アミルの料理
体より頭に疲労を覚えながら私は子爵邸をあとにした。城門を通って街道を歩きながらミルを呼ぶ。
「ミルー?」
特に大きな声を出す必要はない。つむじ風を起こしながら猛スピードで銀狼が駆け寄ってきた。少し息を切らせて舌を出している。
「お待たせ、ミル!いつもありがとね」
私は三角の耳の間の額をごしごしと撫でる。少し焦げ臭い匂いがするので、どこかでモンスターを炙ってお食事をしていたようだ。
「帰ろうか」
ミルの背中に飛び乗るとものすごいスピードで景色が後ろに遠ざかっていく。向かい風を受けながら群青の空を眺めた。空より濃い紫の雲間に、翼を広げた恐竜のようなモンスターの群れが飛んでいた。彼らも住処に帰るのだろう。
「ただいまー」
今日も家の中は夕食のいい匂いがしていた。しかもカレーっぽい匂いで期待が膨らむ。アミルがキッチンで大鍋をかき混ぜていた。疲れているときに自分で料理を作らなくていいって最高では……。
「ユリィ、もうすぐ出来るから」
アミルは余裕そうに笑って迎えてくれた。本当に料理し慣れているらしい。
「ところでその髪型かわいいな」
「えっ、あ、ありがとう」
身近にこういうことを言う人がいなかったのでかなり動揺してしまう。
私の髪はグラソー子爵家のメイドによって手の込んだハーフアップにアレンジされている。帰る前にドレスから普段着に着替えたけれど髪の毛はそのままにしてきた。
「アミル、何か手伝うことある?」
「じゃあお皿を出してくれるかな?どれがいいのかわからなくて」
私がお皿やカトラリーを並べているとジェイクと、お母さんのハンナさんがやって来た。お父さんも遅れて帰って来たので賑やかに食卓につく。
「俺の故郷と、留学先の料理、カレーと魚のギュベッチです。お口に合うと嬉しいです」
アミルが説明してくれた。カレーはトマトとナッツのペーストにスパイスが入っているらしい。鳥系モンスターの肉が入っている。
ギュベッチは、白身魚と野菜の煮込みでニンニクとハーブの風味だという。私は普段魚料理は作らないのでとても珍しかった。おまけに市場で買ってきたのか、米を作った料理がある。ピラウだとアミルは言った。
私がギュベッチを口に運ぶのをアミルがじっと見つめているので、ブリアンナ先生に見られるときよりずっと緊張してしまう。
「わ……すごくおいしい!」
あっさりした白身魚に野菜やハーブの香りが染みていて癖になる味だった。
「今までで一番丁寧に作ったよ」
ほっとしたようにアミルが笑顔を見せる。かなり早めに帰って来て仕込んでくれていたんだろうか。
「このカレー、赤いから辛いかと思ったけど、すごいおいしい」
ジェイクはぱくぱく食べている。
「良かった。辛いもの大丈夫か聞き忘れたから今日は辛くしてないんだ。赤いのはトマトだから」
「そういえば昔、唐辛子パンを3人で食べてひどい目にあったの覚えてる?あれ誰が最初に言い出したんだっけ?」
私は懐かしいことを思い出してアミルとジェイクに問いかける。
「俺じゃない」
「僕じゃないよ」
「…………じゃあ誰?!」
私たちは顔を見合わせて笑った。
あの場に誰かいたんだろうか。絶対に私じゃないし、二人はこんなことで嘘をつくようなタイプじゃないからおばけでもいたんだろう。ということにした。
「ねえアミル、このお米って市場に売ってるの?」
私はピラウを食べながら訊ねてみる。久しぶりの米料理はとてもおいしい。パラパラして細長いお米だけど。
「うん、ポンさんに売ってるところを聞いた。輸入らしいよ」
「おいしくて、とうとう米作に手を出してみたくなったわ」
「あはは、ユリィは本当に農業が好きだな」
この国の主食は小麦なので、長年小麦の増産に力を入れてきた。天候不順のときの保険として用地の3割はジャガイモにしているが、保存性の低い作物だ。
米は精米しなければ何年でも保存ができる。水田なら冷害対策も小麦とは違うので、リスクの分散もできる。まずは水の灌漑工事から計画を立てようと思った。
食後の片付けを終えて解散したあと、私はお父さんの部屋にこっそり侵入した。カリネックスの石の効果を検証するためだ。別に許可を取ってもいいけど、なるべく自然な状態で調べたかった。いつもお父さんは夕食のあとすぐにお風呂に入るので、私は浴室に静かに近寄った。
じわじわと、体が手足から温まってくる感覚がある。浮遊感と解放感。間違いない、この石は他人の体の感覚に共感する効果がある。
私はわかったことが嬉しくて、急いでお父さんの部屋を出て、アミルの部屋のドアをノックした。
「アミル、今ちょっといい?」
「ちょっと待って!」
少し間があって、アミルがドアを開けてくれた。少し服が乱れているのでアミルもお風呂に入ろうとしていたのかと思った。
「ごめんね、急に。すごいことがわかったからつい」
「とりあえず立ち話もなんだし、中で聞くよ」
窓辺に置かれた低いソファに向かい合って座る。
「昨日、効果がわからなかったカリネックスの石、やっとわかったの!これは近くにいる人の体の感覚がわかるものだったの」
「……そんなすごいものだったのか?」
アミルは青灰色の目を見開いて、私がテーブルに置いた石を触る。
「うーんと、もう一回実験してみるね、待ってて」
私は急いで階下のキッチンまで行って、氷鳥の冷凍庫から氷を取り出す。ボウルに氷水を作ってアミルの部屋に戻った。始めからこうすれば良かったと今にして思う。
アミルの前で私は氷水に手を浸した。カリネックスの石を持っているアミルは、驚いて一瞬身をすくめた。
「信じられない、俺も手が冷たく感じる。魔法みたいだ……」
「カリネックスって群れで生活する生き物だから共感能力が高いのかな?なるべく一撃で、痛くないように倒したけどこんな能力があったと思うと悪いことしちゃったわ」
カリネックスは農家の敵とはいえ、少し胸が痛む。次に大発生したら眠り薬で眠らせてから倒そうと私は思った。
「痛みを群れで共有したら辛いことの方が多いと思うけど、変わったモンスターなんだな」
「うーん……狭い洞窟に密集してたしカリネックスもみんなでくっついて気持ちいいみたいな、それでケンカしないで暮らせるのかなって思う」
「個より集団を優先する虫みたいで興味深いな」
何かに感じ入ったように呟く様子を見て、そういえばアミルは虫が好きだったなと私は思い出した。
「これ、アミルのお仕事に役立つかな?あげるね。いつも効果があると痛くて大変だから、普段はこの魔力を封じる袋に入れとくといいと思うよ」
カリネックスの石はとても小さいので、私の持っている魔力を封じる手袋をアレンジして小さな巾着を作ってある。
「ありがとう、こんな貴重なものを……。これで助かる命は絶対にあるよ。特に小さな子供は。子供は自分の症状をうまく説明できないけど、体力がないから治療を試している猶予はないんだ。これがあれば正しい診断ができる」
アミルはまじまじと石を見つめている。確かに、レントゲンとかCTとか超音波とか、画像診断ができない中で子供の治療はとても難しそうだ。赤ちゃんなら更に。
「渡してる私が言うのも変だけど、アミルが痛い思いしちゃうけど」
「いや……救えなかった痛みよりはずっとましだよ」
悲しそうに笑うアミルの心に今、どんな記憶が甦っているのだろうと思った。
このお話はモンスター名はほぼオリジナルなので食材、料理名は実在の名称を使っています。訳わからなくなるので。ギュベッチとピラウはトルコ料理です。




