ルドルフの盤面
荷車50台。一日に必要な補給量だ。
軍議室の地図に駒を並べながら、俺はその数字を何度も反芻していた。帝国軍20,000。正面に12,000、両翼に4,000ずつ。20日分の行軍距離を支える補給線は、細く、長く、脆い。
「補給線を叩けば、帝国軍は三週間で動けなくなります」
オットーが帳簿を開いて指を走らせた。数字の裏付けがある声は淀みなく、俺の立てた消耗戦略をなぞっていく。各諸侯が持ち場を守り、帝国軍を分散させたまま補給を断つ。正面からぶつかれば潰される兵力差を、時間で溶かす。
地図の上では、完璧に見えた。
セラフィーナが扇子の先で北方を示した。
「ヴァルトシュタイン領を抜けた4,000が内陸に入っているわ。補給線はさらに伸びる。叩くなら北からよ」
扇子の動きに迷いがない。分析が終わっている証拠だった。俺は頷いて、伝令を各諸侯に送った。持ち場を守れ。正面を受け止めろ。補給線に遊撃隊を回す。
雪解けの泥が乾き始めた頃、帝国軍が動いた。
最初の報告は予定通りだった。
正面軍12,000がグレンツェン領の東に展開し、両翼がそれぞれ北と南から回り込む。教本に載りそうな包囲陣形だ。だが包囲は兵力を分散させる。分散した部隊には、分散した補給が要る。
俺は遊撃隊を三つに分けて補給路に送り込んだ。荷車を焼き、護衛を散らし、帝国軍の胃袋を干上がらせる。計算上、十日で効果が出る。
三日目に最初の戦果が上がった。北方の遊撃隊が荷車五台を焼いたという伝令だった。五日目にもう二台。数は少ないが、帝国軍の行軍速度が落ちているという報告も添えられていた。
オットーが帳簿に数字を書き込んだ。焼いた荷車の数、奪った食糧の量、帝国軍の推定消費速度。数字が噛み合っている間、俺の胸には妙な確信があった。このまま削り続ければ、あの大軍は自壊する。
七日目。異変が始まった。
東部前線からヘルムートの伝令が届いた。泥だらけの兵士が軍議室に飛び込んできて、息を整える間も惜しんで口を開いた。
「ヘルムート隊長からの報告です。補給隊が、見当たりません」
手が止まった。地図に置きかけた駒が、指の間で傾いた。
「見当たらない?」
「はい。三日間、街道を監視しておりますが、荷車が一台も通っていないと」
オットーが帳簿のページをめくった。眼鏡を押し上げようとして、途中で手が止まる。
「補給路を変えた可能性は?」
「街道だけではありません。間道も、獣道も、全て見張っています。ヘルムート隊長が自ら確認したと」
荷車がない。三日間、一台も。
20,000の兵を養うのに一日50台の荷車が要る。三日で150台。それが消えた。補給路を変えたのではない。補給そのものが存在しない。
頭の中で数字が組み変わっていく。補給なしで軍を維持する方法は一つしかない。
「略奪か」
声に出した瞬間、自分の声が妙に平坦なことに気づいた。喉の奥が乾いている。
セラフィーナの扇子が閉じた。骨を握り込む音が聞こえた。
「通過した村から食い尽くしている。だから荷車が要らない」
俺の策は補給線を断つことだった。ルドルフは補給線ごと捨てた。断つべき線が存在しなければ、俺の遊撃隊は空を叩いていることになる。
地図を見つめた。駒の配置は変わっていない。だが盤面の意味が変わっていた。俺が見ていたのは地図だ。ルドルフが見ていたのは、俺だった。
略奪で進軍する軍は、通過した土地を焼く。焼かれるのは帝国領ではない。俺が守ると言った諸侯の土地だ。
続けて報告が入った。南方の諸侯が持ち場を離れている。自領が焼かれたという知らせを受けて、防衛に戻ったらしい。統一命令を出したが、返答がない。
セラフィーナが扇子を握ったまま立ち上がった。
「三通送ったわ。一通も返事が来ていない」
声は静かだった。扇子が開かない。判断する材料がないのではなく、判断の余地がないのだ。
南方が崩れれば包囲網に穴が開く。穴が開けば帝国軍は分散する必要がなくなり、主力が一点に集中できる。消耗戦の前提が丸ごと消える。
拳を握った。爪が掌に食い込む感覚がある。
ルドルフは俺の策を読んでいた。補給線が弱点だと分析し、補給線を攻撃するだろうと予測し、補給線そのものをなくした。俺が合理的に考えた結論を、あの男は同じ合理性で潰した。
同じ言語で考える相手には、同じ言語で勝てない。
俺が降りれば、略奪は止まる。だが降りなければ、諸侯の領地が一つずつ焼かれていく。守ると言った相手が、俺のせいで焼かれている。
夕刻、最後の報告が届いた。南方の一翼が壊走した。持ち場を捨てた諸侯軍の穴を、帝国軍の別働隊が突いた。逃げた兵の数は不明。追撃を受けているという一文だけが、走り書きで添えられていた。
地図の駒を一つ、横に倒した。指先が震えていないことを確認して、次の駒に手を伸ばした。




