逃げ道を塞ぐのがお好きなのね
「人を見透かすような目をお持ちだと思っただけですわ」
書斎の向かいに座ったセラフィーナが、昨夜の問いをあっさり片づけた。微笑んでいる。翡翠の瞳は穏やかだ。
肩の力が抜けた。利得の目を見抜かれたわけではなかった。昨夜はあの問いが頭から離れず、天井を睨んで朝を迎えた。
だが甘く見るな。会って半日で勘づかれかけた。この女の前では、あの目を使うたびに顔に出る。
「深い意味はございませんの。ただ、見る目をお持ちの方との婚姻は退屈しなさそうですわね」
「光栄です。では本題に入りましょう」
机の上に羊皮紙を広げた。エルヴィン家の条件と、グレンツェン家の条件。白紙の三枚目は合意用だ。
「エルヴィン家が求めるものは」
「軍事的な保護を。王都での発言力は失いましたが、資産と人脈は残っております。それをお渡しする代わりに、国境の脅威からエルヴィン家の権益を守っていただきたい」
「こちらが求めるのは資金と人材です。率直に言えば、この領地は金が足りない。年間金貨200の資金援助と、行政経験のある文官を三人」
「金貨200」
セラフィーナの指が扇子の骨を辿った。暗算している。
「赤字が金貨110。鉱山の設備投資に60。残り30を軍の再建に充てる計算ですわね」
数字を一度聞いただけで構造を読んだ。こいつ、頭の回転が速い。
「金貨150。文官は二人。ただし鉱山の収益が出た場合、利益の二割をエルヴィン家に」
鉱山の収益配分まで即座に乗せてきた。
「一割五分。その代わり、途中で資金を引き揚げた場合は配分の権利を失う条件をつけたい」
「それで?」
「互いに裏切った方が損をする構造にする。エルヴィン家が資金を止めれば鉱山収益を失い、グレンツェン家が軍事保護を怠れば投じた資産が無駄になる。どちらも抜けられない」
セラフィーナの目が細くなった。微笑みの種類が変わっている。
「逃げ道を塞ぐのがお好きなのね」
「逃げる必要がない状態を作るのが好きなだけです」
「金貨150。文官二人。鉱山収益の一割五分を配分。エルヴィン家の王都資産への保全義務。期間は五年。五年後に再交渉」
こちらの条件と彼女の条件を、一息で組み上げた。
セラフィーナが身を乗り出し、羊皮紙に文言を書き込んだ。襟元から白い首筋が覗いた。視線が落ちかけた。戻す。今は交渉だ。
「条件は概ね結構ですわ。ただ、もう一つ」
セラフィーナが三枚目の羊皮紙を引き寄せた。一字ずつ、刻むように書く。
「夫が婚姻外の女性と関係を持つ場合、妻に拒否権を認めること」
手が止まった。
「……それは」
「政略結婚ですもの。当然の保全ですわ」
微笑んでいる。だが声の底に、刃がある。
この条項、ただの保険じゃない。一方的に切られた人間の精度だ。
こいつ、どこかで痛い目に遭っている。
「……了解しました。条件に加えましょう」
他の女に手を出すたびに、この女の許しがいる。
最悪だ。なのに、口角が上がっている。
セラフィーナの微笑みが、ほんの少し深くなった。扇子を持つ指が、かすかに震えていた。
◇
客室の扉が閉まった。
セラフィーナは窓辺に立ち、扇子を握った。
あの男、私の条件に動揺した。
つまり、他の女にも手を出すつもりだった。
薄く、笑った。
あの方と同じね。
扇子の骨が軋んだ。白い指の下で、漆が剥げた。




