葡萄畑
出かける前にキーラも捕まえて、また応接室に連れ込んだ。
「キーラ、失礼なことを聞いて申し訳ないけれど、8年前、ファルオスに襲われたときの傷跡はどうなったの?」
「懐かしい話ね。突然どうしたの?あれなら、ユリィがくれた薬が効いたのか今は全くないけど、ほら」
キーラは気軽に服のボタンを外して肩周辺を私に見せてくれた。白く滑らかな素肌で、人妻の色気を感じた。
「あっきれい……。良かった。実はアミルの体に戦争の傷があったので久しぶりに薬を作ろうかなと」
「あら…」
キーラさが急に頬を赤らめる。
「どうかしました?」
「体を見たってもしかして……」
「ち、違うの?!たまたま見えただけで!!一緒にアイス食べただけで何もないから?!」
大きな勘違いしているキーラに慌てて弁明するけれど、こういうとき言葉を重ねるほど怪しくなるのはなぜなのだろう。
「そ、そうよねまさかそんな……」
「そうそう!」
キーラさ若草色の瞳を瞬かせて遥か遠くを見ている。
雄鶏のルシファーが遅いと鳴き始めたので私は諦めて仕事を始めることにした。
「言葉が通じるのに、人間とのコミュニケーションって難しい」
鶏舎に入るなりの、ルシファーのキレのある襲撃をかわして私は呟く。闇色の羽が宙に舞った。最近のルシファーは睨み合いがお気に入りらしく、ジリジリと距離を取りつつお互いの呼吸を読み合う。
戦いにおいて呼吸や目線は重要な情報だ。予備動作から次の動きを推測できる。なるべく周辺視野を多く取って、無意識の、研ぎ澄まされた一本の棒になる。
ルシファーの気持ちはわからなくても、ルシファーの次の行動はわかる。私の左足を狙う鋭い爪をホウキでいなす。二撃、三撃、全てをかわした。毎朝の儀式でルシファーからは多くのことを学べる。
戦いに満足したルシファーが飼料をご所望なので私は栄養たっぷりの自家製配合飼料を注ぐ。今まで隅で戦いを見守っていた雌鳥たちも元気よく飼料をつつき始める。
仕切りに囲まれた、小さな一角には黄色いひよこが育っている。数年前から、黒い卵ではなく白い卵が生まれるようになった。白い卵から孵った雛は成長すると白い羽根の鶏になる。
これが人間の呪いで、いわゆるモンスターの家畜化と言われている現象だ。長く人間に飼われたモンスターの子は魔力の恩恵を受けず、弱い体になるが人間にとっては飼いやすくはなる。
今日はこの子達を、他の農家に譲る予定だ。そっと羽毛のクッションを敷き詰めた籠に入れる。ひよこ独特の高い鳴き声はとてもかわいくて離れ難いけど。
少し遅れているので、鶏舎を出ると既に集荷に来たジェイクとアミルが何か話していた。
「ジェイクおはよう、ごめんね遅れちゃって」
カルロたちが野菜等の準備は済ませてくれている。あとは私が卵を詰めるだけだ。
「おはよう!大丈夫だよいつも余裕持ってきてるだけだから。今日はアミルと一緒に王都行ってくるね」
ジェイクは嬉しそうにはしゃいでいる。
昨日寝る前にアミルから予定を聞いていた。ジェイクと一緒に王都に行って、アミルの叔父のポンさんに会う予定だと。ポンさんにはこの国に着いたときに挨拶を済ませているので、アミルがこの国で医者の仕事をする準備を手伝ってもらうそうだ。
「アミル、私の雑用ひとつ頼んでいい?」
「もちろん」
快諾するアミルに、私は王都のアンジェラの屋敷の住所と地図を書いたメモと、小さな革袋をアミルに手渡す。
「アンジェラっていう魔女から私がいつも使ってる化粧品を買ってきて欲しいの。この袋はその代金。アンジェラは薬を貴族に売ってていて顔が広いから、挨拶しておくとアミルの今後の仕事にも役立つと思うわ」
ジェイクがうんうんと真面目な顔で頷いている。
「僕もアンジェラ先生への挨拶は大事だと思うよ」
「そうなのか…ところでこの革袋、相当な宝石が入っているようだけど」
感触と重さだけでアミルは中身を察している。アミルはお父さんが宝石商なだけあるなと思う。
「アンジェラは私の能力を知ってるからいつもこうなの。気にしないで」
納得したのかアミルは大事そうに革袋を懐にしまった。二人を見送って家に戻る。
賄いを食べた後、私とカルロはジュネイ伯爵領に向かった。養父であるグラソー子爵とジュネイ伯爵の三女が結婚したため、ジュネイ伯爵の農地、農民とは協力関係にある。
ジュネイ伯爵はとても良い領地を持っている。モンスターよけの守りの鐘もあるし、鐘で防ぎきれない小型モンスターも私のいるヴィース村より少ない平和な領地だ。そこで十年前の疫病より以前、養鶏を営んでいた農家に雛を譲りに行く。
とても広い敷地に、白い鶏たちが平飼いされている美しい光景はいつ見ても心が和む。これは本来の自然ではないけれど、こうして私たちの社会が、食糧が作られていると思うと言いようのない安心感がある。
国内に卵や鶏肉も少量だが出回るようになった。こうやって少しずつ、国が豊かになればいいなと私は思っている。
「元気でね」
頑強そうな養鶏場の主の腕の中、飼育場に連れていかれる雛たちは事態もわからずピヨピヨと鳴いていた。
恰幅のいい奥さんが報告してくれた。
「ユリアレス様、先日お譲り頂いた雛ですが、なんと雄鶏だったのです!これからますます数を増やしていけると思います」
「本当ですか!それはおめでとうございます」
ケツァルクックはとても雄鶏が生まれづらい。個体数を増やすのが難しいモンスターなのだ。
「この国の養鶏産業が復活する日も近いですね」
「はい、息子もハンター稼業をやめて手伝ってくれています」
奥さんは笑顔で教えてくれた。ハンター稼業はいつ死ぬかわからない職業だから、私も良かったと思う。
養鶏場を後にして、眼下に葡萄畑が広がる丘に移動した。整然とどこまでも続く葡萄棚は、丁度開花の時期で辺り一帯に甘い匂いがしていた。
葡萄の花は花弁がないので見た目は地味だが、この香りが好きで私はそっとザンディーラの石を使って嗅覚を強化する。
「はぁ、この香り最高……」
まだ実すらつけていない葡萄を味わうように、私は思い切り濃密になった香りを吸い込む。
「それ、一回俺も使ってみたいんだけどな」
カルロが横から羨ましそうに私に言う。
「じゃあ一緒に北の山の洞窟に行く?ザンディーラの別個体がいるかも」
「…冬だったらいいぞ。冬は暇だし」
「え?本当に?後から気が変わったって言わないでね」
どういう風の吹き回しか、カルロが私に禁じていた洞窟探検に同行してくれるという。まだ春の終わりだから冬までまだまだだけど、俄然燃えてきた。
「まずはここの葡萄畑を荒らすモンスターを倒さないとな」
「任せて」
私とカルロは、葡萄畑に夜な夜な現れるカリネックスの討伐を頼まれてここに来た。カリネックスは大きな耳の狐に似た小型モンスターで、全然強くはないけれど数年に一度大発生して畑を荒らしてしまう。
私とミルは畑に残る足跡の匂いをくんくんと嗅いだ。
「覚えた。巣窟まで行きましょう」
「ユリィ、もういい年なんだからそういうの人前でやらないようにな」
「わかってる」




