銀髪の男 3
「まぁ、実際は手品じゃなくて正真正銘魔法なんだけどね」
男はお茶目に小さく舌を出す。その姿に内心ため息をつき、マリーヒェンは目線を落とした。
手の中にあるオレンジ色のガーベラは、まるで今摘み取られたかのようにみずみずしく、美しい。
手品の種として仕込んでいたなら、もう少ししおれていてもおかしくないと言うのに。
「……先ほどあなたは店主に『旅芸人』と言っていたわ。どうしてなの?」
「そんなもの当然じゃないか。魔法使いだってばれたら大変なことになるからさ」
ほとんど空になったグラスを揺らしつつ、男はマリーヒェンを見据える。
唇の端を小さく上げた表情は、妙な色気を孕んでいる。この男が好きでなくとも、胸が高鳴ってしまう。
「違うわ。どうして私には魔法使いだと名乗ったの」
マリーヒェンだって店主と同じく、彼にとっては初対面の人間だ。
先ほど店主に『旅芸人』といったように、マリーヒェンにも同じようにするのが普通だろう。
「だって、俺はキミに近づきたかったから。魔法使いだと名乗ったほうが、キミの興味を引ける。……違う?」
実際、今、マリーヒェンはこの男と話している。彼の企みはまんまと成功していると言っても過言じゃない。
「義理の妹となった魔法使いにすべてを奪われ、こうして一人寂しく過ごしているマリーヒェン・クラウヴェル公爵令嬢」
「……っ、うるさい」
ついカチンと来てしまった。
いつもの調子なら、流せたはずだ。しかし今、マリーヒェンの心にはちっとも余裕がない。
そのせいで男の軽口を聞き流すこともできず、突っかかってしまう。
「大体、あなたは一体なんなの? どうして私のことを知っているの? 一体なにを求めているの!?」
「おやおや、冷静さを欠いてはまともな話し合いはできないよ。今は落ち着いて」
両手で落ち着けというジェスチャーをする男に、腹が立って仕方がない。
マリーヒェンはカウンターのほうに身を戻し、お冷を口にした。怒りで昂った身体に、冷たい水はとてもよくしみわたる。
何度か深呼吸をしていると、店員が注文した料理を持ってくる。
湯気の上がるビーフシチューと、焼き立てのパン。小さなサラダとデザートのプチケーキ。
最近の公爵家で口にしていたものよりも、美味しそうに見える。
「うわぁ、すごく美味しそう。俺も同じの注文しようかなぁ」
隣に座る男が身を乗り出し、マリーヒェンの手元の料理を覗き込んだ。そして、言葉通りに店員に注文を済ませる。
(今注文したってことは、さっきまでこの人なにを待っていたの?)
怪訝に思いつつも、スプーンを手に取る。ごろっとした野菜とよく煮込まれたお肉。一口分すくって、口に運んだ。
(ん、美味しい!)
マリーヒェンの大好物はシチューだ。
こんな最悪な日くらい、大好物を口にしたい。その思いで注文したが、この店のシチューは大当たりだった。
ごろっとしているのに柔らかい野菜と、口の中でほどけていくお肉。絶品と言っても過言じゃない。
(……まぁ、これのせいでお金が少なくなると考えたら、いいことばかりじゃないけど)
でも今は、目の前のシチューを楽しもう!
マリーヒェンは気を取り直して、もう一口シチューを口にしようとして、動きを止めた。
隣の男がこちらをじっと見つめている。その瞳は温かくて、なんだかいたたまれない。
「あれ? 食べるのやめちゃうの?」
スプーンを置いたマリーヒェンを見て、男が驚いたように声をかけてくる。
紙ナプキンを手に取って、口元を拭いた。そして、隣の男を強くにらみつける。
「あなたがじっと見ているから食べにくいのよ」
「それはまぁ、ごめんね。お詫びにそれはおごるよ」
「……う」
こんな男から施しを受けるのは癪だが、今のマリーヒェンの懐事情はかつかつだ。一食分でも食費が浮くのは大変ありがたい。
「その代わり、ちょっと俺の話を聞いてくれないかな」
話を聞くだけで、ご飯をおごってもらえるのか。
けど、そんなうまい話があるわけがない。絶対になにかしらの裏がある。
警戒するマリーヒェンだったが、背に腹は代えられない。一食分の食費が浮くのなら、一時間でも二時間でも、この男の話に付き合ってやろうではないか。
「わかったわ。話を聞く」
「そうこなくっちゃ」
にんまりと笑った男の姿には腹が立つが、先に話を聞くと言ったのはマリーヒェンだ。女に二言はない。
「今さらだけど自己紹介をするね。俺はランプレヒト・エンゲルベルク。適当に旅をして生活をしている【いにしえの魔法使い】さ」
「……マリーヒェンよ。ただのマリーヒェン」
勘当されてしまった以上、家名を名乗ることは許されない。
明らかに声が沈んだマリーヒェンを気遣うそぶりも見せず、男は自分の前に運ばれてきたビーフシチューにくぎ付けだ。
「本当に美味しそう。注文してよかったぁ」
スプーンをくるくると回しながら調子のいいことを口にする男――ランプレヒトには、なにを言っても無駄な気がした。
小さくため息をついて、再度スプーンを手に取る。シチューを一口分すくったところで、男は「そうだ」と声をあげた。
「さっきのガーベラの花言葉、知ってる?」
ガーベラの花言葉は色ごとに違う。先ほどのものはオレンジ色だったが、オレンジのガーベラの花言葉はなんだっただろうか。
「オレンジ色のガーベラの花言葉は【冒険心】。そして、【忍耐】。一年間、よく頑張ったね」
まるで世間話の一つのように、ランプレヒトは告げた。
きっと、ランプレヒトにとって深い意味はないのだ。しかし、マリーヒェンにとっては違う。
リーゼが来てからのすべての日々の苦しみを認め、肯定し、頑張ったねと言ってくれた。そんな気がした。




