
競技の道具が運び出される。
進行の順番が、何度も説明される。
予行。
指示。
荷物の移動。
こういう行事を重要だと思う人間にとっては、重要に見えることばかりだ。
俺は必要な分だけ参加した。
必要な分だけ聞く。
必要な分だけ動く。
クラス委員として、何度か名前を呼ばれた。
名簿を持っていく。
人数を確認する。
指示を聞く。
難しくはない。
ただ、面倒なだけだ。
夕方は、思っていたより遅く来た。
準備が終わると、生徒たちは校門へ向かって動き始める。
声は、まだやけに明るい。
明日が本番だからだろう。
いつもより、少しだけ浮ついて見えた。
俺は下駄箱で靴を履き替え、校舎を出た。
夕方の空気が、顔に触れる。
空は晴れていた。
面倒な行事の前日にしては、明るすぎる空だった。
校門を出る。
数歩歩いたところで-
「おい、クラス委員」
横から声がした。
俺は少しだけ振り向く。
虹木レンが、スポーツバッグを肩にかけて近づいてきた。
髪は少し乱れている。
表情はいつも通り気楽だ。
「明日、ついに体育祭だな」
「……ああ」
「早いよな」
「そうでもない」
「俺には早い」
「そうか」
レンは小さく笑った。
それから、片手を上げる。
「明日の体育祭、よろしくな」
声は軽い。
冗談みたいで。
でも、完全に冗談でもない。
俺はしばらく彼を見る。
よろしく。
面倒な言葉だ。
「……必要な分だけな」
「すげえクラス委員っぽい返事」
「褒め言葉にするな」
「じゃ、また明日」
レンは手を振って、先に歩いていった。
足取りは軽い。
重さがない。
俺はその背中を少しだけ見ていた。
明日。
体育祭。
クラス。
協力。
人混み。
考えたくないものが、勝手に頭の中で並び始める。
俺は小さく息を吐いた。
「……面倒だ」
それから、家へ向かって歩き出した。
ここまで第5話を読んでくださり、本当にありがとうございます。
もし本作を楽しんでいただけましたら、ブックマークや★5評価で応援していただけると、今後の作品づくりの大きな励みになります。
また、最近は更新スケジュールがまだ完全には安定しておらず、申し訳ありません。
少し早めに更新できる時もあれば、少し遅れてしまう時もありますが、本作は今後も毎週新しい話を投稿できるよう努めてまいります。
いつも応援してくださり、そしてお待ちいただき、本当にありがとうございます。
それでは、また次のお話でお会いしましょう。




