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月夜

「ミル……!!ミル!天才!すごい!大好き!!」


 思う存分にキスをして胸毛にモフって盛り上がってから、すぐ近くに見張り兵の人がいたことを思い出した。


「す、すみません」


「ユリアレス様、ご無事で何よりでした。ミルくんはずっとここであなたのお帰りを待っていましたよ。もし問われたら私が証言しましょう」


 30代後半だろうか、防衛隊らしくがっしりした体格と日焼けした肌だが仔犬のような目をした人で、いつも王都に出入りするときには挨拶をしていた。


「え、でも……」


 私が一度ミルに遅くなると伝えようとしたときにはミルの影も形もなかった。おそらくそのときに火灰狼(コールティコ)の仲間を呼びに行っていたと思われる。


「私は犬好きでしてね……。ですからミルくんが仲間を引き連れてここに現れたとき、何か事情があるのだなと思い、通ってもらいました。隊には連絡して、人々に害が及ばないよう見張ってもらいましたが大丈夫だったようですね」


「そんな」


 どうやってモンスターが城壁を越えたのかと不思議に思っていたがまさか正面突破だったなんて思わなかった。

 にっこり笑う彼だが、この後処分されてしまうのではないかと心配になる。


「ご心配には及びません。私がこの歳まで五体満足で勤め上げられたのもユリアレス様が隊に装備品を寄付してくださっているからです。ただ年齢的に体がきつくなってきましたので、引退しても言い頃合いかと思います」


「あの、あなたのお名前を教えてください。あとで必ずお詫びいたします」


 グラソー家経由で補償金を渡すか別の仕事を紹介しよう、そう思って尋ねる。


「タルクウィニオです、タルクとお呼び下さい。詫びなんていりませんけど」


「そうですね、お礼を致します。タルク、今日は本当にありがとうございました。あなたの英断のおかげで助かりました」


 ミルが裁かれる罪を犯すことなく、仲間の火灰狼たちも防衛隊に撃たれることなく、あんな大立回りができたのはタルクの配慮なしには無理だった。やはり犬好きに悪い人間はいないのか。


「それは良かった……ところで、失礼ですがこれからはユリィちゃんとお呼びしても?」


「へ?」


「私はずっとミルくんに乗ってここにくるあなたをかわいいな、と娘のように思ってまして、心の中ではいつもユリィちゃんがんばれと応援してました。これからはあまり姿を見れないかもとそれだけが残念です」


「……」


 こんなにキャラの濃い人だとは知らなかった。




 タルクに再会を誓ってやっと私はミルに乗って帰路につく。そのつもりだったのだけど夜空に飛び上がったミルはいつもとは違う方向へ進んでいた。


 ミルが間違うはずがないので、どこかに連れていきたいのだろうと黙って向かい風に吹かれていた。今日はすっかり遅くなってしまった。


 王都の南側、月が照らす草原にミルは着地する。初めて来たが、風が草を撫でるざわめきと虫の声しかしない静かな場所だ。


 突然ミルは顎を上げ、草原の端まで響くような遠吠えを始めた。滅多に鳴かないミルの切ない声に驚く。


「ミル、そんなに声出たんだ……」


 遠くから呼応するように遠吠えが聞こえ始め、ぞろぞろとたくさんの火灰狼(コールティコ)が集まり、草原は狼の集会場と化した。


 ミルはお育ちが良く魔力が高いので白銀に輝く毛並みで大人二人乗れるほどの立派な体格をしているが、野生の火灰狼はその名の通り灰色で、体も二回りくらい小さい。


 その中では一番大きく、目付きも鋭いイケメン狼が白い布を咥えたまま私に駆け寄ってくる。手を出して受け取って確認すると、それは涎にまみれた私の下着だった。


「ど、どうも……。今日はありがとう」


 ミルは一旦家に帰って私の下着を取り、この匂いを頼りに仲間たちに探させたのだろう。ミルの賢すぎるプレイに感謝だ。ただこれはもう捨てよう。


 ミルはイケメン狼と何やらじゃれあい始めた。甘噛みしたり、追いかけっこをしたりととても親密に見える。


「ん?」


 駆け回るイケメン狼の尻尾の下にミルにはないものがついているのを私の動体視力は捉えた。


「か、彼氏かな……?」


 私は動揺した。

 私がジェイクと陛下を訪ねるようになって、ミルを毎日ひとりにさせている間にこんなことになるだなんて。


 ミルもいつまでも子供じゃないとは思ってたけど、私の脳裏にミルが初めてうちに来た雨の日や、暖炉の火を食べてしまって驚かされた思い出が走馬灯のように過る。困り顔の小さな仔犬だったのに。


 母親のようで、子供のようで、姉妹のようなミル。だけど今の私は父親の気分で、しばらく放心していた。



 彼氏とのデートをたっぷり見せつけたミルは、満足した様子で憔悴した私を家に連れて帰った。本当に遅くなった。


 約束したアミルはまだ来ていなかったので、ハンナさんが作ってくれていた夕食を食べた。意外とお腹が空いていてあっという間に食べてしまった。


 忙しいジェイクは完全に王宮暮らしになったので、ジェイクのお母さんのハンナさんにはうちに住んでもらっている。パンも焼いてくれるし夕食も作ってくれるるしで私の方が助かっている。


 急いでお風呂に入ってもまだアミルは来ないので、私は外で待つことにした。今日は本当に色々あって精神的に疲れたので夜風を浴びたい気分だったのだ。


 夏の夜の草木が眠った匂いは心が落ち着く。私は王都には絶対に住めないな、と思った。やっぱり自分の牧場が一番心地いい。


 出荷用ではない、自家用のハーブなどを見ていると馬の嘶きが聞こえて私は急いで迎えにいった。


「アミル」


「約束したのに遅くなってごめん、往診の依頼が多くて」


 アミルは夕刻頃に見たお仕事用とは違う、少しくだけた白いシャツを着ていた。


「その依頼って私のせいだよね……アミルも気づいてたと思うけど。ごめんね」


 ディセンバルト公爵家で火事が起き、しかも中には気絶した兵士が何人もいた。医者のアミルが呼ばれたのも当然だろう。彼らは大丈夫だったんだろうか。


「まあ、捻挫とか軽い怪我人だけだったよ。ただひとりは随分殴られてたけど内輪揉めでもあったのかな?」


 それは私が盾代わりに使った兵士だと思われるけれど言いたくなくて私は話題を変える。


「アミルは夕食を食べた?」


「うん、軽くね」


「じゃあオレンジでもどう?すごく甘いオレンジがあるの」


 私は果樹園の方向に歩きだした。全て私の庭だ。アミルに見てもらいたかったのかもしれない、私の誇らしい業績を。


 オレンジが馨る夜の果樹園は黒い蔭の中に、熟した果実が月に照らされて浮かんで見えた。


「ユリィ、今日のことでひとつ注意したいことがある」


「何でしょうか……」


 思わず敬語になる。心当たりがありすぎる。暴れすぎるなってことだろうか。今日は元財務大臣宅の地下を爆破して、ディセンバルト公爵宅で兵士を大量に気絶させ、私が指示したわけじゃないけど火事まで起こした。


「ラニエロっていう子供を使った罠にかけられたことはベラから聞いた。今度から信用できない人と密室状態になるのはやめて欲しい。それだけで大体の危険は防げる」


 予想とは全く違うアミルの言葉の意味がわかりかねて、私は振り返った。アミルの銀色の髪が風に吹かれている。


「ユリィは女性にしては力が強いから警戒心とかないんだろうけど」


「警戒、心……」


 確かに私にはないものだ。私の強さは女性にしては、なんてものではない。人間程度なら何人いようが間違いなく勝てる。それにラニエロは子供だった。


「だから逆に、男のような気分でいた方がいいかもしれない。俺は女性を診察するときは絶対に女性の助手に一緒にいてもらう。今日もゼローラ邸で見ただろう?」


「ああ、なんであんなに人がいるのかと思ってた」


 元財務大臣ゼローラ邸で、ベッドに寝ている人の周りにたくさんメイドがいたことは覚えている。あの中にアミルの助手もいたとは気づかなかった。


「密室で乱暴された、なんて言われたら終わりだからね。医者仲間でそういう罠に嵌められた人もいたよ」


「そうなんだ……」


 私は誰にでも腕力で勝てる以上、相手が男でも密室になったら私に乱暴されたと嘯かれるリスクを考えなければいけないらしい。


 ちょっと前ではエミリアーノ王陛下と二人きりになったけど、あれも危なかったんだなと反省した。王陛下に暴力振るったなどと騒がれたら流石の私も一巻の終わりだ。


「わかった。教えてくれてありがとう」


「今日は本当に心配した」


 アミルがすごく距離を詰めてきている。


 アミルの腕が伸びてきて、そのまま鎖骨の辺りに顔を引き寄せられた。中途半端に抵抗したせいで私の腕ごと抱き締められていてうまく動けない。


「アミル……あの……」


「この国ではハグは挨拶として行うだろ?」


 だけどアミルの国では違うのを私は知っている。

 頬に触れる滑らかな感触のシャツの奥で、アミルの心臓が震えるように鼓動している。つられて私の心臓もすごく早くなってしまう。


「ねえ、オレンジは食べないの?」


 何か言わなきゃと私は声を出したけど何だか上ずっていて恥ずかしかった。


「もう少し、このままいさせて」


 アミルの胸に密着してるから、声は低く響いて聞こえる。

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