26 初めての市場で
それから数日後、ユリアはアリシアと護衛騎士を伴い、王宮からほど近い市場へと向かった。
王宮に隣接するこの市場は、国で一番の賑わいを見せていた。
ユーハイム国にいた頃のユリアは、王宮にいるか戦場にいるか、そのどちらかの生活しか知らなかった。
市井の市場に足を踏み入れるのは、これが初めてだった。
色とりどりの店先、人々の呼び声、香辛料や焼き菓子の甘い匂い。
そのすべてが新鮮で、ユリアは胸の奥がふわりと高鳴るのを感じていた。
市場の入り口に差しかかると、そこにはクリックの姿があった。
以前、クリックから「市場には食品や衣類だけでなく、草花の苗や種も豊富に売られている」と聞き、ユリアはどうしても来てみたくなったのだ。
その気持ちを抑えきれず、アリシアを通してエルフナルドに許可を願い出たところ、思いがけずすぐに許可が下りた。
そのことをクリックに伝えると、「ぜひ案内させてほしい」と申し出てくれ、こうして市場で待ち合わせることになったのである。
「クリック様、お待たせしました。今日は案内をよろしくお願いします」
「ご一緒できて光栄です。それでは、早速参りましょうか」
ユリアはきらきらと輝く装飾品の店や、華やかな衣装の並ぶ通りには目もくれず、真っ先に植物を扱うエリアへと足を向けた。
「ユリア様……。初めて市場にいらして、最初に向かわれるのが植物だなんて……。アクセサリーやドレスはご覧にならなくてよろしいのですか? 陛下からも給金を頂いていますし、お好きなものを買って良いと仰っていましたけれど……」
半ば呆れたように言うアリシアに、ユリアは楽しそうに振り返った。
「だから、そのお言葉に甘えて薬草の種を買わせていただくのよ。どうしても欲しい薬草があるの」
アリシアの言葉など気にも留めず、ユリアは張り切った様子でクリックと共に店を見て回った。
「このお花、とても素敵ですね。初めて見るわ」
「こちらはアルジール国ではよく見かける花ですよ。東の国に多い種類ですから、ユリア様のお国にはなかったのかもしれませんね」
「そうなんですね……。あ、ではこの薬草は、どんな効能があるんですか?」
ユリアは目を輝かせ、薬草を手に取りながらクリックに問いかけた。
「ユリア様が楽しまれているのであれば……まあ、構いませんけど」
少し不満げに、アリシアが小さく呟く。
しばらくして、薬草を一通り見て回った頃、クリックがユリアに声をかけた。
「ユリア様、少しだけこちらでお待ちいただけますか? 市場へ行くならと、薬事所から一つお使いを頼まれておりまして。三十分ほどで戻れると思います」
「お忙しいのに、ごめんなさい。こちらのことは気になさらないでください」
「ありがとうございます。では、少し行ってまいります」
そう言って、クリックは人混みの向こうへと歩いて行った。
「ユリア様、そういえば……お目当ての薬草は見つけられましたか?」
「そうだったわ。今日はそれが目的だったのよね。あっちのお店に、もう少し探しに行ってみましょう」
そう言って、二人は薬草売り場のさらに奥へと進んだ。
「それにしても……陛下が市場へ出ることを許可なさるなんて、正直思っていませんでした」
アリシアはそう言いながら、横に並ぶユリアを見た。
「え? そうかしら。陛下は、私の行動はあまり気にされていないと思うわ。庭園の手入れも許可してくださったし……陛下って、意外とお優しい気がするの」
ユリアは目当ての薬草を探しながら、穏やかにそう答えた。
「ねえ、ここって――」
その瞬間、背後のざわめきが、不自然に途切れ、空気が張り詰めた気がした。
「ユリア様!! 危ない――――――!」
アリシアの叫び声に、ユリアが咄嗟に振り返った。
視界に飛び込んできたのは、フードを深く被った怪しげな男が、こちらへ向かって走り込んでくる姿だった。
考えるよりも早く、アリシアがユリアを庇うように前へと身を投げ出した。
ザシュッ!
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
次の瞬間、アリシアが呻くように体を強張らせたのを見て、ようやく理解する。
――斬られた。
「アリシア!!」
腕を斬られ、崩れ落ちそうになるアリシアを、ユリアは咄嗟に抱きとめた。
「アリシア! アリシア!! 大丈夫!?」
必死に呼びかけるが、アリシアは痛みに耐えているのか、声を出すこともできない様子だった。
その隙に、男は人混みの中へと逃げ出し、護衛騎士が慌てて後を追った。
ユリアは震える手で、アリシアの斬られた腕を確認した。
幸い、致命的な深さではなさそうだったが、傷の位置が悪く、出血はかなり多い。
「……っ」
ユリアは迷わず自分の服の裾を裂き、素早く腕に巻き付けて止血を施した。
その最中、血相を変えたクリックが走って戻ってくるのが見えた。
「何があったのですか!?」
「見知らぬ男に襲われました。アリシアが私を庇って……怪我を……! 近くにお医者様はいらっしゃいますか?」
「市場を出てすぐの所に医局があります。急ぎましょう!」
クリックはアリシアを抱え上げ、医局へと急いだ。
幸いにもすぐに医者に診てもらうことができ、ユリアは固唾を呑んでその様子を見守っていた。
「傷は思ったほど深くありません。ご安心ください。それに……応急処置がお見事ですね。傷の場所が悪かった分、対処が早くて助かりました」
医者の言葉に、ユリアとクリックは同時にほっと息を吐いた。
治療を終えたアリシアは、医者に礼を述べた後、ユリアとクリックに向き直って頭を下げた。
「ユリア様、申し訳ありませんでした。それから……手当てをしてくださって、ありがとうございました。クリック様も、ここまで運んでくださって感謝いたします」
「アリシアが謝ることじゃないわ。あなたは私を庇ってくれたのよ……痛かったでしょう? 本当に、ごめんなさい……」
「ユリア様こそ、どうか謝らないでください。悪いのは襲ってきた男です」
そう言われ、ユリアは「ありがとう……」と小さく呟き、無理に笑みを作った。
王宮へ戻る馬車の中で、ユリアはずっと考え込んでいた。
――あの男……本当に私を狙っていたのかしら。
最初からアリシアを狙っていたようにも見えたけど……。
でも、だとしたら……どうして?
嫌な汗が、ゆっくりと額を伝った。
――……考えすぎよ。きっと、偶然よ。
だが、ユリアの心に小さな疑念が芽生えていた。
本日、もう一話投稿しています。
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