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転生ゲーム理論家は笑顔で世界を掌握する  作者: どみさん


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カタリナの選択

 カタリナの部屋に入った瞬間、蝋燭の数が違うことに気づいた。


 五本。前に訪ねた時は二本だった。部屋の隅まで明るい。隠す気がない照明だった。


 カタリナは窓際の椅子に座っていた。膝の上に羊皮紙の束を抱えている。黒いドレスに蛇の首飾り。手袋はない。素手の指先が紙の端を押さえていた。


「遅いわ」


「呼ばれたのは今日だろう」


「三日前に書簡を出したのよ。あなたが諸侯回りで忙しかったのは知ってるけど」


 口調はいつも通りだった。だが目が違う。猫の目の奥に、何か硬いものがある。瞬きが少ない。


 利得の目が起動した。


 息が止まった。


 靄がない。


 いつもはどこかに灰色がかかっていた。生存。カタリナの一番手前に常に立っていた冷たい色。あの夜も、あの書庫でも、灰色越しにしかこの女を見たことがなかった。


 今日はそれがない。透けて見える色は一つだけだった。白金色。輪郭がはっきりしている。名前をつけるなら——。


 喉が詰まった。


 (信じたい)


 カタリナの一番に、その色が立っていた。


「どうしたの。立ったまま固まって」


「……何でもない」


「嘘が下手ね、相変わらず」


 カタリナが膝の上の羊皮紙を卓に広げた。指先が紙面を滑り、文字の列を示す。名前が並んでいた。家名、領地、兵力、不満の内容。17家分。


「帝国内の離反者よ。互いの存在は知らない。私の情報網だけが全体を繋いでいる」


 声が低い。諜報の声だった。この女が何年もかけて張った糸の、全てがこの紙に載っている。


「これを渡したら、私はもう帝国に戻れない」


 カタリナの素手の指が、紙の端で止まっていた。爪が白い。力が入っている。


「わかっている」


「わかってないわ」


 黒い瞳がこちらを射た。


「私の退路が全部消えるの。あなたが裏切ったら、私は帝国にも王国にも居場所がなくなる」


 蝋燭の火が揺れた。窓の隙間から夜気が入り込んでいる。


「答えは出たの?」


 あの夜の続きだった。書庫で、酒の匂いの中で、カタリナの指が俺の手首に触れていた夜。「答えが出たら教えて」と背中越しに言われた。


「計算では60%だった」


 カタリナの睫毛が動いた。


「信じるには足りない数字ね」


「ああ。足りない」


 間があった。蝋燭の炎が五つ、同じ方向に傾いた。


「だから計算を捨てた」


 自分の声が妙に静かだった。


「信じる。お前を信じる」


 カタリナの目が見開かれた。仮面の精度が落ちている。口元を整える余裕がない。黒い瞳の表面に光が溜まって、一滴だけ頬を伝った。


 すぐに手の甲で拭った。乱暴に、素早く。それでも拭いきれなかった痕が、蝋燭の光を受けて光っていた。


「バカね」


 声が掠れていた。セラフィーナの「バカ」とも、リーゼロッテの「バカ」とも違う。自分を嗤いながら、同時に何かを手放したような声だった。


「私を泣かせたのは、あなたが初めてよ」


 カタリナが立ち上がった。椅子が鳴った。距離を詰めてきたのはカタリナの方だった。


 蛇の首飾りが俺の胸に当たった。金属が冷たい。夏の終わりの夜気よりもまだ冷たい、カタリナが何年も胸元にぶら下げてきた鎧の温度だった。


 だがカタリナの指先は温かかった。手首ではなく、胸元に触れている。布越しに、脈の上に。二本の指が押し当てられる。あの書庫の夜と同じ手つきだった。だが今夜の指は震えていない。


「これが答えよ。計算じゃない」


 手がカタリナの背中に回った。首飾りの鎖の下、布越しに背骨に触れる。カタリナの体が近い。素面だった。酒はない。今夜は何も言い訳が立たない。選んで、触れている。


 指が背中の布を辿り、首飾りの留め金に当たった。金属が冷たい。その下の肌が温かい。二つの温度が指先で混じる。


 止めた。


 手を引いた。カタリナの指先が胸元から離れる前に、自分の手で覆った。


「……セラフィーナがいる。リーゼロッテもいる」


 声が低い。喉が渇いている。


「お前にだけは嘘をつきたくない」


 カタリナの黒い瞳が、至近距離でこちらを見ていた。泣きぼくろが蝋燭の光を受けている。


 それから、笑った。


 仮面ではなかった。計算でもなかった。口元が歪んで、目尻に皺が寄って、整った顔が少しだけ崩れている。初めて見る顔だった。


「知ってるわ。全部」


 声が穏やかだった。


「あの女の扇子の動き方も、北の小娘の手紙の頻度も、全部知ってる。私を誰だと思っているの」


 一拍。


「それでもいい。あなたの隣にいられるなら」


 カタリナの指先が、俺の手の中で動いた。握り返すように。蛇の首飾りの冷たさが胸から離れて、代わりにカタリナの額が鎖骨の下に触れた。温かかった。


 卓の上の羊皮紙が、蝋燭の光の中で待っている。17家の名前。帝国を内側から崩す鍵。カタリナが退路を全て焼いて差し出した情報だった。


 だが17家は互いを知らない。繋げる方法がまだ要る。


 カタリナの髪の匂いが近い。香水の下にある、あの書庫と同じ肌の匂い。額の温度が鎖骨越しに伝わってくる。


 この温度を守るために、次の手を打たなければならない。


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